花の命は短くて。其の一
◇美しき女将
腰にタオルを巻いて風呂場からそっと出てきた女将は、
さりげなく部屋の隅に行って私に背を向け、寝間着の浴衣を静かに羽織ると、
タオルを外し、浴衣の前をあわせて紐を締めた。
ルームランプが消され、枕もとの常夜灯だけが点っている薄暗い部屋の中を、
おずおずという風に歩いて、既に私が横になっている布団の中に、
そっと脚から滑り込んでくるのだった。
私は、待ちかねたように、彼女に向かい合って、荒々しく抱きしめた。
彼女も今までの慎み深さをかなぐり捨てて、私に応じてしがみついて来た。
すぐに私の口と彼女の口が合わさり、濃厚なキスになった。彼女は、つと口を離し、
「ああ、嬉しいわ。私、昨夜は一睡も出来ませんでしたのよ。
明日貴方とオマンコ出来ると思うと嬉しくて、待ち遠しくて、眠れませんでした。
オマンコしたときの気持ちのいい事を思い出すとワクワクして来るんですもの」
とて言った。
「そんなにしたかったの」
と私が言うと、
「そうですとも。欲しかったの、もう十日もお逢いしてないんですもの」
と恥ずかしそうに答えた。
「そうだったね」
「そうよ。でもこれからオマンコして下さるのね、嬉しいわ。
嘘みたいに思えるわ。ほんとにするのね」
「そうだよ、ゆっくりとね」
と私は抱きしめる。
「いっぱいしてよ、ね、今日はいっぱいしてっ」
「うん、いっぱいしょう」
彼女が、こう云うことを言うのは、私以外に男はいない証拠と確信している。
彼女ほどの美貌を持ってすれば、その気に成りさえすれば、男に不自由はしない筈である。
にも拘わらず、私に対する貞操は至極堅いのである。そこが女好きな私も、
他の女に手をだす気にさせないところである。
彼女は、横浜市内の通称“日本橋”と呼ばれる料亭街の一角に
店を構える割烹料理屋の女将であった。当時の彼女の年齢は奇しくも、
私の女癖の悪さに愛想を尽かして出て行った先妻の当時の年齢と同じ38歳であった。
私とは10歳も年が離れている。
仕事の打ち合わせで、遊びなれている問屋の重役である吉川さんに、
「今日は、何時もとは河岸をかえましょうや」
と連れて行かれたのが、彼女の店だった。
それまでは大抵、商社や問屋が多い下町の一角にある料理屋に案内されていたのだが、
その時初めて彼女の店に連れて行かれたのである。
そこはちょっとした門構えで、それを潜ると青いものが植わった小庭もある二階建ての構えであった。
カウンター席や座敷も幾つもあり、お座敷女中も数人居る様であった。
吉川さんは馴染みらしく、仲居さんに親しく、冗談を言いながら、座敷に入った。
その仲居さんが運んできた料理を食しながら、吉川さんとさしつさされつ飲み始めて暫くすると、
「今晩は・・・」
と言う涼しい声とともに、廊下の襖が開いた。
落ち着いた色のお召しの着物を着た女が、するりと部屋に入り、
「いらっしゃいませ」
と襖を閉めて、三つ指をついた。そして顔をあげ、笑みを漏らしながら、私たちの方を見た。
「吉川様、暫くでございました」
とおとなしやかに言う。
「やー、久し振り。こちらは山岸さん、この人は女将さん」
と吉川さんは二人を紹介した。女将はにっこり笑って、
「始めまして、よくいらっしゃいました」
と私を見つめる。私はその瞬間、はっと驚いた。
(この世にこんな美しい女がいるのか・・・)
と感じたのであった。私がファンであった。新珠美千代をやや太らせ、
眼をいっそう大きくしたような容貌であった。
私は半ば呆然と見詰め返しただけで、言葉が出なかった。
挨拶を終えて、彼女が席を立った後、吉川さんが、彼女が若い頃、京都の着物メーカーが選んだ、
"ミス・着物”に選ばれた事があるらしいこと、父親の残した遺産で、数年前、丁度売りに出ていた、
今の店を買って商売を始めたが、その素人らしいやり方が、案外客に受けて、
今日まで、まあまあ繁盛して来ているのだと、手短に語った。
それから暫くして、吉川さんに連れられて、再び、その店「萩野」に行った。
その日は、店が開いていたのであろうか、挨拶に出た女将は、暫く坐っておしゃべりしていた。
その話し振りには、少しも自分の容貌を鼻にかける風がなかった。
そしておっとり、静かな語り口に終始した。
吉川さんが、何時ものような猥褻な冗談を口にするような雰囲気には成らなかった。
私は、えらく女将の雰囲気が好きになった。
帰りに吉川さんに、この店に私が友達を連れて行っても良いか、と尋ねると、
「どうぞ行ってやってくれ」
と云う事だったので、二、三日して、私と同年輩のごく親しい取引先の社員と「萩野」に行った。
彼女は一層うちとけて、私たちの話題に入って来るのだった。
私たちが、宮崎県の海岸に出来た新しいホテルと、それに付属するゴルフ場の話題を取り上げ、
近く仲間を誘って、行こうと云うことになり、
「いかが、女将さんも参加しない」と、水を向けると、
「ええ、是非ご一緒させていただきたいわ。私九州の方には行った事がありませんの、
お話を伺っていると暖かそうなところのようだし・・・」
半分乗り気のような顔をした。
それから、暫く雑談した後「おかみさん」と廊下からの呼び声で出て行った。
結局、宮崎行きは実現しなかったけれども、それが契機で、お互いの心の壁がほぐれて、
気楽に話せる様になった。
腰にタオルを巻いて風呂場からそっと出てきた女将は、
さりげなく部屋の隅に行って私に背を向け、寝間着の浴衣を静かに羽織ると、
