老いて益々盛んに。其の三
◇工場勤めからキャバレー勤めまで
昭和29年に高校を卒業すると、私は親の反対を押し切って、東京に来て、
電気部品の小さな町工場に就職した。
当時は、敗戦直後の混乱も収まり、高度経済成長期に入ろうとしていた時代でもあった。
朝鮮戦争の特需景気をばねに、日本経済は復興しつつあった。
昭和28年にはテレビ放送がはじまり、昭和30年には、電気掃除機、電気洗濯機、
電気冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれ、日本経済は太平洋戦争前の水準を
大きく抜いて、奇跡的な経済成長を見せ始めていた時であった。
私にとって東京と、岩手県にある実家の近辺は、天国と地獄ほどの違いであった。
東京はどこを歩いて人、人、人であり、見上げればビルばかり、という感じだった。
私の就職した電気部品の小さな町工場は、東京の下町と言われるところにあった。
近くには遊郭の名残りを思わせる、赤線、青線などの店構えがあって、
それなりの女性がいた。昭和33年に、売春防止法が施行された当時でも、
公娼、私娼業者三万九千軒、全国に一千八百ヶ所に残っていたと言う。
わたしは勤め先の工場から歩いて二十分の所にある会社の寮に入った。
古い二階家を仕切って、十数人の工員がすんでいた。路地裏の陽の当たらない、
ジメジメした住まいだった。特に私に与えられた部屋は三畳であり、
窓を開ければ隣りのボロ家の壁に手が届くのであった。
岩手の実家から比べれば、まさに監獄のようなところであった。それでも寮は
寝るだけのところ、と割り切り、私は東京に青春の夢を賭け、働きはじめた。
仕事は朝早くから夜遅くまであり、
その上に給料は寮費を引かれて殆ど手元には残らない。
月に一度は風俗店の女と遊びたいと思っていてもその金がない。
彼女を作ろうにも朝から晩まで狭い工場で働き詰めではその機会もなかった。
仕方ないので安酒を呷って、シコシコと自慰に耽るばかりだった。
先輩工員達の中でも、何人かには特定の女がいたが、大半は自慰組だった。
暗い工場での一日中の細かな手作業は、私には向いていなかった。
それでもなんとか我慢して一年半ほど勤めたが、そこが限界だった。
町工場を飛び出した私は、建設会社の下請け作業員として飯場に入り、
関東近辺を転々としていた。その後運送会社に勤め、トラック運転手の助手となり、
たしか、21歳の秋口にキャバレーの雑役夫となった。
運送会社を辞めようと考えていた時、偶然そのキャバレーの店の前に、雑役夫募集の
紙が貼り付けてあり、その場で店に飛び込んで面接を受けたのだった。
キャバレー『銀馬車』は、新宿の歌舞伎町の飲食ビルの一階にあった。
今は大きなビルに建て替えられてしまって跡形もないが、
当時は周辺の飲食店街の中では大きな店だった。
ボーイが三、四人いて、ホステスが十四、五人ぐらいいただほろうか。
無一文の私は住むところがない。キャバレーのフロアの奥に小さな事務所があり、
その隅に畳二枚を敷いて、そこで寝泊りする事となった。
仕事は客席フロアの清掃、夕刻にはみせの前に立っての客引き、呼び込みであった。
慣れてくると、人手が足りない時などボーイもさせられた。
水商売の世界は、私には合っていた。
最初の半月ばかりは、ちょつぴり恥ずかしさもあったが、
それがなくなると、結構愉しく成って来た。
ホステスたちと親しくなったのが最大の要因だった。
彼女らの大半は私よりも年上で人生経験も豊富だった。
夕刻に店に入ってきたホステスたちは、
「もっちゃん、おはよう」と気さくに声を掛けてくれた。
そして私の目の前で、ブラジャーとパンティ姿に成って派手な着替えるのである。
そして客達の噂話などに黄色い声を出していた。
私にとっては、そんな彼女らの姿は目の保養で嬉しい限りの刺激だが、
股間のものが勃起して、それを彼女らに気付かれない様にするのが大変だった。
