若き日の少女の純愛。其の一
その早朝、私は面妖な夢を見た。
能面の鬼達が、太鼓を打ち鳴らしながら舞い狂う、
石川県能登の郷土芸能[御陣乗太鼓]の夢だった。
御陣乗太鼓は私の好きな演太鼓の一つで、二十数年前に再婚妻と能登を旅し、
曽々木海岸のホテルでその演舞を見た経験がある。だから、その夢自体は別に
妖しくはない。いや、妖しいどころか、夢の中の私は妻と共に、鬼達と一緒になって
太鼓を連打していたのだから、夢としてはたのしいものだった。
だが私は、目覚めてから奇妙な事に気が付いた。夢の中の女性は妻ではなかった。
なのに私は、その別人女性を夢の中で妻として受け入れていた。
(はてな・・・)私は首を捻った。
ゆっくりと覚醒していく脳裏に、夢に現れた女性の、顎だけが少し尖った丸顔。
目尻に笑み皺がある丸い眼や、上を向いた鼻、そして白い前歯の二本だけが
大きい、オチョボ口が浮かんでくる・・・。
「あれはアコ、外川朝子だ・・・」
呟いて、隣の寝床で軽い寝息を漏らしている妻の顔を見つめた。
能登に同伴したのは、その直後に入籍した、この15歳も年下の
二度目の妻であるのは間違いない。
それが、どうして夢の中で、朝子と入れ替わったのだろう・・・。
フロイトの言によれば、『夢は無意識的な己の願望の充足である』であり、
その意味では確かに、私には思い当たる事がある。
二十八年前、前妻と別れる原因となった女性が朝子だった。
私の意識の奥底に、朝子への想いが潜んでいたのは否めない。
しかし夢には、[夢枕]の言葉もある。
(もしかして、朝子の身に・・・)そう考えると、私は戦中生まれの七十二歳の日本人。
夢占いは、不吉な方に傾いてしまう。
朝子と私は、彼女に言わせると[赤い糸]で結ばれた縁だったらしい。
だが私は、その赤い糸の存在に、三十年前まで気が付かなかったのである。
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若き日の少女の純愛。其のニ
そんな可愛げのない朝子から、私は自然に離れていった。
その年流行った言葉で言えば[不快指数]が50%の少女。
前年ヒットした映画タイトル[勝手にしやがれ]である。
それに、その時の私には恋人がいた。
さらに夏から、私は舞踏用品部の[日劇]係にもなっていた。
それは華やかで愉しい仕事だった。
昭和三十三年から始まったウエスタン・カーニバルで隆盛した日劇は、
宝塚レビューでも客を集め続けていた。
さらに、その日劇の上階にあるミュージック・ホールの上品でエロチックな
レビュー・ショーは、連夜満員になるほどの人気を呼んでいた。
まだ公には、ポルノが解禁になってはいなかった。
ピンク映画の第一号と言われる[肉体の市場]が封切られるのは、
翌年の三十七年三月である。
裸の女体を堂々と観られるミュージック劇場に男が群がるのは当然だった。
その劇場の舞台裏に、私は自由に出入り出来たのだ。
成熟した女性の裸身を間近に見られて、親しく会話も出来る仕事だった。
朝子など、とても構う気にはなれない。
その業務は、男女ダンサーの舞台衣装をオーダー・メイドで販売する事だった。
男性ダンサーはともかく、女性ダンサーの身体サイズを測る時は眩しい。
相手の女性のむほとんどが素足素肌の裸。ミュージックホールのダンサー等は、
乳房丸出し、股間には小さなバタフライのみである。
しゃがんで彼女らの下半身を測る私の眼には、眩し過ぎる。
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若き日の少女の純愛。其の三
私の人並み以上の放蕩無頼、女体遍歴の数多い経験は、
その時の彼女(アカネさん)との恥戯によって培われたのは間違いない。
週に一、二度。約二か月間。彼女の青山の洒落たアパートから、
会社に出勤した事も数多くあった。
だが福運は長くは続かず、破局が来た。
夜遊び好きな私は、遅刻欠勤の常習者だった。
それに加えてアカネさんとの情事がバレて、上司にこっぴどく叱られたのだ。
お客様である日劇の踊り子さんと、ふしだらな関係になるなんて、
Yの社員にあるまじき行為だ、と。
その年の四月の末、私は竜郎や朝子に何も話さず、銀座Yを辞めた。
アカネさんが、私の知らぬ若い男とアパートに深夜帰ってきたのを、
待っていた私が目撃してしまった故もある・・・。
十月。私は新宿東口のF(今は廃業している)に再就職した。
この店には、地方から集団就職した若い女店員が十数人も働いていて、
銀座Y出身者でちょと粋がった長身の私は、かなり愉悦を味わえたのだが、
