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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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花の命は短くて。其の五

◇極端に違う昼の顔と夜の顔
美しき女将5-1
「ねー、あなた、日本一周の豪華船に乗って、船の旅してみたいわ。最高の部屋を取ってね。
 お食事の時以外は、お部屋に二人だけで籠りきりで、ずっとオマンコしてるの。そうしたら、素敵でしょうね」
道代は私にすがりながら、そんな話をしだす。

私は道代の陰毛を弄りながら、
「そんな事出来たら、このオマンコ、本当に、溶けちゃうぞ」
と、言って彼女の陰核から割れ目に指を伸ばす。そこはもういい具合に湿っている。

「溶けちゃっても嬉しいわ。あなたと一緒なら、オマンコだって、体だって、
 溶けて流れるほど、愛し合えば、満足よ」
道代は、そう言ってキスを求めて来る。それを返しながら、
「じゃ、適当なクルーズ旅行を探してくるよ」
と、言いながら、淫核をくじると、
「あー、もうよくなっちゃう」
と、眼を閉じる。私は道代の手を取り、勃起した逸物を握らす。

「わっ、大きい」
彼女は指で、亀頭の辺りを扱く。
「こんな大きいものが、私のオマンコの中に入るのよねぇ・・・」
起き上がって、しげしげと見つめ、亀頭の先端にキスをする。

「オマンコの壁、よく裂けないわね」
「大きいのがぴっちりと入った方が道代は気持ちがいいんだよ」
「そうね・・・そうよねえ。ねぇ、もうミチヨ、我慢できない、入れて」
道代にせがまれるまま、私は起き上がって彼女の両の足を広げ、その間に身を移し、
眼前に露出された真っ赤な性器全体を、もう一度鑑賞した。
それは、特に道代のそれは何度見ても飽きる事の無い創造主の贈り物である。 

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逞しき未亡人。其の一

◇土いじりの歓び
逞しき未亡人1-1
仕事現役の頃は、全国を飛び回っておりまして、好きな庭いじりも侭成らなかった私ですが、
現場を息子たちに引継ぎ会長職に退いてからはやっと思う存分楽しめるようになりました。

四季折々に咲く花を愛でたり、ささやかな家庭菜園で丹精込めて作った取れたて野菜を
食する時の楽しみは格別です。

しかし、その基本となるのはやはり土作りでしょう。
初めの頃はホームセンターなどで買って来た培養土をもっぱら使っていたのですが、
同じ場所で同じ野菜を育て続けると、いわゆる「連作障害」が起こったり、
野菜の種類によって好む土壌が異なっている事を体験するに到って、
庭弄りの基本はまず土作りであることを知りました。

土は花や野菜たちにとって文字通りホームグラウンド。
つまり家と同じなのです。そこが快適な環境かどうかで育ち具合はまるで違ってきます。
収穫の終わった土をよく耕し、来年の種蒔きや苗植えに備えておく。そんな時は、
「今年も大地の恵みをありがとうな。来年までゆっくりお休み」
と感謝の言葉を掛けてあげます。

翌年になって種蒔きの時期がくると、その半月も前からよく掘り起こして耕し、
土質が酸性に傾いているようなら苦土石灰などを撒いて、全体が中性になるよう、
よくなじませておく。そんな時は「今年も頼むよ」と土たちに激励の声を掛けてあげるのです。
土には生命の鼓動が満ち、なんともいえずいい匂いです。

ところで、本日、こうしてPCに向かい文章をしたためましたのは、土づくりをきっかけにして、
ある素敵なご婦人との出会いがあった事を皆様にお知らせしたかったからでございます。

素敵なご婦人、と申しましても、決して絶世の美女だとか、垢抜けた感性の持ち主だと
言った意味ではありません。
57歳との事ですがとても武骨で、容姿は5年前に死んだ女房より遥かに劣り、
手はあかぎれだらけ、顔は日焼けし放題でお世辞にも美人とは言い難く、
見るからに「日本のお母さん」といった風情の方です。

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逞しき未亡人。其の二

◇土の匂いがする女
逞しき未亡人2-1
晩夏の太陽の下、彼女を手伝って畑を耕しながら、
「すごいですね。これだけの土地を耕して、出荷できるほどの野菜を作るんだからたいしたもんだ」
と、しきりに感心する私に彼女は、
「あたしは、百姓屋で生まれ育ったで、これしかできねからな」
と、あの屈託のない顔で笑うのです。

