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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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柿田川慕情 。其の一

柿田川慕情01
現在恵美子59歳、雄二65歳、二人は30年近く前までは山梨県の
甲府市で小さな工場を経営していた。
主力取引先の「中堅音響機器メーカー」 の下請けとして従業員20名を抱え、
かなり忙しく仕事をしていたのだった。
其れがある日、その取引先が突然に「会社更生法」の適用を申請し倒産してしまった。
手形が不渡りと成ってしまったのだ。総額1500万以上の金額である。
そして其れまでの借入金を含む総額4000万の借財を残して、
二人は、子供3人を連れて故郷三島市に戻ってきたのである。
恵美子29歳、雄二35歳の時で有った。

三島に戻ってからは雄二の両親と同居する事となり、
子供は両親に面倒見てもらいながら、恵美子もスーパーで働き、
雄二は知り合いの町工場で半ば「住み込み」の様にして必死に成って働いた。

そして一〇年借金も、略返し終わった頃、恵美子の心に隙が出来たのか、
其れとも雄二の両親から、
「生活苦対する愚痴を毎日の様に聞かされ」
「悪いのは恵美子だと言わんばかりの、両親の罵りに耐えられなかったのか」
勤め先であるスーバーの店長と「男と女」の関係を持つように成っていた。

生真面目で仕事一途な雄二は、そんな事も露知らず、毎日夜遅くまで働いて居た。

恵美子は店長との関係が深まるに連れ、帰宅時間が遅く成ってきた。
咎める「姑」には
「本部の研修会に行っていた」とか「新店舗の開店準備に駆り出された」
などと言ってその場をかわしていた。

そんなある日の夜、恵美子の勤めるスーパーの同僚と名乗る女から、
「お宅の奥さん、内の店長と浮気してる、ご主人は気付いていないのか」
と言うタレコミの電話があった。
雄二はそんな話も真に受けず「女同士の妬み」からの告げ口と受け流していた。
其れが真実に成って恵美子の口から「別れて欲しい」と告げられたのは1ヶ月後の事で有った。
店長が転勤で埼玉県に行くとい言う、
「私もあの人に着いて行きたい」と言い出したのだ。
さすがの雄二も怒った、結婚以来一度も恵美子に手を上げた事のない雄二で有ったが、
其の時だけは、恵美子の頬を思い切り殴っていた。

その後雄二は「子供達」にこの事実を話して聞かせた。
意外にも、上の二人(長男・長女)は、その事は知ってたよ。と言うのである。
そして「お父さんが仕事ばかりに夢中に成って、お母さんをほったらかしにするからだ」
と雄二が責められた。
「でも俺たちは、お母さんとは一緒に行かないよ、お父さんの傍に居る」と言うのである。

「覆水盆に帰らず」と言う言葉が有る。一度零れた水は元には収まらない。
恵美子はボストンバック一つを持って家を出て行った。
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柿田川慕情 。其のニ

柿田川慕情03
私、
恵美子は今でこそ北関東の地方都市でスナックの雇われママをして居りますが、
30年前までは夫と共に働き、事業の失敗で作った借財を背負いながらも、
普通の主婦として、ごく平凡な生活を送っていたのでございます。
今思えば、あの当時は金の事では大変な思いをしましたが、
三人の子供と真面目な夫に囲まれてそれなりに幸せな一時期でした。

その事を知って居るのは、いまでは私の回りには一人として居ません。
今と成っては、そんな時代も風化した過去と成りつつあります。
おそらく、別れた夫と三人の子供の中にある私の記憶も、
殆ど残っていない事でしょう。

寂しい事です。けれど、六十近くなっても水草稼業に身をやつしているのも、
夫子供と離れて暮らさなければ成らないのも、もとを正せばみんな自分の
せいなのです。

もう二十年前に成るでしょう。
夫と共に働き10年掛かってやっと借財の目途も付いた、心の緩みから、
私は悔やんでも悔やみきれない過ちを犯してしまいました。
それは、夫や子供に対するひどい裏切りでした。

