PV UU 現在の閲覧者数: /にほんブログ村 小説ブログ ロマンス小説へ
2ntブログ

異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

亭主奪還計画。其の一

~理想の男性~
熟女専科38
昨年、夫を亡くし、一人暮らしを囲っている現在です。
とはいえ、まだまだ体は丈夫です。近くには二人の娘たち夫婦や大勢の孫が
居てくれるので、心細さは有りません。

娘や婿、孫たちが何くれとなく気遣って呉れるお陰で、私は満ち足りた生活を
送っています。気ままで悠々自適な暮らしに、これといった不満はありません。

土日に、二人の娘たちの家に順番に泊まりに行くのが、
目下の所私の一番の楽しみです。二人とも、一家をあげて私を歓迎してくれ、
本当にありがたい限りです。

二人の娘たちは、どちらも夫婦仲がよく、それぞれ三人の子供にも恵まれ、
それはそれはしあわせそうです。言うまでもなく、子供の幸福は親の幸福でもあり、
娘たちが幸せに暮らしていてくれるのは、私にとっても嬉しい事この上ありません。

しかし、その一方で娘たちが婿たちと仲睦まじくしている所を見ると、一抹の寂しさを
感じてしまうのもまた事実でした。亡き夫との思い出が思い返されてしまうからです。

正直、私は伴侶が近くにいてくれる娘たちが羨ましいのかもしれません。
いまの生活に不平を言ってはいけないのでしょうが、四十年余り連れ添った
亡夫のことを、そんなに簡単に忘れることなどできる筈も有りませんでした。

六十を過ぎた女が、年甲斐もなく言う事ではないでしょう。
しかし、私は亡夫の藤田薫(仮名)を心から愛していました。
其の愛は、真剣そのものでした。

夫を愛する余り、私は過去に色々な経験をしてきました。夫を自分一人の
男にしたいという私の執念には、常軌を逸した処さえ有ったかも知れません。

夫を看取ってから、私は昔の出来事を度々思い出すようになりました。
年齢のせいも有るでしょうが、娘夫婦の仲のよさに触れるにつけ、懐かしく、
そして激しく過去の思い出に浸る事が多くなった今日この頃なのです。

関連記事
  1. 夫婦愛
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

亭主奪還計画。其の二

~人生で一番幸福な夜~
亭主奪還計画04
藤田が枕もとの行灯を豆電球だけに切り替えると、辺りはぼんやりと薄暗い
橙色に染まりました。淫猥な明かりが灯る中、私はドキドキワクワク、
初夜の儀式に臨んだのです。

初めに、藤田は優しく私に口づけしてきました。口づけさえ、私にとっては初体験でした。
藤田の口唇が口唇に触れただけで、私の肉体は感電したように震えました。
柔らかで暖かな感触にまさぐられ、五感が麻痺するような快感が湧き上がってきたのです。
(これが、口づけってものなのね。何て、気持ちいいのかしら!)

もう、うっとり夢心地、大好きな人に接吻されて、天にも舞い上がって仕舞いそうでした。
藤田の舌が口の中をさまよい始めたのには少し驚きましたが、それでも快感に変わりが
有る訳ではありません。私は、陶然と口づけの快美に酔い痴れていました。

私の舌も、夫となった人の舌に自然と応えていました。
互いに舌を吸い合い、快感は天井知らずに上昇していったのです。
やがて藤田の手が浴衣の中に潜り込んで来ました。

「あっ、ううっ」
思わず、短い叫びが口をついて出てしまいました。
知らず知らずのうちに尖り立った乳首が、ビンビンと快感を訴えかけてきたからです。

気持ちいい。などという生易しいものでは有りませんでした。さながら、体の中を嵐が
吹き荒れているかのようでした。とても、正気では居られませんでした。

口づけと乳揉みによって、私のカラダはたちまち快感一色に染まってしまいました。
私は、セックスがこれほど素晴らしいものであったことに、嬉しい驚きを隠せませんでした。
しかし、こんな事くらいで驚くのはまだ早かったようです。

乳房をひとしきりまさぐってから、藤田は布団を剥ぎ取り、私の浴衣を脱がせました。
いくら淡い電灯しか点いていないとはいえ、真っ暗ではありません。
異性の前で裸体を晒す羞恥に、私は白い肌に朱を散らさずにはいられませんでした。

「美しいよ、花江。君は、大福餅の様な肌をしているんだねェ」
夫は、マジマジと私の裸身に見入っていました。容貌こそ十人並みの私でしたが、
肌だけは密かに自慢にしている私でした。有頂天になるような夫の誉め言葉でしたが、
しかし恥ずかしくて恥ずかしくて私はただ顔を手で覆っているばかりでした。

関連記事
  1. 夫婦愛
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

亭主奪還計画。其の三

~毎日が発情期~
亭主奪還計画07
それから暫くは、平穏な日々が続きました。新婚生活はまさに蜜月の時間、
絵に描いたような甘いくらしでした。私の夫に対する気持ちは、婚約時代以上に
深まっていました。

カラダの繫がりは、すなわち心の繫がりでもある、とつくづく感じたのもこの頃でした。
苦痛に苛まれたのは初夜のときだけで、それ以降の私は性愛の歓喜に急速に
目覚めてしまったのです。私は、夫に抱かれるのが楽しみで楽しみで
仕方ありませんでした。昼間、夫を待つあいだ、家事をしていても買い物に出ていても、
あの事を想像してはワレメを濡らす事がしょっちゅうでした。
恥ずかしながら、毎日が発情期でした。