ムンムンと立ち込める土の匂い、額から滴る汗、
その同じ境遇を私も彼女と共に味わっているのだと思うと、
歓喜、感激、躍動感と、どんな言葉で表現すればいいのか分からないほど嬉しくなっていました。

「腹へったんべ?昼にすべか」
と手を休めた彼女は、畦道に置いてあった風呂敷包みから握り飯と漬物を取り出しました。
握り飯は6個。なんと私の分まで用意しておいてくれたのです。
魔法瓶から注がれた麦茶をゴクゴクと飲み干した時の美味さといったら。
そして握り飯のなんと美味かったことか。
彼女が漬けたというタクワンのなんと美味かったことか。

「よかんべ?こうやって空見ながら飯食うとうまかんべ?
 やなことなんかみーんな忘れちまう」
飾り気の無い彼女の言葉にまたまた感激し、其の日は丁重にお礼を述べて彼女の家を後にしました。

以来、私は彼女の家に頻繁に出入りするようになりました。しかし問題は息子の嫁でした。
女と言うのは妙に感が鋭く、それまでは「あの農家のオバサンの処に行って来る」と告げると、
彼女の容姿を知っている嫁はほとんど気にも留めなかったのに、
日参するようになると変に気を回す様になったのです。

「また行くんですか?毎日なんて迷惑を掛けるわよ。いい加減にしたら?」
とやんわり諭したと思ったら、時には、
「もしかしたらあのオバサンと妙な事になってるんじゃないですか?」
などと勘繰るような視線を向けて来るようになったのです。

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祖母と母の親子丼のお味。其の一

◇家出の理由◇
祖母と母のお味1-1
私は七十歳になり年金で余生を楽しんでいる身です。
60年安保世代で勉強もろくにせず赤旗を振っていたものですが、
それでも何とか大学は卒業する事は出来ました。
就職も親の伝で、無気力なまま公立中学の理科の教師になり、
結局中学の教師を定年まで全うしました。

教師としての私は、“電気クラブ”や“科学クラブ”等の指導教師等も勤め、
結果的には多くの生徒をうまく指導出来たと自負していますが、
一方で世間的には非難されても止む得ないような所業も数多く致して来ました。

私が教師としての立場を利用して、
世間知らずの女子生徒に手を出すなどと言う事は一切有りませんでしたが、
生徒の母親、特に男子生徒の母親には、一年に一人位の割合で手を出しており、
その思い出が今私の中で多少の罪の意識と共に息づいております。

母親の中には自分の子供だけは何とかしたいと言う、無意識ではあっても
利己的な気持があるのが普通で、私はその心理を巧みに利用して、
自分の楽しみ(性欲)を追及していたのです。

勿論、肉体関係になった母親にはそれなりの感謝の気持として、
其の子の教育に気を遣い、夫々の才能をかなり伸ばしてやりました。
それは、点数を誤魔化す等と言う姑息な手段ではなく、
夫々の子供が大人になりかけた時特有の、自分自身の孤独な存在と
自信無さゆえの不安と、孤独感を癒してやり、自信を取り戻してやる事で
解決してやったのです。

具体的には、休み時間などその子供には気軽に声を掛けてやるのです。
他の生徒にも声は掛けます。単なる依怙贔屓はマイナスになるからです。

「この間の英語のテスト中々頑張ったな」とか
「君は英語が苦手らしいな、でも君位の頭を持ってたら
 あんなの何でも無いはずだがな」とか声を掛けてやります。
何時も笑いながら、生徒の負担に成らない様にします。
その後、成績が上がらなくても怒りません。ただ笑って話題にしてやります。

生徒は自分に注目している人がいるのを知ると、
結構その人に自分の存在をアピールし続けたい気持ちに駆られ、
大体は此方の期待通りに勉強するように成ります。

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祖母と母の親子丼のお味。其の二

◇祖母と孫の秘密◇
祖母と母のお味2-1
その子は根岸という名前でしたが、翌日も休みました。
しかしその日、今度はその祖母から電話があって、
お話したい事があると言います。

根岸の父親は商船の航海士とかで、普段は家には根岸自身と母親と祖母しか
いません。祖母が、学校の人目のある所では話ずらいと言うのです。
私の家に案内する事にしました。

