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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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15年ぶりに味わった涙と性の宴。其の一

◇15年ぶりの我が家
15年ぶり1-1
その表札を見たとき、私は全身がバラバラになってしまうほどの衝撃を受けました。
雷に撃たれたようなショックを受けました。目ン玉が瞑れる位ゴシゴシと目を擦り、
何度も何度も見返しましたが、やはり表札は昔のままです。
はっきりと『村上章一』と書かれてあります。

15年間、妻は『村上章一』の表札を外さなかったのです。
『村上章一』の表札を掛け続けていたのです。

「表札だけは立派なものにしようね」
妻の提案で、二人して梅田の百貨店へ行き、
「一番高いやつを下さい」と言って選んだ、あの表札。
係りの人に「新婚なので」と少しはにかみながら言って選んだ、あの表札。
木製の堂々たる土台に『村上章一』と楷書で深く彫られた、あの表札。

出来上がった表札を二人して玄関にかけ、何時間も飽きずに眺めて、
「この表札に、負けんよう、がんばろうね」
と私の手を握ってくれた妻。その言葉に力強く頷いた私。
そして、妻の背中でスヤスヤと眠る幼い和恵の頭を撫で、
私は誰にも気兼ねすることなく、彼女達と一緒に暮らせる幸せと、
食わせていかなければならないという責任の重さを痛感していたのでした。

15年の間には、雨の日もあったろうし、雪の積もる日もあったでしょう。
風が埃を運んで来た事もあったでしょう。しかし、表札にそれほどくすみがないのは、
妻が磨いて呉れていたからに違いありません。

私の帰りを待ち続け、妻は一家の大黒柱である私の名を刻んだ表札を一生懸命、
心をこめて磨いていたのです。そんなことを思っていると、涙が滲んできました。

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15年ぶりに味わった涙と性の宴。其の二

◇気のいいおばちゃん
15年ぶり2-1
妻との出会いは、造幣局の通り抜けがとても美しかった季節でした。
某三流大学を卒業し、運送会社に就職が決まった私は、桜ノ宮近くの朽ち果てた様な
アパートで、一人暮らしをすることに成ったのですが、このアパートが毎年、
取り壊されると噂されているほど古い木造作りで、廊下は昼間でも薄暗く、
壁はベニヤ板かと思うほどの薄さ。風呂は当然無く、便所は共同。
六畳一間に、申し訳程度についた台所があるだけの、快適さとはおよそ無縁の住まいでした。

初めての一人暮らしだった為、戸惑うばかりで、とくに炊事や洗濯にはほとほと困っていました。
それで食事を外食に頼ったのですが、安月給のため、月の後半になると行けなくなり、
仕方なく自炊をするのですが、これがもうムチャクチャ。
キャベツに塩をかけておかずにしたこともありましたし、目玉焼きとご飯だけというメニューが
続いた事もありました。

洗濯にしても、今の様にコインランドリーが何処にでも有る時代と違って、アパートの近くには
有りませんでした。下着は銭湯に行ったついでにコソコソと洗っていたものの、Yシャツやズボンは
食事と同様、普段はクリーニングに出し、給料前になると手洗いしていました。
アイロン等も無く、せんべい布団の下に敷いてプレスをしていたのですが、寝相が悪いから、
いつも折り目は二つも三つも出来てしまいました。
そんな私を見兼ねて色々と世話をしてくれたのが、妻だったのです。

妻は私より13歳上ですから、当時は35歳。私にしてみれば完璧に「おばちゃん」です。
正直、性的な興味は持っていませんでした。しかも、妻はその数ヶ月前に離婚をしたようで、
いつも背中に乳飲み子をしょっていたのです。

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15年ぶりに味わった涙と性の宴。其の三

◇女性下着でオナニー
15年ぶり3-1
降り続いていた雨がようやく小降りになり妻から、
「やっと乾いたわ」
と洗濯物を受け取った時だったと思います。下着を押し入れにしまおうとして、
見慣れぬ下着が紛れ込んで居る事に気がつきました。
ベージュのブラジャーとパンティ、それにズロース・・・あきらかに妻のものです。

ブラジャーは、いかにもおばちゃんが着けていそうな愛想のないもので、背中のバンドには
ところどころほつれた箇所があり、何年も使い込んでいるといった感じでした。

パンティもかなり穿き込んでいるのでしょう、裏側の股布の処にはこびりついて取れない
黄色いシミがついていました。ゴムも見えていますし、足口のところも広くなっていました。
けれども、私には汚いといったような気持ちは全く起こりませんでした。
いえ、それどころか、妻への好感度をますます高める結果となったのです。

すぐに返しに行こうと思いましたが、私も若かったのでしょう、
女性の下着など滅多に手にする事のない私は、返す前にそれを使って、
思わずセンズリを掻いてしまったのです。使うといってもペニスに巻きつけたりしたのではなく、
手に持って匂いを嗅いだりするだけでしたが・・・・。

妻の姿を思い浮べて下着を目にすると、ペニスは瞬時にそそり立ち、
匂いを嗅ぎながら一心に擦りたてました。普通にオナニーをするよりも何倍も気持ちが昂ぶり、
ペニスの硬直度も普段以上のような気がしました。
そして、もう直ぐ射精するという時に成ってドアがノックされたのです。

