PV UU 現在の閲覧者数: /にほんブログ村 小説ブログ ロマンス小説へ
2ntブログ

異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

セックスレス夫婦の今と昔。其の五

◇初めての不倫◇
セックスレス夫婦の今と昔11
夫婦仲は冷え切ったままでしたが、子供達は素直な育って呉れました。息子と長女は
社会人となり次女は短大に入学が決まり、やれやれと思った矢先私の唯一の味方であった
姑が亡くなったのです。そして浴場経営は曲がり角に来て居りました。
各家庭にも風呂が有るのが当たり前の時代に成り、大得意だった娼婦達の
住まいがアパートがらマンションに代わる度に銭湯に行く事もなくなって来たのです。
紅葉湯もサウナや露天風呂を新設改装したりと色々な経営努力がありました。

そして私の身にも異変が起こったのです。四十ニに成ったばかりの頃だと思います。
入浴中、私は左の乳房の下の方に異常を感じました。
栗の実位のしこりが、指に触れたのです。(これはおかしい?)と私は翌日、
近くの市大病院へ行きました。結果は無残なものでした。

「乳ガンですね。それも、もう二期に入っています。いますぐ、手術が必要です」
私は、蒼白に成りました。当時、ガンの告知と言えば死刑の宣告にも等しいものでした。

「悲観しないで下さい。乳房を失う事に成りますが、速やかに手術をすれば生存の
見込みは十分にあります」
医者は淡々として言いますが、女にとって乳房は命も同然です。
其の頃はまだ乳房温存手術などとは一般化しておらず、乳ガンの治療といえば、
切除しかなかったのです。

私は即、手術に踏み切る気には成れませんでした。結婚しているとはいえ、
ほとんど男に可愛がって貰った事のない肉体です。
このまま、何もいい思いも出来ない儘に乳房を切り取ってしまうなんて、
余りにも悲しすぎるでは有りませんか。
ガンの宣告を受けてから、私は思い詰めました。手術をしなければ、死んでしまう。
しかし、此の儘では乳房を切除する気にはとても成れない。

夫にガンである事を打ち明けました。チョツト気遣う言葉は掛けてくれましたが、
愛人と別れて私の側に居てくれる様な人ではありませんでした。そんな夫に、
優しさなど期待できるはずも有りません。夫に見返られる事もなく、
ただひたすらオナニーと仕事に明け暮れてきた二十数年でした。夫が他所の女に
うつつを抜かしていても、私は只の一度も不貞を犯しては居ませんでした。
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

セックスレス夫婦の今と昔。其の六

◇舐めてっ、そして嵌めてーっ◇
セックスレス夫婦の今と昔14
「だから、いまのうちに可愛がってやらなきゃいけないんだよ。
 一杯一杯、良い思いさせてやらなきゃならないんだ。
 ああ、だからお願いだよ、もっともっとォ!」

そのときの田代の顔を私は、いまでも思い出す事が出来ます。
驚きと悲哀と慈愛が入り交じった複雑な表情でした。
私が告白したとき、夫ですらそんな情け深い顔はしてくれなかったのに・・・

「ガッテンだよ、任せとけってんだ。オレが、とことん歓ばせてやるさ」
田代は、貪欲に乳房を愛撫しはじめました。
裾野から押し上げ、全体をくまなく揉みこんで、乳首を心ゆくまで吸いたてる・・・。
それはそれは、水も漏らさぬような緻密な愛撫でした。

私は、もう夢見心地でした。夫との殺伐とした営みしか知らない私にとって、
田代の行き届いた愛情深い愛撫は、
まさに青天の霹靂だったと言っても過言ではなかったでしょう。

ワレメから淫水が溢れ返り、そのトロッとした淫水の滴りようといったら、
其れこそダムが決壊したようなありさまでした。子宮から溢れ出た女液が
ワレメを伝って、ドロドロと田代の腹部を濡らしていたのです。

ズキーンズキーンと鋭い快感が、絶えず私を責め苛んでいました。
もはや、乳房への愛撫だけではどうにも収拾のつかない状態です。
「あはーっ、舐めてっ、我慢できないっ、オマンコ一杯舐めてーっ」

もう、見栄も体裁も有りませんでした。私はズルズルとカラダを上へ移動させ、
濡れそぼった下腹部を田代の顔になすりつけていたのです。

「うああああーっ、ひーっ、ご、極楽だよォっ。何て、気持ちいいんだァ!」
硬く尖った舌にクリトリスをキューッと吸いたてられ、
私は旅館中に響きわたるような大声を放っていました。
子宮を直接、手掴みされたような快楽が湧き上がってきたのです。
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

セックスレス夫婦の今と昔。其の七

◇女の幸福って何だろう?◇
セックスレス夫婦の今と昔17
田代との関係も、結局一週間ほどでおわりました。短くも激しく燃えた一週間でした。
田代は多くのものを私に残してくれました。

「オッパイがなんぼのもんだよ。女将さん。命には代えられやしないさ。
 オッパイが片一方しか無くなったって、あんたはずっとオレの観音さまだよ。
 手術は頑張れよ。オレも蔭ながら成功を祈っているからな・・・達者に暮らせよ」
この言葉がどれ程心の支えになったかしれません。胸に染み入る台詞を置き土産に、
田代は次の飯場へと移って行きました。

田代が去った数日後、私は手術を受けました。
手術が終わって左の乳房に手を当てた時のショツクと悲しみを、私は二十年経った
今でも鮮明に覚えています。裸に成って見ると、其処には豊かな肉の丘の代わりに、
無残な傷跡が痛々しいほど刻まれていました。