セックスを覚えたばかりの頃は、皆そういうものなのでしょう。新婚当初は、
とにかくセックスがしたくてしたくて、どうしょうもありませんでした。

夫も精力旺盛で、ほとんど毎日、私を可愛がってくれました。
新婚一年目くらいまでは、どんなに仕事でクタクタに成って帰ってきても、
セックスだけは欠かしたことは有りませんでした。ときには、私とするために仕事を
抜け出して来た事もあったほどです。

「あら、あなた。どうしたの?まだお昼を回ったばかりよ」
昼日中、突然、帰宅したかと思うといきなり玄関先で私を押し倒しました。
「あなたったら、まあ、どうしちゃったの?あああーん」
「仕事中、どうしても花江とやりたくなってね。昼休みに抜け出してきた」
鼻息も荒く、夫はスカートを捲り上げ、ショーツを引き摺り下ろしました。
ビックリしたものの、私が嬉々として夫の成すがままになったのは、言うまでもありません。

「余り時間がない。昼休みが終わるまでに戻らなくちゃいけないんだ」
と、夫はそそくさとスラックスとブリーフを下ろし、すでにテントを張った股間を
露出させたのです。私のカラダも即、反応していました。
「すごいな、もう濡れている。花江は、敏感だなあ」

夫が下腹に指を進めると、早速ワレメはジュンジュンと潤いを吐き出し始めました。
夫に愛されているという思いが、性感をさらに増幅させたのです。
上がりかまちのヒンヤリした感触をお尻に受けながら、私はカラダを開きました。

関連記事
  1. 夫婦愛
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

亭主奪還計画。其の四

~男女の修羅場~
亭主奪還計画09
長女の美保を出産するまで、私はこの幸福を信じて疑ってはいませんでした。
それどころか、夫婦のかすがいである子供を産むことによって、
いまの幸せが永遠に続くだろうとさえ思い込んでいたのです。
私は何とお気楽な、能天気な女だったことでしょう。

けれど、その思い込みが幻想に過ぎないことを直ぐに思い知らされる事と成りました。
いかに私が天下泰平な女であるといっても、初めての子育ては流石に過酷でした。

出産を経て、私は女であり妻である事に加え、母であるという立場になりました。
赤ん坊は可愛かったものの、理屈の通用しない彼女を育てることはそれは大変でした。

赤ん坊は昼も夜もなく、それもこれといった理由もなしに泣きました。
私は睡眠不足に陥り、あんなに好きだったセックスどころか
家事も満足にこなせなくなりました。

「花江は、この頃イライラしすぎだよ。だから、よけいに美保が泣くんじゃないか」
「ひどいわ、あなた、私の苦労も知らないで。あなたはいいわよね。
 昼間は仕事をして、夜はのんびり寝ていられるんですもの。
 私は二十四時間、美保の世話に追われて、
 ゆっくり寝る時間も食事する時間も取れないのよっ。イライラしない訳ないじゃないの!」

それまでは一度もした事のなかった夫婦喧嘩も、毎日の日課と成りました。
夫は、不慣れな育児にてんてこ舞いする私の気持ちを全く理解して呉れませんでした。

そして、私もまたキリキリ尖りきった妻を持て余している夫の心情など、
髪の先ほども判ってはいなかったのです。私たちの気持ちは完全にすれ違っていました。
私達夫婦の仲は、かなりギクシャクしていました。あれほど仲が良かったのが嘘の様に、
セックスは言うに及ばず会話さえもなくなりました。

それだけではありません。判で押したように午後の六時に帰宅していた夫の帰りも、
だんだんと遅くなっていったのです。其の事に関して、私は初め余り深刻に考えては
いませんでした。残業だと言う夫の言葉を、信じていたからです。

やがて、夫は深夜に酒や香水の匂いをプンプンさせて帰って来る事が多く成りました。
おまけに帰ってくるなり、慌てて風呂に飛び込む始末でした。
(女が出来たのかしら、いくら何でもおかしいわ!)

関連記事
  1. 夫婦愛
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

亭主奪還計画。其の五

~夫奪還作戦~
亭主奪還計画12
丁度その頃テレビで流行っていた美容体操を毎日、欠かさず行い、
肌の手入れも徹底させました。洋服にも気を使うように成りました。一ヶ月ほどで
自分でも見違えるように成りましたが、何かが足りない気がして成りませんでした。

(私には、性的魅力が残っているのかしら。これで、あの女に勝てるのかしら?)
周りの人たちも私の変化を褒めて呉れましたが、それでもまだ自信と不安が
入り交じった心境でした。見た目だけでは完璧でない。
きっと、あの女はセックスもすごいに違いない。
あの女に勝つ為には、床上手になって、夫を歓ばせなければなりません。

完璧を期すために、私は清水の舞台から飛び降りた気持ちで春画や春本などを
買い漁り、セックスの研究にも励みました。セックスでも、あの女に勝利したい。
その一念でした。
(もうすぐよ。もうすぐ、あの女の家に乗り込んで、夫を返してもらうんだ!」

私は、執念の塊でした。夫を女の手から奪い返すためには、
どんな事でもする積りでした。けれど、自信はまだ完璧ではありませんでした。
(もし拒絶されたらどうしょう?そうなったら、生きていけないわ)

女の家に乗り込む勇気をなかなか奮い立たせる事が出来ませんでした。
いつ実行するか、そのタイミングを測りかねていたのです。何時までも手を
こまねいている訳にいかなかったのに、いざとなるとからきし意気地のない私でした。