ホステスたちは、私に対しては気さくであったが、彼女ら女同士のライバル意識は
かなり強かった。売り上げを競い合い、客の取り合いをしていた。
自分の客にするために身体を張り、客と寝るものも多かった。
ホステス達は、私を弟のように可愛がってくれた。店が終わると食事に誘ってくれたりした。
そんな彼女らの中に美代という女がいた。
年齢は私のより四つか五つ年上だった。色白のポッチャリした女だった。
店が終わって、美代が誘って呉れたので近くの屋台店で酒を飲んだ。
俗にヒモと呼ばれる彼氏と帰るもの、身体を張って客と寝に行くもの、
それらにあぶれたホステスたちは、屋台店で飲んで帰るものが多かった。
「なんだか人恋しい気分だわ。もっちゃんの事務所に泊めてっ・・・」
美代が私の肩に上半身を持たれかからせて、甘えるように言うと、
彼女に好意以上のものを感じていた私は、身体がカーッと燃え上がった。
「人恋しいって美代姉さん、彼氏いないの」
「ふられちゃったのよ、さあ、疲れちゃったから事務所に戻ろうよ」
「でも、ホステスさんが店に泊まるのは禁止されているんだよ」
「かたいこと言わないの。大丈夫よ、分かりはしないわ」
美代にそう言われて、私たちは事務所に戻った。店を開け閉めするのは
私の仕事だったから、鍵は私が預かっていた。
事務所の隅の畳二枚の上で安酒を飲みながら話していると、
いきなり美代が抱きついてきた。
月に精々一度、風俗店の女と遊んで、性欲を処理していただけの私は、
美代の放つ女の香りにのぼせ上がり。一瞬の内に自制心を失ってしまった。
『男性従業員はホステスと個人的な関係を持ってはならない』
店の規則はそのようであったし、そんな関係に成って、何人か首になった者も知っている。
しかし、その時の私はそんな規則を意識する余裕はまったくなかった。
昭和29年に高校を卒業すると、私は親の反対を押し切って、東京に来て、
電気部品の小さな町工場に就職した。
当時は、敗戦直後の混乱も収まり、高度経済成長期に入ろうとしていた時代でもあった。
朝鮮戦争の特需景気をばねに、日本経済は復興しつつあった。
昭和28年にはテレビ放送がはじまり、昭和30年には、電気掃除機、電気洗濯機、
電気冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれ、日本経済は太平洋戦争前の水準を
大きく抜いて、奇跡的な経済成長を見せ始めていた時であった。
私にとって東京と、岩手県にある実家の近辺は、天国と地獄ほどの違いであった。
東京はどこを歩いて人、人、人であり、見上げればビルばかり、という感じだった。
私の就職した電気部品の小さな町工場は、東京の下町と言われるところにあった。
近くには遊郭の名残りを思わせる、赤線、青線などの店構えがあって、
それなりの女性がいた。昭和33年に、売春防止法が施行された当時でも、
公娼、私娼業者三万九千軒、全国に一千八百ヶ所に残っていたと言う。
わたしは勤め先の工場から歩いて二十分の所にある会社の寮に入った。
古い二階家を仕切って、十数人の工員がすんでいた。路地裏の陽の当たらない、
ジメジメした住まいだった。特に私に与えられた部屋は三畳であり、
窓を開ければ隣りのボロ家の壁に手が届くのであった。
岩手の実家から比べれば、まさに監獄のようなところであった。それでも寮は
寝るだけのところ、と割り切り、私は東京に青春の夢を賭け、働きはじめた。
仕事は朝早くから夜遅くまであり、
その上に給料は寮費を引かれて殆ど手元には残らない。
月に一度は風俗店の女と遊びたいと思っていてもその金がない。
彼女を作ろうにも朝から晩まで狭い工場で働き詰めではその機会もなかった。
仕方ないので安酒を呷って、シコシコと自慰に耽るばかりだった。
先輩工員達の中でも、何人かには特定の女がいたが、大半は自慰組だった。
暗い工場での一日中の細かな手作業は、私には向いていなかった。