最寄の駅で待ち合わせると、私より若そうな女性が近づいて来ました。
地味ながら品のいいワンピースを着た細身の女性でした。
私は祖母と言うのでかなり年寄りを想像していましたが、考えて見れば、
私と同じ位の年齢でも不思議ではありません。
あちらは私の事を、新学年で撮った写真で知っていたと言う事でした。

私達は電車に乗り、四つ目の駅で降りました。私の家はそこから歩いて
五分位の所に有ります。私の家では父も母も私が苦労を掛けたせいか、
私が四十歳位の時に相次いで癌で死んでいたので、私一人で住んでいます。

周りに家は密集していますが、父母の時代には狸が出た位に閑静な所でした。
我が家の敷地だけは広く、その後に出来た分譲住宅とは違う広い家でした。

応接間のソファに座った根岸の祖母は、話をなかなか切り出しません。
「要するに、お孫さんの家出の原因をご存知なのですね」私は先手を打ちました。
祖母は頷きましたが、それでも決心しかねていたようでした。

しかしついに観念したように話して呉れた内容は、
母親が隠したがるのも、よく分かる内容のものでした。その話によると、
祖母は孫と性的関係を持っていて、それを母親に発見されたと言うのです。

祖母は母親の実の母でした。祖母が言うには、このまま何の手も打たないと、
孫が自殺するか、家庭が崩壊して、取り返しのつかない事になりそうで、
自分が恥を忍んで話すのは、何とか私に力になって貰いたいからだと言うのです。

私は直感的に、問題は母親だけであろうと思いました。祖母は更に言いました。
実は孫は、憔悴しきった状態で、
宇都宮に居る祖母と今でも姉妹のように親しく付き合っている、
祖母の女学校時代の友人の家に現れたことが昨夕分かったと言うのです。

ちょうど私が家庭訪問をした直後、
母親が買い物に行った留守に電話が掛かって来たそうです。
祖母は友人に、家庭内でいざこざが生じ、その解決に、あと一日か二日掛かるので
是非孫を預かって貰いたいと懇願したと言います。

私は、祖母のいない所で母親と二人だけで話し合う必要性を感じ、
祖母を私の家に置いたまま、私だけ根岸の家を訪ねて行きました。

母親は、息子だけでなく祖母までが居なくなっているので、
更に心配していたようですが、祖母が私の家にいると聞いて一安心したようでした。
今度は母親は私をすぐに和室の客間に通してくれました。

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祖母と母の親子丼のお味。其の三

◇欲情の炎◇
祖母と母のお味3-1
もう母親は抵抗はしませんでした。
私は母親の上に覆い被さって、母親に接吻をしました。
母親は嫌々をするように顔を振って私の唇から逃れると、
“だってこんな事”といいました。まだ身体が震えていました。
私は可哀想な感じもしましたが、いま此処で未遂に終わっては母親は
息子と祖母の事を許せない侭に成るのではと思ったのです。
母親も情事の当事者にしてしまえば、
息子と祖母の事も許せる心のゆとりが出来るはずです。

こう言う場合は愛撫に時間を掛けるよりマラを入れてしまって既成事実を作る事が
先だと思い、私は母親のスカートを捲り上げ、パンティに手を掛けました。
母親は自分のパンティを両手で押さえ込みます。

「先生、それは堪忍して下さい。どうか・・・主人に知られたら、それこそ・・・」
母親は泣き声で言いました。それが益々私の欲望に火を付けました。
私は強い力でパンティをずり下ろしました。
「私を貴女の味方にして下さい。息子さんと貴女のためですよ」

私は諭すように言いました。もうすっかり母親も私も息を乱していました。
「でも、こればかりは・・・」
母親はまだ言ってます。私は急いでパンティを脚から抜き取ると、
今度は自分のズボンを脱ぎました。母親の両脚を開かせて強引に
私のマラを入れようとしましたが、濡れていないせいか入りません。

母親はもう何が起きているのか分からないようで、身体を震わせて、
私から微かに逃れるように身体を動かします。

私は素早く自分のマラに唾をつけてもう一度挑戦しました。するとマラが軋むように、
しかしヌルッというように湿ったオマンコに入って行きました。何という心地良さ。
母親が、ああ、と言いながら、身体を仰け反らせます。