暫らくは青い海の底に沈んだような心境でしたが、身体が回復すると、
私はまた紅葉湯の仕事に精を出しはじめました。身を粉にして働く事だけが、
精神的に回復する一番の特効薬だったのです。周りの者がとめるのも聞かずに
私はは以前のように働きました。全ては私自身が選んだ人生なのだ・・・
それは、死を賭けた大手術を経て私が実感たことでした。

元はと言えば、夫に愛されていないと承知していながら、押し掛け女房の様にして
主婦になった結婚なのです。夫ばかりを恨んで生きていっても仕方がないでしょう。

(要は残りの人生なのだ。
 折角救って貰った命を無駄に過ごしては、バチが当るではないか)
そんな風に達観できる様に成ったのも、手術と田代のお蔭かも知れません。

此の儘夫に振り向いて貰えなくとも構わないわ・・・と一種、
開き直りにも似た気持ちに成った時でした。ようやく、結婚三十年も経って
夫が私の元に帰って来てくれました。

夫の勤め先の健康診断で血液中のヘモグロビンの値が低く貧血状態だ、
腹部の何処かに出血しているのではないか、精密検査をした方が良いと言われたのです。
早速、市大病院で腹部内視鏡検査をして貰った結果。

大腸がんの一種“S字結腸がん”で手術が必要と診断されたのです。
途端に其れまでの強気な夫の面影は影を潜め、極端に落ち込んでしまい、
病院での説明に私も一緒に行って呉と言うのです。私の時にはあんなに冷たかったのに・・・
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

生きることへの歓び。其の一

~体験した死の恐怖~
生きる事の歓び01
気が付けば、私もとうに人生の折り返し地点を過ぎた年齢と成り、
思い返すともなく過去の日々を、胸に蘇らせる事が多く成りました。
誰の人生にもドラマがあるでしょうが、私の半生も、
それはそれは様々な出来事に彩られた六十有余年でした。

とくに一生を左右する、印象的というより衝撃的な事件が起きたのは、
私が高校三年生の夏でした。高校生活最後の夏、私は仲良しのクラスメートと
二人で静岡県の民宿に、三泊四日の予定で海水浴に出掛けました。
そこで、あのアクシデントに見舞われたのです。

初めて友人と旅行する嬉しさに、私は少々浮かれ気味でした。
親元から離れ事が出来たという解放感は言うに及ばず。
白浜の海も息をのむほど美しく、それは愉快な時間を過ごしていました。
しかし、旅も三日目に入った時の事です。

「ねぇ、美智子、そんなに遠くまで行ったら危ないよ!」
「平気、平気!私、泳ぎには自信あるんだから。向こうに見える島までだって行けるわ」
友人の言葉に耳を貸そうともせず、私はスイスイといい調子で沖の方まで泳いで
行こうとしていました。ところがその途中、急にこむら返りが起きたのです。

「ううっ、痛ーい!誰か、誰か助けてっ・・・」
目から火が出るほど痛くて、もう泳ぐどころではありませんでした。
溺れる、死んじゃう・・・周りには人影も見えず、私はただ恐怖に慄きました。

「ああーっ、も、もうダメっ。う、ううっぷ、うっお、おかあさんーん!」
だんだんと意識が朦朧としてきました。大分水を飲んだようです。
(もう、私はこのまま死んでしまうんだ)そう思ったとき、
後ろから誰かの手が私を掴んだような気がしました。

私の意識は、其処までで途切れてしまいました。
次に気付いたのは、浜辺の上でした。

「ここはどこ?私は誰?」まさにそんな状態で私は目覚めました。
フッと目を開けると、大勢の人が私を囲んで見守っていました。
しかも、口が塞がれていたのです。
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

生きることへの歓び。其のニ

~初体験への期待と不安~
生きる事の歓び03
私の住む栃木県と彼の住む静岡県は、当時は何度も電車を乗り継いで五時間余り・・・
私達の交際は今で言う遠距離恋愛でした。
今でこそ遠距離恋愛は珍しくはありませんが、四十年以上前のあの当時、
遠く離れた恋人達は其れは辛い、切ない想いを強いられたものでした。

今と違って交通の便も悪く、長距離電話もそうそう簡単に掛けられる
時代ではありませんでした。ですから、私達は専ら文通に頼るほかなかったのです。
それこそ毎日の様に私は彼に手紙を書き、送りました。

ーー愛しい聡さまへ
もう、秋の訪れの気配を感じるようになりました。木の葉の舞い散る姿を見ては
あなたを思い出し、柿の実の赤く色づくさまを眺めては、あなたのことを想い出す日々です。
こんどあなたに会えるのはいつのことでしょうか。早く、早く会いたいーー

もちろん、彼からも追って返事が送られて来ました。聡からの手紙が、私の生きる喜びでした。
彼の手紙を開封する時のときめきを私は今でもはっきり覚えています。

ーー可愛い美智子へ
僕だって君に会いたくて仕方ない。君の筆跡だけじゃなくて、君の指の温もりに触れたいよ。
僕だって、何時も君のことが頭から離れない。あの別れの日、君と交わした口付けの味を
思い出すたびに、切なくてどうしょうもなくなるんだ。だけど、喜んで呉れ。
来月、東京の事務所に行く事になった。東京と栃木は近い。
会えるんだよ、美智子!今からワクワクして眠れないよーー

この手紙を読んで私は思わず飛び上がるほどの興奮で身体が震えてしまいました。
あの夏以来、やっと聡に会えるのです。彼は観光局の仕事をしていて、たまに東京の
事務所に足を伸ばすと聞いていましたが、ようやく会えるチャンスが来たのでした。
どんなにこの日を待っていたことでしょう。

彼がやってくる日、私は朝からソワソワと落ち着きませんでした。
一張羅の赤いワンピースに身を包み、私は歓び勇んで待ち合わせ場所に出掛けました。
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