己の身から出た錆で、夫や子供から一生、
恨まれても仕方がないとは重々承知しています。
その上で、還暦を目の前にして私は彼らが恋しくて成らないのです。

すべては、年のせいなのでしょう。幸せだった過去が、
懐かしくて堪らない昨今なのです。出来る事なら、あの暖かい家庭に
もう一度、戻りたい・・・

そう願う事が、どれ程虫のいいことか痛いほど判っているつもりです。
自分の手で壊しておきながら、心休まる家庭が欲しいと望むなど、
決して叶えられる事ではないでしょう。
しかし、失ってみて初めて判る家庭のありがたさなのです。
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柿田川慕情 。其の三

柿田川慕情06
恵美子が雄二の元を去ってから、20年の歳月が流れた。
雄二には5人の孫も出来、現在は末っ子と二人暮しである。
その末っ子は「隆司」と言うのだが、其の隆司の言うには。
「最近姉貴の処に、お母さんから、頻繁に電話が有るらしいよ。
 孫の顔を見たいとか、お父さん元気で居るか、とか言ってるらしい。
 お母さんは今、独り暮らしらしいよ。
 何でも、相手の男は他に女を作って家を出てったらしい。
 もう5年も前の事だってよ。姉貴はお母さんの事嫌ってるからね。
 真面目な姉貴は浮気して、子供を捨てる親は許せない。
 母親として子供命の、姉貴には、お母さんが許せないみたいだよ」

「うぅそんな事が有ったのか、人様の女房に手を出す奴は、元々女に
 だらしない、無責任な奴よ。恵美子も其れに気付いた訳だ。
 其れで恵美子は元気で居るのか」

「あれ、親父は未だお母さんの事気に成るのかい。
 そう言えば、再婚の話しは結構有ったらしいが、皆親父が断った、と言うじゃん。
 今でもお母さんの事が好きならば、親父の方から”帰って来い”と言ってあげたら」

「そう簡単に行くものか。俺だってプライドって言うものもあるさ」

「何言ってるんだい、20年もお母さんを忘れられずに、再婚せずに来たんだろう。
 素直に帰ってきて呉れ、て言えば良いじゃん。
 姉貴は反対するかも知れないけれどね」

「お姉ちゃんだって本当は心の中では”母恋しい”と思ってるよ。
 今子育てに夢中だから、その気持ちを萎えさない為にも、
 子供を捨てた母親を憎む気持ちで、心を支えて居るのさ。
 本当に今一番母親が欲しいのは娘の筈だよ。
 育児のこと、家事の事、何でも相談できるのは母親だからな」
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柿田川慕情 。其の四

柿田川慕情09
二十年の歳月は確実に恵美子を変えていた。
首の辺りの小じわが目立つ、頭髪も白髪が目立つて居る、身長も心持、低く成ったようだ。
豊かだった乳房も垂れ気味だ、全体にやつれが目立つ、苦労したのだろう。

恵美子は私にしがみつく様にして。
「もう貴方の傍を離れない、こんなおバァちゃんでごめんなさい」
「後悔ばかりの二十年だったわ」
「これからは、ずうっと貴方についていくから、捨てないでね」

「俺が愛した女は後にも先にも恵美子一人だよ」
「二十年待って居たんだよ、もう離しはしないさ」

「うれしいわ、本当にごめんなさい」

恵美子は起き上がって私の股間に手を伸ばして来た。
「ねえ、貴方のおチンチン元気だった、何時も夢に出てきていたのよ」
「そして、貴方を求めて一人濡らして泣いて居たわ」

恵美子は私の浴衣の裾を押し開き、ブリーフを引き摺り下ろす様にして取り払った。
未だうな垂れたままの「我が一物」の根元を左手で握り締め、右手で、しこしこと、しごき始めた。
半立ちに成ってきた一物を恵美子は口にくわえてカリの辺りを嘗め回す。
その仕草は二十年前と変わっていなかった。

