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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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疎開先の粗末な小屋で。其の一

◇覗く叔父◇
疎開先1-1
私が小学校四年生の時、
昭和二十年三月十日の東京大空襲で家を焼け出された私と母は、
利根川沿いにあった父の実家を頼って群馬に疎開し、戦後も其の侭住み続けました。

父の実家は、田畑と山林が数十町歩もある大農家で、父はそこの三男でした。
しかし、職業軍人だった父は終戦前後の混乱のために北支戦線で行方不明に
成っていました。シベリアに抑留され、生きている事が判ったのは、
終戦から五年も経ってからの事でした。

それまでの五年間、母と私は生死もはっきりしない父を待ちながら
馴れない田舎暮らしを続けていました。

敗戦からの五、六年は占領下という事もあって、犯罪の横行、
労働運動と旧体制の衝突、無秩序とも言えるほどの自由の穿き違え、
日本中が騒然とした雰囲気の中で人々は必死で生きていた時代だった。
それは言葉を変えれば弱肉強食であり、情け容赦の無い時代だった。

そんな時代のなかで母は一人っ子の私を抱えて生きて行かなければ成らなかった。
親子が食べて行く為にはひたすら腰を低くして下品で野蛮な男どもの好奇の目を
甘受しなければ成らなかった。その母も十年前の五月、数え九十二歳で亡くなり、
あの屈辱の五年間を知る者は誰もいなくなった。

戦争の末期から戦後の昭和二十五年まで私達母子にとっては忘れたくても
忘れなれない苦しい日々が続きました。
父の実家は旧家とはいえ苦しい生活は同じでした。家には痴呆の祖父と叔父夫婦、
それに私にとっては従兄弟に当たる三人の小・中学生がいました。

母と私は同じ敷地内に有った牧草小屋を改造した家を借りて住んでいました。
この時代に住む家が有るだけマシでしたが、母も私も神経を使った日々が続きました。
特に母にとっての義兄の嫁は都会育ちの母をよく思っていないようでした。

毎晩の風呂を私達母子は本家の人達が入った後に使わせて貰っていましたが、
私達母子が入る頃には水位が半分ほどに減っていたほか、
風呂の縁には垢がべっとりと付いている有様でした。

叔父の嫁は私達母子の滞在を快く思っていないようでした。いくら食糧には困らない
農村と言っても戦後の苦しい生活は東京も田舎も同じでした。其の上、男達の目を
引き付ける美しい母に叔父の嫁は嫉妬の炎を燃やして居たのかも知れません。

叔父は弟の妻と甥っ子である私たち親子に親切にしてくれましたが、
母への下心が無かった訳ではないようでした。
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疎開先の粗末な小屋で。其の二

◇母の自慰行為◇
疎開先2-1
母の自慰行為は、私が六年生頃になると明らかに激しくなってきました。
其れまで一週間に一回程度だった回数も二回ぐらいに増えていったと思います。
自慰行為の内容も変化していきました。

当初は私の身体を抱え込むようにして其の儘終わっていたようでしたが、
何時の間にか、始まりの方こそ私を抱しめて居ましたが、少し時間が経つと私から離れ、
仰向けになって行為を続けるようになりました。暗闇の中で、肩から浴衣がはずれ、
大きな乳房を母の左手がぎゅつと握っていました。
右手は股の間に深く侵入して手首が微妙な動きを見せていました。

「ふー、ふーっ・・・」
興奮を鎮めるように呼吸を整えます。肉欲を深く押さえ込むことによって返って欲望が
高まる事を母は本能的に知っているのでしょう。
「ああーっ」時々、堪えきれない快感の声が母の唇から洩れました。

私のチンポも下腹部にくっ付くほどに勃起していました。
亀頭はまだ完全に皮が剥けて居ませんでしたが、手で引っ張ると亀頭の半分ぐらいまでは
皮が後退するようになっていました。田舎では「千擦り」と言っていた。オナニーを覚えたのは
中学校に入学する直前の春頃でしたが、それ以前にも自分のチンポに対する興味は
日に日に強くなり、一人に成るとしょっちゅう右手でぎゅっと握ったり勃起した亀頭の皮を
剥こうとしたりしていました。

