或る娼婦の思い出。其の一
◇不良少年◇
私が不良少年のレッテルを貼られたのは、中学二年の時、昭和33年の事であった。
売春防止法がついに施行された年のことで、この事が後に私の生活に深く
関わって来る事に成ろうとは、その時は、思ってもみなかった。
小学校時代も中学に入ってからも、小心者で大人しく目立たなかった私が、
突然、不良と呼ばれる事に成るには、それなりの理由はあった。
不運と言うしかないが、妹への誕生日のプレゼントを買う為に行ったデパートで、
警備員に追われて来た万引き犯の学生数人とぶつかり、転んでしまったのだ。
「やったろ」「やらない」の水掛論になったが、
私の足元に落ちていたパーカーの万年筆が動かぬ証拠として、私は、
児童相談所の保護室に入れられてしまうことになった。
窓には鉄格子があってドアには鍵があって、まるで監獄も同然だった。
そこに三日ばかり泊められた。威されたりすかされたりされて取り調べられ、
結局は証拠不十分、ネリカン(練馬鑑別所)行きはまぬがれ釈放されたものの、
三日ぶりに学校に行くとクラスメートの視線が全く変わっていた。
私をまるで泥棒を見るような目で見、誰もが口をきいて呉れなくなったのだ。
中には、露骨に、私に近づくと、
「鞄の中には気をつけましょう」
などと私に当て擦るように大声を張り上げる者までいた。
そんな私に親しく近づいて来たのが校内では鼻つまみ者の不良グループだった。
当時の不良と呼ばれる連中も、昨今の不良に比べれば可愛いもので、
わざと遅刻をし、校舎の裏で煙草の回しのみをしたり、
禁止されていたジャズ喫茶などに行くといった程度のものだった。
時折、気にいらない奴がいると呼び出して殴る程度の事はしたが、
相手を殴り殺してしまうほどのリンチを加えたことはない。
ま、いわば手加減というものは、子供の頃から、親兄弟あるいは先生のビンタを
常日頃から食らっていたのでおのずと知っていたのである。
しかし、我々は、探検と称して、夜の盛り場を何時もフラついていた。
私が不良少年のレッテルを貼られたのは、中学二年の時、昭和33年の事であった。
売春防止法がついに施行された年のことで、この事が後に私の生活に深く
関わって来る事に成ろうとは、その時は、思ってもみなかった。
小学校時代も中学に入ってからも、小心者で大人しく目立たなかった私が、
突然、不良と呼ばれる事に成るには、それなりの理由はあった。
不運と言うしかないが、妹への誕生日のプレゼントを買う為に行ったデパートで、
警備員に追われて来た万引き犯の学生数人とぶつかり、転んでしまったのだ。
「やったろ」「やらない」の水掛論になったが、
私の足元に落ちていたパーカーの万年筆が動かぬ証拠として、私は、
児童相談所の保護室に入れられてしまうことになった。
窓には鉄格子があってドアには鍵があって、まるで監獄も同然だった。
そこに三日ばかり泊められた。威されたりすかされたりされて取り調べられ、
結局は証拠不十分、ネリカン(練馬鑑別所)行きはまぬがれ釈放されたものの、
三日ぶりに学校に行くとクラスメートの視線が全く変わっていた。
私をまるで泥棒を見るような目で見、誰もが口をきいて呉れなくなったのだ。
中には、露骨に、私に近づくと、
「鞄の中には気をつけましょう」
などと私に当て擦るように大声を張り上げる者までいた。
そんな私に親しく近づいて来たのが校内では鼻つまみ者の不良グループだった。
当時の不良と呼ばれる連中も、昨今の不良に比べれば可愛いもので、
わざと遅刻をし、校舎の裏で煙草の回しのみをしたり、
禁止されていたジャズ喫茶などに行くといった程度のものだった。
時折、気にいらない奴がいると呼び出して殴る程度の事はしたが、
相手を殴り殺してしまうほどのリンチを加えたことはない。
ま、いわば手加減というものは、子供の頃から、親兄弟あるいは先生のビンタを
常日頃から食らっていたのでおのずと知っていたのである。
しかし、我々は、探検と称して、夜の盛り場を何時もフラついていた。