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15年ぶりに味わった涙と性の宴。其の四

◇天にも昇る気持ち
15年ぶり4-1
妻と二人きりに成った時、私はたまらず強引に襲いかかったのです。
妻は抵抗しませんでした。衣服の上から乳房を鷲づかむと、
「脱がせて」と言ったのです。

35歳の女体はとても美しく、若い女には無い官能的な魅力に溢れていました。
私はもう夢中になって妻の全身を嘗め尽くし、顎が疲れてきた頃、ようやくペニスを挿入。
妻の色っぽい声を耳にしながら、私は妻の名を連呼して腰を降り続けたのです。

それからは週に半分はセックスをするようになったのですが、場所はいつも私の部屋でした。
妻は和恵を寝かしつけ、深夜に成ると他の住民に悟られないように、
こっそりと私の部屋のドアを静かに開けて「来たで」と一言声をかけ、
布団にスルスルと潜り込んで来るのです。

壁が薄いため、派手に声を出すことは出来ません。妻はよく枕の端っこを噛んで、
声が出るのを防いでいました。それでも時々声が漏れてしまう事かあり、
後半は彼女が自ら口にタオルを詰め込んでいました。

たまに和恵が、目を覚まして泣くことがあり、そんな時妻は行為の最中であっても、
「ご近所にご迷惑だから」と一旦自分の部屋に戻ります。
どんな時でもまわりに気を使うのが、妻の良いところなのです。

ところで、妻にはひとつの特技と言いましょうか、とっても上手な事がありました。
私がこれまで体験した中で、一番すぐれた技です。それはフェラチオです。

せんべい布団の上で激しく絡み合う前に前菜とばかりに、何時も妻は、
「章くんのチンチン、食べさせて」とフェラチオをしてくれるのです。

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15年ぶりに味わった涙と性の宴。其の五

◇天にも昇る気持ち
15年ぶり5-1
私はどんなに早く射精しても、妻は不満気な顔をしたことがありませんでした。
オーガズムに達しないこともしばしばあったでしょうが、素直に何時も、
「よかったわ」と言ってくれるのです。

行為の後、妻は台所に立ち洗面器に水をたっぷり満たして持ってきます。
タオルに水を浸して、ペニスを綺麗に拭いてくれるのです。拭きながらよく、
「ここ不潔にしていたら、女の子が嫌がるもんね」と、そんなことを言っていました。
妻はまだ私の気持ちを理解していなかったのです。
結婚したいと言う気持ちを・・・。「尚子と暮らしたい」 と言う気持ちがあることをです。

三月の終わり、そろそろ春の気配が感じられるように成ってきた頃、
私は妻にプロポーズをしました。しかし、妻は、
「おばあちゃんをからかうもんやないの」と真剣に受け取ってくれませんでした。
「冗談なんかやない、本気なんや」
「あほなこと言うんやないの!」

いつになく強い口調で私をたしなめた妻。
13歳も歳が離れていて、しかも離婚経験があって、子持ち女とわざわざ結婚する
必要なんてどこにもないと突っぱねます。もちろん、私はそんなことを百も承知です。
そういうことをひっくるめて結婚しようと言っているのです。

私はしつこく求婚し続けました。すると、妻はすっと立ち上がり、
「考えさせてくれる」
と言ったまま部屋に引っ込んでしまったのです。
後になって聞いたところによると、妻は部屋で泣いていたそうです。
うれしくてうれしくて、涙が次から次と溢れ出て止まらなかったそうです。

プロポーズをした翌日、私は貯金を下ろして、百貨店へ行き婚約指輪を買い求めました。
婚約指輪にしたらとても安いものです。見映えもよくありません。
しかし、そこには私の妻への愛が凝縮されていたのです。

私はそれを持って妻の部屋を訪れました。プロポーズをして一週間目のことです。
「今日は、絶対にオーケーしてもらうから」
そう言って、私は妻に指輪を差し出しました。妻は唇を噛み締めています。

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淪落主婦。其の一

◇失って知る家庭の有り難さ◇
淪落主婦1-1
今でこそ北関東の地方都市でスナックの雇われママをして居る私ですが、
その昔は普通の主婦として、ごく平凡な生活を送っていた時期もありました。
短かったけれど三人の子供と真面目な夫に囲まれてそれなりに幸せな一時期でした。

その事を知って居るのは、いまでは私の回りには一人として居ません。
今と成っては、そんな時代も風化した過去と成りつつあります。
おそらく、別れた夫と三人の子供の中にある私の記憶も、
殆ど残っていない事でしょう。

寂しい事です。けれど、六十を過ぎて水草稼業に身をやつしているのも、
夫子供と離れて暮らさなければ成らないのも、もとを正せばみんな自分の
せいなのです。

その昔もう25年前近くに成るでしょうか。
悔やんでも悔やみきれない過ちを犯してしまいました。
それは、夫や子供に対するひどい裏切りでした。

己の身から出た錆で、夫や子供から一生、
恨まれても仕方がないとは重々承知しています。
その上で、還暦をも通り越した今、私は彼らが恋しくて成らないのです。

すべては、年のせいなのでしょう。幸せだった過去が、
懐かしくて堪らない昨今なのです。出来る事なら、あの暖かい家庭に
もう一度、戻りたい・・・

そう願う事が、どれ程虫のいいことか痛いほど判っているつもりです。
自分の手で壊しておきながら、心休まる家庭が欲しいと望むなど、
決して叶えられる事ではないでしょう。
しかし、失ってみて初めて判る家庭のありがたさなのです。

