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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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赤い糸で結ばれていた70年。其の一

◇卵で元気つけて!
赤い糸で結ばれていた01
戦後間もない頃、世の中誰しもが貧乏で、其の日の食う物にも四苦八苦していた時代の事です。
私の実家は戦前から豆腐屋を営んでおり、運良く戦後すぐに再開する事が出来たのですが、
父は根っからの博打好きとあって、店の金を持ち出しては、
おいちょかぶや花札などにつぎ込んでいました。

いつも勝っていればいいのですが、これがヘタな横好きと言いましょうか、
負けてばかりいます。しかもムキになるタイプで、負ければそれを取り戻そうとするので、
余計に借金が借金を呼び、まさに泥沼状態といっても良い位でした。
働き者の母お蔭で、店そのものはそれなりに繁盛していたのですが、
生活は貧困から中々抜け出す事が出来ませんでした。

私は小さい時から水泳が大好きで、中学校でも水泳は得意中の得意でした。
級友たちからも「将来の古川勝だ」とよく囃し立てられていたのです。
赤い糸で結ばれていた02
ーー古川 勝(ふるかわ まさる, 1936年1月6日 - 1993年11月21日)は、
和歌山県橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。
ベルリンオリンピック優勝の前畑秀子とは同じ町内の出身。
幼い頃から紀ノ川で水に親しみ、高校生頃から頭角を現す。
前畑の薦めにより、平泳ぎに専念するようになった。
ヘルシンキオリンピックには派遣されなかったが、同じ年に行なわれた全日本選手権で、
ヘルシンキオリンピック第2位を上回る記録を出す。
その後、日本大学に進学し、水泳部に所属。
同部OBだった葉室鐵夫(ベルリンオリンピック男子200m平泳ぎ金メダリスト)から、
世界に勝つために潜水泳法を身につけるようアドバイスを受け、
古川は潜水のトレーニングを重ねる。
肺活量が6000cc以上あった古川の潜水は実に45mにも及ぶものであった
(他の選手は20m程度)。これにより古川は世界の第一人者となる。
2年生の1955年には200mで世界記録を樹立した。
1956年に開催された第16回大会メルボルンオリンピックの200メートル平泳ぎに出場。
得意の潜水の威力を発揮し、金メダルを獲得する。
しかしこの直後、国際水泳連盟はルールを改正し、
スタート直後とゴール前のひと掻きを除いて平泳ぎでの潜水を禁止し、
古川は潜水泳法で優勝した最後のスイマーになった。
1993年に、紫綬褒章を拝受。同年11月21日、肺ガンのため57歳で死去した。ーー


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  1. 夫婦の今と昔
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赤い糸で結ばれていた70年。其の一

◇卵で元気つけて!
赤い糸で結ばれていた01
戦後間もない頃、世の中誰しもが貧乏で、其の日の食う物にも四苦八苦していた時代の事です。
私の実家は戦前から豆腐屋を営んでおり、運良く戦後すぐに再開する事が出来たのですが、
父は根っからの博打好きとあって、店の金を持ち出しては、
おいちょかぶや花札などにつぎ込んでいました。

いつも勝っていればいいのですが、これがヘタな横好きと言いましょうか、
負けてばかりいます。しかもムキになるタイプで、負ければそれを取り戻そうとするので、
余計に借金が借金を呼び、まさに泥沼状態といっても良い位でした。
働き者の母お蔭で、店そのものはそれなりに繁盛していたのですが、
生活は貧困から中々抜け出す事が出来ませんでした。

私は小さい時から水泳が大好きで、中学校でも水泳は得意中の得意でした。
級友たちからも「将来の古川勝だ」とよく囃し立てられていたのです。
赤い糸で結ばれていた02
ーー古川 勝(ふるかわ まさる, 1936年1月6日 - 1993年11月21日)は、
和歌山県橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。
ベルリンオリンピック優勝の前畑秀子とは同じ町内の出身。
幼い頃から紀ノ川で水に親しみ、高校生頃から頭角を現す。
前畑の薦めにより、平泳ぎに専念するようになった。
ヘルシンキオリンピックには派遣されなかったが、同じ年に行なわれた全日本選手権で、
ヘルシンキオリンピック第2位を上回る記録を出す。
その後、日本大学に進学し、水泳部に所属。
同部OBだった葉室鐵夫(ベルリンオリンピック男子200m平泳ぎ金メダリスト)から、
世界に勝つために潜水泳法を身につけるようアドバイスを受け、
古川は潜水のトレーニングを重ねる。
肺活量が6000cc以上あった古川の潜水は実に45mにも及ぶものであった
(他の選手は20m程度)。これにより古川は世界の第一人者となる。
2年生の1955年には200mで世界記録を樹立した。
1956年に開催された第16回大会メルボルンオリンピックの200メートル平泳ぎに出場。
得意の潜水の威力を発揮し、金メダルを獲得する。
しかしこの直後、国際水泳連盟はルールを改正し、
スタート直後とゴール前のひと掻きを除いて平泳ぎでの潜水を禁止し、
古川は潜水泳法で優勝した最後のスイマーになった。
1993年に、紫綬褒章を拝受。同年11月21日、肺ガンのため57歳で死去した。ーー