しかし、そんなある日、私に自信をつけさせてくれる出来事が起きました。
子供を母に預け、久ぶりに銀座のデパートに買い物に出掛けた時の事です。

町を歩く私に、何人かの男性が声を掛けて来たのです。

関連記事
  1. 夫婦愛
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

亭主奪還計画。其の六

~復縁のクライマックス~
36-08.jpg
「もちろん、一番あなたに戻って欲しいと思っているのは、私よ、
 私、こんどこそいい奥さんになる。あなたに歓んでもらえる女に・・・」
私が厚い胸板にしがみつくと、夫は遠慮がちに私の背中に手を回してきました。
肌に触れられただけで、私の下腹はジンと潤んできてしまったのです。

「確かに、花江は見違えるほど綺麗になったよ。それに、僕だって何時までも
 このままじゃいけないと思ってはいたんだ。でも、僕たち、でなおせるかな・・・」
夫は私の変貌ぶりに驚くと同時に、戸惑ってもいるようでした。
私の変わり様が、半信半疑と言った感じでした。
私は、思い切った行動に出ることにしました。

(薫さん、迷ってるんだわ。私とあの女の間で揺れている・・・ここで決めなくては!)
私は夫の腕をすり抜け、その股間に頬ずりしました。
そしてスラックスのジッパーを下げ、中からペニスを掴みだしたのです。
夫は、そんな私に唖然としていました。

「お、おい、花江。い、いったい、何のつもりだ」
「あの女に負けないくらい、私だってあなたを歓ばせて上げる事が
 出来ると言うことを見せたいの。いま、ここで!
 あなたは私のモノよ、薫さんっ」

もう、誰も私を止めることは出来ませんでした。そこが夫の愛人の家であることなど、
私はまったく意に介していませんでした。
それどころか、そこが敵陣であることに私は大いに発奮していたのです。
私は、夫の股間をパクッと呑み込みました。

「うっ、おおっ、は、花江っ」
縮こまっていたのは最初だけ、私の口中で夫はどんどん大きくなってゆきました。
久々に口にする逞しい感触に、私の性感もグングンと上昇していったのです。

関連記事
  1. 夫婦愛
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の一

~思い掛けない恋~
女遍歴の果てに・・・01
最近のテレビでは、教師ドラマに生徒との恋愛関係や、
教師同士の色恋沙汰が取り上げられ話題に成ってるが。
教師とて人の子、男と女である限り恋も有ればSEXもある。
教師同士の職場恋愛や結婚、歳の離れた師弟恋愛や結婚などは
昔から有る話で珍しい事ではない。犯罪に結び付かなければ、
表沙汰になる事もなくマスコミも騒がなかったので、
学外に話が漏れなかっただけの事である。かって教職の身にあり、
色恋沙汰も経験した私が証言するのだから嘘ではない。

私が教師としてのスタートは小学校勤務であった。
最初の小学校には五年間勤務したが、今から思えば、
周囲の多くの女性から恩恵を受けた幸福な時期であった。

小学校に赴任して驚いたのは、女教師の多さである。
教員数二十名の小規模校であったが、私を含めて男性は八名、残りは全て女性で
独身者が多く、結婚している人妻教師は五名であった。

職員室には女性の体臭と香水が充満していた。
机を並べている女教師・景子さんの香水の甘ったるい匂いがきつく、
彼女の話し相手をしているうちに、性欲がムラムラとこみ上げて来る事が屡あった。

景子先生は独身だが、すでに二十七歳になっていて、結婚相手を探しているとの、
“個人情報”を教えて呉れるのが用務員の小母さんだった。

景子先生に興味を抱き始めていた私は、彼女の事を詳しく知りたくなって、
学内の情報通である用務員の小母さんを、宿直の晩に呼んで話を聞いた。

小母さんは景子先生の事ばかりでなく、学内のいろんな裏話をしてくれた。
謹厳実直な顔をしている、校長を含めた教師たちの男女関係の噂話は面白かった。
小母さんの噂話は、決して人の悪口に成らないので愉しく、話し込んでいるうちに
好意さえ感じてしまった。

小母さんは四十五歳の戦争未亡人で、化粧もせず地味な身形をしているので
気づかなかったが、なかなかに女の色気があり、性欲をくすぐられていた。
景子先生に近づくために、彼女の噂話を聞きだしていたのに、話してくれた
小母さんを好きに成ってしまったのだから、男女の縁とは不思議なものである。
関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の一

~思い掛けない恋~
女遍歴の果てに・・・01
最近のテレビでは、教師ドラマに生徒との恋愛関係や、
教師同士の色恋沙汰が取り上げられ話題に成ってるが。
教師とて人の子、男と女である限り恋も有ればSEXもある。
教師同士の職場恋愛や結婚、歳の離れた師弟恋愛や結婚などは
昔から有る話で珍しい事ではない。犯罪に結び付かなければ、
表沙汰になる事もなくマスコミも騒がなかったので、
学外に話が漏れなかっただけの事である。かって教職の身にあり、
色恋沙汰も経験した私が証言するのだから嘘ではない。

私が教師としてのスタートは小学校勤務であった。
最初の小学校には五年間勤務したが、今から思えば、
周囲の多くの女性から恩恵を受けた幸福な時期であった。

小学校に赴任して驚いたのは、女教師の多さである。
教員数二十名の小規模校であったが、私を含めて男性は八名、残りは全て女性で
独身者が多く、結婚している人妻教師は五名であった。