「ねぇ貴方のおチンチンの毛も随分白いものが目立つわね」

「俺も六十五歳だぞ、何時までも黒いままじゃ居られないさ」

「そうよね、私も五十九歳だものね、私の毛も同じかしら、
自分じゃ気づかないけど、貴方よく見てくれる」

恵美子は大胆にも自ら浴衣の腰の辺りをたくし上げ、私の顔の上に局所を宛がって来た。
所謂69の形に成ったのだ、矢張り恵美子の本質は淫乱なのかも知れない。
良く五年我慢したものだ、と妙に恵美子がいじらしくなって来た。
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柿田川慕情 。其の五

離婚した男女が、再び一緒になるというケースは良くあることだ。
一度は惚れ合った仲。何かが原因となって別れたとしても、
再び互いを求め合う事になっても、なんら不思議ではないだろう。
しかし雄二と恵美子の場合は事情が複雑であった。
恵美子が入籍再婚した相手が五年以上も音信不通で籍が抜けずに居るのだ。
法的に離婚をさせるにも暫く時間がかかりそうである。
◇思い出が蘇る日◇
柿田川慕情11
バス停に向かう坂道に光っていたのは五円玉でした。無意識に拾い上げた私は、
これも無意識に周囲を見回して、苦笑しました。通勤時間を終えた住宅街の道路です。
電線上にカラスがいるだけで、全くの無人、それに、誰がみていたにしても五円玉、
咎め立てする人は居ないだろうに、と苦笑いしたのです。

その五円玉を掌で弄びながら道を下って、私は寺の塀角を左に曲がりました。
その背後にバスが姿が現れ、私は五円玉をジャケットのポケットに落として、
少し先の寺の門前にある、バス停にはしました。

空いている座席に腰を降ろして、車窓の外を一瞥したとき、眺めた景色とはまったく
脈絡の無い、過去の何かのシーンが頭の隅をふとよぎりました。
何だっけ、何かの記憶、五円玉・・・。
思い出せないと気に成ります。私は眼を閉じて、記憶のページを捲りました。
そして、ああ、と独り頷きました。

それは私が恵美子と初めて出会った頃の事でした。
当時私は24歳、恵美子は18歳で勤め先近くのカレー屋のウェイトレスをしておりました。
私は東京の大学を卒業して故郷の三島に帰り、近くの町工場に就職し二年目でした。
ジャケットのポケットに小銭をジャラジャラさせ、昼飯時何気なくふらりと入ったカレー屋。

驚いたことに、とびきり美味しいカレーでした。かなり大きな皿に平べったく盛られてあり、
普通のカレーより赤い色をしていました。確かにカレーなのだけど、
甘くて上品な味がしました。それは、今まで食べたことも無いような味で、
一口食べただけでもう、舌がうっとりとしてしまいました。

そして、そのカレーを私のテーブルに運んでくれたウェイトレスが、恵美子だったのです。
清水の漁師の娘で高校を卒業して、三島の親戚の家に寄宿していました。
仲良くなったのは、それ以来私が、週に三回は其の店に足を運びカレーを
食べ続けて居たからです。

漁師の娘にしては色白の面長で、ちょつと神経質そうな目の表情をしていました。
でも二月も通ううちに、私のテーブルにカレーを運ぶ時だけは、
なんだか恥ずかしそうに笑うようになっていました。
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柿田川慕情 。其の六

◇シーツについた赤い染み◇
柿田川慕情14
私はさらに、尻の穴まで舐めつくしてゆきました。
「いや、いやっ、やめてえっ」
妻は何度もそう叫びましたが、私はもう、すっかり混乱し、興奮しきっていました。
その柔らかさと圧倒的なボリュームの感触が、
むしろ私の方を引きずり込んでゆくような気配で迫ってきていたのです。

やがて恵美子は、声を上げて泣き出しました。
で、ようやく私も、我にかえりました。一体俺は、何をしていたんだ、と。
「ごめん・・・」
小さく震える妻の背中に向かって、そう呟きました。