毎日毎日、酔客の相手をして自分も深酒し、身を削るようにして生きている
老いた我が身が哀れでならなくなるときがあります。そんな時、
(もし、ずっと家庭に納まっていたままでいたら・・・)
こんな苦労をしなくても済んだだろうに、夫や子供や孫に囲まれて、
それなりの暮らしが出来ていただろうに、
と詮無い事を如何しても考えてしまうのです。

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淪落主婦。其の二

◇東京の甘美な夜◇
淪落主婦2-1
熟し切った私の肉体は、貪欲でした。いくらでも肉欲を貪りたい、
猛々しいような欲望に取り憑かれていた時期でした。
そんな私に、夫はまったく応えてくれませんでした。

夫は月に一回くらいおざなりのセックスをしてくれるのが、精々でした。
私に対する愛情はひとしを感じて居りましたが、
肉体と体力が付いてこなかったようです。

そんなある日の事でした。
私は、町内会のくじ引きで東京旅行を引き当てたのです。
「僕は、仕事があるからいけないよ。一人で行って来るといい」
ペアでのご招待券でしたが、夫に断られ、
私は子供たちの面倒を実家の母に頼み、一人東京へ旅する事にしたのです。
これが、すべての過ちの素でした。

東京タワーに皇居や浅草、昼間は都内の観光地巡りを楽しみました。
そして夜は、ホテルのレストランで一緒に参加した方々と夕食を摂り、
(夜は、まだ始まったばかり。部屋でTVを観るのもつまらないわ)
と、そのまま一人ホテルのバーへ繰り出す事にしたのです。
それは、地方都市の一主婦にはちょっとした冒険行為でした。バーで、
まともな女が一人酒を飲むなど、地元では考えられない事だったのです。

私はこってりと化粧直しをし、
(めったに無い事ですもの。私だって、たまには冒険したいわ)
ドキドキ胸を高鳴らせながら、薄暗いバーラウンジに入ってゆきました。
重厚な雰囲気に飲まれ、足が竦みましたが、
何とかカウンターの止まり木に座る事が出来ました。

私は年輩のバーテンダーにカクテルを頼むと、
言い知れぬ心地良さがこみ上げてきました。
都会にやってきて柄にもない事をしているのが、快感でした。
自分がお洒落な女に思えてなりませんでした。
私は日頃の憂さを忘れ、うっとりと都会の空気に酔い痴れていました。

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淪落主婦。其の三

◇初めてのアクメ◇
淪落主婦3-1
岸はベッドに私を押し倒すと、問答無用でスカートを捲り上げ、
シームレスストッキングとショーッを一緒くたに引きずり降ろしました。そして、
「これはこれは!上の顔も美人だが、下の顔も中々のもんだ」
と、赤々と明かりの灯った部屋で私の太腿を大きく割り拡げたのです。
これはもう、文字通り顔から火の出る羞恥でした。

見ず知らずの男と初めてベッドを共にしたばかりか、
恥ずかしい処をモロに見られてしまったのですから、
(ああ、穴があったら入りたいとはこのことだわっ)
私は両の手で顔を覆いながら、焼け爛れるような羞恥に身を揉んでいたのです。

岸の視線が湿った柔肉を抉り、もう居たたまれませんでした。
「い、いやっ、み、見ないでっ。そんなに見ないでエっ」
身を左右に捩じり哀願の悲鳴を上げつつ、私は自分が倒錯の境地に追い込まれて
ゆくのを感じていました。見て欲しくないというのは飽くまでも建て前の気持ちで、
本当は死ぬほど恥ずかしいけど奥の奥まで覗いて欲しい・・・。それが、本心でした。

真夏の太陽のような視線でワレメを照射され、私の性感はぐんぐん昂ぶってゆきました。
平素、夫との夫婦生活では感じる事の出来ない、焼け付くような昂奮でした。
「あっ、あふうううっ」
しかし、それはまだまだ快感の序曲にしか過ぎなかったのです。
次の瞬間、目から火花がパチッと飛びました。。
岸の指が、真一文字に膣口を貫いていたのです。

「うううううーっ、あっ、あはっ、ど、どうしましょう、私、どうしましょうっ」
私は、酷く取り乱していました。快感の源泉を直接的に責め込まれ、
完全に我を失ってしまったのです。
岸は指を何本か束にして、スボズボと抜き差しし始めました。

「素晴らしい!素晴らしい濡れ具合ですよ、淑子さん。
 あなたは、ひと一倍感度がいいのかな。
 それとも、余りご亭主に可愛がってもらっていないのかな。
 どちらにしろ、あなたはかなり好きな方ですな。もう、手首までびしょびしょですよ」
「ああっ、そ、そんなことおっしゃらないでぇ、私、私、もう、もうっ・・・」

羞恥と快感は背中合わせ、羞恥が倍増すれば快感もそれに比例するものなのです。
岸が卑猥な台詞を吐き、愛撫の指に力を込めれば込めるほどに、
(あっあっあっ、こ、こんなの初めてっ。こんな気持ちいいの、生まれて初めてよオ!)