同時に女としての母に対する興味も強まっていきました。
母が本家から借りている畑や田圃で野良仕事をしていて家に居ない時など、
私は母の浴衣に顔を埋めたり生理用の脱脂綿などを手に取ったり、
陰湿な行為をするようになっていました。

「一生懸命勉強するんですよ」昼間の母の真面目な顔と自慰行為に嵌り込んでいる
時の淫乱な母の表情が交互に目に焼きついていました。

母は時々茄子を自慰の道具に使っていました。其れを見つけたのは偶然でした。
母は私よりも後から起きる事はありませんでした。前の晩にどんなに激しく自慰をしても、
私が朝目覚めた時には何時もの母の表情に戻っていて、
朝ご飯を作ったり洗濯をしたりしていました。

その日は前の晩から雨が降っていて、農作業に出られない事が分かっていたからでしょうか、
母が珍しく蒲団の中にいました。私の足元に柔らかいものが触れたのです。
手を伸ばして取ると、長さが十センチと少しありそうな茄子でした。

「お母さん、茄子がこんな所にあった」
「うん?」
「どうしてだろう」
母の顔が急に赤くなりました。
「宗男、よこしなさい。これは食べられないから」
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疎開先の粗末な小屋で。其の三

◇宮本という男◇
疎開先3-1
母の場合も、面倒を見るような口実で接近する近所の世話役や、
兵隊の復員状況や家族の実態調査と称して夜遅くまで帰らない
役場の兵事係などが、母の柔肌を狙っているのは確実でした。

特に執拗だったのは、役場の兵事係でした。
戦後は援護関係の名前が付いて居ましたが、担当の五十がらみの男は二~三ヶ月に
一回ぐらいの割合で訪ねてきました。訪問は何故か夕方か雨の日でした。

ある時、散々遊びつかれて暗くなってから帰ると、役場の男が来ていました。
私は土間の陰から覗きながら男と母の遣り取りを聞いていました。

「これ、裏の山で取れた自然薯だ。精をつけないとな」
「いつもいつも有難うございます」
「足りないものが有ったら何でも言ってください。
 役場でも情報が入ったら直ぐにしらせますから」
「よろしくお願い致します」

深々と頭を下げる母のうなじから腰の辺りにかけて、宮本という名の其の男は、
ねちっこい視線を走らせます。汗でシャツが身体にピッタリと引っ付いているために、
母の身体の曲線が艶かしく波打って、ブラジャーの無い時代だけに、
乳首の突起もシャツから飛び出さんばかりに張り出していました。

「十七年の秋からですか。もう五年ですな。寂しいでしょうね」
「ええ、まあ」
「たまには羽目を外すのも良いんじゃないですか?
 まだ若いんだし、身が持たないでしょう」
「そんなことは・・・」
母が豊満な体を男から隠すかのように上半身をひねります。
男の熱い視線は母の羞恥心を逃しません。

「西沼の大久保さんとこの嫁さんなんかは狂っちゃったんだろうなぁ」
男は嫌らしく含み笑いをして、母の反応を窺っているようです。
「何も七十過ぎの爺さんとハメなくてもな。
 義理とは言え親子だからな、犬畜生と同じになっちまう」

大久保さんの家のスキャンダルは近所で知らない者は居ませんでした。
七十過ぎの主人が戦死した息子の嫁さんと男と女の関係になっていたのです。
そういう関係は世間にない訳ではなかったのですが、
二人の関係が妻にバレ為に騒動になっていたのです。

男はわざと「ハメる」などと露骨な言葉を使って母の反応を窺っているようでした。
男が母に向かって「寂しいでしょう」などと言う時の真意もまた違ったところにありました。
「性の面で飢えていないか。男が欲しくないか」男はそう尋ねているのです。

母はあいまいに頷いて下を向いていました。母は夫の情報を持って来るかも知れない
役場の職員を邪険に出来なかったのかもしれません。男は中国が内戦状態になって
いることや満州からの悲惨な引き揚げの様子などをもったいぶって話していましたが、
その間に右手を母の左膝の上に乗せたり叩いたりしていました。

