小説・秋の夜話。其の三
手や足は毎日の畑仕事で、痛ましく日焼けして赤味を帯びては居るけれども、肌の色はくっきりと白く、
人妻とは言え、まだその事を知らない処女の其れであるから、腰の締まりも確りとして居る。
殊に臍下の慎ましい女の象徴は唯影としか見えず。好色漢の垂涎を唆らずには居ないであろう。
是だけの美しい妻を持ちながら、指一本触れる事の出来ない身の不運もさることながら、
如何して是が甚太郎の好奇の目を引かないで居ようか。人知れず覗き見の出来る節穴は、屋内の側にも沢山ある。
例えば隣の農機具置場等に、用事有りげに潜り込んで居れば、つい目の先に、
有りの侭の事々が手に取る様に覗かれよう。風呂場に松薪の小口を揃えたりして、
せっせと並べる一方、こそこそと農機具置場に潜り込んで、礼子の浴巻を脱ぐ所から、
足の裏を拭き終るまでの、一部始終を覗いて居るような痴漢の姿を、増蔵はまざまざと脳裏に描く事が出来た。
礼子はもとより何も気が付かない。そう言う細かい事には気も留めず、又気付いても屈託しない性分である。
赤々と燃え盛る釜の前で、心地よく浴巻を広げて、蚤を捜す事の出来る様になった便利さを、
喜んで居るだけの事で有ろう。湯から上がった後も、厚い胸の前を暫く風に曝し、再び浴巻を被い、もんぺを穿く。
但しあたら玉の肌が、麻の葉の湯巻に包まれたり、野良着やもんぺの姿に戻ったりしたのでは、
そこらにありふれた百姓女の行水を見るのと大差ない。いっそ是が粋な湯巻で被われ、
又派手な大柄の浴衣等着たら、いかに痴漢を悩殺する事であろう・・・。
増蔵はその様な妄想を広げる一方、幸か不幸か、それを実行に移す事が出来るのだった。
或る日農家の仕立物に浴衣を頼まれた序でに、女物の浴衣地を一反工面して、
それでこっそり礼子の浴衣を仕立てて見た。
浴衣や湯巻き位、礼子は自分でも縫えない事は無かったが、商売柄仕立物は一切夫任せで有った。
改めて夫から渡された新しい浴衣と、派手な浅黄の湯巻きを礼子は何の不思議とも思わず、
唯嬉しそうに、「ありがとう」と言って受け取っただけで有った。
そしてその次の日からは、礼子は背負籠の中に其の新しい浴衣を入れて、湯殿に持ち運び、
汗臭い野良着は浴衣と入れ替えに、背負籠の中に捨てるのだった。
此の様な事が有って間もなくであった。滅多に来た事も無い甚太郎の女房が、
或る夜慌ただしく裸足のままで、増蔵の居る離れへ駆け込んで来た。
「増蔵さん、大変です」
「強盗かね?」
「いいえ」
真っ青になって、怒りと驚きに震えて居る痴呆の女房(お兼)の様子が、只事でないと思われた。
増蔵は取るものも取り敢えず、杖に縋って、よろめきながら、お兼と一緒に裏の藪の中に潜り込んで行った。
木立を抜けると、遥か遠方の陸稲畑の中に、浴衣姿の男女が立って涼んで居るのが見えた。
それはまさしく甚太郎と礼子であった。
湯上りの後甚太郎に誘われて、礼子は畑の中まで涼みに出たものらしく、
其れを偶々痴呆の女房に発見されたのである。
「あゝ、あれですか。お兼さん、悪かったね。後で礼子に良く言って置きます。勘弁して下さい」
と、増蔵は女房のお兼に詫びを言った。お兼はそれで簡単に機嫌を直して引き上げたが、
痴呆でも悋気だけは強いらしく、それが人事ならず痛ましく思われた。
彼とてもこの際決して喜んで居る訳ではなかった。
増蔵は二つの白い浴衣姿を眺めた時に、克ってない嫉妬の昂ぶりを覚えた。しかしそれは、
かく有る事を願って、故意にもたらした被害妄想の結果で、妄想が実現して自分に実害が加わる事によって、
それとは反対に、甚だしい満足を感じられると言った風のものだった。
現にその証拠に、増蔵は、吾知らず前を捲くって立小便をしたのであるが、身の丈よりも遥か遠くの方に、
土を搔き立てる音がした。放尿がかって覚えぬ程、のびのびと遠くまで届くのは、
彼の逸物が増大して、思うさま迸りを弾き飛ばして居るからに他ならぬ。
この不思議な興奮状態は尚続いた。その夜増蔵は礼子が床の中に入ると、仕立物を礼子の枕元に運んで、
仕事を続ける風を装いながら、じっと礼子の傍に這い寄って行った。
「礼子。お前この頃になって、子供が欲しいとは思わないかい・・・」
と増蔵は言った。
「この頃でなくても、何時でも欲しいと思うわ」
と礼子が言った。
「お前が俺と一緒になった時は十八だったが、もう彼是十年近くになる。