快感は恐ろしいくらいに膨れ上がり、私をとめどなく惑乱させました。
夫との性生活では味わう事の出来なかった強力な愉悦に、
私はカルチャーショックを覚えていたのです。

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淪落主婦。其の四

◇愛欲に溺れた日(1)◇
淪落主婦4-1
当然、岸との関係は一夜のアバンチュールのみでは終わりませんでした。
その翌日、東京から家に戻ったものの、私の頭の中は岸の事で一杯でした。
何も手につかない有様でした。
寝ても覚めても、思うのはたった一夜を共にした年上の男のことばかり、
夫はもちろん、子供たちさえも私の目には入りませんでした。

(岸さんに会いたい。また東京へ行きたい。でも・・・)
不倫相手への思いは募るばかりでしたが、しかし主婦の身の上の私がそうそう
東京へ出かけるわけにはいきません。心は東京へ飛んでいましたが、
(夫や子供たちに、何て言い訳して行けばいいの?ああ、だけどどうしても私・・・)

ジレンマでした。どうしていいのか判りませんでした。夫や子供たちには申し訳も
立ちませんでしたが、どうしても岸への気持ちを抑えることが出来なかったのです。
「実はあなた、埼玉に住んでいる伯母さんの具合が悪いのでお見舞いに行きたいの」
嘘をつくしかありませんでした。

夫は全く疑うことなく、私を旅立たせてくれました。
心の中で夫や子供たちに手を合わせながら、私はまたしても東京へ向かったのです。
(私って、何て悪い母親なんだろう、妻なんだろう。だけど、だけど私は・・・)
妻や母親であるまえに、一人の女でした。どうしょうもなく、女だったのです。
それは、如何に理性で否定しようにも否定しきれない現実でした。

その一方で、家族に対して心苦しくてなりませんでした。
嘘をつき家族を欺いて、男の元へ走る自分が許せませんでした。
女と母と妻の間で、私はもがき苦しみました。

けれど東京旅行から帰って一週間で、私はまた東京へ舞い戻ってしまったのです。
あのめくるめく絶頂が忘れられなくて、ときめく気持ちが抑えきれなくて、
浮気相手の懐に飛び込んでしまったのです。この気持ちは、紛れもなく恋愛でした。

思えば、私には恋愛に対する免疫が余りにも無さ過ぎました。
夫と結婚するまで恋愛らしい恋愛など、ひとつも経験した事がありませんでした。
夫と知り合ったのも見合いがきっかけで、恋愛感情の果てに結婚したわけではありません。
となれば、岸に対するこの思いこそが私の初恋と言うことになるかもしれません。

とにかく、その時の私は盲目でした。何も手につかず、只ひたすら岸に恋焦がれていたのです。
伯母の見舞いに行くと偽って家族を騙し、私は岸に教えられた住所を尋ねました。
罪悪感に苛まれつつも、私の心は昂ぶっていました。

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淪落主婦。其の五

◇愛欲に溺れた日(2)◇
淪落主婦5-1
(私って、こんなにイヤらしい女だったの?これが、私の本当の姿なの?)
朦朧する意識の中で、私は岸の男根をしゃぶっていました。
亀頭の先から根元まで、隅から隅まで味わい尽くさなくては、気が済みませんでした。

全身が、欲情の塊でした。こんなにも凄まじく男を求めたことが、かってあったでしょうか。
私の平凡な人生の中では、考えられないことでした。

私は、ひたすら岸をしゃぶり続けました。頭の中は真っ白で、無心の状態でした。
このときの私はただ、欲望の為に存在していました。
岸の股間も、私の口中で見る見る勃え立ってゆきました。
もう、丸飲みするのは不可能でした。りんりんと屹立した肉棒の先に喉元をつつかれ、
私は吐き気と闘わなければなりませんでした。しかし、その強烈な嘔吐感さえ快感でした。

「よし、合い舐めしようじゃないか。どうせ、もうヌレヌレなんだろう?」
と、岸が私に命じました。
「そのまま、カラダをグルリと回転させなよ。
 マラを銜えたまんまで、オマンコで僕の顔の上に跨るんだ」

私は、歓んで火照った下腹でもって岸の顔面に乗り跨りました。
もちろん、口は勃起を頬張ったままでした。
とたん、痛烈な快感がワレメを直撃しました。

「うわーっ、ひい、いいーっ」
思わず、勃起を吐き出してしまいました。叫びを抑えるのは無理でした。
余りの快感に、私は長屋中に響き渡る大声を打ち放っていたのです。

力任せに吸いたててくる岸の愛戯に、私はもう陥落寸前でした。
肉芽は言うに及ばず膣口まで吸いまくられて、性感が一直線に頂点を目指し
急上昇しはじめたのです。

「うああああーっ、ダメダメっ、イッちゃうわあ~っ!」
「気が早いなあ、淑子さんは。このくらいでイッちゃあ勿体ないよ」
岸は、私の尻を叩きました。
「どうせなら、僕のデカイのを銜え込んでイキなよ。
 さあ、上からハメて、自分の好きなように動くといいよ」