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或る娼婦の思い出。其の一
◇不良少年◇
私が不良少年のレッテルを貼られたのは、中学二年の時、昭和33年の事であった。
売春防止法がついに施行された年のことで、この事が後に私の生活に深く
関わって来る事に成ろうとは、その時は、思ってもみなかった。
小学校時代も中学に入ってからも、小心者で大人しく目立たなかった私が、
突然、不良と呼ばれる事に成るには、それなりの理由はあった。
不運と言うしかないが、妹への誕生日のプレゼントを買う為に行ったデパートで、
警備員に追われて来た万引き犯の学生数人とぶつかり、転んでしまったのだ。
「やったろ」「やらない」の水掛論になったが、
私の足元に落ちていたパーカーの万年筆が動かぬ証拠として、私は、
児童相談所の保護室に入れられてしまうことになった。
窓には鉄格子があってドアには鍵があって、まるで監獄も同然だった。
そこに三日ばかり泊められた。威されたりすかされたりされて取り調べられ、
結局は証拠不十分、ネリカン(練馬鑑別所)行きはまぬがれ釈放されたものの、
三日ぶりに学校に行くとクラスメートの視線が全く変わっていた。
私をまるで泥棒を見るような目で見、誰もが口をきいて呉れなくなったのだ。
中には、露骨に、私に近づくと、
「鞄の中には気をつけましょう」
などと私に当て擦るように大声を張り上げる者までいた。
そんな私に親しく近づいて来たのが校内では鼻つまみ者の不良グループだった。
当時の不良と呼ばれる連中も、昨今の不良に比べれば可愛いもので、
わざと遅刻をし、校舎の裏で煙草の回しのみをしたり、
禁止されていたジャズ喫茶などに行くといった程度のものだった。
時折、気にいらない奴がいると呼び出して殴る程度の事はしたが、
相手を殴り殺してしまうほどのリンチを加えたことはない。
ま、いわば手加減というものは、子供の頃から、親兄弟あるいは先生のビンタを
常日頃から食らっていたのでおのずと知っていたのである。
しかし、我々は、探検と称して、夜の盛り場を何時もフラついていた。
私が不良少年のレッテルを貼られたのは、中学二年の時、昭和33年の事であった。
売春防止法がついに施行された年のことで、この事が後に私の生活に深く
関わって来る事に成ろうとは、その時は、思ってもみなかった。
小学校時代も中学に入ってからも、小心者で大人しく目立たなかった私が、
突然、不良と呼ばれる事に成るには、それなりの理由はあった。
不運と言うしかないが、妹への誕生日のプレゼントを買う為に行ったデパートで、
警備員に追われて来た万引き犯の学生数人とぶつかり、転んでしまったのだ。
「やったろ」「やらない」の水掛論になったが、
私の足元に落ちていたパーカーの万年筆が動かぬ証拠として、私は、
児童相談所の保護室に入れられてしまうことになった。
窓には鉄格子があってドアには鍵があって、まるで監獄も同然だった。
そこに三日ばかり泊められた。威されたりすかされたりされて取り調べられ、
結局は証拠不十分、ネリカン(練馬鑑別所)行きはまぬがれ釈放されたものの、
三日ぶりに学校に行くとクラスメートの視線が全く変わっていた。
私をまるで泥棒を見るような目で見、誰もが口をきいて呉れなくなったのだ。
中には、露骨に、私に近づくと、
「鞄の中には気をつけましょう」
などと私に当て擦るように大声を張り上げる者までいた。
そんな私に親しく近づいて来たのが校内では鼻つまみ者の不良グループだった。
当時の不良と呼ばれる連中も、昨今の不良に比べれば可愛いもので、
わざと遅刻をし、校舎の裏で煙草の回しのみをしたり、
禁止されていたジャズ喫茶などに行くといった程度のものだった。
時折、気にいらない奴がいると呼び出して殴る程度の事はしたが、
相手を殴り殺してしまうほどのリンチを加えたことはない。
ま、いわば手加減というものは、子供の頃から、親兄弟あるいは先生のビンタを
常日頃から食らっていたのでおのずと知っていたのである。
