小説・秋の夜話。其の一
戦乱を避けて、近くの田舎や遠い山里に一時居を移すことを、当時の言葉で疎開と言った。
大戦後70年を経て既に死語になった疎開と言う体験の中の思い出話も、何時かは影絵のごとく薄れ、
そんな話もあったかと、今更に虚構のごとく人の耳をそば立たせることも有るだろうと、ともあれ事実のみを記す。
増蔵は横浜の空襲を避け、妻の親類の有る群馬の山里に疎開していたが、
同じ様に東京から疎開して来ていたお直婆さんから、アンゴラ兎を一羽譲り受けた。
以前家兎を飼って居た檻が有ったので、増蔵は取敢えずアンゴラをその檻に収容した。
「バァちゃん、これは雌かね?」
と、増蔵はその兎を届けてくれたお直婆さんに聞いた。
「ああ雌だとも。もう四月もたてば子を生むよ」
と、婆さんは言った。
「番(つがい)で飼わなければ、子は生むまい」
「なんの。お前さん。アンゴラはわざわざ番いにして飼うには及ばないんだよ。
それに、あたしが軒並みに配って置いたから、そこらに相手が幾らも居る。
甚太郎さんのところにも居るし、弥五郎爺さんのところにも居る。
兎は猫と同じで雌独りでも子を生むのさ。お前さんとこのように、夫婦が何年も番にな っていても、
一匹も子が無いのとは大違いなんだよ」
と言われて増蔵は少々腹が立った。
「確かにその通りだよ。しかし腹では思って居ても、そうあからさまに言うもんじゃないよ。
おいらのところでも、何も子が無いのを自慢為てる訳じゃないんだからね。
言って良い事と、悪い事ととが有るだろう」
と、ムキになって応酬した。
「おほほほほ・・・言い過ぎて悪かったね。御免なさいよ。都会者はお互いに口が悪くて
困るわね。本当に子が無いのは淋しいよ。あたしも子供が有ればこそ疎開に来ても暢気に
して居られるんだが、さもなけりゃこの村に一生島流しさ。息子が焼け跡に新築してね、
店が忙しくなったから、帰って来いと言うんだよ。嬉しいじゃないかね。
お前さんたちも早く子をおこさえよ。悪い事は言わない。アンゴラは生後七ヶ月で子が
できるが、一年半も飼えば十倍に増える。本当に繁殖力の強いもんだよ」
「じゃ、子の出来るまじないにアンゴラを飼えと言うのかね。そんならどうも有難うよ」
と、増蔵は不承々々婆さんに礼を言った。
子供が無く淋しい増蔵の家庭を、アンゴラ兎がいくらか明るくしたようであった。
生後三ヶ月の子兎であるが、アンゴラの特徴である白い豊かな毛をふさふさと纏っていた。
その為に何となく物臭そうで可愛げとは言いがたいが、バラ色をした美しい目には、
高貴な油滴を湛えたように湿りがあった。
「あんな毛をかぶった目で、ものが見えるのかしら?」
増蔵の妻礼子は、軒下に置かれてた檻を覗き込みながら言った。
「お前、飼って見る気かい。用が増えて面倒の様なら、他所へ譲っても良いんだぜ」
と増蔵は言った。
「飼うわ。普通の兎と同じなら、大して面倒でないでしよう」
「夏は弱いそうだから、風通しの良い所に置かなくちゃいけないとさ」
「普通の兎だってそうよ。毛の厚い動物は冬は丈夫で、夏は弱いのよ」
「だからお前も夏負けがするんだろぅ」
「何言ってるの。バカね」
健康そのものの様な礼子は、顔を赤くして笑った。
増蔵は時折ひょうきんな事を言ったりして、妻の礼子を笑わせたが、
自身はニコリともしないで、年中無愛想なしかめ面をしていた。
増蔵は幼児期に小児麻痺を患ったことがあって、それ以来腰部から下の自由を欠いて居た。
今でも杖にすがって漸く歩行し得るような塩梅で、横浜で空襲に遭って逃げ廻る折りにも、
その不自由な身体の為に、人一倍困苦を重ねた事であった。
運良く命拾いして、やっと疎開地へ来た頃には、辛労困苦の為か、頭髪も大半白く成って居た。
増蔵は疎開地へ来てからは、妻を農家の手伝いに出し、自身は稼業の仕立屋を賃仕事に、
それでどうやら夫婦二人が食べて行けるのであった。最早横浜へ戻るあてはなし、
子供の出来る見込みも無く、唯その日を食いつないで行くだけの、
全く楽しみも張り合いも無い生活であった。
だが、生後三ヶ月のアンゴラ兎は、気分的にも光明をもたらすような気がして、
いりもしない家畜など押しつけられた不満も有るには有ったが、
それでも増蔵ははけなしの貯えの中から、檻の修繕費や餌代の百円を奮発したのだった。
アンゴラ兎には、イギリス種とフランス種とがあって、その名の示すように、外国渡来の家畜である。
何れもテリア種の子犬のように、真っ白いふさふさとした毛を纏い、バラ色の目をした。