しばらく沈黙が続きました。
私はもう、うつ伏せの侭の恵美子の横に座りこんで、
そっと背中を撫で続けるしかありません。

まもなく恵美子は泣き止みました。
そして突然起き上がり、何か思い詰めた様な目をして、私をじっと見つめてきました。
「ごめん」
うろたえて私は、同じ台詞を繰り返しました。
そして、つんと尖った紡錘形の乳房を、ちら、と見ました。

「ねえ。ほんとに、あたしのこと、愛してくれてる?」
「もちろんさ。一生大切にするよ」
「ほんとね?」
「うん。ぜったいだよ」
「ごめんなさい」
今度は恵美子の方が誤り、ちょっと気難しげな顔になり、
なんと私の股間に手を伸ばして来たのでした。

「ううっ!」
いきなりペニスを握られたその柔らかい掌の感触に、胸の中がヒヤリとしました。
巧く言えないのだけれど、なにか知らない処に迷い込んだような心地になったのです。

まだ十九歳の清純な女が、こんなことをするなんて・・・
その掌に、心の中を丸ごと包み込まれたような、そんな思わず涙ぐみそうな驚き・・・
普通なら、この女やっぱり処女ではないのか、と疑うところなのでしょうが、
その時の私はそんな迷いはまるでなく、心底俺は今処女の掌に握られている、
と言う感動の中にいました。しかも、其の後恵美子は、目を瞑り、
ゆっくりとペニスに顔を顔を被せてきました。
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姉の千恵子と伯母の喜美代四十歳。其の一

◇初めて見た事◇
近親者との性体験01
裏の森で木の葉ずくが鳴く時代の初夏の頃の思い出話をしてみようと思う。

夜の鳥の声も聞こえず、のんびりとしていた村も今や街と化してしまったが、
性に痺れるような興味のあったあの時代がたまらなく懐かしく思うのは
私一人だけだろうか。

姉の千恵子が私の肩を揺すった。
「ほらっ、下で何か音がしてない」
寝ぼけた眼で耳を澄ませて見たけれど特別の物音は聞こえなかった。
母さんが帰って来たんじゃないかと言うと、ずっと前に誰かと一緒に来たと言った。
「ねぇ、泣いてる様な変な声聞こえない?」
私は布団から起き上がって下に行こうとすると、ダメだと、引き止められた。

姉は私を階段の踊り場に連れて行って、足元の居間と奥の客間を覗かせた。
客間の襖は開いていて、母親が半裸で男に押さえつけられ声を殺して喘いでいた。

良く見ると母の白い腕は男の首にまきついて、白い股が身体の上に重なって、
うねうねと動いている男の裸の尻に絡みつき、ゆらゆらと揺れていた。

私と姉は頬を寄せ息を詰めて、居間の明かりに半分照らされた男女の
絡み合いに見入っていた。

私の背中を抱くようにしゃがみ込んだ姉の身体はうっすらと汗ばみ、
むっと下腹部から酸っぱいような匂いが立ち込めた。
乳首が尖って浴衣越しに私の肩甲骨あたりに擦りつけられていた。
暫くの間、大きく細かく腰を蠢かせて居た姉と私は、動きを止めて上下入れ替わっていた。

母は身体に纏わり着いていたシュミーズを脱ぎ、全裸に成って男の腰を跨いで、
ユラユラと腰を揺らし始めると、乳房が重そうに揺れ、すかさず男の手が伸びて、
二つの乳房を掴んで腰を煽り、ああ、はあ、という溜め息の様な息を吐くのが聞こえた。

「すげえなあ・・・」私はかすれた声で姉に囁いた。
姉はそれには答えず、細かく身体を震わせて息を弾ませ、
乾いた喉にゴクリと空唾を飲み込んだ。

どれくらい時間が過ぎたのか、覗いている二人には長かったようでもあり、おっという間の
ことにも思えたが、母親と見知らぬ男はひしと抱き合って、ううっと呻いて動きを止めた。
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姉の千恵子と伯母の喜美代四十歳。其の二

◇別人のように◇
近親者との性体験04
翌朝、二階から降りる時に姉に、
『姉ちゃん、今夜なっ』と耳打ちした。
「わかんない、ゆうべあんなことしたら月経に成りそうなんよ」