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或る娼婦の思い出。其の二
◇初めて見る女陰◇
菱形の小窓からチラッと見たところでは30代半ばといった感じの女だった。
そして、ドアを開くと、女が半身を覗かせた。
寝間着の胸元を開け、豊満な乳房がだらしなく覗いていて、
いきなり私の目に飛び込んできた。
ゴクッ!私は恥ずかしい位はっきりと喉をならしていた。
「兄ちゃん、答えられないのかい?誰に教わったか知らないけど、馬鹿な真似は止めとき、
スマキにされて荒川にでも放り投げられたってあたしゃ知らないよ、見れば学生じゃないか」
女は、思いの外、優しい目をしていた。
「お客さん、この子が何言ったか知らないけど、
あたしゃ、そういう女じゃないんですよ。帰ってくださいな」
そう言って、部屋に入ろうとするお客を押し戻してしまった。
「チッ、小僧、人を馬鹿にしやがって・・・」いきなり私の頬に酔客のビンタが飛び、
それで気が収まったのか、客は渋々と外へ出て行った。
「兄ちゃん、何でこんなことしたのよ。金が欲しかったのかい?」
女は急に優しい声を出していった。
私は、ポン引きして金を貯めて、女を買って筆下ろししたかったことを正直に話した。
すると、女はひとしきり大笑いして、
「ま、兄ちゃん、いいから中に入んなさいよ」
私は恐る恐るといった感じで中に入った。部屋の中には、夜具が一つ置いてあるだけで
生活の匂いはなく、流しの傍に出前の丼が一つ置いてあるだけだった。
「お兄ちゃん、童貞だったら女のカラダみた事ないんだろぅ。
見せてあげようか、これも何かの縁だからね。
あたしにもあんたぐらいの弟が居たんだよ。あんたを他人のようには思えないわ」
女は妙に饒舌になりながら私の前に立ち上がると、
するすると寝間着の帯を解き前を肌蹴たのだ。
「お、お姐さん!」私は一声呻くと、
たちまち露になった裸身に見入ってしまった。口もきけぬほどに興奮し、
カラダがブルブルと震えてき、股間のモノは痛いほどに勃起してきた。
きちんと正座して両膝に手を置き、見入る私の姿は、何とも滑稽だった事だろう。
菱形の小窓からチラッと見たところでは30代半ばといった感じの女だった。
そして、ドアを開くと、女が半身を覗かせた。
寝間着の胸元を開け、豊満な乳房がだらしなく覗いていて、
いきなり私の目に飛び込んできた。
ゴクッ!私は恥ずかしい位はっきりと喉をならしていた。
「兄ちゃん、答えられないのかい?誰に教わったか知らないけど、馬鹿な真似は止めとき、
スマキにされて荒川にでも放り投げられたってあたしゃ知らないよ、見れば学生じゃないか」
女は、思いの外、優しい目をしていた。
「お客さん、この子が何言ったか知らないけど、
あたしゃ、そういう女じゃないんですよ。帰ってくださいな」
そう言って、部屋に入ろうとするお客を押し戻してしまった。
「チッ、小僧、人を馬鹿にしやがって・・・」いきなり私の頬に酔客のビンタが飛び、
それで気が収まったのか、客は渋々と外へ出て行った。
「兄ちゃん、何でこんなことしたのよ。金が欲しかったのかい?」
女は急に優しい声を出していった。
私は、ポン引きして金を貯めて、女を買って筆下ろししたかったことを正直に話した。
すると、女はひとしきり大笑いして、
「ま、兄ちゃん、いいから中に入んなさいよ」
私は恐る恐るといった感じで中に入った。部屋の中には、夜具が一つ置いてあるだけで
生活の匂いはなく、流しの傍に出前の丼が一つ置いてあるだけだった。
「お兄ちゃん、童貞だったら女のカラダみた事ないんだろぅ。
見せてあげようか、これも何かの縁だからね。
あたしにもあんたぐらいの弟が居たんだよ。あんたを他人のようには思えないわ」
女は妙に饒舌になりながら私の前に立ち上がると、
するすると寝間着の帯を解き前を肌蹴たのだ。
「お、お姐さん!」私は一声呻くと、
たちまち露になった裸身に見入ってしまった。口もきけぬほどに興奮し、
カラダがブルブルと震えてき、股間のモノは痛いほどに勃起してきた。
