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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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疎開先の粗末な小屋で。其の一

◇覗く叔父◇
疎開先1-1
私が小学校四年生の時、
昭和二十年三月十日の東京大空襲で家を焼け出された私と母は、
利根川沿いにあった父の実家を頼って群馬に疎開し、戦後も其の侭住み続けました。

父の実家は、田畑と山林が数十町歩もある大農家で、父はそこの三男でした。
しかし、職業軍人だった父は終戦前後の混乱のために北支戦線で行方不明に
成っていました。シベリアに抑留され、生きている事が判ったのは、
終戦から五年も経ってからの事でした。

それまでの五年間、母と私は生死もはっきりしない父を待ちながら
馴れない田舎暮らしを続けていました。

敗戦からの五、六年は占領下という事もあって、犯罪の横行、
労働運動と旧体制の衝突、無秩序とも言えるほどの自由の穿き違え、
日本中が騒然とした雰囲気の中で人々は必死で生きていた時代だった。
それは言葉を変えれば弱肉強食であり、情け容赦の無い時代だった。

そんな時代のなかで母は一人っ子の私を抱えて生きて行かなければ成らなかった。
親子が食べて行く為にはひたすら腰を低くして下品で野蛮な男どもの好奇の目を
甘受しなければ成らなかった。その母も十年前の五月、数え九十二歳で亡くなり、
あの屈辱の五年間を知る者は誰もいなくなった。

戦争の末期から戦後の昭和二十五年まで私達母子にとっては忘れたくても
忘れなれない苦しい日々が続きました。
父の実家は旧家とはいえ苦しい生活は同じでした。家には痴呆の祖父と叔父夫婦、
それに私にとっては従兄弟に当たる三人の小・中学生がいました。

母と私は同じ敷地内に有った牧草小屋を改造した家を借りて住んでいました。
この時代に住む家が有るだけマシでしたが、母も私も神経を使った日々が続きました。
特に母にとっての義兄の嫁は都会育ちの母をよく思っていないようでした。

毎晩の風呂を私達母子は本家の人達が入った後に使わせて貰っていましたが、
私達母子が入る頃には水位が半分ほどに減っていたほか、
風呂の縁には垢がべっとりと付いている有様でした。

叔父の嫁は私達母子の滞在を快く思っていないようでした。いくら食糧には困らない
農村と言っても戦後の苦しい生活は東京も田舎も同じでした。其の上、男達の目を
引き付ける美しい母に叔父の嫁は嫉妬の炎を燃やして居たのかも知れません。

叔父は弟の妻と甥っ子である私たち親子に親切にしてくれましたが、
母への下心が無かった訳ではないようでした。
 
疎開先1-2
私たちの住んでいる家と本家の母屋との間には、屋敷林がうっそうと茂っていました。
その竹林や樅、樫の木の間に身を潜めるようにして私たちの家を覗いている叔父の
姿を私は何度か目撃していました。
叔父の視線の先には、女盛りの母の姿がありました。

私たちが借りた家は人間がやっと雨、風を防いで住む事の出来るだけの
粗末なものでした。煮炊きをする窯がある台所と六畳の茣蓙(ござ)を
敷いただけの部屋、それだけしかありませんでした。

元の牧草小屋は何処からでも覗けるようなあばら屋でしたが、
広大な屋敷林が有る為に他人が勝手に覗く事はできませんでした。
しかし、本家の人間は別でした。叔父は其れを良い事に林の間から
洗濯や煮炊きなどの家事をする母の姿を熱心に覗いていました。

簡単服の襟元からはじき出そうな乳房やぐいっと盛り上がった豊満な腰つき、
きつい農作業の後の汗さえも、女の匂いを発散していました。
それらは叔父の密かな欲望を刺激しつづけたのだと思います。
そんな叔父の覗き行為を私は見ていました。
森のような屋敷林では、未だ小さな私が身を隠すところは幾らでもあり、
叔父に気付かれることはありませんでした。