「本家の人達は大事にして呉れてるの?」
「ええ、色々と・・・」
「でも、夫の代わりはして呉れないだろ」
「力仕事は宗男が少しずつ手伝って呉れる様に成りまして」
「夜の夫の代わりは無理でしょう?」
「そんなことは・・・」
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疎開先の粗末な小屋で。其の四

◇義父の寝室◇
疎開先4-1
「いけません、いけません、ほんとうに・・・」
「奥さん、皆やってることですよ。そんなに固くしなくても良いじゃないですか」
「私はそんな女じゃありません」
母は男をキッと睨みましたが、男は既に半分ほど露出している母の胸に顔を押し付け、
必死にシャツのボタンを開けようとしていました。
母は男の肩を両手で押しのけようとしてもがいています。

「だめです、宮本さん、よしてください」
「奥さんっ、奥さんだって本当は欲しいんでしょう、無理しなさんな」
「やめてください、あっ・・・いやっ」
母がそれまでとは違った切羽詰まった声を上げました。男がもんぺの上からですが、
母の陰部を右手でしっかりと覆いもみだしたのです。

「いや、いやっ・・・やめて・・・」
その夜、母はモンペ、今で言うズボンを穿いていたので、男が下半身を攻撃して来ても
何とか避けられると思っていたのでしょう。だが、肉欲に狂った男が本気で女を
ものにしょうと思ったら、その攻撃を避けるのはそんなに簡単ではありません。
衣服の上からといっても、木綿の粗末な布では、男の手の動きを陰部ははっきりと
感じてしまうのでしょう。

「ほんとうに、もう、あっ、いやっ・・・」
男の唇が母の大きい乳首を捉えました。
「くーッ、いけませんッ」
母の乱れた髪が顔の半分を隠していました。母は押し殺すような声で拒否の声を上げ、
足をバタつかせましたが、男は乳首に口を押し付けながら、
今度はモンペの紐を解きに掛かりました。

「それだけは・・・だめです・・・いけませんッ・・・」
母は首を振り続けました。焦っているためか、モンペの紐は中々解けませんでした。
男は待ちきれないとばかりに、少し緩んだ紐の間から右手を侵入させ、
母の陰部に直接触れたようでした。

「はっ、だめっ、だめっ、・・・宮本さん~」
男は母に陰部の感触で、何かを確信したように自信のある声で言いました。
「ドロドロになってますよ、奥さん」
母は顔を背け、ハアハアと息をしていました。
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今は亡き妻の日記帳。其の一

結婚するなら恋愛より見合いの方が良い、と昔かたぎの方は言う。
これは結婚が本人同士の結びつきよりも、
家と家の結び付きを重視した考え方とも言える。
したがってお互いに気に喰わなくなったからと言って、
そう簡単には離婚できず、結果“見合いの方が良い”となるわけだ。
しかし、当人同士は殆ど過去を知らぬまま結婚するわけだから当然リスクはある。
結婚以前、どんな異性と関係があったかなど全く知らぬのだから・・・。

~日本一の幸せ者~
妻の日記1-1
先日、妻・初恵の一周忌が終わりました。妻を失った当初、私は抜け殻の様に
成ってしまい、精神的に立ち直るまでかなり時間が掛かりました。
趣味だった釣りやゴルフにも全く行く気になれず、私は家の仏壇の前でひたすら
拝む毎日を送っていたのです。

それまで別居していた長男夫婦も私を気遣ってか、頻繁に孫を連れて訪れて
呉れるように成りました。無邪気に遊ぶ孫の顔を見ていると、
心に立ち込めた暗雲が徐々に消えて行くような気分になってきます。

息子の嫁が作ってくれた手料理は大変美味しく、愛妻を失った寂しさもようやく
紛れるようになりました。

時間が経つにつれて落ち着きを取り戻した私は、今まで手をつけず其の侭にして置いた
初恵の遺品を片づけようと思い立ったのですが、
さて何から手をつけようか・・・。そう考えて見たものの、思い出の品物は余りにも多く、
どれから手を付けたらよいものか皆目検討もつきません。