職員室には女性の体臭と香水が充満していた。
机を並べている女教師・景子さんの香水の甘ったるい匂いがきつく、
彼女の話し相手をしているうちに、性欲がムラムラとこみ上げて来る事が屡あった。

景子先生は独身だが、すでに二十七歳になっていて、結婚相手を探しているとの、
“個人情報”を教えて呉れるのが用務員の小母さんだった。

景子先生に興味を抱き始めていた私は、彼女の事を詳しく知りたくなって、
学内の情報通である用務員の小母さんを、宿直の晩に呼んで話を聞いた。

小母さんは景子先生の事ばかりでなく、学内のいろんな裏話をしてくれた。
謹厳実直な顔をしている、校長を含めた教師たちの男女関係の噂話は面白かった。
小母さんの噂話は、決して人の悪口に成らないので愉しく、話し込んでいるうちに
好意さえ感じてしまった。

小母さんは四十五歳の戦争未亡人で、化粧もせず地味な身形をしているので
気づかなかったが、なかなかに女の色気があり、性欲をくすぐられていた。
景子先生に近づくために、彼女の噂話を聞きだしていたのに、話してくれた
小母さんを好きに成ってしまったのだから、男女の縁とは不思議なものである。

関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其のニ

~朝晩のフェラチオ~
女遍歴の果てに・・・04
小母さんも私の体に執着するようになり、よがりぶりや、声も大きく淫らになった。
「ああ、もういくよ。ほしい、若いエキスが欲しい。オマンコちゃんにほしい」
小母さんのヨガリ声を聞き、女性をメロメロにする歓びを知った。
それに、気をやって乱れた女性は大胆になることも知った。

オーガズムが一致し「いくいく」を連発して気をやっても、
私を抱いて離さない小母さんは、射精したペニスの回復を待てないのか、
「オチンチンにキスさせて」と、フェラチオするようになった。

小母さんは柔らかなペニスを根元まで咥え込み、甘噛みしては吸い、
舌で亀頭や鈴口を嘗め回す。巧みにフェラチオされてペニスは勃起するばかりか、
セックスしたくてたまらなくなる。

おばさんはペニスをしゃぶり、口中で勃起させることで興奮を持続させているので、
二回目のセックスをしたがる。

二回目のセックスは、小母さんを上にして女上位で交接し、
女性がどこまで助平になれるかを見るのが好きになった。
腰が上下に動くと豊満な乳房が揺れる。小母さんは顔に恍惚の表情を浮かべ、
口を半開きにして喘ぐ。その全てが悩ましくセクシーであった。

小母さんは女上位で和式便器を跨ぐスタイルに成る事も有った。
彼女が腰を上下させると、陰毛の間から僅かに交接の生々しい光景が愉しめた。
小陰唇を巻き込んで、愛液に濡れ光るペニスが出たり入ったりする光景は、
セックスしているんだと言う実感と興奮を私に与えて呉れた。

学校の宿直室で憚ることなく、小母さんはヨガリ声をあげ、
私は呻き声をあげてセックスの快楽に溺れていた。

宿直室で過ごす二時間ばかりは、二人だけの秘密でもあった。
昼間はあくまで教師と用務員の立場で接する。それが大人の遊びだと
身を持って教えられ、若い私には色恋のいい勉強になった。

関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其のニ

~朝晩のフェラチオ~
女遍歴の果てに・・・04
小母さんも私の体に執着するようになり、よがりぶりや、声も大きく淫らになった。
「ああ、もういくよ。ほしい、若いエキスが欲しい。オマンコちゃんにほしい」
小母さんのヨガリ声を聞き、女性をメロメロにする歓びを知った。
それに、気をやって乱れた女性は大胆になることも知った。

オーガズムが一致し「いくいく」を連発して気をやっても、
私を抱いて離さない小母さんは、射精したペニスの回復を待てないのか、
「オチンチンにキスさせて」と、フェラチオするようになった。

小母さんは柔らかなペニスを根元まで咥え込み、甘噛みしては吸い、
舌で亀頭や鈴口を嘗め回す。巧みにフェラチオされてペニスは勃起するばかりか、
セックスしたくてたまらなくなる。

おばさんはペニスをしゃぶり、口中で勃起させることで興奮を持続させているので、
二回目のセックスをしたがる。

二回目のセックスは、小母さんを上にして女上位で交接し、
女性がどこまで助平になれるかを見るのが好きになった。
腰が上下に動くと豊満な乳房が揺れる。小母さんは顔に恍惚の表情を浮かべ、
口を半開きにして喘ぐ。その全てが悩ましくセクシーであった。

小母さんは女上位で和式便器を跨ぐスタイルに成る事も有った。
彼女が腰を上下させると、陰毛の間から僅かに交接の生々しい光景が愉しめた。
小陰唇を巻き込んで、愛液に濡れ光るペニスが出たり入ったりする光景は、
セックスしているんだと言う実感と興奮を私に与えて呉れた。

学校の宿直室で憚ることなく、小母さんはヨガリ声をあげ、
私は呻き声をあげてセックスの快楽に溺れていた。

宿直室で過ごす二時間ばかりは、二人だけの秘密でもあった。
昼間はあくまで教師と用務員の立場で接する。それが大人の遊びだと
身を持って教えられ、若い私には色恋のいい勉強になった。
関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の三

