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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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老いて益々盛んに。其の一

◇我が妻のGスポット
老いて益々1-1
13年前に60歳の定年で、35年間勤めてきた大手印刷会社を退職した。
そこで、それまで少しずつ貯めてきた貯金と、印刷会社からの退職金で、
四世帯、各室2DKの二階建てアパートを建てて、余生の生活に入った。

長女夫婦が、私達夫婦の住まいの近くに住んでいて、我が望月家の後を
継いで呉れるという。他の娘達も夫々結婚して、次女は千葉県、
三女は大阪府に嫁いでいる。長女と次女には夫々二人ずつ子供がいて、
三女は三人の子供に恵まれている。

俗に、男が精力家で好き者だと、子供は女が生まれる確立が高い・・・
と言われている様だが、私の場合、其の俗説が当てはまるかも知れない、
と最近考えるようになった。

童貞を卒業したのが、高校二年の時。
それから現在まで何人の女性と遊んで来ただろうか?
いや、何人と言うものではなく、何十人になるだろうし、
風俗関係の女を入れれば百人は下らないだろう。よく遊びよく遣ったものだ。

50歳になってから、 これもまた俗に言われる、中年の中折れ・・・現象に
襲われてしまって、女への好奇心も衰えたが、60歳で定年に成ってから、
仕事の開放感のせいか、再び好色心が蘇ってきて、
下半身が元気に成って来た様だ。

中年の中折れ現象が嘘の様に思えるほど逞しくなり、
ペニスもギンギンにはち切れるようになった。
しかし以前のように、愛人的な女性を作ろうとは思わない、
週に一度、風俗店の女を抱く位が良いかなと思ってる。

勤めている時は小遣いも十分にあったし、出張旅費を遣り繰りしたり、
交際費もそれなりに使えたから、行きつけのスナックも何軒か持っていて、
そこのホステスとも付き合っていた。

ところが定年後、元気が回復してくると、セックスは週二回はしたくなる。
風俗嬢との遊びには金が掛かりすぎる。仕方ないので妻の体を求める事になる。

妻は私より五歳年下。身内びいきで申し訳ないが、日本的な女で、
私が取締役部長職にまで成れたのも妻の内助の功に負う所が多分にあった。
浮気者の私には出来すぎた女房かもしれない。
彼女とは印刷工として勤め始めて三年目に、勧める人があって見合い結婚した。
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老いて益々盛んに。其の二

◇男と女の違いは?
老いて益々2-1(阿部定事件現場となった尾久の待合茶屋)
年齢(とし)を取ると、古い記憶が鮮明に蘇って来る事が有る。
しかも何十年も前の思い出だけが、ポッカリと浮かび上がって来るのだ。
そんな感じで、何人かの女が、私の瞼の裏に蘇って来た。

私は妻の身体に愛戯を加えながら、古い過去に戻って、
そんな女達を抱いて居るような気分を味わうようになった。
そうするとその時期の若さまで甦り、益々身体が燃え上がり、
妻に与える快感も深く成って行くのだ。

夫が自分に夢中に成っている、と感じている妻には、
ちょっぴり申し訳ない気もするが・・・。
わたしは懺悔の思いをこめて、全てをここに告白する積りです。

私は岩手県の農家の三男として、昭和11年5月に生まれた。
現在は両親とも他界し、長男夫婦とその息子が実家を継いでいる。
二男は15年前に癌で死亡し、彼の家族は宮城県にいる。
どちらもこの数年、行き来がない。

私の生まれた昭和11年には、二つの大きな事件があった。
2月26日、1400人の軍人が反乱を起こした、2・26事件。
5月18日、日本の猟奇事件の代表的なものと言われる、阿部定事件。

どちらも日本中を震撼とさせる大事件であった。
私が興味を感じたのは、その阿部定事件であった。

5月18日、東京の下町の待合で、男の死体が発見された。
男は細い紐で首を締められ殺されたうえに、下腹部の逸物を切り取られていた。
敷布に、「定吉二人きり」男の左太股に「定吉二人」左腕に「定」と
それぞれ血で書かれていた。

殺されたのは料理屋の主人である石田吉蔵であり、
二日後に逮捕されたのは、石田家の元手伝いの阿部定であった。
彼女は逮捕された時、懐に愛人である石田吉蔵の逸物を隠し持っていた。

この事件は日本中を震え上がらせたが、
同時に、阿部定に対して犯罪者と言うよりも、
只ひたすら愛人との関係に生きた女ーー
と捉えていた人々も多く居たのであった。 

私の生まれた事と、この阿部定事件はなんの関係もない事だが、
同じ年の同じ月に生まれた私は、見えない運命的なものを感じないでは
居られないのである。私の女癖の悪さは、生まれた年月に何らかの
因縁めいたものが有る様に感じられてならないのだが・・・。
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老いて益々盛んに。其の三