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赤い糸で結ばれていた70年。其の二

◇初体験のいたずら
赤い糸で結ばれていた05
私の青春時代も、今のように自由で開放的だったら、どんなに愉しかったかだろうかと
思っていますが、もっとも、あれほどあけすけに行動出来たら、これから書く思い出も
なかったことでしょうが・・・。

裏山には、麓から二百メートルほど奥に入った処に、以前まで林業の人達が使っていた、
板張りの古い小屋がありました。
私たちは大抵の場合、そこで一日中過ごして居たのです。何もしなくても、
ただ一緒にいるだけでとても楽しい思いをしておりました。

さて、思春期に入った中学二年生のとき、その日、何時もの小屋で弥生といろんな
おしゃべりをしていたのですが、ふと沈黙が訪れました。
なんだか分からないのですが、弥生がモジモジしています。時折チラッと私の方を見ては、
何かを訴えている・・・私はそう思いました。

ふと「キッスをして欲しいんじゃないだろうか」と言うことが頭に浮かびました。
理由は特に有りません。本当に閃きの様に頭に浮かんだのです。

私は黙って弥生の肩に手を置き「キッスするぞ」と言いました。
すると、弥生が小さく頷きました。何を考えるでもなく、口唇を突き出すと、
私たちは生まれて初めてキッスを交わしたのでした。

大きく息を吸い込んで、顔を弥生に近づけます。目を開けていた弥生が瞼をすっと
閉じました。そして、弥生もどうして良いのか分からなかったのでしょう、
口唇をタコの口のように尖がらして突き出してきたのです。
私は自分の心臓の音が聞えて来そうなほど緊張していました。

柔らかい口唇が触れた瞬間、心臓が止まりそうになり、何故かとろろの様な味がして、
条件反射的にお腹がググッと鳴りました。どちらかが顔を傾けると言う事さえ知らず、
口唇だけてなく鼻の頭まで触れ合っていたと言う。何とも見栄えの悪い口付けでした。
もっとも、それは今に成って思う事ですが・・・。

キッスをしていた時間かは、ほんの数秒だったと思います。しかし、それが私には
何時間にも感じられました。弥生も同じ気持ちだったようです。

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赤い糸で結ばれていた70年。其の二

◇初体験のいたずら
赤い糸で結ばれていた05
私の青春時代も、今のように自由で開放的だったら、どんなに愉しかったかだろうかと
思っていますが、もっとも、あれほどあけすけに行動出来たら、これから書く思い出も
なかったことでしょうが・・・。

裏山には、麓から二百メートルほど奥に入った処に、以前まで林業の人達が使っていた、
板張りの古い小屋がありました。
私たちは大抵の場合、そこで一日中過ごして居たのです。何もしなくても、
ただ一緒にいるだけでとても楽しい思いをしておりました。

さて、思春期に入った中学二年生のとき、その日、何時もの小屋で弥生といろんな
おしゃべりをしていたのですが、ふと沈黙が訪れました。
なんだか分からないのですが、弥生がモジモジしています。時折チラッと私の方を見ては、
何かを訴えている・・・私はそう思いました。

ふと「キッスをして欲しいんじゃないだろうか」と言うことが頭に浮かびました。
理由は特に有りません。本当に閃きの様に頭に浮かんだのです。

私は黙って弥生の肩に手を置き「キッスするぞ」と言いました。
すると、弥生が小さく頷きました。何を考えるでもなく、口唇を突き出すと、
私たちは生まれて初めてキッスを交わしたのでした。

大きく息を吸い込んで、顔を弥生に近づけます。目を開けていた弥生が瞼をすっと
閉じました。そして、弥生もどうして良いのか分からなかったのでしょう、
口唇をタコの口のように尖がらして突き出してきたのです。
私は自分の心臓の音が聞えて来そうなほど緊張していました。