世間の夫婦なら二人ぐらいの子が或る頃だ」
「そりゃそうだわね。女が嫁入りして十年にもなれば、大抵、皆子持ちになって居るわ」
「だから、お前だって子が出来ない筈はない」
「そうよ。あたし何処も身体に悪いとこないもの」
「その健康な身体が何よりの幸せだ。よしんば俺はこんな身体でもな・・・礼子。
変な事を言うようだが、お前いっそ子を生む気はないか・・・どうせ将来養子を迎える位なら、
お前が自分で生むのが良い。俺はどっちにしても同じだが、丸きりの他人の子より、
お前の生んだ子であれば育てる張り合いが有ると言うものさ・・・」
「馬鹿ねぇ、あんた・・・あたしはあんたの女房じゃないの。誰の子を生むのよ」
「だからさ一時亭主の替わりをする男を探すのよ・・・」
「そんな男絶対にない・・・」
「まるまる亭主を替えられちゃあ、世間の手前、俺の顔が立たないが、
一度や二度の事なら、俺は見て見ない振りをする。子供の為だ。他の男と寝て見なよ」
「そんな男居ないってば、あたしには・・・」
「頼んで、ちょっと寝て貰え」
「誰にさ」
「甚太郎さんに・・・」
「いやだあ・・・」
礼子は見る見る赤くなった。増蔵はそ知らぬ顔で、
「あいつは実直そうな男だから、女のお前が事をわけて頼めば、多分相談に乗って呉れるだろう。
俺の差し金だと言っちゃ、美人局みたいで、気味悪がってうんとは言うまいから、
何処までも俺は知らない事にして、ソラ、亭主には内緒の、世間にありふれた間男に成って貰うのさ」
「いやだあ。亭主公認の間男なんて・・・あんた正気なの」
「間男は認めても、その替わり俺に隠し事をしちゃいけないぜ。おれも共々に心配して居る事なんだから・・・
正直のところ、ここへ疎開して来てから、俺はお前に食わせて貰ってる様なものだ。
夫婦の仲ではそれも当たり前かも知れないけれども、俺は亭主らしい事は何一つして上げられなかった。
世間のどんな道楽亭主でも、女房にとっては、亭主は他人には云われぬ好い所がある。
俺にはそれが全く出来ないんだ。俺はそれが心苦しい。いっそ片輪者同志ならそれもいいが、
お前は何処も身体に悪い処は無いんだから・・・」
「いいのよ。そんなこと・・・あんたが好きなんだから・・・」
「いや。よくない。お前が何も言わないから、良い事にして居るが、それじゃ俺の冥利が恐ろしいから、
こんな事を言って居るんだ。礼子、判ったか・・・よう」
礼子は何も言わなかったが、つと蒲団に顔を埋めたので、納得の意のある事がほぼ察せられた。
「じゃ、お前から甚太郎さんによく頼んでみなよ」
「だって、あたし、恥ずかしくてそんな事・・・言えないわ」
「なぁに。男は助平だから、二つ返事だ。それでなくとも人の女房にちょっかいを出したがるのが男さ」
「そうかしら・・・窮屈なのよ。あの人は」
「そりゃお前が用心して居るからだろう」
「若しそんなことを事をして、母屋の女将さんやご両親に知られたら、怒りゃしないかしら」
「お兼さんは、大丈夫さぁ。怒鳴り込んで来たら俺が巧くたしなめてやるよ。
是は単なる浮気をそそのかしてるんじゃない、不妊に悩む俺たち夫婦を助けて貰う事なんだよ」
「でも、彼は堅物だから・・・あの人そんな事するかしら・・・」
「固かったら、軟らかくするのさ。そこが女の手練手管と言うものさ」
このように先回りして、鎌を入れて見た所、礼子は未だ甚太郎の手も付かず潔白である事が判ったが、
いささか薬が効き過ぎたようでもあった。自分にしてもそんな事まで言う積りは無かったが、
つい変な興味の赴くままにしちくどく、礼子を口説いたのである。
間男して欲しいのか、欲しくないのか、煎じ詰めると自身でも判らなくなってしまうが、
心とは不思議な事を言うものである。唯思うだけならよいが、やがて実行に移されて行くのであった。
- 疎開先の思い出
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
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私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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