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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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花火が燃え尽きる前の様に。其の四

◇年貢の納め時
辻沢杏子32(画像拡大出来ます)
六十四歳の母親・香と四十二歳の娘・慶子。二人の女の肉体は、その年齢差ほどの
違いは感じられませんでした。確かに首筋の小じわや垂れ気味の乳房等、香るには
其れなりの年齢を感じる部分は有りますが、オマンコの濡れ具合や膣の締まり具合は、
目を瞑ってハメハメしていればその違いが分からないほど、香も慶子も素晴らしい
オマンコの持ち主です。さすが母娘だな、と思わせる内部構造でした。

唯行為の最中の賑やかさは、あつかましさも年季の入った香るが上で、
聞きもしない事をあれもこれもと喋くり捲くるのでその話を聞いてるだけでも飽きません。
慶子はその点おとなしいもので、
「アァーとかウゥー」と言う呻き声だけで居たって静かなものです。

閨での会話も時には行為の香辛料にもなるもので、他の六十代のオバサン達も、
よく喋ります。オバサン達といえども女性であることに変わりはありませんから、
女体の神秘や女性の性の歓びについて語らせたら天下一品です。

どんな高名な男のエロ作家が、しゃっとこ立ちをしても、足元にも及ばないでしょう。
男には知り得ない“生唾ゴックンもの”のリアルなエロ話(性体験)も、
豊富に持ち合わせておいでですから、私なんぞの老人ハメハメ族は、
それを最大の香辛料として、ともすれば萎えがちな古参チンポの士気を鼓舞しつつ
頑張りぬかなければなりません。

当のオバサンたちにとっても、エロ話は人のためならずであろうと思われます。
自分のリアルなエロ話を、男が聞いて奮い立ち、チンポも固くおっ立たせてくれれば、
回り回って自分も気持がよくなり、ハメハメの悦びが増すからです。

あるとき香はこんな話をしました。
「私がこんなにオマンコするのが好きなのは遺伝よ、きっと。
 ウチの女親は男狂いでどうしようもなくてね。
 その頃は、戦災で焼け出されたバラックに住んでたの。
 母には付き合っている男が五人ぐらい居て、
 毎晩違う男とやってたわ。ピチャクチャ、ピチャクチャ音をさせて」
「なんだい、その音は?」
「気分が出てる音よ。お汁も一杯出してるの」
「女のお汁か?」
「そうよ。男が射精した後だと、もっと重っ苦しい音がするわ。グチャッ、グチャッっていう」

 
慶子と香4-2
『観察が細かいな。それで、いたいけな少女だった君はどうしたんだ?
 その浅ましい光景を見て』
「別にどうもしなかったわよ。うるさいわねえとか言って、おトイレに行くくらいよ」
『お母さんは平気か?見られても』
「平気よ。夢中になってやってたわ。慶子も普段はおつにすましているけど、
 あの子にも私の母と同じ血が流れて居るから、貴方によってオマンコの良さに
 目覚めたら、きっと一級の淫乱女になるわよ」
『へぇー君のお母さんて仏間に掛けてある写真の品の良さそうなお婆さんだろう。
 信じられないな』
「女は外見じゃ分からないわよ。内に秘めた情熱なんてね。
 私も早熟だったから、貴男と噂された頃には貴男を思って毎晩オナニーしてたのよ」
『俺もだったよ』

てな具合に、あっけらかんに何でも話してくれました。
一方慶子はとても香辛料になるような話は中々聞かせてくれません。
それでも、
『御主人と、どういうオマンコをしたかを、教えて呉れなきゃ、
 俺も手抜きをして、適当にやっちゃおうかな』
と言いますと、
「いやッ、手抜きしないでッ、ちゃんと言うから・・・」
と言って、ポッリポッリと話はじめるのですが、香とは違って、
真面目で、慎ましやかな女性が、懸命に恥ずかしさを堪えながら、
話してくれるエロ話が、またいいんですねェ、これが・・・。

そんなこんなで、慶子の家での密会が、我がハメハメ史上で最も贅沢で
(美味しい手料理もたらふくご馳走になりました)味わい深いものになったのですが、
好事魔多しとはよく言ったもので、やっぱり良いことは長続きしませんでした。

当時六十四歳だった私に、身体の異変を告げられたのは八月の市大病院での
定期検査の時でした。拡張型心筋症(心臓が普通より大きく成る病気)と高血圧症で
二ヶ月置きに検査を受けて居たのです。
「中谷さん、貧血の評定が出てますね。内臓に傷があり、そこから出血しているようです。
 内視鏡検査を受けてください」と言われ、口から胃カメラ、肛門からの大腸内視鏡検査を
受けて大腸がん(S字結腸癌)が見つかったのです。それもステージⅣに近いⅢと言われ
手術以外に治療の方法は無いと言われました。
慶子と香2-3a
自覚症状が全く無く時折便に血が混じって居るとは思っていたのですが、便秘の為に
息んで痔が切れたのだろう位にしか考えて居なかったので大変ショックを受けました。
「中谷さんは心臓に持病を抱えています。今のままでは心臓が手術に耐えられるか
 問題です。まず心肺機能を高める事から始めましょう」
と言われ、鉄分の補給と肺活量を上げる溜めの風船を 毎日二時間おき位に膨らませ、
毎日数キロ程歩く事を薦められました。

そして11月10日に入院し12日手術に臨みました。
術後の経過は順調で25日には無事に退院出来たのですが、
手術の後遺症か逸物が勃たなくなってしまったのです。

私にとっては、病気を告げられた時以上にショックでした。
生きがいだったハメハメが出来ないなんて、生きてる価値がない!
泌尿器科の先生にも診てもらいましたが、
「セックスよりも命が永らえただけでも良しと思わなくては」とつれない宣告。

香と慶子は入院中も毎日の様に病院に見舞いに来て呉れました。
大部屋の患者仲間からは、
「素敵な奥さんと娘さんが居て中谷さんは幸せですね」と言われる程でした。

そして、
「オチンチンが勃たなくたって、セックスは出来るわよ。
 私は貴男の指と口とでの愛撫だけで十分イカせて貰えるんだから悲観しないで」
と言って呉れる慶子でした。

私が退院後慶子の身辺に異変が起きました。香には慶子を含めて四人の子供が
居るのですが、長男は本郷台で香ると同居していたのですが、次男と次女が、
私が慶子と結婚でもして慶子の住んで家に居座るのではと、警戒しだしたのです。
「お姉さん、やめてよ、そんな何処の馬の骨とも判らない様な男と、不潔な事するの」
「そうだよ、世間体を考えてくれよ」
「貴方たちの考えてる事は分かったは、私がこの家を出て行けば良いんでしょう」
との遣り取りが有って、慶子は私のマンションに転がり込んで来たのです。
「入籍して呉とは言わないから、私を暫く此処に置いて」と言うのです。

慶子に毎日見張られて居ては他のオバサン方のオマンコのナメナメも出来ず、
今では慶子専属(時々は香も加わりますが)のナメ犬になってしまった私です。
END
  1. 老いて益々
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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