生きることへの歓び。其の三

~ヌルヌルは快感の絞り汁~
生きる事の歓び06
「綺麗だよ、想像していたよりずっと綺麗だ!」
彼のその一言で、羞恥は直ぐに歓びに変わりました。
聡に裸を見られることはもちろん恥ずかしかったけれど、
それより嬉しさの方が大きかったのは、やはり女心と言うものでしょう。
そして、裸に剥かれると快感はグングンと燃え上がり、高まりました。

私を丸裸にすると彼も衣服を脱ぎました。聡の肉体はまるで彫刻のようでした。
海で鍛えた肉体はほどよい筋肉に包まれて、私の燃える性感に更なる油を注いだのです。

「あっ、むうううううっ!」
素っ裸になって、私達はキスより激しい愛撫を始めました。彼に乳首を吸われ、
私は鋭利な快美に貫かれたのです。乳首がこれほど敏感な性感帯だったなんて
この時初めて知りました。しかし、衝撃を受けるにはまだまだ早すぎたようです。

「あはーっ、い、いやっ、そ、そ、そんなトコっ・・・」
乳首を啄ばみながら、彼がワレメに指を差し入れてきたのです。当然、自分以外の
指を許したことの無い場所でした。またしても羞恥がどっとこみ上げて来ました。

「バカだな、美智子は、・・・ここんトコが気持ちいいんじゃないか」
と、彼はニュルニュルとワレメを掻き回しました。確かに最初は恥ずかしさの余り、
パニックに陥ってしまったけれど、そのうちだんだんおかしな気分になってきました。

「ああっ、はああーっ、な、何だかフワフワしてきたわ。地に身体が着いてないみたい」
「そうだろう?ヌルヌルしたものが、一杯出てきたぜ。いい調子だ・・・」

ヌルヌルしたものの正体が、快感の絞り汁であることに私は始めて気付きました。
やがて、私は指の動きに合わせて腰を振る真似さえしていたのです。

「握ってごらん。これが美智子の身体の中に入るんだよ」
恍惚と成った私の手を、彼が股間に導きました。
その凶暴なまでに強靭な手応えに、私は叫び声を上げずには居られませんでした。
それはまるで鋼鉄みたいな硬い肉の棒でした。 
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

生きることへの歓び。其の四

~嘘、ウソ、恋人が死んだ!~
生きる事の歓び09
「拝啓 美智子さま お元気ですか。僕の方はぼちぼちです。
 仕事も順調で毎日楽しくやっています。あなたも仕事を頑張って下さい」
聡と結ばれて一年、その間には色々な事がありました。
まず、私は高校を卒業して短大に進学し、聡は友人と二人で、
小さな旅行代理店を共同経営することになったのです。

私達の交際は相変わらず文通で、会えるのは三、四ヶ月に一度が良い処でした。
しかし、其のうち私はおかしな事に気付き始めました。
相変わらず彼らは手紙が来るものの、明らかにその文面が変ってきたのです。
それは何だか他人行儀で味も素っ気も愛情も感じられない手紙でした。
おかしいと、私は直感しました。とても、聡が書いた手紙とは思えませんでした。

有る時期を境に文面がころっと変ってしまうなんて、書き手が変ったとしか考えられません。
そう思うと、もういても立ってもいられませんでした。
もしかしたら、聡は心変わりをしてしまったのだろうか。それとも彼の身に何かあったのでは?
とにかく聡のところへ行ってみよう。私は意をけっして、彼の住む街に行きました。
そこで待っていたのは余りにも残酷な事実だったのです。

「、美智子さんですか・・・判りました。駅前で待ってて下さい」
彼の家に電話すると、聡とよく似た男の人の声が聞こえてきました。
駅前で待っていた私の前に現れたのは、聡とは似ても似つかない貧弱な男の人でした。

「はじめまして、僕、聡の弟の隆です。何で僕がここに来たのかとお思いでしょうね」
聡の弟・中谷隆は、にわかには信じられないことを口走ったのです。
「兄は死にました。もう、三ヶ月になります」
「えっ、い、いま何て・・・何ていったの?」
青い空と茶色の地面が、ひっくり返ったように思えました。

もう一度、隆は言いました。
「兄は死んだんです。自殺でした。いっしょに会社を経営していた友人が、
 会社の金を持ち逃げしたんです。会社も巧くはいっていませんでした。
 あちこちに借金を重ねて、その借金も兄一人の肩に・・・
 その重圧に耐えられなかったのでしょう」
「う、嘘よ!嘘よ、そんなっ。聡が死んだなんて、私に黙ってそんなっ」
涙が滝の様に溢れ出しました。私は隆の胸ぐらを掴んでいました。

「美智子さんの事は兄から良く聞いていました。直ぐに知らせようかと思ったんですが、
 気の毒で出来ませんでした。申し訳ありません。手紙は僕が代筆していました」
その言葉を聞き終わらないうちに意識が遠くなり、私はその場に失神して倒れていました。
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

生きることへの歓び。其の五

~男は見かけじゃない~
生きる事の歓び11
隆との初夜に、私はあえて聡と行った連れ込み旅館を選びました。
いつまでも聡との思い出の中に生きていてはいけない。
これからは隆と共に人生を歩んで行くのだ。

聡との思い出を吹っ切るために、私は辛い気持ちを押し殺して、
馴染みの連れ込み旅館に隆と手に手を取って入っていったのです。
隆はここでも私に気を遣ってくれました。

「無理してないかい?別に今夜でなくてもいいんだよ」
「ううん、いいの。私、貴方に従いていく。あなたの女になりたいの」
私は自ら隆にしがみつきました。

「忘れさせて、聡さんのことを。私は今日から生まれ変わる。
 もう辛い思いをするのはイヤ。抱いて、抱いて頂戴、隆さん!」
私は隆を布団の上に押し倒しました。聡寝た時と同じ、あの緋色の布団でした。
目頭が熱く成りました。隆とセックスするのは現実逃避だと判っていましたが、
この時の私には隆と寄り添うより他に、この苦境を乗り切る術はありませんでした。

