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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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祖母に捧げる鎮魂歌。其の一

鎮魂歌1-1
昭和30年代、世の中は敗戦の荒廃から抜け出し、世情も落着き高度経済成長を
歩み始めていたが、私達の住む群馬の田舎ではまだまだ終戦の爪痕が残っていた。
父はシベリヤに抑留されたまま音信不通だった。母は織物工場に勤めていた。

生活は楽では無かったが、世の中誰もが貧乏だったから、
私達小学生も貧乏に卑屈に成る事も無く毎日真っ黒になって遊びまわり、
時には大人の手伝いをして働いた。

私には二歳年上の姉が居たが彼女は頭が良く、田舎ではちょつとしたエリートだった。
東京で闇屋みたいな事をしていて羽振りが良かった母の弟と同居して、
都立の中学校に通っていた。
姉は独身の叔父の家に下宿して、彼の身の周りの世話をするのが条件だったらしい。
だから夏休みに成っても、長い間実家にはいられずに、直ぐに帰って行った。

父と姉の不在の田舎の家には、三十四歳の母親と五十六歳の祖母と
十二歳の私の三人で暮らしていた。

私は小学六年生に成っていたが、当時の六年生は田舎では労働力であり、
田畑の仕事も山の下草刈りや薪の背負い出しなど、
大人に負けないくらいの仕事をしていた。
今時の子供よりは体格は劣っていても、身体の鍛え方が違って居たのだと思う。

私の田舎はそれほど山の中では無かったにも関わらずかなり閉鎖的で、
夜這いの話や輪姦とか近親相姦の話が公然とされていて、
同級の仲間には既に女を経験した者が何人も居て、
自慢話を聞かされっぱなしだった。
未だ童貞だった私はそんな話を羨ましく聞いていたものだった。

我が家は代々農家だったが戦後の農地解放で田畑の殆どを小作人達に分割譲渡
されてしまったようで親戚同士の争いが後々まで尾を引いていた。
祖母は何かにつけて田畑を失った事で愚痴を言っていた。

母は一階の奥の暗く広い欅の板戸で仕切られた部屋に一人で寝ていた。
私は二階で祖母と同じ布団に寝ていたのだ。

夏になる前の夜更けの事(と言っても午後の10時頃)、一階の囲炉裏のある部屋で
母と祖母が何か言い争う声が二階の部屋にまで聞こえて来た。

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祖母に捧げる鎮魂歌。其の二

鎮魂歌2-1
マラに祖母の息が掛かるのが判った。其の頃やっと亀頭が剥き出し始めたマラを
直に握り、太さや長さを試すように静かに扱き始めた。
「ああ、良いマラだ。嫁は憎くも孫は可愛いもんだ。はあ、使えるマラだなあ」
思いもかけず、勃起は彼女の口の中にすっぽり吸い込まれた。祖母の舌の先が
亀頭を嘗め回すと、瞬間に私は後頭部が痺れてしたたかに射精してしまった。

それこそ生まれて初めての快感だった。
何時もは痛いほど手の指で扱いて淫水を出しているのに、
祖母の暖かい口の中でしかも舌で舐められては我慢出来なかった。

「うううっ」ピクンピクンと腰が跳ね上がり、何時もの三倍位の淫水がほとばしった。
祖母はしっかりと吸い付いていて、口の中に貯めてごくりと飲み込んだ様だった。

眠った振りをするのが一番ときめて、彼女が淫水を飲み込んでから、
マラの周りを舐めて呉れるくすぐったさを我慢していた。
「あれよぅ。まだよく眠ってる。可愛い、可愛い」
言外にずっと眠った振りを続けろと言っているのが判って、じっとしていた。

祖母がマラに触れるのは初めての事ではなかった。
風呂には何時も一緒に入っていたので、時々触ったり皮被りを弾いて白い粕を
貯めないように教えてくれたりしていた。
「マラ粕を貯めておくと、腐って赤く腫れる事が有るから、
 何時でもきれいにしとくんだよ」
祖母がマラを扱いたりするのを、特別な事とは思って居なかった。大人達は
子供の陰部の清潔を保つ為には触るのは良いもんだと思っていた節がある。