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淪落主婦。其の六

◇惚れた弱み◇
淪落主婦6-1
親戚の結婚式、葬式、介護、使える口実は何でも使いました。
そうやって、岸に抱かれたくて東京へと足を運んでいましたが、
いかに人のいい夫とはいえ、そんな私に疑いを持ちはじめるのは時間の問題でした。
ある日、私の行動を不審に思った夫が、
「こんなことは言いたくないが、おまえ、男でもいるんじゃないか」
と、私を問い詰めたのです。私としても、もう一杯一杯の状態でした。

家族を欺いているのも自分の岸に対する思いを隠し続けるのも、
苦しくて仕方ない限界の状態だったのです。
思い余っていた私は、洗いざらい夫に告白し、
「ごめんなさい、あなた。私その人のことを思い切れないの!」
とうとう、家を出る決心をつけたのです。夫は呆気に取られているきりでした。
「もう、あなたや子供達と偽りの生活を続ける事は出来ないの。
 子供達の事を宜しく頼みます。私を許してっ。私の事は、もう忘れて下さい!」

こうして私は着の身着のまま長年、住み慣れた家を出て、
岸の元へと出奔したのです。暑い夏の日、私が四十になる少し手前の事でした。
夫や子供には、私など死んでしまったと思って貰うしかありませんでした。
後ろめたさに戦きながらも、 私は岸の長屋に転がり込みました。

「まあ、是からは二人で楽しくやろうじゃないか」
岸は、家族を捨てた私を大歓迎してくれました。
私は離婚届けに署名捺印し、東京から夫の元へ郵送しました。
私には、もう帰るところはありませんでした。

(皆を不幸にしてまで、この人の所へ来たんだもの、何があっても岸に従いていくわ)
ある程度の苦労は、覚悟している積りでした。
しかし、やがて私は夫や子供達を不幸にした報いを受ける事となったのです。
一緒に暮らしてみて初めて、私は岸という男の本性を知ることになりました。

商社に勤めていると聞いていましたが、それは嘘のようでした。
岸は、定職を持っていなかったのです。
「僕は、誰かに使われるというのが性に合ってなくてね」

私が転がり込んでも、岸はまったく働こうとする気配がありませんでした。
それどころか、私が少しばかり持っていた所持金を当てにする始末でした。

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淪落主婦。其の七

◇前夫の深い愛を知る◇
淪落主婦7-1
五年前に岸が肝硬変を患い二年間の闘病生活の末、三年前に亡くなりました。
私は彼の入院費用を稼ぐために、スナックに勤めながら、
月に二、三人の男に抱かれ、お金を稼ぎました。
入院を機に新しい愛人に岸を任せて別れる事も考えましたが、
二十年近く私達は離れたりくっついたりしながらも、ずっと内縁関係にありました。
他の女達は白状なもので岸が身体を壊すと誰も相手にしなくなりました。
私は彼を見捨てる事が出来ず、せっせと売春をして彼の治療費をかせいだのです。

岸が逝って、ひとりになってみて改めて思うことは、今更ながらに後悔ばかりでした。
好きな男に添い遂げたという充実感が微塵もかんじられない所が、
私の人生における最大の悲劇なのかもしれません。

本当に、あのとき東京に行っていなければ、岸という男と知り合わなければ、
私の人生はまったくちがったものになっていたはずです。
こうして年老いてから、淋しい思いをしなくても済んだことでしょう。
しかし、それもこれもみんな己の不徳の致すところなのです。

近頃腰の痛みが激しくて朝起きるのも辛い毎日です。こんな時優しい夫が
側に居てくれたら、痛む腰を優しく擦って呉れるだろうに、とつい一人涙が
零れる毎日でした。

そして心細くなった私は遂に104番に電話して、夫の自宅の電話番号を聞きました。
それは25年前と変わらぬ電話番号でした。
(今もあの人はあの家に居る。でもすでに後添えを貰って幸せに暮らして居るのだろう)

もし電話口に女性の声が聞こえたら黙って電話を切ろう。あの人が電話に出てくれたら、
と願いながら私はプッシュホーンのボタンを0□□-□□ー□□□□と震える手で押していました。
「ハイ、加藤ですが」
「あの・・・わたし・・・」
「淑子か!どうした・・・」
「お久し振りです、お元気そうね」
「私は元気だが、お前は元気ではないのか」
「わかる。今体調を壊していて、心細くなって電話してみたの。
ご迷惑だったかしら?・・・貴方にはもう奥さんが居るんでしょ」

