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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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下宿先の未亡人。其の一

~汚れた洗濯物~
c58_tm.jpg
(横浜線の蒸気機関車。昭和38-11-04)
昭和36年私が工業高校を卒業して最初に就職したのは。
横浜市港北区(現緑区)中山町に有る中堅の電機メーカーでした。

初めは市内に有る親元の家から通勤していたのですが。当時の業界は
東京オリンピックや東海道新幹線の開業を数年後に控えて毎日残業残業の
連続で月に300時間以上も働いて居りました。其処で親の了解の元、
会社に近い中山駅前の不動産屋の紹介で、
駅から徒歩で15分位の所に下宿する事になりました。

ちょっと話は横道にそれますが、昭和36年当時、国鉄横浜線は、
東神奈川~八王子間、全線が単線運転で、
使用車両は、京浜東北線や山手線などで使用された"お古”の車両ばかり、
其の上線路の保守状態も悪く、屋根はガタビシ、ガタビシと軋み、
冷房はおろか扇風機の付いてない車両もあり、
同じ料金を取りながら、京浜東北線との格差に苛立ったものです。

それでも鉄道好きな私には、一日一本走る、蒸気機関車牽引の貨物列車が、
丁度会社の昼休み頃に中山駅近くを通過するので、
それを見たさに昼飯を急いで食べた物です。

当時、中山駅の隣、小机駅(鴨居駅は未だ無かった)が貨物の集配駅に成っていて、
駅前には、日通の営業所が有り、黄色い車体に丸通のマークの付いたトラックが
出入りしていました。
下宿先の未亡人01
小机駅の隣は、菊名駅(新横浜駅も無かった)で当時は、菊名駅構内は広く、
東急東横線の線路と横浜線の線路が繋がっていたのです。

昭和36年に開業した、東急電鉄の100%子会社"伊豆急行電鉄”のPRの為に、
横浜市金沢区に有る"東急車輛製造”で新造された"100型”車両が、
国鉄東神奈川経由で菊名まで回送され、菊名駅から"東急東横線”に入線し、
渋谷~桜木町間で試験運転を兼ねて走りました。戦後の私鉄では初めての
"食堂車やグリーン車”が連結された車両を、仕事を抜け出し見に行ったものです。 
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下宿先の未亡人。其の二

~小母さんの放尿~
下宿先の未亡人04
七月の中旬のこと、私が帰りますと、玄関まで出迎え、
「暑かったでしょう、私も暑くて汗でベトベト、あなたも早くシャツを脱いで汗を拭いては」
と話しながら浴衣の胸をはだけ、裾もずっと上げ、太腿が見えるほどにして部屋に
入るなり腰を降ろし、団扇で内股に風を入れてます。暫くすると立ち上がり、
スイカを切って持って来ました。二人でスイカを食べ始めたとき、
「あら、こんなだらしない姿で、ごめんなさい」と言いながら、襟元や裾を直しました。

休日、洗濯をしようと思い、洗濯物を持って下に行くと、小母さんはすでに洗濯機の横で
色物などを選別し、タライで揉み洗いをしていました。そして私を見て笑顔で、
「あんた、私がするから、そこに置いて」と言いながら、洗濯物に石鹸を塗っています。
私は、「今日は私がします」と言うと、
「男が洗濯などするものではありません。男の価値が下がります」と私を見上げました。

私は其の時、小母さんのしゃがんでいる姿に頭が熱くなりました。ワンピースの裾が肌蹴、
そこから太腿が露になっており、身体を動かす度に黒い陰毛がチラリと見えるのです。
私はセンズリで汚れているパンツに気を掛けている余裕などなく、
「お願いします」と言い部屋に戻り、いきり立つペニスを夢中で扱きました。
今までに無い快感と、二倍も多くの精液がドクドクと止めどなく流れ出ました。

八月の下旬、何時もの様に工場から帰りますと、小母さんから呼び止められました。
また苦情か、お叱りをと思ってビクビクしていると、
「あなた、お願いがあるの、聞いてくださいな」とにこやかに話しかけるのです。
何の事かと思ったら、子供達が夏休みの宿題や日記を怠けてしてないので、
私の休日か、夜早く帰った時に教えて貰いたいとの事だったので、其の程度の事なら、
苦にならないので、快く引き受けることにしました。