きちんと正座して両膝に手を置き、見入る私の姿は、何とも滑稽だった事だろう。
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或る娼婦の思い出。其の二
◇初めて見る女陰◇
菱形の小窓からチラッと見たところでは30代半ばといった感じの女だった。
そして、ドアを開くと、女が半身を覗かせた。
寝間着の胸元を開け、豊満な乳房がだらしなく覗いていて、
いきなり私の目に飛び込んできた。
ゴクッ!私は恥ずかしい位はっきりと喉をならしていた。
「兄ちゃん、答えられないのかい?誰に教わったか知らないけど、馬鹿な真似は止めとき、
スマキにされて荒川にでも放り投げられたってあたしゃ知らないよ、見れば学生じゃないか」
女は、思いの外、優しい目をしていた。
「お客さん、この子が何言ったか知らないけど、
あたしゃ、そういう女じゃないんですよ。帰ってくださいな」
そう言って、部屋に入ろうとするお客を押し戻してしまった。
「チッ、小僧、人を馬鹿にしやがって・・・」いきなり私の頬に酔客のビンタが飛び、
それで気が収まったのか、客は渋々と外へ出て行った。
「兄ちゃん、何でこんなことしたのよ。金が欲しかったのかい?」
女は急に優しい声を出していった。
私は、ポン引きして金を貯めて、女を買って筆下ろししたかったことを正直に話した。
すると、女はひとしきり大笑いして、
「ま、兄ちゃん、いいから中に入んなさいよ」
私は恐る恐るといった感じで中に入った。部屋の中には、夜具が一つ置いてあるだけで
生活の匂いはなく、流しの傍に出前の丼が一つ置いてあるだけだった。
「お兄ちゃん、童貞だったら女のカラダみた事ないんだろぅ。
見せてあげようか、これも何かの縁だからね。
あたしにもあんたぐらいの弟が居たんだよ。あんたを他人のようには思えないわ」
女は妙に饒舌になりながら私の前に立ち上がると、
するすると寝間着の帯を解き前を肌蹴たのだ。
「お、お姐さん!」私は一声呻くと、
たちまち露になった裸身に見入ってしまった。口もきけぬほどに興奮し、
カラダがブルブルと震えてき、股間のモノは痛いほどに勃起してきた。
きちんと正座して両膝に手を置き、見入る私の姿は、何とも滑稽だった事だろう。
菱形の小窓からチラッと見たところでは30代半ばといった感じの女だった。
そして、ドアを開くと、女が半身を覗かせた。
寝間着の胸元を開け、豊満な乳房がだらしなく覗いていて、
いきなり私の目に飛び込んできた。
ゴクッ!私は恥ずかしい位はっきりと喉をならしていた。
「兄ちゃん、答えられないのかい?誰に教わったか知らないけど、馬鹿な真似は止めとき、
スマキにされて荒川にでも放り投げられたってあたしゃ知らないよ、見れば学生じゃないか」
女は、思いの外、優しい目をしていた。
「お客さん、この子が何言ったか知らないけど、
あたしゃ、そういう女じゃないんですよ。帰ってくださいな」
そう言って、部屋に入ろうとするお客を押し戻してしまった。
「チッ、小僧、人を馬鹿にしやがって・・・」いきなり私の頬に酔客のビンタが飛び、
それで気が収まったのか、客は渋々と外へ出て行った。
「兄ちゃん、何でこんなことしたのよ。金が欲しかったのかい?」
女は急に優しい声を出していった。
私は、ポン引きして金を貯めて、女を買って筆下ろししたかったことを正直に話した。
すると、女はひとしきり大笑いして、
「ま、兄ちゃん、いいから中に入んなさいよ」
私は恐る恐るといった感じで中に入った。部屋の中には、夜具が一つ置いてあるだけで
生活の匂いはなく、流しの傍に出前の丼が一つ置いてあるだけだった。
「お兄ちゃん、童貞だったら女のカラダみた事ないんだろぅ。
見せてあげようか、これも何かの縁だからね。
あたしにもあんたぐらいの弟が居たんだよ。あんたを他人のようには思えないわ」
女は妙に饒舌になりながら私の前に立ち上がると、
するすると寝間着の帯を解き前を肌蹴たのだ。
「お、お姐さん!」私は一声呻くと、
たちまち露になった裸身に見入ってしまった。口もきけぬほどに興奮し、