それでもなんとか我慢して一年半ほど勤めたが、そこが限界だった。
町工場を飛び出した私は、建設会社の下請け作業員として飯場に入り、
関東近辺を転々としていた。その後運送会社に勤め、トラック運転手の助手となり、
たしか、21歳の秋口にキャバレーの雑役夫となった。
運送会社を辞めようと考えていた時、偶然そのキャバレーの店の前に、雑役夫募集の
紙が貼り付けてあり、その場で店に飛び込んで面接を受けたのだった。
キャバレー『銀馬車』は、新宿の歌舞伎町の飲食ビルの一階にあった。
今は大きなビルに建て替えられてしまって跡形もないが、
当時は周辺の飲食店街の中では大きな店だった。
ボーイが三、四人いて、ホステスが十四、五人ぐらいいただほろうか。
無一文の私は住むところがない。キャバレーのフロアの奥に小さな事務所があり、
その隅に畳二枚を敷いて、そこで寝泊りする事となった。
仕事は客席フロアの清掃、夕刻にはみせの前に立っての客引き、呼び込みであった。
慣れてくると、人手が足りない時などボーイもさせられた。
水商売の世界は、私には合っていた。
最初の半月ばかりは、ちょつぴり恥ずかしさもあったが、
それがなくなると、結構愉しく成って来た。
ホステスたちと親しくなったのが最大の要因だった。
彼女らの大半は私よりも年上で人生経験も豊富だった。
夕刻に店に入ってきたホステスたちは、
「もっちゃん、おはよう」と気さくに声を掛けてくれた。
そして私の目の前で、ブラジャーとパンティ姿に成って派手な着替えるのである。
そして客達の噂話などに黄色い声を出していた。
私にとっては、そんな彼女らの姿は目の保養で嬉しい限りの刺激だが、
股間のものが勃起して、それを彼女らに気付かれない様にするのが大変だった。
ホステスたちは、私に対しては気さくであったが、彼女ら女同士のライバル意識は
かなり強かった。売り上げを競い合い、客の取り合いをしていた。
自分の客にするために身体を張り、客と寝るものも多かった。
ホステス達は、私を弟のように可愛がってくれた。店が終わると食事に誘ってくれたりした。
そんな彼女らの中に美代という女がいた。
年齢は私のより四つか五つ年上だった。色白のポッチャリした女だった。
店が終わって、美代が誘って呉れたので近くの屋台店で酒を飲んだ。
俗にヒモと呼ばれる彼氏と帰るもの、身体を張って客と寝に行くもの、
それらにあぶれたホステスたちは、屋台店で飲んで帰るものが多かった。
「なんだか人恋しい気分だわ。もっちゃんの事務所に泊めてっ・・・」
美代が私の肩に上半身を持たれかからせて、甘えるように言うと、
彼女に好意以上のものを感じていた私は、身体がカーッと燃え上がった。
「人恋しいって美代姉さん、彼氏いないの」
「ふられちゃったのよ、さあ、疲れちゃったから事務所に戻ろうよ」
「でも、ホステスさんが店に泊まるのは禁止されているんだよ」
「かたいこと言わないの。大丈夫よ、分かりはしないわ」
美代にそう言われて、私たちは事務所に戻った。店を開け閉めするのは
私の仕事だったから、鍵は私が預かっていた。
事務所の隅の畳二枚の上で安酒を飲みながら話していると、
いきなり美代が抱きついてきた。
月に精々一度、風俗店の女と遊んで、性欲を処理していただけの私は、
美代の放つ女の香りにのぼせ上がり。一瞬の内に自制心を失ってしまった。
『男性従業員はホステスと個人的な関係を持ってはならない』
店の規則はそのようであったし、そんな関係に成って、何人か首になった者も知っている。
しかし、その時の私はそんな規則を意識する余裕はまったくなかった。
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プロフィール
Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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