私は母親の上にのしかかり、両手で強く母親の両肩を抱え込むようにして、
激しく腰を上下させました。母親の中は思っていたよりもぐっしょり濡れていました。
母親の方もすでに感じていたらしい事を知り、私は安堵の思いをしながら、
腰をひとまず止め、ゆっくりと母親の上半身を両手でまさぐりました。

乳房を揉むと、母親は完全に快感の喘ぎを洩らしました。
本当は全裸にしたかったのですが、玄関の鍵は開いている事でもあり、
それ以上思い切った行動に出る事は控えました。
それでも、ブラウスをスカートの下からたくしあげて、
ブラジャーの下に手を入れてじかに乳房に触り、しつこく揉みました。

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祖母と母の親子丼のお味。其の四

◇性交の手引き◇
祖母と母のお味4-1
私は自分の家で待っている和夫君の祖母に電話をし、貴女の娘が貴女と孫を、
そして二人の関係も許したと伝え、息子を帰宅させるため、友達に電話するよう話した。

和夫君はその日の内に家に帰りました。ただし和夫君には、私と彼と祖母の関係を
知っている事は知らせない事で、三人の大人の間で了解がついていました。

和夫君はその翌日から学校に戻り、何事も無いような日々が始まりました。
その直後の日曜日、和夫君の祖母が再び私の家を訪ねて来ました。
菓子折りではなく、ウイスキーを持って来たのが私にはとても嬉しく感じられました。
和夫君の祖母は、その後多少はギクシャクする事があっても、
三人は無事に家庭を維持している事を報告して呉れました。

「その後、お孫さんとは、男女の関係を持たれましたか」
私は単刀直入に聞いてみた。
「そんな、いくらなんでも、娘が居る所では出来ません」

私は如何して二人がそんな関係に成ったのか、非常に興味があったので、
真面目な顔をして聞きました。
「そもそもの発端は何だったんですか?」
祖母は既に覚悟をしていたと見えて、意外に素直に話し出しました。

それによると、彼女と孫は小さい頃から一緒に寝ていたそうです。小学校に入った頃から、
布団は別になったが、同じ部屋で寝る事には変わりが無かったと言います。
和夫君が小学校五年の時、ふざけるような形で彼女の布団に入って来たそうです。
彼女を時々くすぐる様な振りをして、実は和夫君は祖母の女性器に、
触れようとしていたらしい事を、彼女は感じ取りました。

彼女は迷いましたが、ご主人を亡くして十年にも成っており、身体の悪魔の囁きに
耳を傾け、孫の意図に気付かない振りをして。孫の手を払い除けずに居ました。
和夫君が段々大胆になり、寝間着の上から彼女の性器に置いた手を其の侭に
する様に成りましたが、それでも彼女は笑って和夫君の顔を見ていました。

和夫君も黙って照れたような笑いを浮かべながら彼女の顔を見ていました。
夏から秋へ掛かった頃で、掛け布団を掛けていましたが、
いざとなれば無くても済みそうな気温だったと言います。

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祖母と母の親子丼のお味。其の五

◇親子丼のお味◇
祖母と母のお味5-1
「よく其処まで話して下さいましたね」私は言いながら、
ソファに座っている和夫君の祖母の隣に移動し、彼女をそっと抱きました。
「先生、この間娘をお抱きになりましたか」
祖母は、あどけない顔で私を見ました。

「娘さんが仰ったんですか」
「いぃえ、何も言いません。でも女の直感と言うのでしょうか。
 先生がお帰りになった後、まだ和夫が帰って来ないのに、
 娘の私に対する態度がとても優しくなったのです。
 和夫はあれから自分の勉強部屋で寝ていますから、
 夜は私との事は無いのですが、娘は気を利かしているつもりか、
 夕方の買い物の時など、わざわざ私と和夫の二人だけに
 するようにして呉れている節が有るのです」

「それは良い事でね」
「でも、そうだとすれば、先生が娘を変えて下さったんですね。
 自分も浮気をしてみて、情欲と言うのは後ろめたいけど、
 人にとって止むを得ないものなんだと言うことが実感として分かったみたいなんです。
 それで私達の事を許して呉れた見たいなんです。
 ひとつ是からも娘をお願い出来ますでしょうか。
 確かに世間から見たら、いけないことを私達はしているのかも知れません。
 でも、それで私達が世間の方達に何の迷惑をかけている訳ではないんです。
 それが娘にも分かった様で、その娘の為にも、
 先生が時々あの子を満たしてやって戴きたいんです」
「分かりました。私に出来る事でしたら」
と、私は言い。祖母の身体を抱こうとした。