可愛い兎で有る。愛玩用としても飼育されるが、そのふさふさとした毛が、上等な毛織物の原毛となり、
純毛最上質と称される洋服地も、二割のアンゴラを混ぜて居ないと、本格でないとさえ言われている。
村でいち早くアンゴラ兎を飼って居たのは、先に述べたお直婆さんだという。
東京で空襲に遭いこの村に疎開して来る時に、一緒に兎を携えて来たのであるが、
別に之と言う目的も無く、疎開の徒然に丹精を加え、大分数を増やした。
アンゴラ兎は生後七ヶ月で成兎となり、一年半飼育すると、お直婆さんの言うように、
約十倍に繁殖する。恐ろしく繁殖力の強い家畜であるが、四年後には廃兎となって、
つぶしにされる。それまでに採毛される原毛としての収益が、一羽について六千円に上ると言われた。
普通の家兎は、殆どつぶし値にしか成らないのであるが、アンゴラ兎には、つぶし値の他に、
尚六千円の宛の稼ぎが有る。テリア種の犬と同じ様に、そのふさふさとした毛をブラシングしたり、
剪毛をしたり、手入れも相当に厄介ではあるが、丹精次第では、家兎とは比較にならない
収益を上げる事が出来たのである。
お直婆さんは、こうした効能書き述べて、会う人毎にアンゴラ兎の飼育を勧めるのであったが、
儲け話には目の無い村人達も、今は在り来たりの米や野菜作りに夢中で、村に入り込む闇買いの
かつぎ屋を相手に膨大な収益をあげて居た頃の事であるから、誰もアンゴラ兎の様な、
新しい仕事に手を出すものは居なかった。目先の変わった事業や、改めて手数の掛かる仕事は、
因循姑息な人たちには何よりの禁物で、単にその気持ちに成るだけでも、容易ではないのだった。
流人のように、独りぼっちで疎開地に取り残されて居たお直婆さんも、東京の焼跡にバラックを建てて
商売を再開した息子たちの仕事が、大分景気づいて来たので、今度はその方へ行って手伝う事になり、
三年も住み慣れた疎開地を引き払って、東京へ帰る事になった。折角丹精して殖やした兎ではあったが、
息子たちから、アンゴラは置いて来いと言われたので、兎は全部近隣の農家へ分配する事にした。
婆さんの気持ちでは、今生活に困るではなし、どうせ無から生じたような一群のアンゴラ兎であるから、
人に呉れればとて、売って儲けるなどの了見は毛頭ない。長い間村で厄介になった謝礼に、
戸毎に無償で一羽宛贈呈することに腹をきめたのである。農村の不況も目の前に迫って来ている。
従ってこれから追々に必要に成って来るのは農家の副業であるから、アンゴラなどを飼育して、
今から備えて置くのも無駄ではないと言うのが婆さんの意見であった。
東京者だけに流石に婆さんの目先はきいて居た。村全体の脳味噌を集めても、婆さん一人に適わなかった。
何しろ婆さんはアンゴラ兎の大家である。果たせるかな、数年後の農産物の自由化の波に押し流された、
農村の恐慌時代にも、アンゴラ兎の副業が立派に物を言って、始めて婆さんの明智に人々は驚いたのであった。
その高邁な見通しは兎も角もとして、婆さんは取敢えず、身内の事情で兎をタダで置いて行こうとするのであったが、
貰う方では却って渋々顔で、今更疎開者からタダで物を貰う訳にも行かないと言う農家としての見栄もあって、
その代償に各戸いくらか宛包んで、婆さんに餞別として贈る事になった。その額も隣組の常会に掛けたりして、
揉みに揉んだ揚句、大体各戸百円と言う事に割当てられたのであつた。
アンゴラ兎の相場は、生後三ヶ月の子兎でも、一羽五百円から千円位の高値を呼んで居た。
相場の事を言えばそうだが、もとより無償で譲り渡す積りで居る婆さんは、
各戸から贈られた百円ぱの餞別にも不平を言う筈もなく、総てのアンゴラを手放すと、
さばさばと疎開地を立ち去った。
このようにして、アンゴラ兎は好むと好まぬとを問わず、一斉に農家で飼われるように成ったのであるが、
その当座は珍し半分に村でも大もてで、近隣の人たちは用もないのに互いに行き来して、
アンゴラの安否を尋ねたりした。
「どうだ。おめえんとこのアンゴラは・・・食いはええだかよ」
「あによ、さっぱり食い気がねえらしい」
「そんなら豆腐のカラでも奮発するだな」
「あんな水っぽいもの食わして、よかんべか」
「アンゴラでも兎に変わりはなかんべえ。馬に人参、兎に卯の花(おから)、山羊は紙を食うだょ」
と言った様な長閑な会話も弾み、平素仲の悪い隣同士がアンゴラの為に、俄かに親睦を増したような所もあった。
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