カラダがブルブルと震えてき、股間のモノは痛いほどに勃起してきた。
きちんと正座して両膝に手を置き、見入る私の姿は、何とも滑稽だった事だろう。
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- 或る娼婦の思い出。其の三 (2011/04/26)
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或る娼婦の思い出。其の三
◇ポン引きのアルバイト◇
女は清江さんと言って16歳で吉原に売られ、売春防止法施行までは吉原で働いていた。
私が会った時が36歳だったから、売防法以後、トルコ風呂街(今のソープランド)として
生まれ変わった吉原では年がいきすぎていて生き残れなかったと言う事だった。
売防法で自由の身になったものの、働き口も無く、ニコヨンの下働きなどしていたが、
結局は池袋に流れ、街娼を遣っているところをK組の幹部に声を掛けられ、
結局は売春アパートで暮らす事に成ったのだと言っていた。
そんな清江さんだが、赤線の中では由緒ある吉原に居た事が自慢だった。
「このアパートには6人の女がいるけどさ、床上手なのはあたしが一番さ」
その後、私は清江さんの所に屡出入するようになり、自慢げに何度も同じ言葉を聞かされた。
他の女たちとも口を利くようになり、私はいつしかその売春アパートのマスコット的な
存在になっていた。そのうち、清江さんがK組に話を通してくれ、
私は清江さんに限ってポン引きする権利も得た。
何時までも学生服のポン引きじゃ、お上の目に止まったらまずい事に成ると言って、
K組の幹部の川西さんと言う人が、私に背広をあつらえてくれた。
もちろん家に着て帰るわけにもいかないので、私は学校を終え、
池袋で途中下車すると真っ直ぐ清江さんの部屋へ行き、背広に着替えて街に立った。
「お兄さん、いい子がいるんですけどね、年はちょっといってるんですが、
これがまた床上手。咥えて引っ張って離さないっていう極上のお道具を持ってるんですよ」
なんて滑らかな口調で客をそそり、何人もの男を清江さんの元に送り込んだ。
今にして思えば、清江さんは童貞の私に筆下ろしをしてくれた人だ。
女が初体験の男を忘れられないように、私の清江さんに対する感情は、どこか似ていた。
清江さんが客を取っている間、居た堪れない気持ちで、ドラムと言うジャズ喫茶に行き、
ロックンロールのリズムに身を任せて、気を紛らわせていた。
女は清江さんと言って16歳で吉原に売られ、売春防止法施行までは吉原で働いていた。
私が会った時が36歳だったから、売防法以後、トルコ風呂街(今のソープランド)として
生まれ変わった吉原では年がいきすぎていて生き残れなかったと言う事だった。
売防法で自由の身になったものの、働き口も無く、ニコヨンの下働きなどしていたが、
結局は池袋に流れ、街娼を遣っているところをK組の幹部に声を掛けられ、
結局は売春アパートで暮らす事に成ったのだと言っていた。
そんな清江さんだが、赤線の中では由緒ある吉原に居た事が自慢だった。
「このアパートには6人の女がいるけどさ、床上手なのはあたしが一番さ」
その後、私は清江さんの所に屡出入するようになり、自慢げに何度も同じ言葉を聞かされた。
他の女たちとも口を利くようになり、私はいつしかその売春アパートのマスコット的な
存在になっていた。そのうち、清江さんがK組に話を通してくれ、
私は清江さんに限ってポン引きする権利も得た。
何時までも学生服のポン引きじゃ、お上の目に止まったらまずい事に成ると言って、
K組の幹部の川西さんと言う人が、私に背広をあつらえてくれた。
もちろん家に着て帰るわけにもいかないので、私は学校を終え、
池袋で途中下車すると真っ直ぐ清江さんの部屋へ行き、背広に着替えて街に立った。
「お兄さん、いい子がいるんですけどね、年はちょっといってるんですが、
これがまた床上手。咥えて引っ張って離さないっていう極上のお道具を持ってるんですよ」