今回は朝子との私の話、省略することにする。
ただ、私がこの新宿や渋谷で夜遊びできる金を、稼げた訳だけは記しておく。
Fは当時新宿に多かった、廉価販売の店むだった。同業店の販売合戦は激しく、
各店には歩合とも言うべき褒章制度があった。
Fも例外ではなかった。粗悪で安いメーカーの品物を売ると、一つ百円ほどの
バックマージンが貰えたのだ。さらに、返品の利かぬ傷物を売ると、
給料の日給計算並の五百円。何しろラーメン八十円、コーヒー七十円、
新宿牛屋の鉄板焼ききですら五百円で食べられた時代だから、
これは大きな余禄だった。
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若き日の少女の純愛。其の四
井の頭線の階段を降りて、左手に五十歩程歩くと、
[ムーン・ライト]の洒落た木製のドアがある。
各席はキャンドルの明かりだけ。暗い店内中央のピアノだけが照明を浴びている。
そのピアノには、仲良くなった中年のピアニストが楽譜をめくっていた。
私は片手を挙げて挨拶した。笑顔で頭を下げた彼が、すぐ鍵盤に両手を伸ばす。
ムーン・リバー。来れば私が必ずリクエストする曲だった。
何時ものように、支配人が私を席に案内してくれる。
ステーキが八百円。バイオレット・フィズのカクテルが百五十円。
ウイスキーのダブルも二百円。その夜の懐なら大余裕だ。
好みの曲を弾き続けてくれるピアニストに酒を奢り、
支配人や料理を運んでくれるウェイターにもチップを渡し、冗談を交わす。
どうにも鼻持ちなら無い若造で、思い出したくも無いが、仕方が無い。
それが私の青春時代の素顔だった。
その場の雰囲気に呑まれて、初めは強ばっていた朝子の表情が、
カクテルの酔いもあってか緩み、
銀座では見たことが少ない、笑顔が浮かび続けるようになった。
酔って愉しげにはしゃげば、リスのような眼は可愛く、小さく幼そうな肢体にも
魅力が生まれる。ノースリーブの肩口から露な二つの腕や、薄めに膨らむ
乳房の形も、酔いの回った眼で眺めれば官能的だった。
私は腕時計を見た。深夜の一時少し前。タクシーの初乗りは八十円。
だが、まだ鶴見まで朝子を送る気にはならなかった。
勘定を済ませて外に出て、ふらつく朝子の肩を抱いて身を支え、
相合傘で道玄坂の暗い裏道を登った。
道は途中で、玉川線の雑草が繁る線路沿いになる。
私は朝子の腰を引き寄せた。思った以上の尻の弾力。
私は無防備に仰向いた小さな唇に口を重ねた。
朝子はキスに応えた。しがみつく腕の力の強さに、それが彼女の意志だ、
と私は勝手に解釈して、道玄坂を横断して丸山町。連れ込み宿は何軒もある。
宿泊料は五百円程度。その夜の私には安いものだった。
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若き日の少女の純愛。其の五
昭和五十六年六月二十六日。
今から三十年程の前、その日私は朝子と十七年振りに再会したのだ。
その頃の私は、Mの豪放な社長に重用されて、四十一歳で月給が四十万円を
越える、幹部社員になっていたのである。
Mは私の入社後の十二年間に、女性雑誌やテレビ等にも取り上げられ、
店舗数も売り上げも多い、横浜の超有名店に発展していた。
閉店間際の夕刻だった。私は店の前にある商品本部にいた。
「昔のお知り合いの方から、お電話が・・・」
インターホンの声で、私は何気なく受話器を取り上げた。
「もしもし、わたし相沢朝子です・・・」
記憶にない姓名を名乗られて、私は首をかしげた。
「相沢さん?えーと・・・」
「うふふ、覚えてないの?あ、そうか、旧姓は外川朝子、アコです・・・」
「あ!」私は受話器を握り直した。
「アコか?あのアコか?」私は声を小さくした。隣室は店の経理部だった。
「そうよ、覚えていてくれたのね?ああ、良かったあ!」
聞き覚えのない熟女の声だった。しかし、語尾が跳ね上がるアクセントは、
紛れもなく若い頃の朝子の特徴だった。だが、懐かしさの故か、
その電話の朝子は饒舌な熟女に変わっていた。
結婚して、二人の子供が居る事。私の居場所は、以前に銀座Yの古株に
私が渡した名刺で知った事。今日は女の友達と横浜に遊びに来て、
今は横浜駅の地下街から電話をしている、等を性急な声で喋り続ける。
「判った、判った!でも電話じゃ仕様がない、店が終ったら、
その友達も一緒に夕飯でも食おう、何処かで待っててくれ」
忘れていた朝子の声を聞く私にも、強い懐かしさが込み上げてきた。
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