~性に溺れた報い~
女遍歴の果てに・・・06
小母さんはウグウグと喉を鳴らして精液を一滴こぼさず飲み干し、
鈴口から滲み出ている精液も赤い舌で舐めてくれた。
早朝から一発抜き、疲労感が残るどころかスッキリして元気いっぱいであった。

私が宿直で泊まった翌朝は、小母さんは必ず顔を出し、フェラチオ奉仕をしてくれた。
ある宿直の朝、小母さんは何時ものように部屋に入って来ると、
私の頬を両手で撫で、まるで新妻みたいに、唇を重ねて優しいキスで起こしてくれた。

小母さんの指先や唇に、前夜の甘い快楽の余韻が残っているようで、
私のペニスは忽ち勃起したので、パンツを下げると、
「誰か来るわ、我慢して」と、小母さんは耳を欹(そばだ)てた。

廊下に誰か歩いて来る足音がしている。小母さんは、「快く眠れましたか?」と、
外に聞こえる声で言い、宿直室を出て行き、入れ違いにT教師が顔を出した。

現場を見られた訳ではないのでホッとしたが、数日後、校長から呼び出しがあった。
「おかしな噂があるので、用務員の小母さんとの付き合いに注意してください。
 なにしろ小母さんは未亡人の一人身ですから、若い男性が欲しいでしょうからね」

やんわりと注意されてしまった。小母さんも注意された上に、一ヵ月後の三月末、
他の小学校へ転任させられてしまったのである。転任後の電話で、校長から、
「若い教師の前途を考えて身を引いてください」と言われたとの事であった。

「水島先生が好きだから身を引きます。でも、私の事忘れないでくださいね」
小母さんは電話口で涙声になっていた。私の胸にも熱いものがこみ上げたが、
結婚する訳ではないのだから、何時までもズルズルと関係を続けるのも
良くないと思い、彼女の肉体とセックスに未練は残るものの別れる決心をした。

関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の三

~性に溺れた報い~
女遍歴の果てに・・・06
小母さんはウグウグと喉を鳴らして精液を一滴こぼさず飲み干し、
鈴口から滲み出ている精液も赤い舌で舐めてくれた。
早朝から一発抜き、疲労感が残るどころかスッキリして元気いっぱいであった。

私が宿直で泊まった翌朝は、小母さんは必ず顔を出し、フェラチオ奉仕をしてくれた。
ある宿直の朝、小母さんは何時ものように部屋に入って来ると、
私の頬を両手で撫で、まるで新妻みたいに、唇を重ねて優しいキスで起こしてくれた。

小母さんの指先や唇に、前夜の甘い快楽の余韻が残っているようで、
私のペニスは忽ち勃起したので、パンツを下げると、
「誰か来るわ、我慢して」と、小母さんは耳を欹(そばだ)てた。

廊下に誰か歩いて来る足音がしている。小母さんは、「快く眠れましたか?」と、
外に聞こえる声で言い、宿直室を出て行き、入れ違いにT教師が顔を出した。

現場を見られた訳ではないのでホッとしたが、数日後、校長から呼び出しがあった。
「おかしな噂があるので、用務員の小母さんとの付き合いに注意してください。
 なにしろ小母さんは未亡人の一人身ですから、若い男性が欲しいでしょうからね」

やんわりと注意されてしまった。小母さんも注意された上に、一ヵ月後の三月末、
他の小学校へ転任させられてしまったのである。転任後の電話で、校長から、
「若い教師の前途を考えて身を引いてください」と言われたとの事であった。

「水島先生が好きだから身を引きます。でも、私の事忘れないでくださいね」
小母さんは電話口で涙声になっていた。私の胸にも熱いものがこみ上げたが、
結婚する訳ではないのだから、何時までもズルズルと関係を続けるのも
良くないと思い、彼女の肉体とセックスに未練は残るものの別れる決心をした。
関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の四

~景子先生の甘い肌~
女遍歴の果てに・・・08
用務員小母さんが手の届かない遠方へ転任してしまうと、
彼女を恋しく思う以上に生身の体が身近な女性を求めてしまう。
私は恵子先生に急接近した。私と彼女との仲は、他の教師達から
冷やかされるまでに発展していった。

景子先生の魅力は乳房が大きく、東北の出身らしく肌の白い事であった。

勤務校は当時(昭和30年代後半)横浜でも僻地とされる、
戸塚駅からさらに奥へ入った所にあった。
私は景子先生と一緒に横浜駅まで帰るようにしていたが、
ある日喫茶店へ誘った事があった。

その頃、同伴喫茶が流行っていて、薄暗いボックス席では、
若い男女ばかりではなく、中年男性が職場の部下らしい若い女性と
抱き合ったりしていた。

同伴喫茶の妖しい雰囲気に誘われ、私も景子先生と抱き合っていた。
キスをすると「嬉しい」と言って私の胸に顔をうずめる。
キスで欲望に火をつけられた私は、彼女の胸のボタンを外し、
ブラジャーを押し上げて、乳房を露わにさせて乳首にキスして吸った。

景子先生は体をよじらせ、大げさと思うほど息遣いを荒げて悶えていた。
スカートの中にも手を入れたかったが、初めての同伴喫茶だけに、
乳房のキスで止めにしておいた。

同伴喫茶は伊勢佐木町や、日の出町付近に多くあり、
店内の照明も暗くシートも大きくて秘密も守られていた。

同伴喫茶の『ハマ』は、店内が真っ暗に近く、この店を知ってから、
景子先生にここでフェラチオしてもらうようになった。私も指を膣に入れて
ペッティングをするようになり、彼女は膣から愛液をしたたらせ、
「ああ、困っちゃう、このままじゃ、頭がヘンになりそう」と喘いだ。