「義父さん、そう言う時は義母さんが一番大切にしていたものから
 片付けられたら如何ですか?」
嫁のアドバイスもあり、私はまず着物からかたづけようと思ったのです。
初恵の着物の入った和箪笥の引き出しを開けてみました。

樟脳の匂いと共に出て来た色鮮やかな着物や帯。中でも妻が一番気に入っていた
京友禅の草木染の着物が目に入りました。
これは私が二十年前にプレゼントしてあげた着物です。

あまり自己主張しなかった妻ですが、いつも呉服屋のショーウィンドの前を通る度に
立ち止まって見ていましたので、私が誕生プレゼントに買ってあげたのです。
初めて袖を通した時の初恵の笑顔が昨日のことの様に思い出されます。

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今は亡き妻の日記帳。其のニ

~新婚初夜の衝撃~
妻の日記2-1
《昭和三十六年六月十五日》
新婚旅行三日目。昭夫さんはやはり怒っているようだ。
それは仕方のないことだと思う。いくら見合い結婚とはいえ、
私は新婚初夜の務めを全く果たさないのだから。
でも昭夫さんの事が嫌いなわけではない。
私のこの気持ちを彼は理解して呉れるだろうか。
昭夫さんは真面目で良い人だけに、心が苦しくなる・・・。

伊豆の下田に三泊四日で行った新婚旅行は、
私達夫婦にとって前途が暗く成ってしまうような旅でした。

当時の私は女性経験など殆ど無くて、
初恵と手が触れただけで勃起してしまうほど純情な男でした。
裏返せば、女体に飢えていたと言っても過言ではありません。

昼間はいろいろな観光地を巡りましたから、それなりに楽しく二人の会話も弾みました。
しかし、いざ旅館に戻ってきて食事をし、入浴後くっ付くように並べられた布団を見ると、
初恵の態度は急に変わってしまうのでした。

布団の中でいくら私が誘っても彼女は頑なに拒否しました。
乳房に手を伸ばし時など初恵に抓られてしまう始末です。

もう我々は夫婦に成った身。新婚旅行も最後の夜に成り、
これ以上私は我慢出来ませんでした。

苛立ちが頂点に達した私は、布団を跳ね飛ばすと初恵に覆い被さっていったのです。
「や、やめて。乱暴はいや!」
「なに言ってるんだ。もう俺たちは夫婦なんだぞ。これ以上俺をじらすのは辞めてくれ!」

強引に抱き寄せると、私は初恵の唇を奪ったのです。
しっかり閉じてある唇をこじ開けるように、私の欲情しきった舌が侵入していきました。

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今は亡き妻の日記帳。其の三

~不貞の証し~
妻の日記3-1
《昭和三十六年七月一日》
昭夫さんとは殆ど会話がない。すべては私が悪いのだ。
でも、両親の手前離婚など出来る筈もない。
私はこのまま貞淑な妻を演じていようと思う。
世間的にみれば、その方が昭夫さんの為にもなるだろう。
そしてあの人のためにも・・・

結婚後、初恵は専業主婦となり、もっぱら家に居るように成りました。
相変わらず夜の夫婦生活は有りませんでしたが、
それ以外は私によく尽くしてくれ特に問題はありません。

しかし、私の生活は徐々にすさんでいきました。あれほど夢見た結婚生活が、
初恵のお蔭で無味乾燥な物にしか思えなかったからです。飲めない酒をあおり、
商売女を買ったりもしました。次第に帰宅する時間も遅くなっていったのです。

そんなある日のこと。
私は税務署の同僚の渡辺と、昼休みに喫茶店でだべっていました。
「あのな、言おうかどうか迷ったんだが、
 一応おまえの耳にも入れておいた方がいいと思ってな」
「なんだい、もったいぶって、言いたい事が有るならはっきり言ってくれよ」
「うん、実は・・・」