柔らかい口唇が触れた瞬間、心臓が止まりそうになり、何故かとろろの様な味がして、
条件反射的にお腹がググッと鳴りました。どちらかが顔を傾けると言う事さえ知らず、
口唇だけてなく鼻の頭まで触れ合っていたと言う。何とも見栄えの悪い口付けでした。
もっとも、それは今に成って思う事ですが・・・。

キッスをしていた時間かは、ほんの数秒だったと思います。しかし、それが私には
何時間にも感じられました。弥生も同じ気持ちだったようです。
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赤い糸で結ばれていた70年。其の三

◇スケベなこと言って!
赤い糸で結ばれていた07
内心ホッとして、すぐに挿入の続きに入ったのですが、
やはりどうしても這入らないのです。
ところが、這入らなかった事が逆に私を冷静にさせてくれました。

そこで、私は挿入出来ない原因は、膣が充分に潤っていないからだと判断すると、
私は彼女の首筋から下へと這わせながら愛撫していったのでした。

80センチにも満たないであろう、薄い乳房を揉んで、豆粒のような乳首を吸い、
吸いながら膣の中を指で確認しました。
生温かな肉の道を指で撫で回して見たのです。
そこは有る程度ヌルヌルしているのですが、いくら愛撫をしても湿り具合に変化は
ありませんでした。そこで仕方なく再び挿入を試みたのです。
今度は冷静に成っていたためか、やっと亀頭が少しずつ弥生の中に這入っていく
感触を得たのでした。

もっとも弥生の膣穴が極端に小さかったと言う事も、時間が掛かった原因だったと
思います。何しろ指一本入れただけで、もうキチキチだったのですから、
どうしょうもありません。

膣が小さいことは弥生にとっても辛かったようです。弥生の痛がりようといったら、
此方が罪悪感を抱いてしまうほどで、何度途中で止めようと思ったか分かりません。

ようやくペニスを半分まで挿入する事に成功すると、私は大きく深呼吸しました。。
涙を流さんばかりに感激していた心を落ち着けようと思ったのです。

小屋の外からは、
甲高い野鳥の鳴き声や風に揺れる梢のざわめきが聞こえていました。
口唇を噛んで辛そうにしている弥生に断わって、腰を動かしました。
スムーズなピストンとは程遠く、押すのにも引くのにも大変苦労しました。
ですが、膣の中がキチキチだっただへけに刺激は強烈で、
僅か三往復しただけで私は発射しそうになり、
五往復目で堪え切れず、慌ててペニスを引き抜くと、
床の上に放出してしまいました。
挿入に時間が掛かった割には、何ともあっけない幕切れでした。
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赤い糸で結ばれていた70年。其の三

◇スケベなこと言って!
赤い糸で結ばれていた07
内心ホッとして、すぐに挿入の続きに入ったのですが、
やはりどうしても這入らないのです。
ところが、這入らなかった事が逆に私を冷静にさせてくれました。

そこで、私は挿入出来ない原因は、膣が充分に潤っていないからだと判断すると、
私は彼女の首筋から下へと這わせながら愛撫していったのでした。

80センチにも満たないであろう、薄い乳房を揉んで、豆粒のような乳首を吸い、
吸いながら膣の中を指で確認しました。
生温かな肉の道を指で撫で回して見たのです。
そこは有る程度ヌルヌルしているのですが、いくら愛撫をしても湿り具合に変化は
ありませんでした。そこで仕方なく再び挿入を試みたのです。
今度は冷静に成っていたためか、やっと亀頭が少しずつ弥生の中に這入っていく
感触を得たのでした。

もっとも弥生の膣穴が極端に小さかったと言う事も、時間が掛かった原因だったと
思います。何しろ指一本入れただけで、もうキチキチだったのですから、
どうしょうもありません。

膣が小さいことは弥生にとっても辛かったようです。弥生の痛がりようといったら、
此方が罪悪感を抱いてしまうほどで、何度途中で止めようと思ったか分かりません。

ようやくペニスを半分まで挿入する事に成功すると、私は大きく深呼吸しました。。
涙を流さんばかりに感激していた心を落ち着けようと思ったのです。

小屋の外からは、
甲高い野鳥の鳴き声や風に揺れる梢のざわめきが聞こえていました。
口唇を噛んで辛そうにしている弥生に断わって、腰を動かしました。
スムーズなピストンとは程遠く、押すのにも引くのにも大変苦労しました。
ですが、膣の中がキチキチだっただへけに刺激は強烈で、
僅か三往復しただけで私は発射しそうになり、
五往復目で堪え切れず、慌ててペニスを引き抜くと、
床の上に放出してしまいました。
挿入に時間が掛かった割には、何ともあっけない幕切れでした。

