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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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若き日の少女の純愛。其の一

◇夢に出てきた女
御陣乗太鼓
その早朝、私は面妖な夢を見た。
能面の鬼達が、太鼓を打ち鳴らしながら舞い狂う、
石川県能登の郷土芸能[御陣乗太鼓]の夢だった。

御陣乗太鼓は私の好きな演太鼓の一つで、二十数年前に再婚妻と能登を旅し、
曽々木海岸のホテルでその演舞を見た経験がある。だから、その夢自体は別に
妖しくはない。いや、妖しいどころか、夢の中の私は妻と共に、鬼達と一緒になって
太鼓を連打していたのだから、夢としてはたのしいものだった。

だが私は、目覚めてから奇妙な事に気が付いた。夢の中の女性は妻ではなかった。
なのに私は、その別人女性を夢の中で妻として受け入れていた。

(はてな・・・)私は首を捻った。
ゆっくりと覚醒していく脳裏に、夢に現れた女性の、顎だけが少し尖った丸顔。
目尻に笑み皺がある丸い眼や、上を向いた鼻、そして白い前歯の二本だけが
大きい、オチョボ口が浮かんでくる・・・。

「あれはアコ、外川朝子だ・・・」
呟いて、隣の寝床で軽い寝息を漏らしている妻の顔を見つめた。
能登に同伴したのは、その直後に入籍した、この15歳も年下の
二度目の妻であるのは間違いない。
それが、どうして夢の中で、朝子と入れ替わったのだろう・・・。

フロイトの言によれば、『夢は無意識的な己の願望の充足である』であり、
その意味では確かに、私には思い当たる事がある。

二十八年前、前妻と別れる原因となった女性が朝子だった。
私の意識の奥底に、朝子への想いが潜んでいたのは否めない。

しかし夢には、[夢枕]の言葉もある。
(もしかして、朝子の身に・・・)そう考えると、私は戦中生まれの七十二歳の日本人。
夢占いは、不吉な方に傾いてしまう。

朝子と私は、彼女に言わせると[赤い糸]で結ばれた縁だったらしい。
だが私は、その赤い糸の存在に、三十年前まで気が付かなかったのである。
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若き日の少女の純愛。其のニ

◇華やかな世界
h01natu19.jpg
そんな可愛げのない朝子から、私は自然に離れていった。
その年流行った言葉で言えば[不快指数]が50%の少女。
前年ヒットした映画タイトル[勝手にしやがれ]である。

それに、その時の私には恋人がいた。
さらに夏から、私は舞踏用品部の[日劇]係にもなっていた。
それは華やかで愉しい仕事だった。
昭和三十三年から始まったウエスタン・カーニバルで隆盛した日劇は、
宝塚レビューでも客を集め続けていた。
さらに、その日劇の上階にあるミュージック・ホールの上品でエロチックな
レビュー・ショーは、連夜満員になるほどの人気を呼んでいた。

まだ公には、ポルノが解禁になってはいなかった。
ピンク映画の第一号と言われる[肉体の市場]が封切られるのは、
翌年の三十七年三月である。
裸の女体を堂々と観られるミュージック劇場に男が群がるのは当然だった。

その劇場の舞台裏に、私は自由に出入り出来たのだ。
成熟した女性の裸身を間近に見られて、親しく会話も出来る仕事だった。
朝子など、とても構う気にはなれない。

その業務は、男女ダンサーの舞台衣装をオーダー・メイドで販売する事だった。
男性ダンサーはともかく、女性ダンサーの身体サイズを測る時は眩しい。
相手の女性のむほとんどが素足素肌の裸。ミュージックホールのダンサー等は、
乳房丸出し、股間には小さなバタフライのみである。
しゃがんで彼女らの下半身を測る私の眼には、眩し過ぎる。
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若き日の少女の純愛。其の三

◇派手な生活
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私の人並み以上の放蕩無頼、女体遍歴の数多い経験は、
その時の彼女(アカネさん)との恥戯によって培われたのは間違いない。