◇工場勤めからキャバレー勤めまで
老いて益々3-1
昭和29年に高校を卒業すると、私は親の反対を押し切って、東京に来て、
電気部品の小さな町工場に就職した。
当時は、敗戦直後の混乱も収まり、高度経済成長期に入ろうとしていた時代でもあった。
朝鮮戦争の特需景気をばねに、日本経済は復興しつつあった。

昭和28年にはテレビ放送がはじまり、昭和30年には、電気掃除機、電気洗濯機、
電気冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれ、日本経済は太平洋戦争前の水準を
大きく抜いて、奇跡的な経済成長を見せ始めていた時であった。

私にとって東京と、岩手県にある実家の近辺は、天国と地獄ほどの違いであった。
東京はどこを歩いて人、人、人であり、見上げればビルばかり、という感じだった。

私の就職した電気部品の小さな町工場は、東京の下町と言われるところにあった。
近くには遊郭の名残りを思わせる、赤線、青線などの店構えがあって、
それなりの女性がいた。昭和33年に、売春防止法が施行された当時でも、
公娼、私娼業者三万九千軒、全国に一千八百ヶ所に残っていたと言う。

わたしは勤め先の工場から歩いて二十分の所にある会社の寮に入った。
古い二階家を仕切って、十数人の工員がすんでいた。路地裏の陽の当たらない、
ジメジメした住まいだった。特に私に与えられた部屋は三畳であり、
窓を開ければ隣りのボロ家の壁に手が届くのであった。

岩手の実家から比べれば、まさに監獄のようなところであった。それでも寮は
寝るだけのところ、と割り切り、私は東京に青春の夢を賭け、働きはじめた。

仕事は朝早くから夜遅くまであり、
その上に給料は寮費を引かれて殆ど手元には残らない。
月に一度は風俗店の女と遊びたいと思っていてもその金がない。
彼女を作ろうにも朝から晩まで狭い工場で働き詰めではその機会もなかった。

仕方ないので安酒を呷って、シコシコと自慰に耽るばかりだった。
先輩工員達の中でも、何人かには特定の女がいたが、大半は自慰組だった。

暗い工場での一日中の細かな手作業は、私には向いていなかった。
それでもなんとか我慢して一年半ほど勤めたが、そこが限界だった。
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老いて益々盛んに。其の四

◇規則破りの快感
老いて益々4-1
美代が、少し酔ったように横ずわりすると、チャンスを待つのももどかしく、
私は、飢えた欲望を一気に美代の身体にぶっつけていた。
美代の返事を待たずにパンティを毟り取ると「あっ」と何かを聞いた様な気もするが、
勃起した股間のペニスを女体の中に突っ込み、激しく腰の動きを繰り返した。
其の為に愛撫らしい行為はなく、あっと言う間に終わってしまったのだった。

「もっちゃん、溜まって居るみたいね。何時もあたし達の着替えを見て、
 便所で千擦りしているんでしょう」
美代は私のペニスに未練げに触りながら、含み笑いを漏らした。
「美代姉さんっ・・・おれは・・・」
彼女の言うとおりだったため、私は恥ずかしさに見舞われていた。

「いいのよ、もっちゃんには彼女がいないから、しかたないのよ・・・
 いいわ、彼女が出来るまで、あたしが相手をしてあげるわ」
美代の手で撫で撫でつけられた私のペニスは、ふたたび大きくなり始めた。

一度射精したために、気持ちにも肉体にも余裕が生まれていて、
今度はゆっくりと美代の身体を味わうことが出来た。男にとっては魅力的な
熟れた彼女の身体であった。全体的にうっすらと脂の乗った円やかな感じであり、
特に乳房と尻が形よく張り出し、ホステスの中でも目立つ肉感的な体つきだった。

私は是までの浅い女性体験を全部繰り出して、美代の身体に愛戯を加えた。
しつこいくらいに乳房を舐めたり、吸ったりしながら、手では女性器を撫でつけ、
割れ目を指先で擦りたてた。

美代の支柱のような太股を開いて、割れ目の粘膜に舌と口の愛戯を開始すると、
「ああっ~ん、もっちゃん、上手だわっ」
呻きながら彼女が腰を突き上げて、男を誘う強い女の香りを立ち昇らせた。
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老いて益々盛んに。其の五

