儚く消えた年上の女。其の四
◇遠くへ行きたい
翌週の月曜日。一抹の不安を抱いていた私の前に、
史子は約束どおりの時間に現れ、松坂屋裏の洋食屋でご馳走してくれた。
ただ、その後、長袖の白い絹ブラウスに薄茶のタイトスカート姿だった史子は、
先夜と違う、大人の女性だった。言葉遣いも姉のように穏やかで、
優しい微笑みは絶やさないが、はしゃいだ態度は片鱗も見せなかった。
だからと言って、そんな彼女に私が落胆した訳ではない。食事前に、
「この間は変な事をして、ごめんなさい」
と同伴席での悪さを改めて詫びた私を、
「良いのよ、そんなことを謝られたら、また君と会えなくなるじゃないの・・・」
と白い頬を恥かしそうに赤く染めて、軽く睨んで呉れたのだ。
そう、私はそんな彼女の大人の面、甘えられる成熟女性の雰囲気に、
憧れていたのだ。暫くは、弟の身分で充分だ、と私は恋の原点に戻る事にした。
その日以来、私達は週に二回ほど、夜の食事デートをする仲になった。
休日が違うから、夜しか会えないのは仕方がない。
私の休みの月曜日か、彼女の休日前の土曜か金曜の夜。
私達は銀座の街を、姉弟のように仲良く徘徊した。
ただ、史子は深酔いしなくなった。
楽しげに街を歩いていても、腕をあまり絡めてこない。
若い私の獣心を刺激しないための、大人の女性の配慮だったのだろう。
むろん私も、自分の欲情を押し殺して、四月に封切られた映画、
[キューポラのある街]で純愛を守り通した、若者役を務めていた。
その結果、彼女はさらに私に心を許してくれ、八月の末頃になると、
史ちゃん、幸ちゃん、とお互いを親しく呼び合うようになり、
常連になった飲食店の連中から冷やかされるような、恋人同士になれたのだ。
そして、ケネディ大統領がキューバを海上封鎖し、
いわゆるキューバ危機が報じられた日、十月中旬の月曜日だった。
私達は銀座梅林でカッを食べ、みゆき通りのトリス・バーに入った。
翌週の月曜日。一抹の不安を抱いていた私の前に、
史子は約束どおりの時間に現れ、松坂屋裏の洋食屋でご馳走してくれた。
ただ、その後、長袖の白い絹ブラウスに薄茶のタイトスカート姿だった史子は、
先夜と違う、大人の女性だった。言葉遣いも姉のように穏やかで、
優しい微笑みは絶やさないが、はしゃいだ態度は片鱗も見せなかった。
だからと言って、そんな彼女に私が落胆した訳ではない。食事前に、
「この間は変な事をして、ごめんなさい」
と同伴席での悪さを改めて詫びた私を、
「良いのよ、そんなことを謝られたら、また君と会えなくなるじゃないの・・・」
と白い頬を恥かしそうに赤く染めて、軽く睨んで呉れたのだ。
そう、私はそんな彼女の大人の面、甘えられる成熟女性の雰囲気に、
憧れていたのだ。暫くは、弟の身分で充分だ、と私は恋の原点に戻る事にした。
その日以来、私達は週に二回ほど、夜の食事デートをする仲になった。
休日が違うから、夜しか会えないのは仕方がない。
私の休みの月曜日か、彼女の休日前の土曜か金曜の夜。
私達は銀座の街を、姉弟のように仲良く徘徊した。
ただ、史子は深酔いしなくなった。
楽しげに街を歩いていても、腕をあまり絡めてこない。
若い私の獣心を刺激しないための、大人の女性の配慮だったのだろう。
むろん私も、自分の欲情を押し殺して、四月に封切られた映画、
[キューポラのある街]で純愛を守り通した、若者役を務めていた。
その結果、彼女はさらに私に心を許してくれ、八月の末頃になると、
史ちゃん、幸ちゃん、とお互いを親しく呼び合うようになり、
常連になった飲食店の連中から冷やかされるような、恋人同士になれたのだ。
そして、ケネディ大統領がキューバを海上封鎖し、
いわゆるキューバ危機が報じられた日、十月中旬の月曜日だった。
私達は銀座梅林でカッを食べ、みゆき通りのトリス・バーに入った。
曇り空で寒く、カウンターも空いていた。史子は濃い藤色の上着の下に、
淡い同色のブラウスと胸リボンを覗かせていた。タイトスカートは漆黒で、
客が少ないのが残念なほど素敵な同伴者だった。
ただ、彼女は梅林を出たときから、何か物静かになり、
カウンターでの会話も私が一人で喋り、史子は憂いを帯びた微笑で、
言葉少なく頷くだけになっていた。
やがて、二杯目のジンフィズを少し飲んだ彼女が、
「ねえ、幸ちゃん・・・」と何やら真剣な表情を私に向けてきた。
「私が幸ちゃんと会えないお休みの日、何をしてるか想像できる?」
奇妙な質問だ。私は首を捻った。そして、少し顔を赤くして慌てた。
そんな想像はしたことがないが、
彼女の裸身の妄想は、しょっちゆう頭に浮かべている。
私は顔の紅潮を隠すために、
「ええと、掃除に洗濯、買い物に食事の支度なんか、してるのかな?」
と面を伏せて指折り答えた。
史子は声を上げて笑い出した。
「嫌だ、もう、それじゃ主婦の生活じゃない!」としばらく笑って、
急に真顔になった。
「そうよね・・・それが普通の女の一日なのよね、私は、あまり普通じゃないなあ・・・」
私はその表情に、何か知らぬオールドミスの生活の翳りを感じた。
元気づけようと、慌てて史子に逆質問を浴びせた。
「じゃあさ、俺の休みの一日想像できる?」
「そんなの簡単よ!」
そこで史子が声を潜めて、私の顔を悪戯っぽく見つめた。
「私の事を、想ってくれてるんでしょ?」
クスクス笑うその白い顔に向かい、私は指でOKサインを作った。
「当たりね?嬉しいな・・・」顔を起こした史子が、
店内に流れる有線の曲に耳を傾けて、
「この歌、好きよ・・・」と唐突に呟いた。
この年のNHKの番組、[夢であいましょう]で人気になったジェリー・藤尾の、
[遠くへ行きたい]だった。
♪知らない町を歩いてみたい、何処か遠くに行きたい・・・
史子がストールを飛び降りた。
「ねぇ、私たちも何処かに行こうよ!」
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Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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