「奥さんて、誰のことだい。そんな女はこの家には居やせんよ、
 女房なら25年前にフラリと出て行ったきり、帰ってこないんだよ。
 今でも待っているんだけどね」
「だって離婚届を郵送したでしょう・・・」
「そんな物は何処かにしまい込んだ侭に成ってるよ。まだ淑子は私の妻のままだよ。
 戸籍謄本を取り寄せた事無いのか?という事はお前は誰の籍にも入っていないんだな。
 独りの侭なんだろう。帰ってこい。
 子供達は皆独立して孫も8人居るが、この家には私一人なんだよ。」
「ウワー!孫が8人も居るんですか。可愛いでしょうね。こんな私でも帰っていいですか?
 帰ったら私も8人の孫のお婆ちゃんなのね。何だか急に年齢を感じちゃんわ」
後は電話口で泣き崩れて其の後の言葉がでませんでした。

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淪落主婦。其の八

◇再び夫婦に成れた日◇
淪落主婦8-1
夫の提案に頷く私でした。愛犬の太郎を後部座席に押し込めて、
夫のクルマは国道に出ました。新婚当時は両親と同居していたので、
良く夫とラブホテルを利用していたのです。其れくらいに仲の良い夫婦だったのです。
三島市外から箱根に向う国道筋に、そのホテルは有ります。

途中私の両親と義父母が眠っている市営の共同墓地に寄って、
親不孝を詫びて、お線香とお花を供えました。
お墓の前では溢れる涙が止まらず。足も震えて歩く事も侭成りませんでした。
そんな私を夫はしっかり支えてくれました。本当に優しい人です。

「懐かしいわ、此処から眺める景色は昔と変わらないわね」
「お前も変わらないよ、昔のままに綺麗だよ」
「うそ、もうおばあちやんよ、貴方に見られるのが恥ずかしいわ。
 電気を暗くしてしてくれる」

「何言ってるんだ、歳を取ったのはお互い様だよ。
 俺はお前の身体を良く見たいんだよ」
二人はホテルの浴衣に着替えてベッドに横たわりました。

二十五年の歳月は確実に女の身体を変えていました。
首の辺りの小じわが目立ち、、頭髪も白髪が目立つて居ます。
豊かだった乳房も垂れ気味で、決して魅力ある身体では有りません。
こんな年に成るまで他の男の性の玩具にされ、崩れた身体を夫に晒すなんて、
申し訳ないやら、恥ずかしいやら、で思わず乳房と陰部を手で隠してしまいました。

夫は優しく其の手を払い除けて、私を抱きしめてくれました。
「もう貴方の傍を離れない、こんなおバァちゃんでごめんなさい。
 後悔ばかりの二十五年だったわ、
 これからは、ずうっと貴方についていくから、捨てないでね」

「俺が愛した女は後にも先にも淑子一人なんだよ。
 二十五年待って居たんだよ、もう離しはしないさ」

「うれしいわ、本当にごめんなさい」

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淪落主婦。其の九

◇これが幸せなのね
61.jpg
二十五年振りに見る我家は外観こそ白いサイディグボードに張り替えられ窓や玄関引き戸は
アルミサッシュに取り替えられて居りましたが、その佇まいは間違いなく我家でした。
手入の行き届いた植え込みや娘達が掃除をしたのでしょうか、
綺麗に掃き清められている玄関先。
玄関引き戸を開けて一歩足を踏み入りると其処には8人の孫と6人の子供夫婦の笑顔が、
重なるように並んでいました。

良くテレビなどで離れ離れに成っていた親子が何十年振りかに再会する場面では、
「涙のご対面」が当たり前のように放映されていますが、
我家のご対面には涙は有りませんでした。
まるで日常に繰り返されているような買い物から帰った母親を迎える様に、
「お帰りなさいお母さん」と娘が言うと「お帰りなさいお婆ちゃん」
と娘の中学生になる孫娘が言いました。
私は返す言葉もなく溢れる涙を只々拭い去るだけです。

今年三歳に成るという8人目の孫が照れくさそうに私に擦り寄ってきました。
「光二ちゃんね、私がお婆ちゃんよ・・・」
後は言葉が出ません。
涙でクシャクシャに成った顔で光二に頬擦りしキツクキツク抱きしめました。
「お婆ちゃんクルシイよ~」
「あら、あら、ごめんねー。光ちゃんが余りに可愛いから・・・」

「さぁ、こんな狭い玄関口に何時までも居ないで居間にいこう」
と夫が言いました。 

25年前の居間は私達夫婦と三人の子供で、かなり広い居間だと思っていましたが、
今の我が家には3倍以上の笑顔が溢れ帰っていて、足の踏み場も無い様子です。
男の子達のお嫁さん二人とも優しそうで皆美人です。

娘のお婿さんはお寿司屋さんの職人で、沼津に自分の店を持つのが夢だとか。
背の高い中々のイケメンです。

孫は高校生を出頭に三歳児まで8人も居るのです。
三歳の光二が二十歳に成る頃は、夫も私も80を超えてしまいます。
(長生きしなくちゃね、あなたぁ)
私は心の中で夫に語りかけました。
END

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義姉が同居していた頃。其の一

義姉1-1
今から二十五年以上も前、我が家には妻の姉が同居していた。
義姉が何故私達と同居していたかと言うと、義姉は東京の堀切に住んで居たのだが
離婚していく所が無いから我が家に転がり込んで来たのである。
それにしても違和感が全く無かった。