「好きだよ。美智子さん。初めて逢った時から好きだったんだ!」
私達はお互いの服を毟り取りました。裸に成った瞬間から、私はケダモノじみた
欲情に貫かれていました。寂しさと辛さがすべて、欲望に変ったという感じです。

せめぎ寄せる欲望のままに、私は隆の股間に掴みかかっていました。
そこは既に過敏な反応を示していました。
隆のペニスは私の手の中で隆々と猛り勃っていたのです。
「うっ、ううっ、美智子さんっ。か、感じるよっ」

私はしゃにむにペニスを擦りたてました。勃起が大きくなればなるほど、
私の割れ目もジュクジュクと濡れ滴っていったのです。
凄まじい快感の嵐が吹き荒れました。

「あっ、うううっ・・・」
隆も負けてはいません。彼も私の割れ目に指を突き入れました。
とたん、鋭利な愉悦が子宮を突き上げたのです。
思わず私は腰を跳ね上げていました。
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

生きることへの歓び。其の六

~最後の抱擁?~
生きる事の歓び14
最初は巧くいっていたレストランも、二、三年するうちに毎日、閑古鳥が鳴くように
成ってしまったのです。借金ばかりがかさんでいく日々でした。

「もう、二進も三進もいかない。僕の力がたりなかったばかりに、ごめんよ・・・」
私も隆も身を粉にして努力しましたが、どうにもなりませんでした。 これ以上、
店を続けていくことが不可能となり、私達はレストランを閉める事にしたのです。

私達に残されたのは多額の借金だけでした。本当に気の遠くなる様な額で、
どうやって返済していっていいやら、途方にくれるばかりでした。

「美智子、旅行にいかないか?気分転換にいいだろう」
と、ある日、隆が思い詰めた顔で私を誘いました。
そして、私達は温泉で有名な近くの観光地へと足を伸ばしたのです。
そのとき「ふっ」と不吉な予感がはしりました。

「散歩に行かないか。夜の海も中々いいもんだよ」
温泉につかり宿で夕食を摂った後、隆に誘われるままに私は夜の散歩に
出かけました。もちろん砂浜には人影はなく、私たち二人きりでした。

「いままで本当にありがとう。美智子、僕は幸せだったよ」
浴衣が汚れるのも構わず、私達は浜辺に腰を降ろしました。
するし、隆は辞世の挨拶を始めたではありませんか。
おまけに彼の手には、薬の瓶の様なものが握られています。
私の背筋に冷たいものが走りました。やはり彼は・・・と思った瞬間。

「最後に、おまえを一杯抱きたい。愛しているよ・・・美智子!」
私は隆に荒々しく砂浜に押し倒されていたのです。

夫の気持ちが痛いほど伝わってきました。私は誰もしない夜の海辺で、
隆に肉体を開こうとしていたのです。
この時のやるせない気持ちは、今でも脳裏にはっきり焼きついています。
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

生きることへの歓び。其の七

~死んだ積りで生きる~
生きる事の歓び17
夫は粘膜が擦り切れるのではないかと言うほど私を舐めたて、私は私で噛み千切る
くらい猛烈に隆を責め立てたのです。顎が痺れ、もう感覚がなく成っていました。
それでも、私は夫の股間に食らいついて離れませんでした。
夫もまた情熱的なオーラル攻撃で、私に喜悦の声を上げさせていました。

どうしてこんなに心地いいのか、没頭できるのか不思議でした。
このときの私達の心境は、やはり異常なものだったと言わざるを得ません。

「もう、おまえの中に入れたいよ。たっぷり精液を浴びせてやりたい!」
やがて夫が差し迫った口調で叫びました。私は嬉々として夫を迎い入れました。

「きて、入ってきて、あなたっ。私も、もう我慢できないっ」
私も夫にしがみついていきました。体勢を入れ替え、隆は私に圧し掛かってきました。
大きく足を広げ、私は突進してくる夫を受け入れたのです。

「うっ、くくくーっ!」
「はあああああーっ、あ、あ、あなたァッ、すごいっ・・・」
夫の律動には鬼気迫るものがありました。隆は目にも止まらぬ早腰で
私を打ち始めたのです。そのパワーたるや、息も止まるかと思ったほどでした。

そういう私もしかし、負けてはいませんでした。夫のリズムに合わせ、しゃかりきになって
腰をバウンドさせていたのです。まるで闘いのような肉交でした。
セックスは“生きる事”其のものだ、と私は痛感せずには入られませんでした。

このパワーがあれば生きていける。借金なんかに負けるはずはない。
目から鱗が落ちた気分でした。
「あなた。私、死なないわよ。あなたも死ぬなんて考えちゃダメっ」

快感に押し揉まれつつも私は絶叫していました。夫もハッと私の顔を見つめました。
「聡さんの二の舞なんて絶対にいけないわ。聡さんはあちらの世界に行ったけど、
 私達はこの世で命をまっとうするのよ。大丈夫、私がついているから。
 聡さんだって天国から私達を見守っていて呉れているわ。
 こんなに力強いあなたが死ぬなんて、許されないわよ」

関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

下宿先の未亡人。其の一

~汚れた洗濯物~
c58_tm.jpg
(横浜線の蒸気機関車。昭和38-11-04)
昭和36年私が工業高校を卒業して最初に就職したのは。
横浜市港北区(現緑区)中山町に有る中堅の電機メーカーでした。