◇隠された醜い傷痕
老いて益々5-1
秋江を裸にしながら愛戯を加えていった。
「もっちゃん、きっと貴方はあたしの身体に幻滅するわ、ああ・・・」
赤い乳首が尖り立っている乳房に、口づけをして吸いたてると、
秋江は細い肢体をしならせながら、甘い響きのある喘ぎ声を絶えず漏らしていた。

「何言ってるんだ、美しい身体じゃないか」
淡い桜色の肌は張り切っていて、しっとりと潤っていた。
その肌に私はしつこく戯れながら、秋江の放つ女の匂いを吸っていた。

パンティを脱がして、スラリと伸びた脚を開いてその間に割って入り腹這いになった。
その途端、彼女の太股の付け根にある、火傷のケロイドが目に飛び込んできた。
酷いピンク色をした肉の盛り上がいで、縦に指一本分位の大きさがあった。

美しい体の隅に隠された、醜い傷痕に私はビックリした。
「秋江さん、一体これは?」
私は傷痕にそっと指先をあてて撫でつけた。肌はしっとりしているのに、
その傷痕の盛り上がりだけは、へんにネットリとした感じだった。
「火傷よ、タバコの火で焼いたのよ。ずっと前に・・・」

秋江はキャバレー『銀馬車』に入店する前に、幾つもの職業を転々としていた。
北海道出身の彼女は、中学を卒業すると集団就職で上京し、
洋品店の店員になった。その後、定職屋の店員、喫茶店のウエイトレス、
バーのホステスなどと職業を変えてきた。

その喫茶店のウエイトレス時代に、チンピラと付き合うようになり、
お互いの股間に『○○命』と相手の名前を入れ墨で彫りこんだと言った。

「彼は抗争で殺されちゃったの。だから彼の事を忘れる為に、
 たばこの火を押し付けて消したの・・・でも、
 醜い傷になって、見るたびに思い出すのよ。あああ・・・」

秋江の苦しい思い出は、酷い火傷の引きつれと成って、
彼女の太股の付け根に残っていた。忘れようとしても忘れられない出来事で、
見るたびに苦い思い出はふくらみ、疼き出すと言う事だった。

私は秋江に、強烈な愛おしさをおぼえた。思い切り彼女を抱しめて、
一緒にその苦しみを味わって見たい。そんな思いに突き上げられながら、
彼女の傷痕をペロリッと舌先で舐めつけた。

「あっ、うっ~ん。そこ弱いの」
秋江はシーツを鷲づかみにして、桜色の身体を大きく仰け反り返し、
ブルブルと身体を震わせた。
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老いて益々盛んに。其の六

◇『銀馬車』の終焉
老いて益々6-1
昭和32年、33年、34年と走馬灯のように過ぎていった。
32年にはワイセツとは何か?・・・をめぐって「チャタレイ裁判」に有罪が下り、
売春防止法が施行された。
33年には狩野川台風で死者行方不明者1296人。
34年には伊勢湾台風で死者5041人、と世間は騒々しかった。

この間に美代が福島の実家に戻り、見合いして農家に嫁いでしまった。
彼女が帰省する前夜、私は彼女を一泊で温泉旅館に誘い、
それまで貯めていた少しの貯金を、全て彼女に祝儀として手渡してやった。
私の出来る餞別のそれがすべてだった。
その後、二、三年は何度か手紙が来たが、やがて音信不通になっていった。

秋江も店を変わって行った。バーのホステスになって出て行った後、
何度か付き合ったが、その後、行方不明になってしまった。

キャバレー『銀馬車』もホステスの出入りが激しかった。その中の一人に倫子という娘がいた。
年齢は二十歳、色白の比較的無口な女だった。バー勤めから入店してきたという事だった。

私は当時、24歳だったと思う。倫子を見た途端に欲望をそそられ、
早々にアタックを開始していた。店が終わると彼女を誘って飲んだ。
倫子は二歳年上のバー勤めの先輩と一緒に住んでいる、と言った。
アパートに送っていって、先輩の良子と言う女が帰っていなかったので、
チャンスと見て倫子に迫っていき抱いた。

倫子はハァハァ喘ぎ声を漏らすだけで、積極的に快感を言葉に表さない。
ただ人形のように私に身を委ねているだけだった。
そんな彼女だが膣の中は煮えたぎった欲望の塊だった。

いきり立った股間のモノを突っ込むと、倫子の入口の筋肉が強い力で締め付けてきて、
生温かい無数の肉襞がザワザワと蠢き、ペニスに絡み付いて絞り込んできた。
「すばらしい身体だよ、倫子ちゃん」
わたしが褒めると、
「あたしには判らないの・・・身体が勝手に動いているみたい」

やっとひとこと細い声で言った。しかし倫子は昇り詰めることはなかった。
何か必死に抑えているように私には見えた。
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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