なんて滑らかな口調で客をそそり、何人もの男を清江さんの元に送り込んだ。
今にして思えば、清江さんは童貞の私に筆下ろしをしてくれた人だ。
女が初体験の男を忘れられないように、私の清江さんに対する感情は、どこか似ていた。
清江さんが客を取っている間、居た堪れない気持ちで、ドラムと言うジャズ喫茶に行き、
ロックンロールのリズムに身を任せて、気を紛らわせていた。
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或る娼婦の思い出。其の三
◇ポン引きのアルバイト◇
女は清江さんと言って16歳で吉原に売られ、売春防止法施行までは吉原で働いていた。
私が会った時が36歳だったから、売防法以後、トルコ風呂街(今のソープランド)として
生まれ変わった吉原では年がいきすぎていて生き残れなかったと言う事だった。
売防法で自由の身になったものの、働き口も無く、ニコヨンの下働きなどしていたが、
結局は池袋に流れ、街娼を遣っているところをK組の幹部に声を掛けられ、
結局は売春アパートで暮らす事に成ったのだと言っていた。
そんな清江さんだが、赤線の中では由緒ある吉原に居た事が自慢だった。
「このアパートには6人の女がいるけどさ、床上手なのはあたしが一番さ」
その後、私は清江さんの所に屡出入するようになり、自慢げに何度も同じ言葉を聞かされた。
他の女たちとも口を利くようになり、私はいつしかその売春アパートのマスコット的な
存在になっていた。そのうち、清江さんがK組に話を通してくれ、
私は清江さんに限ってポン引きする権利も得た。
何時までも学生服のポン引きじゃ、お上の目に止まったらまずい事に成ると言って、
K組の幹部の川西さんと言う人が、私に背広をあつらえてくれた。
もちろん家に着て帰るわけにもいかないので、私は学校を終え、
池袋で途中下車すると真っ直ぐ清江さんの部屋へ行き、背広に着替えて街に立った。
「お兄さん、いい子がいるんですけどね、年はちょっといってるんですが、
これがまた床上手。咥えて引っ張って離さないっていう極上のお道具を持ってるんですよ」
なんて滑らかな口調で客をそそり、何人もの男を清江さんの元に送り込んだ。
今にして思えば、清江さんは童貞の私に筆下ろしをしてくれた人だ。
女が初体験の男を忘れられないように、私の清江さんに対する感情は、どこか似ていた。
清江さんが客を取っている間、居た堪れない気持ちで、ドラムと言うジャズ喫茶に行き、
ロックンロールのリズムに身を任せて、気を紛らわせていた。
女は清江さんと言って16歳で吉原に売られ、売春防止法施行までは吉原で働いていた。
私が会った時が36歳だったから、売防法以後、トルコ風呂街(今のソープランド)として
生まれ変わった吉原では年がいきすぎていて生き残れなかったと言う事だった。
売防法で自由の身になったものの、働き口も無く、ニコヨンの下働きなどしていたが、
結局は池袋に流れ、街娼を遣っているところをK組の幹部に声を掛けられ、
結局は売春アパートで暮らす事に成ったのだと言っていた。
そんな清江さんだが、赤線の中では由緒ある吉原に居た事が自慢だった。
「このアパートには6人の女がいるけどさ、床上手なのはあたしが一番さ」
その後、私は清江さんの所に屡出入するようになり、自慢げに何度も同じ言葉を聞かされた。
他の女たちとも口を利くようになり、私はいつしかその売春アパートのマスコット的な
存在になっていた。そのうち、清江さんがK組に話を通してくれ、
私は清江さんに限ってポン引きする権利も得た。
何時までも学生服のポン引きじゃ、お上の目に止まったらまずい事に成ると言って、
K組の幹部の川西さんと言う人が、私に背広をあつらえてくれた。
もちろん家に着て帰るわけにもいかないので、私は学校を終え、
池袋で途中下車すると真っ直ぐ清江さんの部屋へ行き、背広に着替えて街に立った。
「お兄さん、いい子がいるんですけどね、年はちょっといってるんですが、
これがまた床上手。咥えて引っ張って離さないっていう極上のお道具を持ってるんですよ」