同伴喫茶でセックスをしたのは『ブルームーン』という店であった。
その店は他店の料金が百円前後だったのに、コーヒーが五百円もした。
しかし、高い料金だけあって客が少なく、椅子の背もたれが高く
個室風の趣があった。

関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の四

~景子先生の甘い肌~
女遍歴の果てに・・・08
用務員小母さんが手の届かない遠方へ転任してしまうと、
彼女を恋しく思う以上に生身の体が身近な女性を求めてしまう。
私は恵子先生に急接近した。私と彼女との仲は、他の教師達から
冷やかされるまでに発展していった。

景子先生の魅力は乳房が大きく、東北の出身らしく肌の白い事であった。

勤務校は当時(昭和30年代後半)横浜でも僻地とされる、
戸塚駅からさらに奥へ入った所にあった。
私は景子先生と一緒に横浜駅まで帰るようにしていたが、
ある日喫茶店へ誘った事があった。

その頃、同伴喫茶が流行っていて、薄暗いボックス席では、
若い男女ばかりではなく、中年男性が職場の部下らしい若い女性と
抱き合ったりしていた。

同伴喫茶の妖しい雰囲気に誘われ、私も景子先生と抱き合っていた。
キスをすると「嬉しい」と言って私の胸に顔をうずめる。
キスで欲望に火をつけられた私は、彼女の胸のボタンを外し、
ブラジャーを押し上げて、乳房を露わにさせて乳首にキスして吸った。

景子先生は体をよじらせ、大げさと思うほど息遣いを荒げて悶えていた。
スカートの中にも手を入れたかったが、初めての同伴喫茶だけに、
乳房のキスで止めにしておいた。

同伴喫茶は伊勢佐木町や、日の出町付近に多くあり、
店内の照明も暗くシートも大きくて秘密も守られていた。

同伴喫茶の『ハマ』は、店内が真っ暗に近く、この店を知ってから、
景子先生にここでフェラチオしてもらうようになった。私も指を膣に入れて
ペッティングをするようになり、彼女は膣から愛液をしたたらせ、
「ああ、困っちゃう、このままじゃ、頭がヘンになりそう」と喘いだ。

同伴喫茶でセックスをしたのは『ブルームーン』という店であった。
その店は他店の料金が百円前後だったのに、コーヒーが五百円もした。
しかし、高い料金だけあって客が少なく、椅子の背もたれが高く
個室風の趣があった。
関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の五

~保証付きの処女よ~
女遍歴の果てに・・・12
小母さんは私と結ばれてから、景子先生にライバル意識も芽生えて
居たのだろう。怒りの電話を掛けてきた。

「あなた、知ってるの。
 景子さんはずっと前から某男性とセックス関係が有るのよ。
 悪いけどキズモノなの。
 アソコを触ったとき、イヤらしい液がいっぱい出たでしょ。独身なのに・・・
 もう他の男性に開発されちゃつてるのが判らないの?」

おばさんは電話口でまくし立てた。景子先生は処女でないと思っていたが、
他の男性の存在は考えないようにしていた私は、小母さんに返す言葉がなかった。 

「私は身を引いたんだから、あなたが誰と付き合おうと構わないけど・・・
 景子さんだけはダメよ。
 あの女は結婚しても浮気しないではいられないタイプなんだから」
小母さんは景子先生を「多淫症の女」と決めつける。

景子先生がセックスが好きで強いのは、付き合っていて分かっていたが、
浮気性とまで言われては、女性経験の浅い私は心が動揺してしまった。

「あなたは世間ずれしている女じゃなく、
 ウブで可愛い娘さんと早く結婚した方がいいのよ。
 ねぇ、私が紹介する娘さんと会ってみない?」

私を景子先生にだけは渡したくないという女心が、
小母さんの言動を支配しているようであった。

「小柄な娘さんで可愛いの。処女なのは間違いないから、初めての日は、
 『先生、宜しくお願いします。ああ先生、嬉しい』なんて言うかもよ。
 生徒と教室でセックスしてるみたいで、そんなのあなたすきでしょ」

小母さんの言葉に嫉妬心が含まれているのを感じたが無視して、
処女保証付きの娘さんに会う事にした。
関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の五

~保証付きの処女よ~
女遍歴の果てに・・・12
小母さんは私と結ばれてから、景子先生にライバル意識も芽生えて
居たのだろう。怒りの電話を掛けてきた。

「あなた、知ってるの。
 景子さんはずっと前から某男性とセックス関係が有るのよ。
 悪いけどキズモノなの。
 アソコを触ったとき、イヤらしい液がいっぱい出たでしょ。独身なのに・・・
 もう他の男性に開発されちゃつてるのが判らないの?」

おばさんは電話口でまくし立てた。景子先生は処女でないと思っていたが、
他の男性の存在は考えないようにしていた私は、小母さんに返す言葉がなかった。 

「私は身を引いたんだから、あなたが誰と付き合おうと構わないけど・・・
 景子さんだけはダメよ。
 あの女は結婚しても浮気しないではいられないタイプなんだから」
小母さんは景子先生を「多淫症の女」と決めつける。