妻と姉は14歳も歳が離れていて、心情的には親娘に近い感覚があったからだ。
実生活に於いても其の通りで、早くから両親に死別した二人は、何処から見ても
親と娘であった。

だから落ち着き先のない姉を引き取るのが当然という気持ちがあり、
私も妻の母を引き取ったのだと言う気持ちにさせられていた。

当時私は42歳、妻は36歳、義姉は50歳であった。
そのほかに一人娘の佳代14歳もいた。

義姉は何もせずに居候しているのは気兼ねだと、
近所のお惣菜屋にパートに行き始めた。働き口は妻が探して来た様だった。
毎日9時から14時位まで働いて、その給料の中から、
幾らかでも我が家計に入れてくれるという。
「そんな事しなくてもいいょ」と言っても聞かないので義姉の気持ちの侭にさせておいた。

義姉は50歳と言っても出産経験がなく、若い頃には男性にモテモテで派手な噂を
流された事も有るらしい。其の為か、何時までも若々しく瑞々しい肌に、
堀切の掛かり付けの美容師のセンスが良かったのか、綺麗にセットされた髪型は
歳を10歳以上は若く見せていた。妻と同じ歳だと言っても不思議ではなかった。

見た目には双子、心情的には親娘、妙な感じの二人であった。
その義姉が昼寝をしていた。初夏の涼しい風を受けて、薄い掛け布団一枚で
畳の上に直に転がって居るので有る。
何度も寝返りを打ったのか、布団もスカートも捲くれ上がっていた。

こんな「覗いてちょうだい」と言わんばかりの態度は、其の日で二度目だった。
私がコーヒー代を倹約する為に、外回りの折自宅へ休憩しに帰って来るのを
見越した如く、同じ曜日の同じ時刻に裾を乱していた。

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義姉が同居していた頃。其のニ

義姉2-1
「アッ、アッ、知らないから、私しどうなっても、知らないからねぇ」

熱い喘ぎを見せた義姉の顔に、汗が浮ぶ。もう大丈夫。逃げはしないだろう。
確信を持ったが、なおも念を押す意味でスカートの裾へ手を差し込み、
アッという間に割目をまさぐった。じっとしている。否、股の力を緩めても呉れた。
もう嵌めても良いわよ、と許して呉れたも同然。指二本をブスッと差し込む。

「あぁーん、そんなの・・・」
『一度だけ、一度だけ思いを叶えさせて下さい・・・』
「真佐江には絶対に、秘密にしておいてよ・・・」

気が変わらぬうちにと義姉を抱き上げる様に座敷に運び、
急いでスカートのホックを外して脱がせた。観念したのか、
されるままに成っている義姉の、下腹の黒い茂みと割目が露になった。

「こんな事に成ってしまって、恥ずかしい・・・
 健一さんは、私を好いて呉れてるの・・・一時の気紛れ」
『義姉さんが好きです・・・この手で抱き締めたいと前から思っていましたよ』

義姉は鳴き声を洩らしながら顔を右の方に曲げて隠すようにした。
片足も少し曲げたが、その拍子にお尻が動き、割目が捻じれて
ピンクの秘肉が覗く。肉壁はベタベタに濡れて、おもらしの如き観もあった。

真珠のようなオサネを指で押し揉んでみると、クリクリと踊り、
同時に腰もくねらせて見せてくれる。

『義姉さん、もっと見せて、お姉さんのオマンコもっと良く見たい』
「意地悪いわないで」
と言う割りには、先程より大胆になり、両足を少しだけ、くの字に開いて呉れた。

座布団を二つに折って義姉の腰の下へ押し込む。
『もっと拡げて、開いて・・・』
命ずるようにいって、両足を更に拡げさせる。淫汁は更に量を増し、
まさにジドジドで肛門の方へまで伝い流れ落ちていた。

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義姉が同居していた頃。其の三

義姉3-1
その間にも竿の上下扱きの手を緩めようとしない。
『おねえさん、いいよ・・・』
「健ちゃんのチンポ大好き。強いのね、こんなに硬くして」
舐めもシコシコも強く早くなってくる。

「ねえ、ねえ、入れて!私、もう耐えられないわ、このチンポ入れて」
勿論、私も最大限に昂ぶっている。

被さると同時に、股を大きく拡げた義姉は握ったチンポを宛がってくれる。
そのまま腰を落としこむと見事に突き抜いてしまった。
「もっと重なって、体重をかけて来て~私が動けないくらいに圧迫して」

その通りにしてやると、下から両手でガッチリと私を抱き、
ピッタリと密着させる。
それでも、下半身は別の生き物の如くに軽やかに動いている。
上下動から横揺らしと器用に動いている。

どの位の時間が経過したのかは判らないが、二度目の嵌め合いは、
終始義姉がリードするように進められたらた。
大きな乳暈も歯型がつくぐらいに噛みつき、乳房には幾つもキスマークが付いた。
其の都度義姉はイキ巻くって、悶え仰け仰け反り、声を発して爪を立てた。

