小説・秋の夜話。其の二
増蔵夫婦が現在間借りをしている大家の農家は、村でも一、二を争う地主であった。
当主の甚太郎は埼玉から養子に来たのであるが、戦争中赤紙召集されて留守であった。
終戦後直ぐに除隊になって復員しては来たが、間もなく農地改革の為、田畑の放棄を余儀なくされ、
一町二反歩の小百姓に転落した。
農地改革とは終戦後に行われた一種の農村革命で、それまで小作にのみ作らせて居た地主や、
その土地に不在の地主は、すべての農地を解放と言う名義で没収せられ、
在村の地主で、自ら耕す者のみが僅かに、数反歩の私有を認められた。
尤も応召者には多少の恩典があって、甚太郎の如きは、掻き集めて一町二反歩という額にも達したのであった。
一方に於いて開放された夥しい農地は、タダ同然の安い報償金、小作農民に分配され、
その為に殆どすべての地主階級は没落し、農村は小百姓の天下となった。
甚太郎の家庭は、年老いて満足に働けない両親と、十歳を頭に幼子が六人、そして頼みとする女房は、
体は丈夫なのだが生来の痴呆で、子供を産む事より他に何の能力もなかった。
甚太郎はこの家の広大な農地を手に入れる為に、痴呆の一人娘と養子縁組をしたのであるが、
今となっては、欠陥と障害と荒廃と苦境が、この家の財産として残されているばかりであった。
その不幸を知るや知らずや、お直婆さんは、アンゴラ兎を甚太郎の家にも届けるべく、
背負籠の中にそれを入れて、孫娘に背負わせてやって来たのだった。その時甚太郎は、
「其処に空いた檻があんべ、序でに入れて行ってください」
と言っただけで、それっきり口もきかなければ、見向きもしなかった。
この男の無愛想さには慣れている婆さんは、別に気にも掛けず、、兎を檻に入れると、
餌なども一緒に入れて、丁寧にお辞儀をして立ち去った。
貧しい農家の肩を持つ勝気な婆さんは、独りで黙々と働く甚太郎を見て、
内心ではざまあ見ろと思ったかも知れない。
甚太郎はこのような木で鼻を括ったような傲慢な男ではあったが、そこらの水呑百姓とは事変わり、
落ちぶれても地主であった。直ぐ其の後から、婆さんの処へ千円も届けてやった。
農村を立ち退く、疎開地の弱者につけ込んで、みすみす五百円もする兎を百円で買い上げるような、
ケチな百姓根性は流石に地主階級にはない。のみならずこの男は地主としてのプライドからか、
疎開者に対しては、最も人間らしい同情を寄せて居たのであった。
戦時疎開という国家事業も、これらの理解ある地主の協力によって行われた事を忘れては成らない。
地主以外の、その日暮らしの貧農は、疎開者と至る処でトラブルを起こしていたものである。
この事は直ぐに村の評判になった。
「本宅じゃお直婆さんに千円呉れたたって事よ」
増蔵の妻礼子は目を丸くして言った。
「地主だもの。昔は御大尽だったんだろう」
「それでも本宅に置いていったアンゴラは雄の方なのよ。
甚太郎さんて人は、やっぱり疎開者には良くするのね」と、礼子は言った。
元々この夫婦がこの村に疎開するようになったのも、甚太郎を頼って来たのである。
礼子が闇の買い出しに、実家の手蔓を頼ってこの村に出入りしたのがきっかけで、
礼子は夫の仕立屋の稼ぎが、戦争の影響で急に細くなったので、
その補いのため、野菜や米の担ぎ屋みたいな事をして居た。
それで屡々農家に出入りする間に、甚太郎ともとも知り合いになりレ、万一横浜が空襲に遭い、
家が焼け出されたら、その離れの一部屋を疎開先に貸して貰う約束も出来て居た。
礼子に連れられて、増蔵も初めてこの村の土地を踏んだのであった。