小母さんは非常に喜んで、
「お盆に来客があったので、お酒を用意したの、その残り酒があるから飲んで頂戴」
と言い、お酒とスルメを持ってきて、私に酌をしながら小母さんも飲んでいます。

暫くすると、小母さんは顔を赤くしていたと思うと、手足までも赤くなり、
「ああ、暑い」と言いながら、浴衣の胸元を開き、座っていた足を崩し、
膝頭をだし団扇で扇いでいます。私は、
「もう十分ご馳走に成りました。明日も仕事がありますから、そろそろ寝かせてください」
と言うと、「まだお酒が残っているのよ、ゆっくりして頂戴」と引き止められましたが、
私は部屋に戻り、早々に寝てしまいました。
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下宿先の未亡人。其の三

~秋から冬へ~
下宿先の未亡人06
帰り支度が終ると、二人は並んで腰を下ろしました。私はタバコに火をつけ、小母さんは、
「今日は本当に楽しかったわ。これもあなたのお蔭よ。子供も喜んでるわ」
とお礼を述べられました。

暫らくして小母さんはゆっくりと立ち上がり、私の脇にきました。
私は気にせず、タバコを吸っていたらシャーと音がしたので、脇を見ると小母さんが白い
大きなお尻を丸出しにして、中腰の姿でオシッコを始めたところでした。
私の所から五~六メートルしか離れていません。私は頭がカッとしました。

気が付いたら私は小母さんの後の一メートル位の所で、
大きなお尻をジッと見ていたのです。小母さんは、
「駄目、見ないで。恥ずかしいから見ないで」と叫び声を上げました。
しかし私はそこを離れず、ジッと見ていました。

二つの臀部の真ん中の窪んだ所に十円硬貨が張り付いたように、
どす黒い肛門があり、その肛門がぐーと奥にすぼんだと思ったら、
直ぐ下の赤黒い肉片の谷間から下に向かって、勢い良く放出されていたオシッコが、
タラタラータラ、タラーと一時的に弱くなり、すぐにまたシューと音を立て、
さっきのように勢い良く放出され、同時に十円硬貨が張り付いたような肛門が
ぐーとはみ出してきました。

漸く尿がタラタラと切れると、大きなお尻を上下にブルブルと揺すりますと、
ポタポタと雫が落ちました。もう一度上下に揺すり上体を起こすと、
ズロースをゆっくり上げました。

私は、元の所に戻り腰を下ろしました。私に近づいて来た小母さんは、
激しい口調で、
「卑怯者、何さ、泥棒猫みたいに盗み見して、そんなに見たいのなら男らしく
 見せて頂戴と言えないの」と詰め寄ります。
私は小さな声で、「すみません」と一言いっただけでした。
「こんな無様な格好の悪い姿を見てどうなるの。でも見て良かったの」
とニヤニヤしながら私の脇に腰を下ろします。

私の一物は勃起してズボンの前をテントにしています。
其れを悟られないよう背を向けるように身体を回しましたが、小母さんは前に回り、
薄笑いをしながら股間を見詰めているので顔から火が出るほど恥ずかしかったです。
まもなく子供達が帰って来たので、ほっとしました。
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下宿先の未亡人。其の四

~男と女の関係へ~
下宿先の未亡人09
私は心臓が爆発するかと思うほど高まり、ガタガタと身体が震えました。
「怖がらなくてもいいのよ。上手に導いてやるから」と言うと、私の上から降り、
右側に寄り添って寝ると、私の右手を取って小母さんの腹にあげ、
自分の手を添えて、徐々に下にさげていきました。

その時はもう寝間着の前を肌蹴、腰巻の紐も解けていました。
やがて、じゃりじゃりとした感じの陰毛に触れ、更にゆっくりと私の手を下に導くと、
湿っぽい感じと燃えるような温かさが手に伝わって来ます。
「其処を優しくいじって」
と私の手の甲の上から自分の手でぐっとオマンコに強く押し付けます。
私の中指が陰裂に入ると、そこはすでに驚くほど濡れていて、
私はどうしてよいのか判らずに指を止めていると、
「指で優しくいじって」と鼻声で言います。