私は極力射精を耐えていたが、遂に限界が来た。
『お姉さん、もう出そうだ・・・あぁぁぁ・・・・』
「きてきてッ、奥へ出して、沢山ザーメンを注ぎ込んでッ・・・」

と言うなり全身が硬直して、膣の中はは凄い痙攣だ。其の全ての蠢動で精液を
溜め込むようにして吸収する義姉は殆ど動かずに固まっていた。
ピッタリ性器を押し付け嵌め合った侭、時々肉壁をピクッピクッと動かしていた。

其の日の夜は何事も無かったかの様に夕餉の団欒を義姉も交えて家族全員で
食卓を囲んだのだが、私は妻に気取られはしないかと少しだけハラハラしていたが、
その心配は不要だった。

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義姉が同居していた頃。其の四

義姉4-1
浮気と言うのは本来、秘密裏に遣るから燃えるのであって、妻に実の姉を「抱いて遣って」
と公認されては興味も半減しようという物です。結局は二人の女の性欲処理に利用
されるのが落ち、ましてや我が家には年頃の娘も居るので、大人三人が肉体関係に
成るなんて知ったら、娘が変にグレたりはしないかと、心配したりするのです。

そんな気持ちの葛藤が有り、「はいそうですか」とは言えず、家では専ら妻を抱き、
義姉とは市内から少し離れた郊外のラブホテルを利用して抱いたりして秋に成った。

そんな折娘が中学最後の修学旅行で四日ほど家を留守になったのです。
絶好のチャンス到来です。私達もそれに合わせて一泊の温泉旅行に行く事にした。

当日は旅館のチェックインが午前十一時からだったので、その日は早朝に出発した。

女達は姉妹ともども和服を着てきて、私の目を楽しませてくれた。
座席はグリーン車の指定席で向かい合い合って、私が義姉と妻の座席に交互に移動し、
車中の雰囲気も和気藹々、到着までの時間が短く感じられた。

旅館ではご祝儀を仲居に手渡したのを見て、「旅慣れて居るのね」と義姉が言った。
仲居が二人の着物の柄を誉めそやし、非常口や大浴場、家族風呂、大ホールの
説明をしてくれた。仲居が下がると、義姉は、
「こんな旅行が出来るなんて夢みたい、真佐江は本当に幸せな女だね」
と妹に言い聞かせるように言った。そして、
「真佐江、健一さんに浴衣に着替えてもらったら」
と言って妻の真佐江に浴衣と紐の用意をさせる。

私は何もせずに棒立ちに成っていると、義姉が微笑み、甲斐がしく脱がせてくれる。

36歳の妹(妻)は義姉から見ると気の利かない娘の様に見えるらしい。
特に和風の作法に疎い妻に言い聞かせるように、
「私がしている事を良く見て覚えるのよ」
とシャツのボタンを外して脱がしてくれる。
「旦那様に後ろから浴衣をかけてあげなさい。
 かけたら腕を通してあげるのよ。優しく女らしくネ、何事も勉強よ」
前に回って立て膝になってステテコとパンツを妻に下ろさせてから、義姉は帯びに挟んだ
ガーゼのハンカチを振って広げ、チンポを包んで拭く。

「空気に触れていないから蒸れていて、こうしてあげると、
 気分が爽快になり、殿方は喜ぶのよ」
妻に浴衣の前を繕わせて、腰紐をかけさせた。

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義姉が同居していた頃。其の五

義姉5-1
私のペニスが回復して来るまで、二人に風呂に入ってオマンコを綺麗に洗って来いと、
命じた。女達が風呂に居る間私は、ビールを一本飲んで待っていた。
そして第二ラウンドの開始である。

真佐江は風呂で身体を洗って来て四つん這いに成り尻を向け、
私の顔の上にオマンコを押し付けて、舌のサービスを要求した。
ペニスが勃って真佐江が騎乗位で嵌めてうごめきはじめると、
義姉も我慢が出来なくって来たらしく、私の顔の上に跨りオマンコを押し付けて来た。

義姉のアンダーヘアーは真佐江よりも剛毛で濃い、
其れは尻まで続き、菊座の回りもヘアーが生えている。
押しつけらた尻を両手で押し開く様にして、菊座の周りを嘗め回す。

「あぁぁぁ・・・いぃぃぃ・・・アナルに指を入れても良いわよ・・・」

前の亭主に寄って義姉のアナルは開発されて居る様だ。
私は日頃から真佐江に言われていた。

「アナルは雑菌が多い処だから、アナルに指を入れる場合は
必ずゴム手袋か、コンドームを装着してから遣ってね」と

私は備え付けのコンドームを人差し指と中指に、
装着して義姉のアナルに指を差し入れてみた。

「あぁぁ・・・・うぅぅぅ・・・・・健一さん・・・・・」と義姉が叫ぶ。

「あなたぁ・・もう我慢出来ない・・・私のオマンコに射精して・・・」と真佐江が求める。
「真佐江のオマンコも最高だよ、そんなに締め付けたら直ぐ出てしまうよ」」

「良いわよ・・・来て・・・一杯出して良いわよ・・・」

「あぁぁぁぁ・・・・・でる、でるよ」

私はは二度目のザーメンを真佐江の膣の中に放出した。

そしてこの晩は、三人でお風呂に入りその風呂場で義姉の中に一回、
寝る前に真佐江の中にもう一回と、計四回も射精させられた。

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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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