花の銀座で芽生えた恋。其の一
昭和十五年、(1940年)東京渋谷の駅前で生まれた私は、
今年三月多摩川沿いの静かな川崎の町で七十四歳の誕生日を迎えた。
戦中、焼夷弾の降り注ぐ空の下を、母親に手を引かれ逃げ延びた幼児時代。
黒煙が渦巻く天空を覆う、銀色に輝くB29の爆撃編隊の姿を、
私はおぼろげに覚えている。
敗戦後。混乱期の食糧難の少年時代は、大人が味わった苦労を、
スイトンやカボチャが主食の姿で、僅かに知っている。
つまり私には、戦中の恐怖や戦後の生活難の記憶が、殆ど無いのである。
その代わりに、青春時代の記憶は濃い。
黄金の六十年代と呼ばれた昭和中期。
日本の高度成長時代に、私は自由気ままに青春を謳歌していたのだから、
甘酸っぱい思い出が数多く残っているのは当然だった。
そんな甘酸っぱい思い出の中に、私が数多く重ねた恋愛の中で本気に愛し、
そして失恋した。忘れ得ぬ一人の女性がいた。
昭和三十四年(1959年)四月。
私は目指していた多摩美術大学を諦め、商業高校を卒業して、
銀座の老舗洋品店に就職する事にした。
その頃、一回りも年が離れた長兄が肺病になり、
勤めていたその洋品店を長期休職する事になったからだった。
別に健気な気持ちからではない。銀座の知名度が学友に対して格好良かったし、
デザイナーを目指すと言えば、もっと格好よかったからである。
当時の銀座は、高級商店街のイメージ以上に、ファッション発祥地として
日本全国に知られていたのだ。
後に、みゆき族と呼ばれた新風俗の若者達が闊歩したように、
全ての流行は銀座から始まった。
若い男女は銀座に憧れ、今のスタンド・バーの全身であるトリス・バーが発祥したように、
クリスマスには九十万人の酔客が集まるという、銀座は大人の歓楽街でもあった。
私は十九歳になったその年、銀座で洋酒の味を知り、
トリス・バー等の手軽な酒場での女性との会話のたのしさを知った。
その冬に童貞とおさわば出来たのも、そんな酒場のお陰だった。
だが妙な事に、相手は渋谷の地下バーのホステスとまでは覚えてはいるが、
場所が連れ込み旅館だったのか、彼女の部屋だったのかも記憶にない。
いやそれどころか、彼女の名前も顔も、見て抱いたはずの裸身すら、
まるで思い出せないのである。
多分それは、私が銀座の勤めを辞めた後、数年間に及んだ、
何人もの女性との乱れた荒淫生活の為と、その約半年後に交際を始めた
一人の女性の印象が、あまりにも鮮烈だったせいだろう。
昭和三十五年(1960年)、六月の末。三月で二十歳に成った私は、
この二十日に発売されたばかりの、日本で最初のロング・フィルター煙草である
ハイライトを口に咥え、都電の路線が交差する銀座四丁目の角を左に曲がった。
昼食時間を過ぎた暑い白昼である。さすがの銀座も、
行く手の数寄屋橋の都電停留所まで見通せるほど、人通りは少なかった。
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今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
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“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
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此処にはその中から選んだ
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