「雅人のマラは良いマラだ、女泣かせになるだんべな」
などと笑って居たが単なる悪戯ではない雰囲気があって、少しおっかなく思った。

五年生までは庭の湯殿で祖母と一緒に入浴していた。
「おれのべえいじってねえで、ばあちゃんのもいじらせろ」
「ああ、いいとも、ほれ、いじってもいいど」
祖母は湯の中で脚を広げて触らせたが、陰毛がモジャモジャ生えていて、
何処が女のべべ(陰部)なのか判らず、欲求不満のままそれ以上はの事は
出来なかったと記憶している。

六年生に成ると、友達から笑われそうなので、祖母との入浴はしなくなっていた。

祖母は射精して小さく縮んだマラを口に吸い込み、
舌でぐるぐると亀頭を嘗め回したり、吸い上げたりしていた。
千擦り盛りのマラはたちまち充血して、立ち上がった。
「おやまあ。元気の良いこと。じっとしてろいな。今良い事してやるかんな」

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祖母に捧げる鎮魂歌。其の三

9100image90.jpg
朝早く起きて十分ほど歩いて烏川へ行き、
昨夜仕掛けたおいた置き針を引き上げるのが私の日課だった。針を上げた後で川岸に
立って日が登るまで毛鉤を使った「流し」という釣り方でうぐい釣りに熱中した。
置き針には時々大型の鰻(うなぎ)や鯰(なまず)が掛かっていて、
それが何よりの楽しみだった。昔の子供は元気が良かったというよりも、
寝るのが早かったので早起きしてこんな遊びが出来のだと思う。

早朝、朝霧で薄暗い林の中はひぐらしの大合唱で賑やかなものだった。大抵は
二、三人の仲間で行動したが、都合で独りで行く場合は朝の雑木林は怖かったが、
甲虫や鍬形が取り放題だった。

家族に起こして貰わなくとも、そういう場合はきちんと四時前に目覚めたもので、
大人に成ってからのゴルフの朝と同じだ。
当時は子供の釣って来る川魚は蛋白源として珍重されて、大漁だと褒められたりして
張り合いがあったのを記憶している。まだまだ自然は残っていて、
豊漁でとれた魚は串刺しにして囲炉裏の遠火で燻して保存して食ったものだ。

仲間の何人かは大人に混じって、ガラス箱を使って鮎の引っ掛け漁で大人顔負けの
良い稼ぎをしていた。そう言う連中は仲間内でも尊敬を受けていた。
本職顔負けの彼等は教室では全く目立たない、鼻垂れ小僧だったり、
立たされ坊主であったりしたものだ。子供達が最も個性的に、のびのびと遊びながら
稼いでいられた時代だったろう。だから今時の様な陰湿ないじめなどしている暇が
無かったのだと思う。

そんな中で私はたいした稼ぎは無かったけれど、早熟で異性関係にばかり興味があった。
祖母に手ほどきを受けて性交を経験したし、夏休み過ぎからは性交の味の何たるかを
知り、女好きの人生を決定するような出来事があった。

敗戦によって古い価値観は押しやられアメリカ式の自由主義の名の元に貞操観念も
薄れ、既婚者でも未亡人でも恋愛は自由だという風潮が巷に溢れ、性のモラルは
崩壊した。

ある夜の事、機屋の大将と母のオマンコのことで、初めての時ほどの激しさは無かった
けれど祖母が母に嫌味を言っていた。事の起こりは其の頃流行始めた美容院で、
外国人の様なちりちりのパーマネントを掛け、もんぺからスカートに履き替えて帰ってきた。
それらの費用は全部、機屋の大将が出したらしく、その事を祖母はくどくどと文句を
言っていた。

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祖母に捧げる鎮魂歌。其の四

鎮魂歌4-1
「あっ、あっ、あっ・・・」ぴくんぴくんと引きつった後で、
次第に静かになってだらんと手足を伸ばしてついには動かなくなった。
次に如何したら良いのか分からずに、起き上がり脚の間に跪いていた。

祖母の激しい動きが下にいる母に知られやしないかと心配だった。こんな年寄りの女が
あんなに激しく尻を振り、痣が出来るほど抱きつくとは思ってもいなかった。
日頃のおっとりと静かな女が如何してこんなに変身するのか、信じられなかった。