景子先生がセックスが好きで強いのは、付き合っていて分かっていたが、
浮気性とまで言われては、女性経験の浅い私は心が動揺してしまった。

「あなたは世間ずれしている女じゃなく、
 ウブで可愛い娘さんと早く結婚した方がいいのよ。
 ねぇ、私が紹介する娘さんと会ってみない?」

私を景子先生にだけは渡したくないという女心が、
小母さんの言動を支配しているようであった。

「小柄な娘さんで可愛いの。処女なのは間違いないから、初めての日は、
 『先生、宜しくお願いします。ああ先生、嬉しい』なんて言うかもよ。
 生徒と教室でセックスしてるみたいで、そんなのあなたすきでしょ」

小母さんの言葉に嫉妬心が含まれているのを感じたが無視して、
処女保証付きの娘さんに会う事にした。

関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の六

~妻の性教育~
女遍歴の果てに・・・15
昭子の裸身を抱きしめキスしていると、勃起しているペニスは「オマンコに入れて」
とばかりにカリ首を振って脈動したが、其の前に処女膜をじっくりと観察したくなり、
彼女の両足を広げて股間に顔を寄せた。

小陰唇の左右二枚の肉襞は、皺が少なくぴったりと合わさっていて、
膣口を隠し、全体にピンク色をしている。

二枚の小陰唇をつまんで左右に開くと、
湿り気を帯びた膣口が鮮やかなピンク色をして輝いている。
指で処女膜を破ったら勿体無いと、中指で膣口を撫でたり、
浅く挿入して捏ね回していると、少し白濁している愛液が溢れ出てきた。
オマンコの匂いに誘われ、キスしたくなって昭子の股間に顔を伏せた。

彼女は驚いたらしく「汚いわ、いや、やめて」と叫んだが、
私は両足をがっしりと両腕に抱え込み、クンニリングスを続けた。
愛液のひと舐めは酸っぱく感じたが、舐めているうちに甘く感じられるようになった。

昭子は下腹部を波打たせて内股をヒクヒクと震わせ、
「うーん、はあはあ、うーん」と喘ぎ声をあげた。

私は意地悪な気持ちになり「痛いの?それとも気持ちいいの?」訊いた。
すると昭子は両手で顔を覆い「ううん恥ずかしいの」と答えた。

処女膜をたっぷりと観察し、舐める事もできたから、ペニスを挿入しても良い頃合
だと思い、勃起しているペニスの肉茎で、膣口を上下に擦って準備していたら、
突然の射精感に襲われ、ペニスの根元を握って射精を止めようとしたが、
虚しくもピュッピュッと精液が飛び出し昭子の陰毛や膣口に吹きかけてしまった。

必死になって尿道管を締めたせいか、射精してもペニスは硬い侭だったので、
陰毛を濡らす精液を拭きもせず、ペニスを奥まで挿入した。

「おっ、痛い、ああ、痛い。ううっ、ううっ」
昭子は私の動きを封じたいのだろう、私の首にしがみついて来た。

上半身の動きを封じ込められた私は、腰だけをゆっくりと上下させた。
彼女はペニスを抜き差しさせる度に顔をゆがめたが、そのうち歯をくいしばり
「痛い」とも言わなくなった。

関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

女遍歴の果てに辿り着いた処女妻。其の六

~妻の性教育~
女遍歴の果てに・・・15
昭子の裸身を抱きしめキスしていると、勃起しているペニスは「オマンコに入れて」
とばかりにカリ首を振って脈動したが、其の前に処女膜をじっくりと観察したくなり、
彼女の両足を広げて股間に顔を寄せた。

小陰唇の左右二枚の肉襞は、皺が少なくぴったりと合わさっていて、
膣口を隠し、全体にピンク色をしている。

二枚の小陰唇をつまんで左右に開くと、
湿り気を帯びた膣口が鮮やかなピンク色をして輝いている。
指で処女膜を破ったら勿体無いと、中指で膣口を撫でたり、
浅く挿入して捏ね回していると、少し白濁している愛液が溢れ出てきた。
オマンコの匂いに誘われ、キスしたくなって昭子の股間に顔を伏せた。

彼女は驚いたらしく「汚いわ、いや、やめて」と叫んだが、
私は両足をがっしりと両腕に抱え込み、クンニリングスを続けた。
愛液のひと舐めは酸っぱく感じたが、舐めているうちに甘く感じられるようになった。

昭子は下腹部を波打たせて内股をヒクヒクと震わせ、
「うーん、はあはあ、うーん」と喘ぎ声をあげた。

私は意地悪な気持ちになり「痛いの?それとも気持ちいいの?」訊いた。
すると昭子は両手で顔を覆い「ううん恥ずかしいの」と答えた。

処女膜をたっぷりと観察し、舐める事もできたから、ペニスを挿入しても良い頃合
だと思い、勃起しているペニスの肉茎で、膣口を上下に擦って準備していたら、
突然の射精感に襲われ、ペニスの根元を握って射精を止めようとしたが、
虚しくもピュッピュッと精液が飛び出し昭子の陰毛や膣口に吹きかけてしまった。

必死になって尿道管を締めたせいか、射精してもペニスは硬い侭だったので、
陰毛を濡らす精液を拭きもせず、ペニスを奥まで挿入した。

「おっ、痛い、ああ、痛い。ううっ、ううっ」
昭子は私の動きを封じたいのだろう、私の首にしがみついて来た。

上半身の動きを封じ込められた私は、腰だけをゆっくりと上下させた。
彼女はペニスを抜き差しさせる度に顔をゆがめたが、そのうち歯をくいしばり
「痛い」とも言わなくなった。
関連記事
  1. 元教師の告白
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