初めは市内に有る親元の家から通勤していたのですが。当時の業界は
東京オリンピックや東海道新幹線の開業を数年後に控えて毎日残業残業の
連続で月に300時間以上も働いて居りました。其処で親の了解の元、
会社に近い中山駅前の不動産屋の紹介で、
駅から徒歩で15分位の所に下宿する事になりました。

ちょっと話は横道にそれますが、昭和36年当時、国鉄横浜線は、
東神奈川~八王子間、全線が単線運転で、
使用車両は、京浜東北線や山手線などで使用された"お古”の車両ばかり、
其の上線路の保守状態も悪く、屋根はガタビシ、ガタビシと軋み、
冷房はおろか扇風機の付いてない車両もあり、
同じ料金を取りながら、京浜東北線との格差に苛立ったものです。

それでも鉄道好きな私には、一日一本走る、蒸気機関車牽引の貨物列車が、
丁度会社の昼休み頃に中山駅近くを通過するので、
それを見たさに昼飯を急いで食べた物です。

当時、中山駅の隣、小机駅(鴨居駅は未だ無かった)が貨物の集配駅に成っていて、
駅前には、日通の営業所が有り、黄色い車体に丸通のマークの付いたトラックが
出入りしていました。
下宿先の未亡人01
小机駅の隣は、菊名駅(新横浜駅も無かった)で当時は、菊名駅構内は広く、
東急東横線の線路と横浜線の線路が繋がっていたのです。

昭和36年に開業した、東急電鉄の100%子会社"伊豆急行電鉄”のPRの為に、
横浜市金沢区に有る"東急車輛製造”で新造された"100型”車両が、
国鉄東神奈川経由で菊名まで回送され、菊名駅から"東急東横線”に入線し、
渋谷~桜木町間で試験運転を兼ねて走りました。戦後の私鉄では初めての
"食堂車やグリーン車”が連結された車両を、仕事を抜け出し見に行ったものです。 
関連記事
  1. 忘れ得ぬ人
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

下宿先の未亡人。其の二

~小母さんの放尿~
下宿先の未亡人04
七月の中旬のこと、私が帰りますと、玄関まで出迎え、
「暑かったでしょう、私も暑くて汗でベトベト、あなたも早くシャツを脱いで汗を拭いては」
と話しながら浴衣の胸をはだけ、裾もずっと上げ、太腿が見えるほどにして部屋に
入るなり腰を降ろし、団扇で内股に風を入れてます。暫くすると立ち上がり、
スイカを切って持って来ました。二人でスイカを食べ始めたとき、
「あら、こんなだらしない姿で、ごめんなさい」と言いながら、襟元や裾を直しました。

休日、洗濯をしようと思い、洗濯物を持って下に行くと、小母さんはすでに洗濯機の横で
色物などを選別し、タライで揉み洗いをしていました。そして私を見て笑顔で、
「あんた、私がするから、そこに置いて」と言いながら、洗濯物に石鹸を塗っています。
私は、「今日は私がします」と言うと、
「男が洗濯などするものではありません。男の価値が下がります」と私を見上げました。

私は其の時、小母さんのしゃがんでいる姿に頭が熱くなりました。ワンピースの裾が肌蹴、
そこから太腿が露になっており、身体を動かす度に黒い陰毛がチラリと見えるのです。
私はセンズリで汚れているパンツに気を掛けている余裕などなく、
「お願いします」と言い部屋に戻り、いきり立つペニスを夢中で扱きました。
今までに無い快感と、二倍も多くの精液がドクドクと止めどなく流れ出ました。

八月の下旬、何時もの様に工場から帰りますと、小母さんから呼び止められました。
また苦情か、お叱りをと思ってビクビクしていると、
「あなた、お願いがあるの、聞いてくださいな」とにこやかに話しかけるのです。
何の事かと思ったら、子供達が夏休みの宿題や日記を怠けてしてないので、
私の休日か、夜早く帰った時に教えて貰いたいとの事だったので、其の程度の事なら、
苦にならないので、快く引き受けることにしました。

小母さんは非常に喜んで、
「お盆に来客があったので、お酒を用意したの、その残り酒があるから飲んで頂戴」
と言い、お酒とスルメを持ってきて、私に酌をしながら小母さんも飲んでいます。

暫くすると、小母さんは顔を赤くしていたと思うと、手足までも赤くなり、
「ああ、暑い」と言いながら、浴衣の胸元を開き、座っていた足を崩し、
膝頭をだし団扇で扇いでいます。私は、
「もう十分ご馳走に成りました。明日も仕事がありますから、そろそろ寝かせてください」
と言うと、「まだお酒が残っているのよ、ゆっくりして頂戴」と引き止められましたが、
私は部屋に戻り、早々に寝てしまいました。
関連記事
  1. 忘れ得ぬ人
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

下宿先の未亡人。其の三

~秋から冬へ~
下宿先の未亡人06
帰り支度が終ると、二人は並んで腰を下ろしました。私はタバコに火をつけ、小母さんは、
「今日は本当に楽しかったわ。これもあなたのお蔭よ。子供も喜んでるわ」
とお礼を述べられました。

暫らくして小母さんはゆっくりと立ち上がり、私の脇にきました。
私は気にせず、タバコを吸っていたらシャーと音がしたので、脇を見ると小母さんが白い
大きなお尻を丸出しにして、中腰の姿でオシッコを始めたところでした。
私の所から五~六メートルしか離れていません。私は頭がカッとしました。

気が付いたら私は小母さんの後の一メートル位の所で、
大きなお尻をジッと見ていたのです。小母さんは、
「駄目、見ないで。恥ずかしいから見ないで」と叫び声を上げました。
しかし私はそこを離れず、ジッと見ていました。