男として自分から祖母に性交を迫り、形の上で男女の仲に成ったのはこの夜が
初めてだったと記憶している。

かな、かな、かな、かな・・・とひぐらしの合唱に目覚めて、祖母の白い半裸の身体に
勃起しながらも、置き針の引き上げに行かなくてはならなかった。
遅れて行くと誰かに置き針を獲物事一緒に引き上げられ盗まれる事があった。
ことに魚が掛かっていると、魚の動きが岸から見えてなおさら危険だった。

自分の精液か祖母の淫水か亀頭に乾いて強張っていた。着ている物は、猿股の上に
精々ランニングシャツだけだったから、下を脱いで川の冷たい水で小さく縮み上がった
マラを洗った事を覚えている。

後で若い女と経験した時の事だが、暗闇の中で性交した翌朝、置き針を上げに行って
月経の血だらけの猿股に気付いて、慌てて川で洗濯した事が有ったのを思い出した。
前夜の不始末を綺麗な川の水で洗い清めるのは、清々しいことだと思った。

自分から仕掛けてオマンコをしたのは始めての事だけど、結局祖母の助けを借りた
訳だから余り威張れないと思った。当時12歳の小学六年生では無理からぬ事だと思うが、
早くいっぱしの大人に成って祖母をヒイヒイ歓ばせて遣りたと思った。

当時、閉鎖社会の田舎では近親との性交は暗黙の中で認められていた節がある。
戦争で年頃の男は招集され、戦死或いは行方不明者が多く、祖母のように、夫や
息子を亡くした老女や母ぐらいの未亡人が沢山いて、その性欲の捌け口は自ずと
近親者に向かったのである。

其の夜から祖母の身体に這い上がり、勃起を擦り付けると指で摘まれて穴に導かれて
性交するのが習慣になった。彼女は階下に母が居る時は終始無言だったが、
身振り手振りで如何したら良いのか教えてくれた。

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祖母に捧げる鎮魂歌。其の五

鎮魂歌5-1
終始無言なのは祖母と同じだったが、責めたり撥ね付ける態度は無くて救われた。
図々しく浴衣の襟を分けて、掌に余るほどのコリコリした乳房を直に掴んで揉み始めた。
「雅人。上手だね。誰に教わったん?」
喉がからからになって、瞬間声が出なかった。
「母ちゃんの弄ったんか?」
馬鹿正直に告白してしまった。
「婆ちゃんのだよ」
「へええ。お前も物好きだねぇ。あんな年寄りのオッパイなんか弄って・・・」

姉は私の側に擦り寄り勃起を探り当てて猿股の上から握った。
「へぇっ。子供の癖にこんなにしちゃってさ。生意気だよ」
「しょうがねえよ。ひとりでにこうなるんだもん」
「ふうん。もう粘々したえんすいは出るんか?」
しばらく離れて暮らしていたわだかまり、気恥ずかしさが薄れて、以前の姉弟に戻っていた。

「そうさ。俺だって男だかんな」
「そんなこと、威張るほどのことじゃないよ」
姉は勃起を握ったままで言った。
「そんな事するんだら、俺にもマンコいじらせろよ」
「駄目だよ。そんな汚い手で触られたら、病気になるもん」
「汚くねえよ。風呂に入ったばっかだもん」

しつっこく迫った。駄目駄目と口では言っても彼女の脚は開いたままだった。
祖母の無言の指導で性器の感触、サネや膣の入口の愛撫を知っていたので、
若い匂いを放っている姉のオマンコに触って見たい欲望は抑えられなかった。
「あんまり中まで入れちゃ駄目だよ」
尻を上げてズロースを上手に脱いだ

むぅっと祖母の薄い匂いとは違うオマンコの匂いが強く鼻を突いた。

そろそろと陰毛を撫でていると彼女の尻はムズムズと動き、
私の手に恥丘が押し付けられ、指先は自然に割目に吸い込まれた。
割目に沿って上下に撫でていると、指先に硬くなったサネが引っかかった。
小指の先ほどもあるサネは充血して、割目の上にちょこんとはみ出していた。

「ううん、ふううん」
姉は勃起を握り締めながら、膝を立てて腰をグラインドさせて、もっと深く指を入れろと
言わんばかりなのに調子づいて、ビラビラを分けて膣に指を入れた。
「くふん、くふん、いい、いい」

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祖母に捧げる鎮魂歌。其の六

鎮魂歌6-1
次の日、「母ちゃん。あれになったらしいんよ」姉は母に言った。
「そうかい。そうかい。お前も女になったんだよ」
出かけると言うのに初めて月経に成ったらしく、母と娘はその用品を揃えたり、
手当ての注意などくどくどと繰り返していた。