県立の高等女学校二年生にしては小作りな姉は答えた。
台所では味噌汁の良い匂いがしていた。

母は昨夜の事など何も無かった様な顔をしていた。
「ほらっ、急がないと遅れるよ」

私達は父親は東京に本社の有る会社に就職し、地元の工場で働いて居たのだが、
偉く成る為には、本社工場で数年実績を積まなければ成らないと言って、
単身赴任で東京の工場で働いていて帰って来るのは月に一度と盆暮れ位だった。

我が家には自家消費用の小さな畑は有ったが、非農家だったので、
母は織物会社の事務員として勤めていた関係で、朝は家中が忙しかった。

夕方は私が帰り、姉が帰って来てから、暫くしてから母が帰宅していた。
勉強しろなどと言われる事の無かった私は、友達と野球の真似事をしたり、
野山を駆け回って遊んでいた。
当時私は中学一年生だったが、身長はクラスでも一番でかく、
日焼けして逞しい身体は三年生にも負けない位だった。

風呂を沸かすのは私の仕事で、水を汲み薪に火をつけ、火吹き竹で吹き、
太い薪を放り込むと、少し余裕の時間が出来た。
その間に私は風呂に入るのである。初夏の六時は夕陽が沈まず明るかった。

風呂から出た処で、姉が帰って来たのに鉢合わせした。
『姉ちゃん、ほらっ』
私は裸のままで半立ちの陰茎の先を剥いて、赤い亀頭をむき出して見せた。
「ばかみたい。そんなん出しちゃって」
言いながらも姉はそれをそっと掌に包んだ。

途端に陰茎はむくむくと体積をまして、掌一杯に勃起した。
「うわっ。すごい。へぇぇ、こんなんなるんだあ。これがアソコに填まるんだあ」
『そうさ、だから今夜嵌めさせろよ』
「おっかないから嫌だ。でも可愛い」
『姉ちゃんのも見せろよ』
「だめっ。母ちゃんが帰って来るから、さるまたはきなよ」

姉が風呂に入った。私も中に入ろうと、ガラス戸を開けようとしたが、
中から鍵が掛かっていた。
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姉の千恵子と伯母の喜美代四十歳。其の三

◇奥の寝間へ◇
近親者との性体験06
私達の家から百メートルほど離れた所に屋敷森に囲まれた叔父の家があり、
私達は「本家」と呼んでいた。

夏休みに入る前の日曜日の早朝、何時もの様に私は川に仕掛けた置き針を上げに、
行ったが獲物は無かった。朝霧に足を濡らし本家の側を歩いた。
母と姉は日曜日の朝はいつもゆっくりと寝ていて、五時前には起きなかった。

宵待ち草の黄色い花が萎れて露に濡れていたり、藪影には蛍袋の紫の花が
盛んに咲いていた。

放し飼いの本家の犬が、人なつっこく私の後に従って歩いていた。

前方の道から少し高い所に有る畑の中に、寝間着の裾を尻はしょりして、
しゃがんでいたのは叔母の喜美代だった。
実り始めた茄子をもいでいた。ふっくらした顔立ちの優しい女(ひと)で、
私は前から叔母が好きだった。

私の目の高さにしゃがんでいる叔母の寝間着の下はノーズロースで、
白い股の奥には黒い陰毛が見えた。

叔母は其れを隠そうともせず、その侭の格好で手を伸ばし、
ユックリと茄子を鋏で摘み取っていた。

私は目を逸らせたが、白く開かれた股が左右に動き、
黒い艶々した陰毛が見え隠れしていると、
吸い寄せられる様に、視線が其処に戻ってしまうのだった。

「初物だからね、母ちゃんに持って行ってやんな」
叔母はその侭の格好を崩さず、ニ、三歩石垣の上までいざって来て、
籠から紫色の濃い茄子を私に差し出した。

寝間着の襟が肌蹴て、コロコロとした乳房の半分が見えていた。
白いはちきれそうな肉の奥の陰毛の間にひしゃげた形の割れ目が覗いて、
こげ茶色の肉片が垂れ、赤い中身の肉が少し見えていた。