私は指を陰裂に沿って、指の腹で上下に動かしますと、小母さんは、
腰を静かに蠢かしながら、左手で私のパンツを下に降ろし、ペニスを握りました。
ゆっくりと扱いているうち、最高に勃起しました。
小母さんは指でペニスの太さと長さを確かめて、
「まあー大きい、こんな立派なものを持っているんだもの、
 オマンコしたい気持ち、判るわ」と言います。

私は一言も喋れませんでした。そして、扱きながら、
「こうして出して、パンツを汚していたんでしょう。もったいないわ」と言い、
私の右手をオマンコから離れさせ、私の左手をぐっと引き、
「上にあがるのよ」と言いながら抱き抱えるようにして、私を上に乗せました。そして、
「重いから体重を私にかけないでね」と言うので腕立てをするような姿勢でいると、
「そうそう、その姿勢で」と言いながら足を大きく開き、私のペニスを握り、陰裂に
宛がいながら、左手で陰裂を開き、雁先を陰裂に沿って上下に二、三度動かします。

そこは凄く濡れており、燃えるかと思われる温かさが雁先に伝わります。
その時、どうしたのか、小母さんは右手をペニスから離しました。
その瞬間、私のペニスは陰裂からはずれ、私の下腹にパタンと当たり、
その途端、凄い快感と共に物凄い勢いで白いものを弾きだしました。
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下宿先の未亡人。其の五

~近所の雪下ろし~
下宿先の未亡人12
小母さんは、「またするの、疲れるよ、でもあんたさえ良ければ私はかまわないけど」
と迎え入れてくれます。昨夜と同じようにすっぽり肉襞でペニスを包み、中は熱く、
しかし昨夜の様に濡れていませんが、私は間もなく、ドクドクと出してしまいました。
「終ったんでしょう。降りて。朝食を作りに起きなければならないわ」
とチリ紙で私と自分のモノを拭き終わると身支度をしました。

私も会社に出勤する支度をしました。小母さんは「朝食を食べて」と言いました。
私は「駅の売店でパンでも買って食べますから」と言うと、
「折角、準備したのに」と言うので戴く事にしました。

私はきまりが悪く、小母さんの顔をまともに見る事が出来ず、急いで朝食を食べました。
小母さんは、そばに居て、お代わりをしてくれながら、
「そんな急いで食べると身体に悪いよ」と私に気遣いながら見ています。

食べ終わると、お茶を出してくれましたが私は飲まずに立ち上がり、
小母さんは玄関まで送ってくれて、「大丈夫、疲れて歩けないんじゃないの」と言いました。
私は逃げるように家を出ました。

工場では一日中、昨夜と今朝のことが頭から離れず、モヤモヤしていました。
そのうえ、ペニスの先が時々痛痒く感じました。
夕方になるにつれ、帰るのが怖く成りましたが、勇気をだして家に入りますと、
小母さんは何時もと変らず、お茶を出してくれました。炬燵に入っても、
きまりが悪く顔を見る事が出来ず、始終下を向いていました。

それから二日後、会社から帰ると、私を待ちかねていた小母さんは、
近所の鈴木さんから頼まれたが、鈴木さんの家の雪おろしを手伝って呉れとの事でした。
明日は祭日で会社が休みだから、私は快く引き受けました。

鈴木さんの家は大きいので、昼前からら夕方まで掛かって漸く終わり、
お風呂を貰って夕飯をご馳走に成りました。

鈴木さんの小母さんは三十八歳で肉付きが良く、男好きのするタイプの人で、
私とご主人にお酒の酌をしながら、自分も飲んでいました。
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下宿先の未亡人。其の六

~犬の様に~
下宿先の未亡人15
私は小母さんの股間に手を入れ、優しくオマンコを弄りました。
陰裂はすでに濡れています。小母さんは私のズボンとパンツを器用に脱がせて、
勃起したペニスを優しく握り、上下に扱きながら、
「憎らしいほどいい物持っているんだもの、鈴木さんの奥さん、羨ましがる訳よ」
と独り言を言いながら長さや太さを指で確かめ、
「あんたのに触っているだけで、体中がゾクゾクする。
 こんないいモノ誰にも渡さないから、あんたも他に行ったら駄目よ」と抱きついてきました。