二つの臀部の真ん中の窪んだ所に十円硬貨が張り付いたように、
どす黒い肛門があり、その肛門がぐーと奥にすぼんだと思ったら、
直ぐ下の赤黒い肉片の谷間から下に向かって、勢い良く放出されていたオシッコが、
タラタラータラ、タラーと一時的に弱くなり、すぐにまたシューと音を立て、
さっきのように勢い良く放出され、同時に十円硬貨が張り付いたような肛門が
ぐーとはみ出してきました。

漸く尿がタラタラと切れると、大きなお尻を上下にブルブルと揺すりますと、
ポタポタと雫が落ちました。もう一度上下に揺すり上体を起こすと、
ズロースをゆっくり上げました。

私は、元の所に戻り腰を下ろしました。私に近づいて来た小母さんは、
激しい口調で、
「卑怯者、何さ、泥棒猫みたいに盗み見して、そんなに見たいのなら男らしく
 見せて頂戴と言えないの」と詰め寄ります。
私は小さな声で、「すみません」と一言いっただけでした。
「こんな無様な格好の悪い姿を見てどうなるの。でも見て良かったの」
とニヤニヤしながら私の脇に腰を下ろします。

私の一物は勃起してズボンの前をテントにしています。
其れを悟られないよう背を向けるように身体を回しましたが、小母さんは前に回り、
薄笑いをしながら股間を見詰めているので顔から火が出るほど恥ずかしかったです。
まもなく子供達が帰って来たので、ほっとしました。
関連記事
  1. 忘れ得ぬ人
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

下宿先の未亡人。其の四

~男と女の関係へ~
下宿先の未亡人09
私は心臓が爆発するかと思うほど高まり、ガタガタと身体が震えました。
「怖がらなくてもいいのよ。上手に導いてやるから」と言うと、私の上から降り、
右側に寄り添って寝ると、私の右手を取って小母さんの腹にあげ、
自分の手を添えて、徐々に下にさげていきました。

その時はもう寝間着の前を肌蹴、腰巻の紐も解けていました。
やがて、じゃりじゃりとした感じの陰毛に触れ、更にゆっくりと私の手を下に導くと、
湿っぽい感じと燃えるような温かさが手に伝わって来ます。
「其処を優しくいじって」
と私の手の甲の上から自分の手でぐっとオマンコに強く押し付けます。
私の中指が陰裂に入ると、そこはすでに驚くほど濡れていて、
私はどうしてよいのか判らずに指を止めていると、
「指で優しくいじって」と鼻声で言います。

私は指を陰裂に沿って、指の腹で上下に動かしますと、小母さんは、
腰を静かに蠢かしながら、左手で私のパンツを下に降ろし、ペニスを握りました。
ゆっくりと扱いているうち、最高に勃起しました。
小母さんは指でペニスの太さと長さを確かめて、
「まあー大きい、こんな立派なものを持っているんだもの、
 オマンコしたい気持ち、判るわ」と言います。

私は一言も喋れませんでした。そして、扱きながら、
「こうして出して、パンツを汚していたんでしょう。もったいないわ」と言い、
私の右手をオマンコから離れさせ、私の左手をぐっと引き、
「上にあがるのよ」と言いながら抱き抱えるようにして、私を上に乗せました。そして、
「重いから体重を私にかけないでね」と言うので腕立てをするような姿勢でいると、
「そうそう、その姿勢で」と言いながら足を大きく開き、私のペニスを握り、陰裂に
宛がいながら、左手で陰裂を開き、雁先を陰裂に沿って上下に二、三度動かします。

そこは凄く濡れており、燃えるかと思われる温かさが雁先に伝わります。
その時、どうしたのか、小母さんは右手をペニスから離しました。
その瞬間、私のペニスは陰裂からはずれ、私の下腹にパタンと当たり、
その途端、凄い快感と共に物凄い勢いで白いものを弾きだしました。
関連記事
  1. 忘れ得ぬ人
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

下宿先の未亡人。其の五

~近所の雪下ろし~
下宿先の未亡人12
小母さんは、「またするの、疲れるよ、でもあんたさえ良ければ私はかまわないけど」
と迎え入れてくれます。昨夜と同じようにすっぽり肉襞でペニスを包み、中は熱く、
しかし昨夜の様に濡れていませんが、私は間もなく、ドクドクと出してしまいました。
「終ったんでしょう。降りて。朝食を作りに起きなければならないわ」
とチリ紙で私と自分のモノを拭き終わると身支度をしました。

私も会社に出勤する支度をしました。小母さんは「朝食を食べて」と言いました。
私は「駅の売店でパンでも買って食べますから」と言うと、
「折角、準備したのに」と言うので戴く事にしました。

私はきまりが悪く、小母さんの顔をまともに見る事が出来ず、急いで朝食を食べました。
小母さんは、そばに居て、お代わりをしてくれながら、
「そんな急いで食べると身体に悪いよ」と私に気遣いながら見ています。

食べ終わると、お茶を出してくれましたが私は飲まずに立ち上がり、
小母さんは玄関まで送ってくれて、「大丈夫、疲れて歩けないんじゃないの」と言いました。
私は逃げるように家を出ました。

工場では一日中、昨夜と今朝のことが頭から離れず、モヤモヤしていました。
そのうえ、ペニスの先が時々痛痒く感じました。
夕方になるにつれ、帰るのが怖く成りましたが、勇気をだして家に入りますと、
小母さんは何時もと変らず、お茶を出してくれました。炬燵に入っても、
きまりが悪く顔を見る事が出来ず、始終下を向いていました。

それから二日後、会社から帰ると、私を待ちかねていた小母さんは、
近所の鈴木さんから頼まれたが、鈴木さんの家の雪おろしを手伝って呉れとの事でした。
明日は祭日で会社が休みだから、私は快く引き受けました。