女に成るっつうこんは月経になることで、オマンコする事とは関係ないんだ。
一つ物知りになった。
あんなに狂った様にヨガッていた姉はまだ月経に成っていなかったのだ。

照れくさくて駅まで送って行かなかった。泣いた様に目を潤ませた姉は母に送られて
帰って行った。

後々で姉の告白によると、叔父に迫られて処女は無くしたけれども、
痛いばかりで快感など知らない時期だったそうだ。
弟の性遊戯でやっと快感を知ったらしく、夏休み明けからは感じる女に成って、
叔父との夜の楽しみを持ったということだ。

姉が帰ってから又元の様な暮らしが戻ってきた。
母は相変わらず夜になると出掛けて行き、夜中か朝帰りを繰り返していた。
それについては祖母も何も言わなくなり、母も平然として高級な化粧品を使って
女っぷりを上げていた。

昭和30年代になると「もはや戦後ではない」と言われ始め、ラジオのニースも、
未帰還兵の事は段々取り上げなく成ってきた。歌の番組で菊池章子の「岸壁の母」
が流れて来ると祖母は大粒の涙を流し肩を震わせて泣いていた。

「父ちゃんは生きているんかな?ひょっとして死んだんじゃ・・・」
私が言うと祖母は顔色を変えて怒った。
「生きてるよ。死ねば母親のあたしには分かるんだ。まだ元気で生きているさ」
自分に納得させる様に言うのが気の毒だった。

父の話題で涙ぐんでいたくせに、祖母は並んで寝ると股で私を挟んで、
剥き出しのオマンコを擦り付けて誘惑してべべをしては息を荒くしていた。
「うんぐっ、うんぐっ、ぐぐぐううっ」
脚をぴんと伸ばして、抱き締めてわなわなと身体を震わせた。
姉の身体に挿入してからと言うものは、祖母の身体に嫌悪感を持ったけれど、
何日か過ぎると祖母のたるんだ身体でも満足せざるを得なくなった。

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「異国の丘」を聞くたびに。其の一

異国の丘を聞くたびに1-1
昭和三十年の暮れに祖母が亡くなって、広い我が家には母と二人だけになってしまった。
父はシベリヤに抑留されていて、音信不通だったし、姉は母の年の離れた弟(叔父)
の所から東京都立の高等女学校に通っていて家にはいなかった。

農家の大きい建物の一階に母、二階に私という暮らしになった。
二階は昔お蚕を飼っていた部屋で、三つの八畳の部屋が板戸で仕切られていて、
私のいた奥の部屋だけは畳が敷いてあり、
障子が立て回されて人が住める格好に成っていた。

他の部屋には昔の会席膳類や先々代まで遣っていた機屋の道具などが
一杯に積み込まれていた。

生活の為に母は近所の機屋の女工として勤めていたが、
実質はその工場の社長の妾の様な立場だと他人は言っていた。

その前年あたりまではどんな粗悪品でも、布地であれば飛ぶように売れて
凄い景気だったのに、世の中が落ち着いて来るにつれて、
小規模の機屋の経営は苦しくなっていた。

「雅人。母ちゃん一人で寝るのが寂しいから、一緒に寝べぇゃ」
母子は二階の私の布団に並んで寝た。
機屋の社長との仲が疎遠になった頃だった。

一時は社長の奥さんの代わりに、工場や女工を取り仕切っていたのが、
女工を何人も引き抜かれたり、社長が飲み屋の女に心を移したりして、
母の立場は微妙に変わっていたのだろうと思う。

「父ちゃんはどうしてるんだんべえな」
「シベリヤで元気にしてるよ。そのうち帰って来るさ」
滅多に父の事など言わなかった母は心細げに言い始めた。
社長に振られてしまった母を気の毒に思った。
それより、お手盛りで給金を取っていた母に実権が無くなり、
収入の面でも響いていたらしい。

ぱりっとした紺サージの学生服を着ていた同級生が何人も居たところを見ると、
金のある者はかなりの物が手に入る時代になっていたようだ。

私は姉が世話に成っている叔父のお古の学生服を貰って着ていた。
袖口や裾は薄くなり、裏地などはほころびて手を入れる時は注意しないと
裏地の中に手が入ってしまうという代物だったのを覚えている。