その時、渡辺から聞かされた話はかなり衝撃的なものでした。
二日前、渡辺が税務調査の帰りに新宿の連れ込み宿の前を通ったところ、
若い男と初恵がそこから出て来るのを見たというのです。

渡辺は結婚式以来、何度か初恵と面識がありますから、
彼が見たと言う話は間違いないでしょう。
私の心にふつふつと怒りが湧いてきました。もうこれ以上我慢出来ない。
決定的な証拠を掴んで離縁してやる・・・。

「こんな余計なこと言わない方がよかったかな?」
「いや、聞かせてもらって感謝してるよ。
 ようやくこれで、俺の気持ちにも踏ん切りがつきそうだ」
私はくゆらせていたタバコの煙を肺の奥まで吸い込むと、
ゆっくりと吐き出しました。

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今は亡き妻の日記帳。其の四

~愚かな女~
妻の日記4-1
その晩私が帰宅すると、初恵が卓袱台に突っ伏して泣いていました。
「どうしたんだ?」
私は思わず駆け寄り、肩に手を置いたのです。
「昭夫さん、私、私・・・」
涙でぐしょぐしょになった顔で此方を向いた初恵は、私の胸に顔を埋めて来ました。

結婚以来、こんなことは初めてでした。私は初恵を問い詰める事も忘れて、
泣きじゃくる妻をしっかりと抱き締めてあげました。

「一体なにがあったんだ。泣いてばかりいないで話してごらん」
しばらく私の胸の中で泣き続けていた初恵は、ようやく落ち着きを取り戻し、
ぼそぼそと話し出したのです。
私が興信所に依頼して調べてもらった事はすべて事実でした。

太宰治の熱烈な信奉者だった初恵は、同人誌で知り合った戸倉に
太宰の面影を感じ、夢中になってしまったと言うことです。
戸倉の語る人生観や文学観は、如何にも破滅的で危ういもの。世間知らずの
短大生だった初恵はそんな危険な香りのするやさ男に引かれていったのでしょう。

「知り合ってから、すぐ深い関係になったわ。私はそれから彼の下宿に通っては
 身の回りの世話を焼いたの。でも、あの人は酒と博打が好きで、
 借金もかなり有ったみたい。ほとんど収入もないのに、夢ばかり大きくてね・・・」

煙草銭にも事欠くようになった戸倉は、
徐々に初恵にたかるようになって来たらしいのです。最初は渋っていた初恵も、
戸倉の再三の頼みに、遂に父親の金に手をつけるようになってしまったとの事。

それが何度か続き、ついには父親に知れるように成ってしまったそうです。業を煮やした
父親は戸倉と初恵を強引に別れさせ、私との結婚話を進めたと言う成り行きでした。

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今は亡き妻の日記帳。其の五

~過去を消す荒療治~
妻の日記5-1
甘酸っぱい味のする粘液が舌に纏わり付いて来るのも構わずに、
私は初恵の肉裂の味を堪能しました。
「あう、いい、いいわ・・・」
「そうか、どこがいいんだ。はっきり言ってみろ!」
さすがに恥ずかしいのか、初恵は喘ぎをころしながら口ごもっています。
私は舌をクリ豆に移動し舐め擽りながら、中指を膣口にズブリと挿入していったのです。

押し入れられた指の腹は、やがてぷっくりと膨らんだスイートスポットを探り当てました。
其処を集中的に責め立てられると、初恵はガタガタと小刻みに身体を震わせながら、
迫り来る快感に喘いでいるようです。

「どうだ、これでも言えないのか。言え!どこが気持ちいいんだ。はっきり言うんだ!」
「す、すごい・・・い、言うわ。オマンコが、オマンコが気持ちいいのぉ・・・」
指を咥えながら絶叫する初恵。
そのあまりに淫らな姿は、今まで私に見せた事のないような生身の初恵でした。

指を出し入れする度に、肉裂からは白濁した愛液がグチュグチュと溢れ出し、
滴り落ちるほどです。
「もうたまらない。入れてぇ、入れてぇ。あなたの太いのを入れてぇ。早くぅ・・・」