週に一、二度。約二か月間。彼女の青山の洒落たアパートから、
会社に出勤した事も数多くあった。
だが福運は長くは続かず、破局が来た。

夜遊び好きな私は、遅刻欠勤の常習者だった。
それに加えてアカネさんとの情事がバレて、上司にこっぴどく叱られたのだ。
お客様である日劇の踊り子さんと、ふしだらな関係になるなんて、
Yの社員にあるまじき行為だ、と。

その年の四月の末、私は竜郎や朝子に何も話さず、銀座Yを辞めた。
アカネさんが、私の知らぬ若い男とアパートに深夜帰ってきたのを、
待っていた私が目撃してしまった故もある・・・。

十月。私は新宿東口のF(今は廃業している)に再就職した。
この店には、地方から集団就職した若い女店員が十数人も働いていて、
銀座Y出身者でちょと粋がった長身の私は、かなり愉悦を味わえたのだが、
今回は朝子との私の話、省略することにする。

ただ、私がこの新宿や渋谷で夜遊びできる金を、稼げた訳だけは記しておく。
Fは当時新宿に多かった、廉価販売の店むだった。同業店の販売合戦は激しく、
各店には歩合とも言うべき褒章制度があった。

Fも例外ではなかった。粗悪で安いメーカーの品物を売ると、一つ百円ほどの
バックマージンが貰えたのだ。さらに、返品の利かぬ傷物を売ると、
給料の日給計算並の五百円。何しろラーメン八十円、コーヒー七十円、
新宿牛屋の鉄板焼ききですら五百円で食べられた時代だから、
これは大きな余禄だった。

  1. 処女娘の執念
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若き日の少女の純愛。其の四

◇破瓜の儀式
水玉模様
井の頭線の階段を降りて、左手に五十歩程歩くと、
[ムーン・ライト]の洒落た木製のドアがある。
各席はキャンドルの明かりだけ。暗い店内中央のピアノだけが照明を浴びている。
そのピアノには、仲良くなった中年のピアニストが楽譜をめくっていた。

私は片手を挙げて挨拶した。笑顔で頭を下げた彼が、すぐ鍵盤に両手を伸ばす。
ムーン・リバー。来れば私が必ずリクエストする曲だった。
何時ものように、支配人が私を席に案内してくれる。

ステーキが八百円。バイオレット・フィズのカクテルが百五十円。
ウイスキーのダブルも二百円。その夜の懐なら大余裕だ。

好みの曲を弾き続けてくれるピアニストに酒を奢り、
支配人や料理を運んでくれるウェイターにもチップを渡し、冗談を交わす。
どうにも鼻持ちなら無い若造で、思い出したくも無いが、仕方が無い。
それが私の青春時代の素顔だった。

その場の雰囲気に呑まれて、初めは強ばっていた朝子の表情が、
カクテルの酔いもあってか緩み、
銀座では見たことが少ない、笑顔が浮かび続けるようになった。

酔って愉しげにはしゃげば、リスのような眼は可愛く、小さく幼そうな肢体にも
魅力が生まれる。ノースリーブの肩口から露な二つの腕や、薄めに膨らむ
乳房の形も、酔いの回った眼で眺めれば官能的だった。

私は腕時計を見た。深夜の一時少し前。タクシーの初乗りは八十円。
だが、まだ鶴見まで朝子を送る気にはならなかった。

勘定を済ませて外に出て、ふらつく朝子の肩を抱いて身を支え、
相合傘で道玄坂の暗い裏道を登った。
道は途中で、玉川線の雑草が繁る線路沿いになる。
私は朝子の腰を引き寄せた。思った以上の尻の弾力。
私は無防備に仰向いた小さな唇に口を重ねた。

朝子はキスに応えた。しがみつく腕の力の強さに、それが彼女の意志だ、
と私は勝手に解釈して、道玄坂を横断して丸山町。連れ込み宿は何軒もある。
宿泊料は五百円程度。その夜の私には安いものだった。
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若き日の少女の純愛。其の五