私は祖母と肉体関係を持ち、千擦りからは卒業していた。
母のいる織物工場の女工の何人かと時々性交していたが、
彼女らはもっと実入りのいい職場に引き抜かれて行ってしまい、
夜遊びの相手に不自由していた時期だった。

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「異国の丘」を聞くたびに。其の二

異国の丘を聞くたびに2-1
学校では誰が強姦されたとか、あそこの娘は誰にでもさせるとか、
私達不良グループはそんな話で夢中だった。
肥料の足りない杉林からは余計に杉花粉が飛ぶのと同じで、
栄養が行き渡らないと少年は早熟になるらしい。

女の子にしても同じだった様で、中学一年生の女子に妊娠する子が何人もいた。
現在と違って個人のプライバシーなどと言う観念が薄く、この種の噂話は
筒抜けで誰にでも知られていた。

母は切れ長の一重瞼で高い鼻とぽってりした小さい唇の昔風の女だった。
今では余り流行らない顔立ちだが、当時は美人の範疇に入る顔だったと思う。
体つきは中肉中背というところだった。スプーンになると、大体私と同じぐらいだった。

蒸れた髪の匂いを嗅ぎながら、浴衣の裾を捲り上げては勃起をズロースを
穿いていない尻の肉の狭間に押し付けて、無謀にも抽送して淫水を吐き出していた。

嵌められないのをいい事に続けていると、何日か後には尻を突き出して
勃起が割れ目の中に入る角度に成っていた。

五月には引き揚げ船がシベリヤから兵隊を乗せてきたが、父の名前は無かった。
もう引き揚げ船の運行も終わるというニユースが流れ、母はがっかりしていた。

ある夜、風呂場から上がって来た母が独り言の様に言った。
「月経になりそう・・・」

昨年の夏、二つ違いの姉が月経に成ったのを知っていた。
その不思議な女の生理は私達少年に女の性器そのものを
見せ付けられた様に感じて、異常な興味と性欲を掻き立てるものだった。
月経と言う忌まわしい出血で汚らしい女性器そのものが剥き出しにされた様に感じた。

「月経の時はべべしても孕まねえんだ。ちょつと汚ねぇけど、
 そん時なら遣らせて呉れるおばさんがいるぜ」
友達が言っていたのを思い出した。そして、密かに今夜あたりはオマンコの中に
淫水を出させて貰えるかも知れないと期待していた。

祖母と交わる時は、妊娠など全く心配する必要が無く自由に出来た。
織物工場の女工とする時はゴムを被せられた。
今思えば良い時代だった。年端も行かぬ少年でも一人前に扱われて、
堂々とセックスが出来たからだ。

その夜、母と並んで寝た時に膝で彼女の腰の辺りに触ってみると、
厚手の月経バンドを着けていたのにはがっかりした。

諦めていると、母は身体をエビの様に曲げて、ごそごそしていたが、
私の腰に冷たい剥き出しの尻を押し付けて来た。
彼女がバンドを外したことが分かった。

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「異国の丘」を聞くたびに。其の三

異国の丘を聞くたびに3-1
「一番初手は婆ちゃんがべべすべぇつったんだんべ」
「うう・・・。おれがチンポを押し付けてたらひとりでに嵌まっちゃったんだよ」
「初手に嵌まった時はどうだったん?」
「チンポがひりひりして痛かった」
「そりゃあそうだんべぇな。年寄りの乾いたオマンコじゃすり傷が出来たんべ」

母が祖母に良い感情を持っていないのが分かり。
祖母が気の毒だと思ったけれど、あえて弁護はしなかった。

「雅人は婆さん孝行をしてやったんだいなあ。婆さんも後家が長かったから、
 やりたかったんだんべ。いい冥土の土産が出来たっつうもんだいな」
冥土の土産、祖母も同じことを言っていたのを思い出した。

初めて母に挿入した翌日の夜、布団の敷布の上に古い布団皮が
一枚余計に敷いてあった。
「あたしゃあ、ゆんべあんまりいい夢を見たんで、今夜もまた見てえと思ってるんよ」

灯りのない暗い部屋で並んで寝てから、彼女が言った。
返事のしようもなく只陰茎を硬くしてじっとしていた。
その夜は初めから月経バンドは着けていなかった。
割目には脱脂綿が挟まれていたような気がした。