叔父の覗きは段々とエスカレートしていきまなした。家の内部を節穴から覗きだしたのです。
私は其の事にも気付いていましたが、日頃優しくしてくれる叔父の姿や、
世話に成っているという負い目から誰にも言いませんでした。また、当時は私も小学生で、
大人の欲望のあり方をよく判っていなかったのかも知れません。
それでも、本家の風呂に入っている裸の母と私を叔父が木陰で覗いて居ることを知った
時には少し「いやな気持ち」がして、離れに戻るとさっそく母にいいました。
「お母さん、おじさん、覗いてよ、風呂に入ってるとこ」
驚くと思っていた母は、意外にも何も言いませんでした。ただ少し頬を赤らめただけでした。

「この前は、竃の方から。
 お母さん、ちょうど裸になって浴衣に着替えて居た所だったよ」
私は、是までにも何回か叔父が母の入浴や着換え、夏場の暑い夜に家で
裸同然になって涼んでいるところを覗いていたことを詳しく話し続けました。

母は下着に浴衣を羽織り、蒲団を敷きながら私の話を聞いていましたが、
其れが終わると私の方に向き直って言いました。
「何も心配すること無いよ。お前は一生懸命勉強していれば良いんだよ。
 こうして住む家があるだけで感謝しなくちゃな」

女である母が男の覗きを気にしていない筈は有りませんでした。東京で比較的豊な
公務員の家に育った母は、厳しく躾けられたと後年親戚の人から聞かされました。
女子師範を出て都内の小学校の教員をしていた母は
教養の有るきちんとした性格の女性でした。
疎開先1-3
その一方で、すれ違った男たちが振り返って足先から上半身まで眺めるほどの
均整の取れた肉体と美貌を持っていました。顔は雛人形のように可愛らしく色白でした。

その一方で、すれ違った男たちが振り返って足先から上半身まで眺めるほどの
均整の取れた肉体と美貌を持っていました。顔は雛人形のように可愛らしく色白でした。

叔父の覗きに対して母は無関心を装いましたが、そのことは私の母に対する認識と
関心を変えるきっかけになりました。早熟だった私は小学四年生で思春期の入口に
入っていたのかもしれません。

男なら誰でも記憶にあると思いますが、身近にいる母の中に保護者としてよりも
女としての匂いを感じるようになっていくのではないでしょうか。

誰もが生きていくのに必死だった戦後が少しずつ落ち着くと同時に人間の欲望が
チラッチラッと頭をもたげる様に成っていきました。性に目覚め始めた少年の私は
母の一番身近にいる男として、母に欲望の視線を向ける周囲の男たちを冷静に
観察し出していたのでした。
息子としては決して向けてはならない欲望の対象である母を被虐的に観察し続ける
事によって、辛うじて自分の欲望を回避したのかもしれないと、今に成って思うのです。

女としての母を意識し出すと、
それまで気に留めなかった事が色々と思い出されて来ました。
夫を戦地に送り出している職業軍人の妻としての母は世間に対しては決して隙を
見せませんでしたが、その反動で家の中では無防備と言えるほど開けっ広げでした。

息子の前で、平気で裸に成って着替えるし、夜は私を抱き込むようにして寝る事が
習慣化していました。抱え込まれた私の顔の前には母の豊な乳房があり、
私の腰は母の脂の乗った大腿部に両側から挟みこまれていました。

今と違って、パンティやブラジャーは一般化していませでした。
戦後の物質不足の時代だった事もあって、母は粗末な浴衣を羽織っただけで、
その下には何もつけていませんでした。時々母の陰毛が私の腿に触れるのを感じました。

寝返りを打ったり、背筋を伸ばす行為なのか母は時々股をこすり付けるよな動作を
する事がありました。そして、腰の動きと連動するかのように、母は私の頭を自分の
胸にぐっと掻き込むような仕種をすることがありました。

母は私が眠っていると思っているらしく、その行為はかなり長い時間続く事が有りました。
母は時々、「ううっ」とか、「あっ」とか押し殺したような声を漏らすことがありました。
柔らかい母の乳房に顔を埋める事が重なると、身体の奥の方からむずがゆいような
快感と満足感が襲ってくる事も度々でしたが、それらは決して母に知られては
成らない事でした。

母は私を夫の代用品にしている・・・。今の私の年代になればその時の母の行為が
意味するものをよく分かりますが、小学生の私には、其処までは理解出来ませんでした。
それでも、私が知らない振りをしている限り母は時々私をオモチャにしてくれると言う事は、
漠然と理解出来ました。

  1. 若き日の性欲
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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