鈴木さんの家は大きいので、昼前からら夕方まで掛かって漸く終わり、
お風呂を貰って夕飯をご馳走に成りました。

鈴木さんの小母さんは三十八歳で肉付きが良く、男好きのするタイプの人で、
私とご主人にお酒の酌をしながら、自分も飲んでいました。
関連記事
  1. 忘れ得ぬ人
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

下宿先の未亡人。其の六

~犬の様に~
下宿先の未亡人15
私は小母さんの股間に手を入れ、優しくオマンコを弄りました。
陰裂はすでに濡れています。小母さんは私のズボンとパンツを器用に脱がせて、
勃起したペニスを優しく握り、上下に扱きながら、
「憎らしいほどいい物持っているんだもの、鈴木さんの奥さん、羨ましがる訳よ」
と独り言を言いながら長さや太さを指で確かめ、
「あんたのに触っているだけで、体中がゾクゾクする。
 こんないいモノ誰にも渡さないから、あんたも他に行ったら駄目よ」と抱きついてきました。

それからは、三日前の夜と全く同じでした。ただ違った事は、荒々しい息遣いの間に、
「絶対にこの事を他人に話さないことと、
 今後、鈴木さんの奥さんに近づかないことを約束してね」と口にしたことです。

二回戦が終ると、腰巻で私のペニスを抜き清めた後、炬燵の布団をパッとめくり、
膝を曲げ、股を大きく開き、腰をぐっと上にあげました。大きく開いた陰裂から止めどなく
流れ出てくる淫液、それを腰巻の端で何度も肛門からオサネの方向に拭いています。

私は脇でジーと見ていましたが、今度は見ては駄目よ、などとは言いません。
ただとても強烈な性器の臭いがして、噎せるほどでした。小母さんは、
「そんなに嫌な顔をしないでよ、あんたの出した精液の匂いも混じっているんだから」
と笑顔で言いました。

雪が溶けて、桜の花が咲き始めた或る夜のこと、小母さんがそっと私の床に入って来ました。
長いキスをして、泣きながら自分の不幸を訴え、それから私の上に乗り、
次は私が上になって交合しました。小母さんは、自分の部屋に帰る時、
「春になると動物にサカリが付く様に、私もサカリが付いたのか、
 ここ四、五日、疼いてとても我慢が出来なかったのよ」といい終わると、
それとなく満足した顔で階下に降りて行きました。

会社が休みの日、私の二階の部屋で寝転がって、趣味の鉄道雑誌を読んでいると、
用事から帰って来た小母さんは急ぎ足で二階にやってきました。
「お邪魔するわ。あんた何していたの。また勉強?」
と近づき、当然の様に右手でズボンの上からペニスを握ってきました。 
関連記事
  1. 忘れ得ぬ人
  2. / trackback:0
  3. / comment:1
  4. [ edit ]

泥沼の中で掴んだ幸せ。其の一

泥沼の中で00a
「おい、チョツトそこまで出かけようか」
今朝のことです。家業を長男に譲ってから隠居としての自由を謳歌して
今日はあちらの無尽、今日は此方の集まりと、
滅多に腰を据えることもなく飛び回っております主人が、私を誘ってまいりました。

珍しい事もあるものだと、私が普段着のままでサンダルを履こうといたしますと、
「もっと洒落た格好は出来ないのか」もとより鬼瓦のような顔、
まるで青汁を飲んだ閻魔のようなご面相で私を睨み付けて参ります。

「この前買った夏大島を着てきなさい」
こんな顔をしているときの主人は、何を言っても折れないのが常。仕方なく、
まだしつけ糸の取れていなかった大島を着け、何処へ行くとも分からないまま、
主人の後を追ったので御座います。

なりがなりで御座います、どこぞお世話に成って居ります知人宅へでも出向くのかと思えば、
辿り着いたのは秋山川のほとり、川縁に降りて川面を見つめたまま、
そこからどこぞへ歩き出す風でもありません。この人、一体何を考えているのだろう?

夏の陽射しにじりじりと背中を焼かれ、首筋に流れる汗をハンケチで拭いつつ、
いぶかしみつつ何とはなしに主人の顔を見つめておりましたら、
主人がぽっりと一言、つぶやきました。
「兄貴は、ここから唐沢の方を眺めるのが好きだったよな・・・」

一瞬、私、息が止まりました。ああ・・・。今日は長継さんの命日だった。
私は、いつから前夫の命日までも忘れる様に成ってしまったのでございましょう。

「お前を俺に残してって呉れたんだもな。兄さんには感謝しなきゃ・・・」
本当に、本当に・・・。たった五年では御座いましたけれど、
幸せな結婚生活を味合わせてくれた前夫、そして、こんなに深く私を愛してくれる
今の主人を身代わりに残していってくれた前夫。
突然熱いものが込み上げてきて、私は川原にしゃがみ込んでしまいました。
関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

泥沼の中で掴んだ幸せ。其のニ

デキちゃった03
主人になだめられればなだめられるほど、私はいたたまれない気持ちに成って参ります。

日に追うごとに外泊の数が増えていく義弟に家族の態度も次第によそよそしく成って
行くようで、そうなると、
「ああ、私がここに嫁いで来たばっかりに・・・」と、自分で自分を責める気持ちが
どんどん大きく成っていって、まんじりともせずに朝を迎える事も少なくなく、
私の気持は次第に追い詰められていきました。

(私が自分で次雄さんに聞かなければ)ついに私は決心したのです。
あれは、今日の様に明け方からむっとした熱風が吹いている蒸し暑い日でした。
いつもの様に朝帰りをした次雄さんの前に私は跪いて、こう申したのです。