それからは、三日前の夜と全く同じでした。ただ違った事は、荒々しい息遣いの間に、
「絶対にこの事を他人に話さないことと、
 今後、鈴木さんの奥さんに近づかないことを約束してね」と口にしたことです。

二回戦が終ると、腰巻で私のペニスを抜き清めた後、炬燵の布団をパッとめくり、
膝を曲げ、股を大きく開き、腰をぐっと上にあげました。大きく開いた陰裂から止めどなく
流れ出てくる淫液、それを腰巻の端で何度も肛門からオサネの方向に拭いています。

私は脇でジーと見ていましたが、今度は見ては駄目よ、などとは言いません。
ただとても強烈な性器の臭いがして、噎せるほどでした。小母さんは、
「そんなに嫌な顔をしないでよ、あんたの出した精液の匂いも混じっているんだから」
と笑顔で言いました。

雪が溶けて、桜の花が咲き始めた或る夜のこと、小母さんがそっと私の床に入って来ました。
長いキスをして、泣きながら自分の不幸を訴え、それから私の上に乗り、
次は私が上になって交合しました。小母さんは、自分の部屋に帰る時、
「春になると動物にサカリが付く様に、私もサカリが付いたのか、
 ここ四、五日、疼いてとても我慢が出来なかったのよ」といい終わると、
それとなく満足した顔で階下に降りて行きました。

会社が休みの日、私の二階の部屋で寝転がって、趣味の鉄道雑誌を読んでいると、
用事から帰って来た小母さんは急ぎ足で二階にやってきました。
「お邪魔するわ。あんた何していたの。また勉強?」
と近づき、当然の様に右手でズボンの上からペニスを握ってきました。 
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泥沼の中で掴んだ幸せ。其の一

泥沼の中で00a
「おい、チョツトそこまで出かけようか」
今朝のことです。家業を長男に譲ってから隠居としての自由を謳歌して
今日はあちらの無尽、今日は此方の集まりと、
滅多に腰を据えることもなく飛び回っております主人が、私を誘ってまいりました。

珍しい事もあるものだと、私が普段着のままでサンダルを履こうといたしますと、
「もっと洒落た格好は出来ないのか」もとより鬼瓦のような顔、
まるで青汁を飲んだ閻魔のようなご面相で私を睨み付けて参ります。

「この前買った夏大島を着てきなさい」
こんな顔をしているときの主人は、何を言っても折れないのが常。仕方なく、
まだしつけ糸の取れていなかった大島を着け、何処へ行くとも分からないまま、
主人の後を追ったので御座います。

なりがなりで御座います、どこぞお世話に成って居ります知人宅へでも出向くのかと思えば、
辿り着いたのは秋山川のほとり、川縁に降りて川面を見つめたまま、
そこからどこぞへ歩き出す風でもありません。この人、一体何を考えているのだろう?

夏の陽射しにじりじりと背中を焼かれ、首筋に流れる汗をハンケチで拭いつつ、
いぶかしみつつ何とはなしに主人の顔を見つめておりましたら、
主人がぽっりと一言、つぶやきました。
「兄貴は、ここから唐沢の方を眺めるのが好きだったよな・・・」

一瞬、私、息が止まりました。ああ・・・。今日は長継さんの命日だった。
私は、いつから前夫の命日までも忘れる様に成ってしまったのでございましょう。

「お前を俺に残してって呉れたんだもな。兄さんには感謝しなきゃ・・・」
本当に、本当に・・・。たった五年では御座いましたけれど、
幸せな結婚生活を味合わせてくれた前夫、そして、こんなに深く私を愛してくれる
今の主人を身代わりに残していってくれた前夫。
突然熱いものが込み上げてきて、私は川原にしゃがみ込んでしまいました。
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泥沼の中で掴んだ幸せ。其のニ