誘惑的な妻の哀願に反応するように、
私の男根もピクンピクンと脈動を繰り返していました。
しかし、私は此の侭普通のセックスで果てたくはありませんでした。
どうにかして、初恵の身体に染み付いた、戸倉の性的調教の呪縛を
取り去らなければならないのです。

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花の命は短くて。其の一

◇美しき女将
美しき女将1-1
腰にタオルを巻いて風呂場からそっと出てきた女将は、
さりげなく部屋の隅に行って私に背を向け、寝間着の浴衣を静かに羽織ると、
タオルを外し、浴衣の前をあわせて紐を締めた。
ルームランプが消され、枕もとの常夜灯だけが点っている薄暗い部屋の中を、
おずおずという風に歩いて、既に私が横になっている布団の中に、
そっと脚から滑り込んでくるのだった。

私は、待ちかねたように、彼女に向かい合って、荒々しく抱きしめた。
彼女も今までの慎み深さをかなぐり捨てて、私に応じてしがみついて来た。
すぐに私の口と彼女の口が合わさり、濃厚なキスになった。彼女は、つと口を離し、
「ああ、嬉しいわ。私、昨夜は一睡も出来ませんでしたのよ。
 明日貴方とオマンコ出来ると思うと嬉しくて、待ち遠しくて、眠れませんでした。
 オマンコしたときの気持ちのいい事を思い出すとワクワクして来るんですもの」
とて言った。

「そんなにしたかったの」
と私が言うと、
「そうですとも。欲しかったの、もう十日もお逢いしてないんですもの」
と恥ずかしそうに答えた。
「そうだったね」
「そうよ。でもこれからオマンコして下さるのね、嬉しいわ。
 嘘みたいに思えるわ。ほんとにするのね」
「そうだよ、ゆっくりとね」
と私は抱きしめる。
「いっぱいしてよ、ね、今日はいっぱいしてっ」
「うん、いっぱいしょう」

彼女が、こう云うことを言うのは、私以外に男はいない証拠と確信している。
彼女ほどの美貌を持ってすれば、その気に成りさえすれば、男に不自由はしない筈である。
にも拘わらず、私に対する貞操は至極堅いのである。そこが女好きな私も、
他の女に手をだす気にさせないところである。

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花の命は短くて。其の二

◇ウブな女の女陰の味
美しき女将2-1
以来、友人や仲間を引っ張って行ったが、やがては、私一人で飲みに行くようになった。
最初は一人の客では嫌がるかなと思ったが、
「お一人、まー嬉しい」と、女将は、私の憂いとは反対に喜ぶようなそぶりをみせた。

一人で行くと、女将と二人だけで話すチャンスもあった。しだいに女将は打ち解けてきた。
時には、私に特別な好意を寄せているような素振りを見せる時もあった。
時々、接待などで他所で飲んでほろ酔い気分で閉店間際の「萩野」にも行く事があった。
それでも女将は嫌な顔もせず、笑顔で迎えてくれる。

私自身女将に、相当いかれている事は確かであった。
しかし彼女を口説く事は難事中の難事だと思っていた。こんな私でもバーやクラブの女と
浮名を流した事もあるし、不倫まがいの情事に陥った事もある。
しかし今度の相手は、手の届かない存在のように思えた。

大きいとは言えないまでも、何人もの従業員を抱える料亭の女将である。
それに、稀に見る美貌の持ち主である。後ろに大物の旦那が居ても可笑しくはない。
又どんな男が付いているか知れたものではない。

しかし一方、私の経験から言えば、
水商売の中では、ママと呼ばれる女とか、売り上げの多さを誇る、
人気ホステスの方が案外相手がいない場合があった。
美貌を誇り、稼ぎの多い女は、言い寄るライバルも多く、又ものにしてからも、
金が掛かるだろうと敬遠する男が多いが、そう言う女の方が、金もかからず、
女の身持ちがいいものだ。

そこに望みを託した私は、私一人で行ったある夜、帰り際、女将の他に偶々人が
居なかったので、つっと女将の肩を抑え、ぎゅっとキスをして、
たんたんと階段を降り、何事も無かった様に帰った。