「それは、先生、娘に悪いですから」
祖母は言いながら手を放そうとします。
「でもお母さん、貴女もとっても若くてお綺麗だし男心をそそられますよ。
 だから今のお話でこんなに興奮してしまって」
私は言いながら、彼女の手を私の股間に持っていこうとしました。
「それはいけません。娘には和夫のことを許して貰っています、それに、
 先生まで奪ってしまったら、私は娘に顔向け出来ません」

私は祖母の言う事は一理あると思いました。
しかしそんな事で怯む私ではありませんでした。
私は彼女をソファの上に押し倒して、彼女の上に馬乗りになりました。

「貴女が私を拒むなら、私は貴女の娘さんから手を引きますよ。
 これは娘さんには内緒で私に対するご褒美として・・・いいですね」
そう言いながら、私は彼女に思い切り接吻しました。

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異形の性愛。其の一

◇禁断の秘口◇
異形の性愛1-1
私は66歳、妻は60歳。連れ添って今年で40年になる。
一男、二女をもうけ、子供たちも夫々に独立して、夫婦二人で気ままで、
まずは幸せといえる暮らしをしている。

妻の安江は、どちらかと言えば地味なタイプで、夫の私には従順で、
しかも子供の教育には熱心、不平の一つもいわずに黙々と家事に勤しむという、
良妻賢母の典型のような女だ。
その証拠と言っては何だが、息子も娘達も一応の大学を出、きちんとした仕事に就いた。

現在では、長男は地方公務員だが嫁を貰い、二人の孫が居る。
長女は商家に嫁ぎ三人の孫を育てながら家業に精を出している。
独身の次女はアメリカのペンシルバニアの日本語学校で教鞭をとっている。

して、かくいう私も、謹厳実直に職務を全うした甲斐があって、66歳になった今尚
会社の技術顧問として後進の指導に当たっている。
こんな私だから私生活の方も家族中心の真面目そのものの生活で、
たまに会社の者たちに誘われた時に飲んで帰るぐらいで、浮いた噂一つなく過ごしてきた。 

“一穴主義”と言えば聞こえがいいが、要するに妻に隠れて浮気するような
度量も無かったし、それほど女にもてたわけでも無かったから、
結果、一穴主義を守る事に成ってしまったと言う訳だ。それと、
のろける訳ではないが、バスト87センチ、ウエスト62センチ、ヒップ89センチの豊満な
妻のカラダは、不思議なことに今なお若い頃と余り変わってはおらず、抱き心地は満点。
で、この年になっても私は妻の裸身を見るとムラムラすることがよくあり、
月に二度、三度、今だに肌を合わせることがあるのだ。 

女優の高畑淳子に似て、飛び切りの美人とは言えないがそこそこの美貌の持ち主である。
美しく肉体美人の妻に恵まれたことも、私に浮気の虫を起こさせなかった理由だろう。 
それに妻は、口にこそ出さないがセックスが生まれつき好きだったのか、
私の求めを一度として拒んだことがないのだ。

それ故、新婚の頃はほとんど毎日のようにいたしたし、中年になっても週二ぐらいの
ペースはなお保って来たのだ。流石に私が還暦を過ぎた辺りからは週一に減りはしたが・・・  

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異形の性愛。其の二

◇進歩的な人妻◇
異形の性愛2-1
ところで、結婚して40年も妻にアナルセックスをせがみ続けてきたのには、
それなりの訳がある。実を言うと私には、妻と見合いする前に知り合った女から
アナルセックスの遣り方と快感をいやと言うほど教え込まれた過去があったのだ。

今から43年前、私が23歳の時だ。ベトナム戦争が本格化しだし、米軍の北爆が
開始された1966年のこと。私も労組に入っていた関係で反米デモに加わったりしていた。
フランス式デモといって手と手をつないで行進しながら反戦歌や労働歌を歌ったり、
"北爆反対”"米軍はベトナムから手を引け”と大声で叫んだりする爽快感に
半ば酔い痴れつつ、私は何度もデモに参加した。