デキちゃった03
主人になだめられればなだめられるほど、私はいたたまれない気持ちに成って参ります。

日に追うごとに外泊の数が増えていく義弟に家族の態度も次第によそよそしく成って
行くようで、そうなると、
「ああ、私がここに嫁いで来たばっかりに・・・」と、自分で自分を責める気持ちが
どんどん大きく成っていって、まんじりともせずに朝を迎える事も少なくなく、
私の気持は次第に追い詰められていきました。

(私が自分で次雄さんに聞かなければ)ついに私は決心したのです。
あれは、今日の様に明け方からむっとした熱風が吹いている蒸し暑い日でした。
いつもの様に朝帰りをした次雄さんの前に私は跪いて、こう申したのです。

「お願いですから、もう少しまっとうにお暮らし下さいまし。
 私のどこが気に入らないのか、仰って頂ければいくらでも直します。
 ですから、どうぞ、どうぞ・・・・」

言い終わらないうちに、私の傍らで何かが砕ける音がしたかと思うと、
じんと額の辺りが熱く焼けました。驚いて振り返ると、土間に一抱えも花器が、
いけてあった花と一緒に粉々に散らばっています。
あまりの熱さに額に当てた手がぬるりとしたぬめりで滑り、
私は初めてそこが割れている事に気付きました。

「俺に意見なぞしようとするからそういうことになるんだ!」
吠える様に一言言い放つと、滴る血を押さえながら呆然としている私を置き去りにして、
次雄さんは走り去ってしまっていました。

その後は、もう、上へ下への大騒ぎでございました。
主人は烈火の如く怒り、舅は勘当だと言い出す始末。
その時の傷は、今でもうっすらと額に残って居ります。

この一件がありましてから後は、次雄さんに暴力を振るわれた覚えはございません。
さすがに次雄さんも悪いと思ったか、私に対する嫌がらせも控えるようになりました。
時折りは優しい言葉も掛けて呉れる様にもなり、子供達とも一緒に遊んでくれたりも
するようになりましたし、外泊の回数もほんの少しですが減っていったように思えます。

ところが、次女を身ごもるほんの少し前あたりから、また、困った事が起こり始めました。

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泥沼の中で掴んだ幸せ。其の三

輪姦01
すっかり模様替えをした前夫との部屋で、二人きりになった途端、次雄さんは、
嫌がる私を押さえつけて晴れ着をむしり全裸にすると、部屋から逃げられない様にと、
私の首に犬に着ける様な首輪を付けて、鎖の一端を柱に縛り付けたのです。
部屋の中を動くほどの長さはありますので、体を動かす自由は保たれていすが
部屋の外に逃げる事は出来ません。

「兄貴にどんな事をされてきたのか、しっかりと調べてやる」
そう言って、私の足を割り開くと、その間に次雄さんは潜り込んできたのです。
電灯が明々とついたままの六畳間です。これ以上の屈辱が有るでしょうか。

泣き叫びたい気持ちでしたが、
悪戯に騒いでこんな姿を姑や舅に曝すわけには参りません。
なにより、もう夫婦に成ったのですから、
私としては何をされても従うしかないのです。

夢であってほしい、幻であってほしいと、私は祈るような気持ちで新夫のなすが侭に
じっと耐えておりました。

新夫は、灯りに煌々と照らし出された私の秘部を、ためつすがめつ眺めながら、
あちらこちらを開いたり広げたり、指を差し込んだり捻ったり、まるでオモチャを
慰むようにいじり回してまいります。

そのしつこさに悪寒を走らせながらも、私は不覚にも、何時の間にか甘い空間に
体が漂い始めていました。時にはねっとりと柔らかく、時にはひりつくほど激しい
新夫の指の動きは、私にとっては初めての物だったのです。

大人しかった長継さんからは、是ほどしつこい慰めは受けた事が無かったのでございます。

いつの間にか、次雄さんの指技に私の腰は揺れ始め、
漏れるねだり声を他人事の様に遠く感じていました。

そんな私の耳元で唸るように囁いた次雄さんの言葉、今でも忘れません。
「大分濡れてきたな。いいよがり声だ。そうしてうんとよがれ。
 俺が兄貴のことを全部洗い流してやる。兄貴のことは全部忘れるんだ」

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プロフィール

アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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