赤い糸で結ばれていた70年。其の一

◇卵で元気つけて!
赤い糸で結ばれていた01
戦後間もない頃、世の中誰しもが貧乏で、其の日の食う物にも四苦八苦していた時代の事です。
私の実家は戦前から豆腐屋を営んでおり、運良く戦後すぐに再開する事が出来たのですが、
父は根っからの博打好きとあって、店の金を持ち出しては、
おいちょかぶや花札などにつぎ込んでいました。

いつも勝っていればいいのですが、これがヘタな横好きと言いましょうか、
負けてばかりいます。しかもムキになるタイプで、負ければそれを取り戻そうとするので、
余計に借金が借金を呼び、まさに泥沼状態といっても良い位でした。
働き者の母お蔭で、店そのものはそれなりに繁盛していたのですが、
生活は貧困から中々抜け出す事が出来ませんでした。

私は小さい時から水泳が大好きで、中学校でも水泳は得意中の得意でした。
級友たちからも「将来の古川勝だ」とよく囃し立てられていたのです。
赤い糸で結ばれていた02
ーー古川 勝(ふるかわ まさる, 1936年1月6日 - 1993年11月21日)は、
和歌山県橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。
ベルリンオリンピック優勝の前畑秀子とは同じ町内の出身。
幼い頃から紀ノ川で水に親しみ、高校生頃から頭角を現す。
前畑の薦めにより、平泳ぎに専念するようになった。
ヘルシンキオリンピックには派遣されなかったが、同じ年に行なわれた全日本選手権で、
ヘルシンキオリンピック第2位を上回る記録を出す。
その後、日本大学に進学し、水泳部に所属。
同部OBだった葉室鐵夫(ベルリンオリンピック男子200m平泳ぎ金メダリスト)から、
世界に勝つために潜水泳法を身につけるようアドバイスを受け、
古川は潜水のトレーニングを重ねる。
肺活量が6000cc以上あった古川の潜水は実に45mにも及ぶものであった
(他の選手は20m程度)。これにより古川は世界の第一人者となる。
2年生の1955年には200mで世界記録を樹立した。
1956年に開催された第16回大会メルボルンオリンピックの200メートル平泳ぎに出場。
得意の潜水の威力を発揮し、金メダルを獲得する。
しかしこの直後、国際水泳連盟はルールを改正し、
スタート直後とゴール前のひと掻きを除いて平泳ぎでの潜水を禁止し、
古川は潜水泳法で優勝した最後のスイマーになった。
1993年に、紫綬褒章を拝受。同年11月21日、肺ガンのため57歳で死去した。ーー


関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

赤い糸で結ばれていた70年。其の一

◇卵で元気つけて!
赤い糸で結ばれていた01
戦後間もない頃、世の中誰しもが貧乏で、其の日の食う物にも四苦八苦していた時代の事です。
私の実家は戦前から豆腐屋を営んでおり、運良く戦後すぐに再開する事が出来たのですが、
父は根っからの博打好きとあって、店の金を持ち出しては、
おいちょかぶや花札などにつぎ込んでいました。

いつも勝っていればいいのですが、これがヘタな横好きと言いましょうか、
負けてばかりいます。しかもムキになるタイプで、負ければそれを取り戻そうとするので、
余計に借金が借金を呼び、まさに泥沼状態といっても良い位でした。
働き者の母お蔭で、店そのものはそれなりに繁盛していたのですが、
生活は貧困から中々抜け出す事が出来ませんでした。

私は小さい時から水泳が大好きで、中学校でも水泳は得意中の得意でした。
級友たちからも「将来の古川勝だ」とよく囃し立てられていたのです。
赤い糸で結ばれていた02
ーー古川 勝(ふるかわ まさる, 1936年1月6日 - 1993年11月21日)は、
和歌山県橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。
ベルリンオリンピック優勝の前畑秀子とは同じ町内の出身。
幼い頃から紀ノ川で水に親しみ、高校生頃から頭角を現す。
前畑の薦めにより、平泳ぎに専念するようになった。
ヘルシンキオリンピックには派遣されなかったが、同じ年に行なわれた全日本選手権で、
ヘルシンキオリンピック第2位を上回る記録を出す。
その後、日本大学に進学し、水泳部に所属。
同部OBだった葉室鐵夫(ベルリンオリンピック男子200m平泳ぎ金メダリスト)から、
世界に勝つために潜水泳法を身につけるようアドバイスを受け、
古川は潜水のトレーニングを重ねる。
肺活量が6000cc以上あった古川の潜水は実に45mにも及ぶものであった
(他の選手は20m程度)。これにより古川は世界の第一人者となる。
2年生の1955年には200mで世界記録を樹立した。
1956年に開催された第16回大会メルボルンオリンピックの200メートル平泳ぎに出場。
得意の潜水の威力を発揮し、金メダルを獲得する。
しかしこの直後、国際水泳連盟はルールを改正し、
スタート直後とゴール前のひと掻きを除いて平泳ぎでの潜水を禁止し、
古川は潜水泳法で優勝した最後のスイマーになった。
1993年に、紫綬褒章を拝受。同年11月21日、肺ガンのため57歳で死去した。ーー

関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY »

プロフィール

アヤメ草

Author:アヤメ草
FC2ブログへようこそ!管理人の
アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

カレンダー

04 | 2011/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

フリーエリア

検索フォーム

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

« 2011 05  »
Su Mo Tu We Th Fr Sa
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -


.