そして、その流れで、深夜レストラン・バーのフロアで、ロックのリズムに乗って、
踊りまくり深夜近くまで騒いで帰宅するという毎日だった。
そこで知り合ったのが同じ会社の資材課に勤める増美という30を幾つか過ぎた
ような人妻だった。そんな場所に居る増美のような年頃の女は珍しかったし、
まして人妻となればなおさらの事だった。

昨今では人妻の一人遊びなど珍しい事ではないが、
当時は未だ、人妻は家を守るもの・・・と言う観念が支配している時代だったからだ。
もちろん、10歳も年上の女に私の方から声を掛ける筈は無く、
声を掛けて来たのは彼女のほうだった。

何時ものように馴染みのバーを出て横浜駅に行き、京浜東北線のホームで
電車を待っていると、
「あら、村岡君じゃない」
さも親し気に増美が声を掛けて来たのだ。
「あ、あなたは・・・」
私は、自分の名前がいきなり彼女の口から出たことに正直、驚いていた。
と言うのは、会社でも店でも一度も彼女と口を利いた事などなかったし、
ましてや、名乗った事も無かったからだ。

「ど、どうしてボクの名を?」
「うふ、村岡君、何時も会社の正門の前で反戦ビラを配っているじゃない。
 その時リーダーのお兄さんが貴方の名前を呼んだりしてるじゃない。
 それにしても村岡君、何時も大きな声で元気溌剌じゃない。
 わたくしね、一目惚れって言うのかしら、貴方にお熱なの・・・ね、
 どこでもいいから連れてって」
信じられない様な積極的なアプローチを増美は私にしてきた。

歳は30半ば、でも目鼻立ちは整い、ブラウスをつんと突き上げた胸元は
魅力的だったし、私は抗し難い何かに引きずられる様に、桜木町で下車して、
増美と連れ込み旅館に入る事に成ったのだ。

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異形の性愛。其の三

◇陰茎が覚えた尻穴快美◇
異形の性愛3-1
こうして長いキスをした後、いよいよ、私は、増美の女陰へと手を伸ばしていった。
指が豊富に茂った陰毛を掻き分け、ラビアをさぐり当てると、
増美のそこはグチョグチョにぬかるんでいた。

「すごい・・・グショグショだね・・・増美さんのここ!」
うわずった声を私は上げた。嬉しかった!
(ボクの為に増美さんはここをこんなにも潤わしてくれているんだ)
もう何時でも挿入可能なまでに増美が感じて呉れていると思うと、
大声で(やった!)と叫びたいほどに嬉しかった。

私は、グショ濡れの女陰を指でいらい、そして、さらに濡れ具合を確かめるように
指をググッと増美の中に押し込んだ。
「あ、待って・・・」
増美が小さく叫んだ。
「ど、どうしたの・・・嫌なの?」
「いいえ、嫌じゃないわ・・・でも、あたし、もっと弄ってもらいたい場所があるの」

増美は少し顔を離して私の目を覗き込むと、謎めいた言葉を吐いた。
「え、もっと弄って欲しい場所?」
私が訝って聞き返すと、増美はやおら体勢を入れ替え、
四つん這いになって私の目前に尻を差し向けた。

そしてさらに、頬を畳にくっつけるような格好になったので尻は高々と持ち上がった。
「ね、わかったでしょ・・・村岡君、あたしね、
 お尻の穴にオチンチンを入れられるのが大好きなの」
そう言って増美は両肢を左右に開き、両手を後ろに回して尻肉を割って、
アナルを私に見せ付けた。

もちろん、猟奇本などでは"アナルセックス”と言う語句は目にする事は有った。
だが、実際にその様な性癖を持つ女が居るなどとは、殆どの人が信じない様な時代だった。
なにしろ、オナニーすることさえ恥ずかしくて、変態的な行為と思われていて、激しく悩んで
しまう若者達も多く居た位だから、アナルセックスなど、変態も変態、大変態というものだ。あ

私は、途方に暮れて、如何したものかと迷い、それでも、
「ボクは、オマンコの方に入れさせて貰えばいいよ。尻の穴に入れるなんて出来ないよ」
抵抗を試み、何とか女陰への挿入だけで許して貰おうとした。
すると、増美は、
「駄目、お尻の穴に入れてくれないとオマンコの方にも入れさせてあげない!」
強い口調で言うのだ。

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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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