タオルを外し、浴衣の前をあわせて紐を締めた。
ルームランプが消され、枕もとの常夜灯だけが点っている薄暗い部屋の中を、
おずおずという風に歩いて、既に私が横になっている布団の中に、
そっと脚から滑り込んでくるのだった。
私は、待ちかねたように、彼女に向かい合って、荒々しく抱きしめた。
彼女も今までの慎み深さをかなぐり捨てて、私に応じてしがみついて来た。
すぐに私の口と彼女の口が合わさり、濃厚なキスになった。彼女は、つと口を離し、
「ああ、嬉しいわ。私、昨夜は一睡も出来ませんでしたのよ。
明日貴方とオマンコ出来ると思うと嬉しくて、待ち遠しくて、眠れませんでした。
オマンコしたときの気持ちのいい事を思い出すとワクワクして来るんですもの」
とて言った。
「そんなにしたかったの」
と私が言うと、
「そうですとも。欲しかったの、もう十日もお逢いしてないんですもの」
と恥ずかしそうに答えた。
「そうだったね」
「そうよ。でもこれからオマンコして下さるのね、嬉しいわ。
嘘みたいに思えるわ。ほんとにするのね」
「そうだよ、ゆっくりとね」
と私は抱きしめる。
「いっぱいしてよ、ね、今日はいっぱいしてっ」
「うん、いっぱいしょう」
彼女が、こう云うことを言うのは、私以外に男はいない証拠と確信している。
彼女ほどの美貌を持ってすれば、その気に成りさえすれば、男に不自由はしない筈である。
にも拘わらず、私に対する貞操は至極堅いのである。そこが女好きな私も、
他の女に手をだす気にさせないところである。
彼女は、横浜市内の通称“日本橋”と呼ばれる料亭街の一角に
店を構える割烹料理屋の女将であった。当時の彼女の年齢は奇しくも、
私の女癖の悪さに愛想を尽かして出て行った先妻の当時の年齢と同じ38歳であった。
私とは10歳も年が離れている。
仕事の打ち合わせで、遊びなれている問屋の重役である吉川さんに、
「今日は、何時もとは河岸をかえましょうや」
と連れて行かれたのが、彼女の店だった。
それまでは大抵、商社や問屋が多い下町の一角にある料理屋に案内されていたのだが、
その時初めて彼女の店に連れて行かれたのである。
そこはちょっとした門構えで、それを潜ると青いものが植わった小庭もある二階建ての構えであった。
カウンター席や座敷も幾つもあり、お座敷女中も数人居る様であった。
吉川さんは馴染みらしく、仲居さんに親しく、冗談を言いながら、座敷に入った。
その仲居さんが運んできた料理を食しながら、吉川さんとさしつさされつ飲み始めて暫くすると、
「今晩は・・・」
と言う涼しい声とともに、廊下の襖が開いた。
落ち着いた色のお召しの着物を着た女が、するりと部屋に入り、
「いらっしゃいませ」
と襖を閉めて、三つ指をついた。そして顔をあげ、笑みを漏らしながら、私たちの方を見た。
「吉川様、暫くでございました」
とおとなしやかに言う。
「やー、久し振り。こちらは山岸さん、この人は女将さん」
と吉川さんは二人を紹介した。女将はにっこり笑って、
「始めまして、よくいらっしゃいました」
と私を見つめる。私はその瞬間、はっと驚いた。
(この世にこんな美しい女がいるのか・・・)
と感じたのであった。私がファンであった。新珠美千代をやや太らせ、
眼をいっそう大きくしたような容貌であった。
私は半ば呆然と見詰め返しただけで、言葉が出なかった。
挨拶を終えて、彼女が席を立った後、吉川さんが、彼女が若い頃、京都の着物メーカーが選んだ、
"ミス・着物”に選ばれた事があるらしいこと、父親の残した遺産で、数年前、丁度売りに出ていた、
今の店を買って商売を始めたが、その素人らしいやり方が、案外客に受けて、
今日まで、まあまあ繁盛して来ているのだと、手短に語った。
それから暫くして、吉川さんに連れられて、再び、その店「萩野」に行った。
その日は、店が開いていたのであろうか、挨拶に出た女将は、暫く坐っておしゃべりしていた。
その話し振りには、少しも自分の容貌を鼻にかける風がなかった。
そしておっとり、静かな語り口に終始した。
吉川さんが、何時ものような猥褻な冗談を口にするような雰囲気には成らなかった。
私は、えらく女将の雰囲気が好きになった。
帰りに吉川さんに、この店に私が友達を連れて行っても良いか、と尋ねると、
「どうぞ行ってやってくれ」
と云う事だったので、二、三日して、私と同年輩のごく親しい取引先の社員と「萩野」に行った。
彼女は一層うちとけて、私たちの話題に入って来るのだった。
私たちが、宮崎県の海岸に出来た新しいホテルと、それに付属するゴルフ場の話題を取り上げ、
近く仲間を誘って、行こうと云うことになり、
「いかが、女将さんも参加しない」と、水を向けると、
「ええ、是非ご一緒させていただきたいわ。私九州の方には行った事がありませんの、
お話を伺っていると暖かそうなところのようだし・・・」
半分乗り気のような顔をした。
それから、暫く雑談した後「おかみさん」と廊下からの呼び声で出て行った。
結局、宮崎行きは実現しなかったけれども、それが契機で、お互いの心の壁がほぐれて、
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プロフィール
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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