◇17年目の再会
熟女専科159
昭和五十六年六月二十六日。
今から三十年程の前、その日私は朝子と十七年振りに再会したのだ。
その頃の私は、Mの豪放な社長に重用されて、四十一歳で月給が四十万円を
越える、幹部社員になっていたのである。

Mは私の入社後の十二年間に、女性雑誌やテレビ等にも取り上げられ、
店舗数も売り上げも多い、横浜の超有名店に発展していた。

閉店間際の夕刻だった。私は店の前にある商品本部にいた。
「昔のお知り合いの方から、お電話が・・・」
インターホンの声で、私は何気なく受話器を取り上げた。

「もしもし、わたし相沢朝子です・・・」
記憶にない姓名を名乗られて、私は首をかしげた。
「相沢さん?えーと・・・」
「うふふ、覚えてないの?あ、そうか、旧姓は外川朝子、アコです・・・」
「あ!」私は受話器を握り直した。

「アコか?あのアコか?」私は声を小さくした。隣室は店の経理部だった。
「そうよ、覚えていてくれたのね?ああ、良かったあ!」
聞き覚えのない熟女の声だった。しかし、語尾が跳ね上がるアクセントは、
紛れもなく若い頃の朝子の特徴だった。だが、懐かしさの故か、
その電話の朝子は饒舌な熟女に変わっていた。

結婚して、二人の子供が居る事。私の居場所は、以前に銀座Yの古株に
私が渡した名刺で知った事。今日は女の友達と横浜に遊びに来て、
今は横浜駅の地下街から電話をしている、等を性急な声で喋り続ける。

「判った、判った!でも電話じゃ仕様がない、店が終ったら、
 その友達も一緒に夕飯でも食おう、何処かで待っててくれ」
忘れていた朝子の声を聞く私にも、強い懐かしさが込み上げてきた。
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若き日の少女の純愛。其の六

◇甘美な不倫の味
増尾彩18
私達は山下公園前の通りを歩き、往来する車の雨飛沫を自然に避けて、
マリンタワーの下から裏道に入った。
街灯は明るいが、人影はない。港で霧笛の音が響き、霧雨に濡れた黒い路面に、
さらに黒い、相合い傘の私達の影が伸びる。

「なあ、あの彼女、もしかして・・・・」
「思いだした?そう、あの日の友達・・・」
朝子がクスッと笑う。
「似てるわねえ、あの夜と・・・霧雨も降ってるし、友達も遠慮して帰っちゃたし、
 あの時と同じ・・・それにね、今夜もあの日と同じ様に彼女がカバーしてくれるから、
 泊まっても平気よ・・・」
「じゃあ、あの時も・・・」私は絶句した。
「そう、兄貴は何も知らないわ・・・」

朝子が足を止めて私を見上げた。
「ねぇ、あの時と同じ様に、あたしを抱いてくれない?思い出したいの・・・」
私は無言で朝子の肩を引き寄せた。

強く彼女を抱き締め、眼を閉じて仰け反る白い顔に、情熱のキスの口を重ねた。
朝子の濡れた唇も舌も、燃えるように熱く私の口に吸い付いて、
狂おしい鼻声のすすり泣きと共に、私の心を激しく揺さぶる。

処女を与えた男を、女性は忘れる事が出来ない、と言う。本当にそうだった。
この濃厚なキスは、彼女の恋慕をはっきりと示していた。震え続ける肌の熱さ、
キスの合間に私を見つめる潤んだリスの眼・・・。

「探したのよ、ずっと探していたのよ・・・中学の時から好きだった・・・
 絶対あなたのお嫁さんになるって、兄貴に頼んでYに入れて貰ったんだから・・・」
その言葉も私の胸を激しく打つ。

私は昂揚してくる彼女の言葉を、深いキスで封じた。もう言葉は要らない。
互いの燃える肉体で語り合おう、と。

ラブホテルで朝子と合体した瞬間、彼女は乱れに乱れた。
激しく身悶えながら涙を流して泣いた。果てても私を離さなかった。
私の精を注がれた豊潤な裸身を快楽の余韻に震わせつつ、
私にしがみついて泣き続ける。
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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