なんて滑らかな口調で客をそそり、何人もの男を清江さんの元に送り込んだ。
今にして思えば、清江さんは童貞の私に筆下ろしをしてくれた人だ。
女が初体験の男を忘れられないように、私の清江さんに対する感情は、どこか似ていた。
清江さんが客を取っている間、居た堪れない気持ちで、ドラムと言うジャズ喫茶に行き、
ロックンロールのリズムに身を任せて、気を紛らわせていた。
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- 或る娼婦の思い出。其の三 (2011/04/26)
- 或る娼婦の思い出。其の四 (2011/04/26)
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或る娼婦の思い出。其の四
◇娼婦の死に様◇
そうこうしているうちに静江さんの部屋へ出入するようになって一年が過ぎようとしていた。
清江さんが気に成る咳をしはじめたのはそんな頃だった。
私は大学に行く気はなかったから、大きな岐路に立たされていた。
(このままポン引きを続けるか、それとも就職試験を受けるか)
と言う人生の問題にぶっかった訳だ。
「ねえ、清江さん、僕はどうしたらいいんだろう・・・」
清江さんに相談を持ちかけると、清江さんは、
「いや、就職したら慎ちゃん、あたしのところに来なくなっちゃうわ・・・
ね、一生、あたしが食べさせてあげる、一生懸命客を取るから・・・」
と清江さんは言った。
私はそんな清江さんがなんか年下の女の様な気がして愛しかった。
「わかった・・・僕は就職なんてしない、清江さん専属のポン引きを続けるよ」
私は、本気でそういった。清江さんの至れりつくせりの性技で快楽の限りを味わう
甘美な一時を捨て難かったからだった。
「嬉しい・・・ね、慎ちゃん、うんと稼がなくっちゃ、ね、
慎ちゃんが棲むアパートも近くに借りましょうね・・・泊り客がある時困るもの・・・」
清江さんは無邪気にはしゃいで言った。
そんな清江さんが肺結核だと分かったのは、高熱で倒れ、
一週間寝込んで病院に行ったからだ。
「少なくとも半年は入院しなくては・・・」
と医師から言われた清江さんの代わりに、私はK組の川西さんのところへ行った。
「ちっ、これっぽっちか・・・」
川西さんは、清江さんが病を押して稼いだ上納金を数えると舌打ちした。
「なに、肺病患ったって!何をしてんだあいつ・・・」
川西さんは私が病名を告げると、露骨に嫌な顔をした。
そうこうしているうちに静江さんの部屋へ出入するようになって一年が過ぎようとしていた。
清江さんが気に成る咳をしはじめたのはそんな頃だった。
私は大学に行く気はなかったから、大きな岐路に立たされていた。
(このままポン引きを続けるか、それとも就職試験を受けるか)
と言う人生の問題にぶっかった訳だ。
「ねえ、清江さん、僕はどうしたらいいんだろう・・・」
清江さんに相談を持ちかけると、清江さんは、
「いや、就職したら慎ちゃん、あたしのところに来なくなっちゃうわ・・・
ね、一生、あたしが食べさせてあげる、一生懸命客を取るから・・・」
と清江さんは言った。
私はそんな清江さんがなんか年下の女の様な気がして愛しかった。
「わかった・・・僕は就職なんてしない、清江さん専属のポン引きを続けるよ」
私は、本気でそういった。清江さんの至れりつくせりの性技で快楽の限りを味わう
甘美な一時を捨て難かったからだった。
「嬉しい・・・ね、慎ちゃん、うんと稼がなくっちゃ、ね、
慎ちゃんが棲むアパートも近くに借りましょうね・・・泊り客がある時困るもの・・・」
清江さんは無邪気にはしゃいで言った。
そんな清江さんが肺結核だと分かったのは、高熱で倒れ、
一週間寝込んで病院に行ったからだ。
「少なくとも半年は入院しなくては・・・」
と医師から言われた清江さんの代わりに、私はK組の川西さんのところへ行った。
「ちっ、これっぽっちか・・・」
川西さんは、清江さんが病を押して稼いだ上納金を数えると舌打ちした。