次に行くとき、女将が如何云う反応を示すか、それによって、
先行きの判断しようと思って行った。ところが二人だけになった時にも、
女将は、先夜の事は何も言わなかった。

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花の命は短くて。其の三

◇「おまんこ」の世界
美しき女将3-1
女将と肉体関係が出来てから二年、その頃には冒頭に書いたように、
「オマンコいっぱいして」と自ら言うまでに成ったのである。
オマンコと言える様に成ったのも一年ほど経ってからの事だった。

私はその淫猥な言葉を吐く口の下に手をやり、ぐいと顔を上向かせた。
美しい顔が、光りの中に浮かび上がる。そのややおちょぼ口の唇は、
艶やかな朱色の紅に染まって、肉感的に輝いている。
私は自分の厚い唇をぎゅっと押し付ける。女将もそれに応えて私の口を吸いたてる。
吸いつ吸われつ、何分か抱き合っていると、次第に彼女の鼓動が高くなるのを感じる。

私がひと際強く吸うと、チロりと女将の舌が私の口の中に震えながら入り込んでくる。
私は舌先を捉え、それを吸いたてる。すると女将の芳ばしい唾液が流れ込んでくる。

私は宝物のように大事に、女将の甘露を飲み干した。すると女将も私の舌を吸い出し、
私の唾をチュウチュウと音をさせて呑み込むのであった。

「女将さんて、益々素敵になるな!」
と私が思わず声を出すと、
「女将さん等と呼ばないで、と何時も言ってるじゃありませんか。道代と呼んで」
「悪かった、道代、道代、可愛い」
「嬉しい」そして又口を吸い合う。

そうしながら私は、二人が被っている毛布を右手で跳ね除ける。
浴衣姿で仰臥する女体の上に、キスを続けながら、のし上がるようにしながら、
寝間着の紐に手を掛ける。そしてそれを解くと、脱がせに掛かった。
道代は私の動作に協力、脱がせやすいように身を捻る。

やがてするりと浴衣の肩がはずれ、乳房が露になる。更に前の合わせ目を開くと、
真っ白な道代の女体が全貌を現した。
乳房は余り大きい方ではなく、子供を生み、母乳で育てた為か、やや扁平で、
乳首も大きい。しかし感度が抜群なことは、セックスをするたびに、思い知らされた。

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花の命は短くて。其の四

◇凄絶なる絶頂
美しき女将4-1
私は片方の手を、彼女の下半身にずらして行き、陰毛を撫で、太い股の合わせ目の谷に
指を忍び込ませる。するとちょっと硬い突起に触れる。突起は未だ濡れていない。
さらに奥に指を忍び込ませると、熱い泉があふれていた。泉をかき回し、その湧水を掬うようにして、
再び突起を擦ると、潤滑油の働きで突起が柔らかく反応する。とたん女体全体が震え、
「きゃ、いいの、いいの、堪らない、あなた、いいの・・・」
と、道代は半泣き、大きな声を出す。眉間にしわを寄せて、
綺麗な顔を般若のようにして上にそらせているのであった。

私はなおも、くじり続けると、
「あぁ、いく、駄目、動かないで・・・」
と言って、体を硬直させる。そして、
「いったわ・・・」

彼女がぐったりしても、さらに私は愛撫を続ける。すると又してもすぐに、
「あぁ、いい、いく、動かないで」
と、体を止めて、快感に絶えている。暫くして、又愛撫を始める。すると又、
「あぁ、だめ、あーいく」
と軽いオルガスムが来る。

このように、小さいオルガスムが、指の愛撫だけで連続に来るのが、
道代のセックスの特徴であった。何回その小オルガスムが来たか判らなくなったころ、
「ねぇ、舐めて」
と催促する。
「何処を?」
とわざと言う。
「オマンコよ」
「百回言ったら舐めてやる」
「もう百回も二百回も言ったわ」
「じゃ、舐めるとするか」

それで私は漸く起き上がり、女体の裾に回って両足を開く。

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プロフィール

アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
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有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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