空の魚篭を差し出して、一つ二つと篭が一杯に成るまで茄子を受け取ったが、
金縛りにあった様に割れ目から視線を逸らす事が出来なかった。
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姉の千恵子と伯母の喜美代四十歳。其の四

◇唾をつけ◇
近親者との性体験09
「ああ、いいきもち、すごくいいきもちだよぅ・・・・」
叔母は今まで聞いた事も無い可愛い声で言って頬擦りをして呉れた。
私は重く密着している叔母の乱れた寝間着の腰に腕を回して、
恐る恐る抱いて引き寄せた。

ムクムクと陰茎が再び硬くたちあがった。
「あら、まあ、まあ」
叔母は急いでヌルヌルとチンポを熱い肉の間に嵌め込んで締め付けた。

「みっちゃんのチンポはいいチンポ・・・」
と言いながら口の中に舌を差し込んで、グニグニと捏ね回した。
「オマンコしたん、はじめてかい」

叔母の口から聞いて、これが間違いなくオマンコなんだと確信した。
『はじめてだょ』
「嬉しいょ。みっちゃんの初めての女になったんだもんね」
前後の言葉はおぼろげだが、この初めての女という言葉は忘れられない。
其の言葉を聞いた時、おれは大人に成ったんだな、と強烈に自覚した。

その朝、私はただ叔母の導くまま夢中で三度叔母の身体の中に射精した。
叔母の身体を知った私は、叔母の身辺をうろついていて、
オマンコを遣る機会を狙うようになった。

幾ら私が平均より大柄な子供であっても、
性器そのものは大人に適うものではなかったはずである。
しかし、僅かの間に叔母の仕込が良かったせいで、
完全に亀頭の皮が剥けて叔母は、
「おいしい、おいしい」と喜んでしゃぶるようになった。

私は夏休みになると、叔父の家に時々泊まり込むようになった。
叔母が私の母に交渉して私を泊らせたからである。
叔父も子供のない叔母が母性に目覚めたと笑って居たそうで有る。
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姉の千恵子と伯母の喜美代四十歳。其の五

◇秘密を語った◇
近親者との性体験12
私は姉のきつい膣の中に大量の精液を注ぎ込んで満足すると、その侭眠った。
姉はしくしく泣いていた。何で泣くのかも知らず、妊娠の心配もすることはなく、
全く無責任な初性交でした。
翌朝、姉は泣き腫らした顔で私には一言も口をきかなかった。

姉は次ぎの夜からは自分からズロースを脱いで私を誘った。
その誘いを断る理由もなく、
叔母の暑苦しく一方的にリードされる性交よりも、
自分が主導権の取れる姉との方が楽しく、ワクワクしたものである。

野球仲間の友達が、初めて遣る時はクリームか何かかを
塗ると良いと言ってたのを思い出した。

私は其の夜、寝る前に、母の鏡台の前に置いてあった
「クラブ」だか「ウテナ」だったか忘れたが、
白い小瓶から指先にクリームを少し失敬しておいて、
姉の小さい膣口に塗った。昨夜の様な軋みもなく、
ぐりっと勃起は狭いところを潜って奥まで嵌り込んだ。

『どうだ。痛くねぇだろう』
「痛いよう。でも、ゆうべほどじゃない」

私は抽送をしたり休んだりして、姉が尻を振ったり、
不器用に私の動きに合わせたりするのに感じて、
姉の気持ちなど考える余裕もなく一気に射精した。

其の夜も遅く成ってから、一階では母の喘ぎ声がしていたが、
私と姉は二度目の性交に夢中で、覗きに行く気にも成れなかった。
母の相手が誰であろうと関心がなくなっていた。
しかし、やがて相手の男は本家の叔父で有ることが分かった。

月経が終った叔母と、私は再びオマンコを遣るようになった。
姉の身体も経験して自信がつき、何時もと違って叔母の指示ではなく、
自分が遣りたいように叔母を攻め立てた。
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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