礼子は色の白い器量のいい女で、背丈は低いが、骨組みががっちりして居て、
担ぎ屋をするだけあって小力が有った。不具の増蔵とは従兄妹同志で、親も兄弟も無く、
娘の頃から増蔵の処に身を寄せて居た。そうして好くとも好かれるともなく、
増蔵と夫婦になったのであるが、実直な、陰日向のない、初々しい、娘のような女であった。
夫婦とは実は名ばかりで、子供も作り得ない様な、下半身の不自由さでは、増蔵には礼子を可愛いがり様も無かった。
礼子を心から愛しては居たが、それを顔形に、或いは動作に表わして女を労るには、甚だ照れくさいものがあった。
と言うことは、キッスも為し得なかったと言うことになる。普段甲斐甲斐しく身の回りの世話をして呉れるので、
それに免じて夫婦に成ったものの、世話をして呉れるだけでは、結婚してもしなくても同じなのである。
唯亭主で有る、女房で有ると言う、婚姻届と言う世間並の倫理を作り、その倫理よって女に逃げて行かれない様な
工作をしたに過ぎない。肉体関係や子供の有無とは別に、夫婦には互いに離れることの出来ない神の摂理があると、
増蔵には自分に都合の良いように考へられるのだった。聖書にも、“神の合わせたるもの、人これを離すべからず”
と言って居る。神は夫婦であることを嘉しとして、二人の間を護って呉れるであろうと、其れのみを期待して、
増蔵は礼子を女房に持った。この男の事情としては、やむを得ないのであった。にわかのクリスチャンでは有るが、
この男は神の存在を信じて居た。
幾度か罹災を重ね、着の身着のままとなって、増蔵夫婦が村に辿り着いた頃には、当主の甚太郎は応召して、
家には老人と子供ばかりであった。当時有り余る田畑は何処も彼処も荒廃の極に達して居り、
礼子は来た翌日から、直ぐ畑に出て、本家の麦刈りを手伝わねばならぬ様な有様だった。
都会育ちで野良仕事の経験などまるでなかったが、礼子は嫌がりもせず、直ぐに作業の手順も覚え、
瞬くのまに畑仕事を遣って退けたから、本家からも礼子さん、礼子さんと言って大事がられ、
疎開者でもあるに拘わらず、夫婦は肩身の狭いおもいもせず暮らす事が出来たのであった。
母屋の離れには、日当たりの良くない六畳一間があって、それが増蔵夫婦に宛がわれた住居であった。
廊下伝い三戸前の土蔵が続き、それを隔てて母屋の廂(ひさし)があった。母屋から廊下伝いに行き来が出来る、
離れの構造には成って居たが、外部から見れば、藪の中にぽつりと建てられた一戸建ての独立家屋で、藪をよぎり、
庭を通り、木立を抜けて行かなければ、母屋の入口には達しないのである。
普段風呂を貰う他には、母屋に出入りする用事も無かったが、入浴の好きな増蔵は礼子と共に、
三日にあけず母屋の風呂を貰いに行った。せめて風呂に入るのが、田舎での二人の楽しみであった。
増蔵たちが入るその風呂場は、プーンと木の香りが匂う。終い湯の暗がりで、釜の薪の燃え明かりを頼りに、
ぐらぐらする足場の悪い台の上で着物を脱ぐのである。そして手探りで浴槽の縁の見当をつけ、それを跨いで湯に入る。
湯は綺麗なのか、汚いのか、浴槽の中は真っ暗でさっぱり判らないが、三日に一度は礼子が水汲みを手伝って
汲み替える事に成って居るので、その汲み替えた時だけ、増蔵は貰い湯に来るのであった。野良で働いている礼子は、
毎日でも風呂に入らなくては居られなかったが、一日座ったきりの増蔵は、夏でもさほど汗を搔く事は無かった。
湯に入った後は、一日の過激な労働の疲れで、礼子はさっさと一人先に寝てしまうが、増蔵は電灯の笠に被いを掛けて、
農家の頼まれ仕事などを夜遅くまで縫って居た。