「なに、肺病患ったって!何をしてんだあいつ・・・」
川西さんは私が病名を告げると、露骨に嫌な顔をした。
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或る娼婦の思い出。其の四
◇娼婦の死に様◇
そうこうしているうちに静江さんの部屋へ出入するようになって一年が過ぎようとしていた。
清江さんが気に成る咳をしはじめたのはそんな頃だった。
私は大学に行く気はなかったから、大きな岐路に立たされていた。
(このままポン引きを続けるか、それとも就職試験を受けるか)
と言う人生の問題にぶっかった訳だ。
「ねえ、清江さん、僕はどうしたらいいんだろう・・・」
清江さんに相談を持ちかけると、清江さんは、
「いや、就職したら慎ちゃん、あたしのところに来なくなっちゃうわ・・・
ね、一生、あたしが食べさせてあげる、一生懸命客を取るから・・・」
と清江さんは言った。
私はそんな清江さんがなんか年下の女の様な気がして愛しかった。
「わかった・・・僕は就職なんてしない、清江さん専属のポン引きを続けるよ」
私は、本気でそういった。清江さんの至れりつくせりの性技で快楽の限りを味わう
甘美な一時を捨て難かったからだった。
「嬉しい・・・ね、慎ちゃん、うんと稼がなくっちゃ、ね、
慎ちゃんが棲むアパートも近くに借りましょうね・・・泊り客がある時困るもの・・・」
清江さんは無邪気にはしゃいで言った。
そんな清江さんが肺結核だと分かったのは、高熱で倒れ、
一週間寝込んで病院に行ったからだ。
「少なくとも半年は入院しなくては・・・」
と医師から言われた清江さんの代わりに、私はK組の川西さんのところへ行った。
「ちっ、これっぽっちか・・・」
川西さんは、清江さんが病を押して稼いだ上納金を数えると舌打ちした。
「なに、肺病患ったって!何をしてんだあいつ・・・」
川西さんは私が病名を告げると、露骨に嫌な顔をした。
そうこうしているうちに静江さんの部屋へ出入するようになって一年が過ぎようとしていた。
清江さんが気に成る咳をしはじめたのはそんな頃だった。
私は大学に行く気はなかったから、大きな岐路に立たされていた。
(このままポン引きを続けるか、それとも就職試験を受けるか)
と言う人生の問題にぶっかった訳だ。
「ねえ、清江さん、僕はどうしたらいいんだろう・・・」
清江さんに相談を持ちかけると、清江さんは、
「いや、就職したら慎ちゃん、あたしのところに来なくなっちゃうわ・・・
ね、一生、あたしが食べさせてあげる、一生懸命客を取るから・・・」
と清江さんは言った。
私はそんな清江さんがなんか年下の女の様な気がして愛しかった。
「わかった・・・僕は就職なんてしない、清江さん専属のポン引きを続けるよ」
私は、本気でそういった。清江さんの至れりつくせりの性技で快楽の限りを味わう
甘美な一時を捨て難かったからだった。
「嬉しい・・・ね、慎ちゃん、うんと稼がなくっちゃ、ね、
慎ちゃんが棲むアパートも近くに借りましょうね・・・泊り客がある時困るもの・・・」
清江さんは無邪気にはしゃいで言った。
そんな清江さんが肺結核だと分かったのは、高熱で倒れ、
一週間寝込んで病院に行ったからだ。
「少なくとも半年は入院しなくては・・・」
と医師から言われた清江さんの代わりに、私はK組の川西さんのところへ行った。
「ちっ、これっぽっちか・・・」
川西さんは、清江さんが病を押して稼いだ上納金を数えると舌打ちした。
「なに、肺病患ったって!何をしてんだあいつ・・・」
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
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私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
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