「眠ったのかい?」
顔を寄せて魚臭い息をかけながら言った。
眠った振りをしようとしても、胸の動悸が激しくて息苦しくなるばかりだった。
「よく眠ってるようだな」
祖母も母も言う事が同じなのでおかしくなった。

猿股を引き下げる時、勃起が引っかかって難儀していた。
「あらあら、こんなにでかくしちゃつて、まるで大人だよ。ここだけは」

嬉しそうに顔を寄せて掌で扱き、ちょんと剥けた亀頭に口をつけて
唾で濡らし、私を跨いで熱く濡れたオマンコにあて、ぐっと腰を沈め、
ずるずると茎の根元まで嵌め込んでしまった。

「あああ、いい魔羅だこと。たまんないね。こんないい魔羅初めてだよう」
勃起を腹の奥まで収めて、私の腰の上で身悶えて身体を前後左右に揺らめかし、
パーマの伸びた肩までの髪を振り乱し、乳房が重く揺れて時々私の胸を撫で、
恥骨同士がぐりぐりと擦れ合っていた。

田圃の泥の中を歩くような感じで、
勃起は熱い膣のぬかるみの中で締め付けられ、擦り立てられていた。

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「異国の丘」を聞くたびに。其の四

異国の丘を聞くたびに4-1
うとうとしていると風呂の匂いをさせながら、母が布団に横に成り陰茎を掴んだ。
連夜の激しい性交で陰茎は腫れぼったく、太さが増した感じがした。

「毎晩いい夢を見させて貰って、あたしゃあ幸せだよ。
 こんなに良くなっていいもんだんべえかねぇ」独り言を言って聞かせた。
母は浴衣を脱いで、裸に成っても、湯上りの身体は冷めずに火照っていた。

母は口を寄せて舌を舐め始めた。私も舌で応えて、舌を吸い込んだり、こね回したり、
軽く噛んで扱いたりして居る内に夢中に成ってしがみついて確りと抱き付いていた。

母はそのままごろりと回転して腹の上に私を抱いて太腿で確りと締め付けた。
舌をしゃぶり乳首に吸い付き、上に成ると色々な事が出来た。

「みんな脱げば・・・」
母がかすれ声で言ったので浴衣と猿股を脱いで、遠慮なく割目に挟んで有った
脱脂綿をどけて勃起を宛がい、ぐいっとばかり押し込んだ。
経血に濡れている膣は滑りやすく、ぬるぬると勃起を受け入れていた。

「はあああっ・・・」
毛際まで押し込み、ぐりぐりと擦り合わせてゆっくりと抽送しはじめた。

ぐちゃぐちゃと割目は厭らしい音を立て、
上体はぴったりと引き付けられて波のようなうねりに身を任せた。
抽送すると膣の中はうねり、筋子が陰茎の背中を圧迫して粒々が
ざらざらという感じでまつわりつき、何とも言えない良い気持ちにさせられた。

「ああああっ、もうだめだっ」
「待ってっ、待ってっ」
激しく腰を揺すっていこうとしても、私の射精は止められなかった。
「うわあっ、凄く気持ちが良いよう。こんなん初めてだよう」
思わず声を出してしまった。
彼女は小刻みに尻を動かして追いつこうとしている様子だった。

「そんなに良かったかい。母ちゃんのオマンコは・・・
 あたしももうチョツトだったんだよ。動かないでっ。じっとしててみ」
膣の中でぐんにゃりとしていた陰茎がぎゅうっと絞るように締め付けられ、
筋子が柔らかくなった亀頭を撫でた。

同時に舌を吸われ、掌で身体を撫で回されているうちに陰茎に芯が出来てきた。
「ほらっ、なっ、またでかくなって来たんべ」
「うん・・・」
上に重なると自由が利く反面、頭でオマンコする感じで直ぐにいってしまいそうだった。

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「異国の丘」を聞くたびに。其の五

異国の丘を聞くたびに5-1
夏休みまでの何ヶ月の間に、性交の修行をたっぷりとさせられた。
千擦りの悩みが無くなり、碌に教科書も見ないのに学校での成績が
抜群に良くなっていたのが不思議なくらいだった。

私は母に男が出来はしないかといつも心配していた。私は何処にでも居る只の
ガキであったが。母は三十六歳の女盛り、人が振り返るほどの女っぷりだったし、
いつ機屋の社長とよりが戻るか気に成っていた。