「お願いですから、もう少しまっとうにお暮らし下さいまし。
 私のどこが気に入らないのか、仰って頂ければいくらでも直します。
 ですから、どうぞ、どうぞ・・・・」

言い終わらないうちに、私の傍らで何かが砕ける音がしたかと思うと、
じんと額の辺りが熱く焼けました。驚いて振り返ると、土間に一抱えも花器が、
いけてあった花と一緒に粉々に散らばっています。
あまりの熱さに額に当てた手がぬるりとしたぬめりで滑り、
私は初めてそこが割れている事に気付きました。

「俺に意見なぞしようとするからそういうことになるんだ!」
吠える様に一言言い放つと、滴る血を押さえながら呆然としている私を置き去りにして、
次雄さんは走り去ってしまっていました。

その後は、もう、上へ下への大騒ぎでございました。
主人は烈火の如く怒り、舅は勘当だと言い出す始末。
その時の傷は、今でもうっすらと額に残って居ります。

この一件がありましてから後は、次雄さんに暴力を振るわれた覚えはございません。
さすがに次雄さんも悪いと思ったか、私に対する嫌がらせも控えるようになりました。
時折りは優しい言葉も掛けて呉れる様にもなり、子供達とも一緒に遊んでくれたりも
するようになりましたし、外泊の回数もほんの少しですが減っていったように思えます。

ところが、次女を身ごもるほんの少し前あたりから、また、困った事が起こり始めました。

関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

泥沼の中で掴んだ幸せ。其の三

輪姦01
すっかり模様替えをした前夫との部屋で、二人きりになった途端、次雄さんは、
嫌がる私を押さえつけて晴れ着をむしり全裸にすると、部屋から逃げられない様にと、
私の首に犬に着ける様な首輪を付けて、鎖の一端を柱に縛り付けたのです。
部屋の中を動くほどの長さはありますので、体を動かす自由は保たれていすが
部屋の外に逃げる事は出来ません。

「兄貴にどんな事をされてきたのか、しっかりと調べてやる」
そう言って、私の足を割り開くと、その間に次雄さんは潜り込んできたのです。
電灯が明々とついたままの六畳間です。これ以上の屈辱が有るでしょうか。

泣き叫びたい気持ちでしたが、
悪戯に騒いでこんな姿を姑や舅に曝すわけには参りません。
なにより、もう夫婦に成ったのですから、
私としては何をされても従うしかないのです。

夢であってほしい、幻であってほしいと、私は祈るような気持ちで新夫のなすが侭に
じっと耐えておりました。

新夫は、灯りに煌々と照らし出された私の秘部を、ためつすがめつ眺めながら、
あちらこちらを開いたり広げたり、指を差し込んだり捻ったり、まるでオモチャを
慰むようにいじり回してまいります。

そのしつこさに悪寒を走らせながらも、私は不覚にも、何時の間にか甘い空間に
体が漂い始めていました。時にはねっとりと柔らかく、時にはひりつくほど激しい
新夫の指の動きは、私にとっては初めての物だったのです。

大人しかった長継さんからは、是ほどしつこい慰めは受けた事が無かったのでございます。

いつの間にか、次雄さんの指技に私の腰は揺れ始め、
漏れるねだり声を他人事の様に遠く感じていました。

そんな私の耳元で唸るように囁いた次雄さんの言葉、今でも忘れません。
「大分濡れてきたな。いいよがり声だ。そうしてうんとよがれ。
 俺が兄貴のことを全部洗い流してやる。兄貴のことは全部忘れるんだ」

関連記事
  1. 夫婦の今と昔
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

珠美の生涯。其の一

珠美の生涯01
先日、同級生が私の出身県の偉い役についた祝賀会があり、
招待状が送られて来たので、珍しく出かける気に成った。
良い思い出の少ない故郷の催し事には出来るだけ出席しなかったのだが、
今回は年を取ったせいか、何となく出席のハガキをだした。

その席で私の昔を知る友人が、
「おい、佐伯先生が亡くなられたそうだぞ」と囁いた。

佐伯珠美先生は私が小学生の時の担任で二年生の時と五年生の時と
二度受け持たれた。
佐伯先生は色黒で額が広く、丸い黒目がちの大きい目が印象的な、
理知的な顔立ちで、平成の現代ならば美人として通るでしょうが、
昭和30年当時は「ジャズやダンスが大好き」と言えば不良呼ばわりされ、
「日本人離れ」した風貌が女性の嫉妬心を煽り、
近所の口煩い「おばさん達」からは余り良い評判は聞かなく、
「男の噂の絶えない女」と陰口を聞くほどの「飛んでる」女性でした。

私はたいして頭が良かった訳では無いのですが、可愛らしい子供だったせいか、
女の先生には(一年生から六年生まで担任は総て女性教員でした)何時も可愛がられ、
佐伯先生からも同級生達からは「贔屓されてる」と言われる程に可愛がられていた。

佐伯先生は何かと用事を作り私に居残りをさせ、二人だけの薄暗くなった教室で、
私を抱きしめたりするのだ、子供ながらに「こんな所誰かに見られたら問題に成る」と
心配して居たのを思い出す。

小柄ですんなりした体格の彼女が抱きしめると、私の顔は乳房に押し付けられ、
身体は下腹部に擦り付けられた。甘酸っぱい女の匂いがして子供のくせに、
性的な強い刺激を受けた。
柔らかくしかも弾力のある乳房に顔を押し付けられるのは苦しくても、
気持ちの良い物だった。でも、恥ずかしさが先行して、
「苦しいよぅ・・・」などと言って、彼女の抱擁から逃れる事ばかり考えていた。
関連記事
  1. 年上の女
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

« NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY »

プロフィール

アヤメ草

Author:アヤメ草
FC2ブログへようこそ!管理人の
アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

カレンダー

03 | 2011/04 | 05
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

フリーエリア

検索フォーム

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

« 2011 04  »
Su Mo Tu We Th Fr Sa
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30


.