増蔵夫婦が疎開して来てから、半年と経たない内に終戦に成り、やがて家主の甚太郎も応召解除に成って帰って来た。
増蔵はこの時始めて甚太郎に会ったのであるが、年の頃も三十五、六と思われ、増蔵より二つ三つ年下のようであった。
無口で無愛想な男で有ったが増蔵たちが無事に疎開して来て居ることを知って、充分満足のようであった。
増蔵は三日に一度母屋へ風呂に入りに行くだけであるから、甚太郎とは滅多に会うことも無く、口を利く事も無かったが、
何かと疎開者の為に気を使って居て呉れる事が直に判った。風呂場の煙突は永らく壊れたままで、薪の燃え付きが悪く、
湯殿の中が辛抱の出来ないほど程に燻り続ける事が屡々あった。それが何時しか丈夫な金剛煙突に替えられたりして、
一寸目に付かない様な処に、家主の細かな心配りが感じられるのであった。
或る日増蔵は風呂に浸かって居る時、ふと羽目の一隅に、小さな化粧鏡が取り付けられて居るのを見出した。
別に電灯を引き入れたのでもないが、湯殿の中が一帯に明るくなり、鏡も使える様に成った事も事実であった。
煙突が修理された結果風通しが良くなり、薪の燃えが一段と良く成った為でも有ろうか。その薪も、今までゴロゴロして
居た桑の根や、朽木の切れ端などはすっかり片付けられて、新しい松薪が小口を並べてきちんと積まれてある。
勝手にくべろと言わぬばかりに何時も豊富に持出されてあるので、
遠慮なしにその四、五本の松薪を引き出して一度にくべると、湯殿の中がまるで灯りを点けたように、
辺りがぱっと明るくなる。そう言う小ざっぱりした風呂場に成ったから、従って化粧鏡等も使える訳であり、
母屋の女房もそれを使うであろうし、甚太郎自身も髭など剃るとて、それを覗く必要もあるのだろう。
しかし増蔵は鏡を見た瞬間、何となく心安らかならざるものがあった。
甚太郎の奴は礼子に横恋慕して居るのでは無いかと言う気がしたのである。
礼子は何時も増蔵の入った後で、もんぺを脱ぐのである。
もう誰も入らない終い湯では有るが、夫婦で一緒に風呂に入る様な事は全く無い。
礼子が裸になる頃には、増蔵は杖をつきながら、こつこつと音を立てて、住居の方へ帰って行くのであった。
或る夜の事である。茅萱や露草が一杯に生い茂って、虫が降るように啼いて居る、その草むらの中まで来ると、
増蔵はふと杖を止めた。今丁度礼子が風呂に入って居る頃である。そして薪は赤々と燃えて居る。
ひょっと湯殿の窓から覗いたら、中が丸見えではあるまいか。それを誰かが覗き見して居るような妄想が、
チラと増蔵の脳裏に浮かんだのだった。
覗かれて別に減るものでもなし、傷つくものでもないが、夫の自分でさえ滅多に見る事の無い女房の素肌を、
人に覗かれて居るかと思うと、増蔵は何となく空寒い気がした。まさかそんなバカな事が有るものかとは思うが、
警戒心がよぎった。暫くそこらに立って居て見ようかとも思い、増蔵は帰り掛けて居た杖の先をやおら戻して、
こっそりと湯殿のある納屋の辺まで忍び寄った。
湯殿の外は真暗であるが、窓から漏れる風呂場の明かりが、赤々と湯殿の外からも覗かれる。
そこらには人の立ち寄る気配もないが、静かに這い寄って、硝子戸に顔を寄せると、礼子の一糸纏わぬ姿が、
余りにも鮮やかに見えたので、増蔵はギョツとして立ち竦んだ。金剛煙突も、松薪も、総て湯殿を明るくすべく、
或る目的の為に用意されて居るのでは無いかと言う、兼ねての邪推が此処にハッキリと焦点を結び、
心の乾板に焼きついたのである。
- 疎開先の思い出
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