親戚の男が何人か出入りしていて、私が居ても子供だと多寡をくくって
母に淫らな誘いをかける者が居た。きっと私が居ない時にはもっとしつっこく
纏わり着いていたと思う。

米を持って来て呉れたり、野菜を分けて呉れたりして有り難い存在だった。
当時の百姓男は戦後物資不足の時、米や野菜を欲しがる子連れの主婦達が、
都会から遣ってきて米の前には身体を投げ出す事例が忘れられなかったのだ。
農作物で女を誘うことは慣れっこに成っていた。

「○○の親父は大嫌いだよ。イヤらしい奴だ。
 母ちゃん、あんな奴、すぐに追い出してくれよ」
「そうだけど、親戚だしね、
 折角来てくれたんだもの、お茶ぐれえださねえと・・・」
「母ちゃん、あいつとオマンコしてえんじゃねえんか」
「バカなこと言わないでよ。そんなこと絶対にしないから」
母は涙声に成った。
「母ちゃん。よその男とオマンコしたら、俺、家出して愚連隊に入っちゃうかんな」
「ばかだねぇ。世の中でお前ほど良い持ち物持ってる男はいやしないよ。
 可愛いお前としてればよその男なんか問題になんないよ」
「だってぇ。父ちゃんが帰ってくれば、してくんねえだろう」
「そりゃあ、同じ家の中じゃ無理だんべぇ。それまでっつうことにしとくべえ」
「もう直ぐ出来なくなるかも知れねえから・・・うんとやっとかなくっちゃ」
意地悪を言うと、母もそれに応えて、失神するまで私の性欲に付き合ってくれた。

そんな風に爛れた関係が深まると、彼女の中には夫に対する罪の意識との
戦いが激しくなっていた筈だった。
私は父の顔を知らなかった。私が生まれて直ぐに出征したので、
写真で見るだけで父親という実感はなかった。
だから父親を裏切っているという意識が無く、
母子相姦の罪を重ねている事にも気が付かなかった。

口先だけではなく、本当に母を愛していたし、
未だ見ぬ父親にでさえ嫉妬と敵意を抱いていた。

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「異国の丘」を聞くたびに。其の六

異国の丘を聞くたびに6-1
夏休みに成ると姉が帰って来た。春休みに見た時よりずっと
大人っぽくなり、綺麗な女に変身していた。また二階の部屋で舐め合ったり、
挿入したりして本式なオマンコが出来ると期待していた。

「美恵子は下であたしの蚊帳で寝るかんな。しばらくはご無沙汰だけど、我慢しろ」
母に言い渡されてむっとしたが、姉とオマンコがしたいなんて言う訳にもいかず
我慢の日が始まった。ニ、三日して、遊びから帰ると姉の姿が見えなかった。

「姉ちゃんどこへ行ったん?」
「東京へ帰ったよ」
母は疲れたような顔をして元気がなかった。

「なあ、母ちゃん。何かあったんか」
「うん。あたしが怪しいと思ってた通りだったよ」
「ええっ。美恵子と叔父さんと?」
「ああ。オマンコする仲になってた。それももう何年もだとさ」
「いいじゃねえか。それで・・・」
「あたしが秀夫と縁を切って家に帰って来いって言ったら、
 彼と別れられないって、少し文句を言ったら、すっ飛んで帰ったよ」

母はしょんぼりしていた。子供を教育する立場の自分が母子相姦の常習者で、
ふしだらな娘に注意する資格がないと思い込んでしまったらしい。

現代ならもっと違った結果に成っていたろうが、当時はまだ論理観は古いもので、
生活全体に決まりや常識に縛られていた時代だった。
母の心中を察すると気の毒に成る。
目から大粒の涙が溢れていた。

「雅人。今夜から別に寝べえ。はあ、あたしは嫌だ。何もかもが嫌になっちゃった」
畳に腹這いになって泣いている母の尻の線に勃起していた。

「なあ、母ちゃん。そんなこと気にするなよ。俺たちはずっと仲良くしよう」
慰めても駄目だった。取り返しのつかない罪を犯していた事に気が付いた。
もう私もガキではなくなって居たのだ。

そして、その夜から別々に寝る事に成った。暑い夏は虚ろに過ぎて、
母は淫らな誘いには乗らなくなってしまった。

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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
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何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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