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赤い糸で結ばれていた70年。其の四

◇思いを手紙に託して
赤い糸で結ばれていた09
弥生が引っ越した日から、私達は早速手紙の遣り取りを始めました。
電話も未だ少なく思いを伝える手段は手紙しかなかった時代です。
彼女は当時の手紙を今でも大事に保管しているようですが、
おそらく今読み返すと恥ずかしさのあまり、卒倒してしまうのではないでしょうか。

初めの頃は純粋に近況報告的な内容だったのですが、数ヵ月後には、今で言う
テレホンセックスの遣り取りのような極めてハレンチな内容に成っていたのです。
恥ずかしながら“純情編”と“ハレンチ編”を彼女のストッカら引っ張り出して見ました。

ーーー

弥生ちゃんへ
君と別れてから、かれこれひと月に成りますね、今日は君の住む町まで行ったのです。
逢えればいいが・・・と思って、駅を出て回りを歩いて見たが、やっぱり逢えなかった。
「家まで来て呉れれば」と君は言うだろうが、僕は「二人の運」に掛けて見たのだ。

今日と言う日は二度と巡りこないと言うのに、何と言う運のない僕だろうと、
帰りの汽車の中で、人知れず泣いた。

君のよこす手紙で見ると、近頃はその町も進駐軍のベースキャンプが出来て、
ダンスホールや喫茶店が何軒も出来たとか、
君がアルバイトで喫茶店のメードになったと言う事を知って、
僕はそれからと言うもの心なしか、落ち着かない日々を送っていたのだ。

今日二時間も汽車に乗って君の住む町まで行ったのも、君が店の中で
他所の男と久しく言葉を交わしていやしないかと気がかりだったのだ。

駅を降りて見ると、安っぽい色ペンキ塗りの飲食店がズーッと続いていて、
訳の分からない横文字の看板が倒れそうに、幾つも幾つも掛かっている特殊喫茶店が
のぞかれた。その前を瘧を立てて、GIの乗るジープやトラックが走っていた。

室生犀星の詩にあるように、
“たとえ異土の乞食となるとても、帰るところにあるまじき”といった感じがした。
こうして日本はありとあらゆる所に、進駐軍がはびこり、そして隅々までが蝕まれて
いくのだと思うと、僕は君が住む町だけに、余計悲しくなってくるのだ。

君は利巧者だ。そして素直な性分を持っている、家計を助ける為にアルバイトに
出ていることは、この僕にも良く分かる。
はっきり言う、どんな境遇になっても、僕らの恋を蝕ませないで欲しいんだ。

今日は逢って行きたかったのだが、突然出掛けた事ではあるし君にも都合は
有っただろうから、これも致し方ないと諦めて帰ることにしたのだ。

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赤い糸で結ばれていた70年。其の四

◇思いを手紙に託して
赤い糸で結ばれていた09
弥生が引っ越した日から、私達は早速手紙の遣り取りを始めました。
電話も未だ少なく思いを伝える手段は手紙しかなかった時代です。
彼女は当時の手紙を今でも大事に保管しているようですが、
おそらく今読み返すと恥ずかしさのあまり、卒倒してしまうのではないでしょうか。

初めの頃は純粋に近況報告的な内容だったのですが、数ヵ月後には、今で言う
テレホンセックスの遣り取りのような極めてハレンチな内容に成っていたのです。
恥ずかしながら“純情編”と“ハレンチ編”を彼女のストッカら引っ張り出して見ました。

弥生ちゃんへ
君と別れてから、かれこれひと月に成りますね、今日は君の住む町まで行ったのです。
逢えればいいが・・・と思って、駅を出て回りを歩いて見たが、やっぱり逢えなかった。
「家まで来て呉れれば」と君は言うだろうが、僕は「二人の運」に掛けて見たのだ。

今日と言う日は二度と巡りこないと言うのに、何と言う運のない僕だろうと、
帰りの汽車の中で、人知れず泣いた。

君のよこす手紙で見ると、近頃はその町も進駐軍のベースキャンプが出来て、
ダンスホールや喫茶店が何軒も出来たとか、
君がアルバイトで喫茶店のメードになったと言う事を知って、
僕はそれからと言うもの心なしか、落ち着かない日々を送っていたのだ。

今日二時間も汽車に乗って君の住む町まで行ったのも、君が店の中で
他所の男と久しく言葉を交わしていやしないかと気がかりだったのだ。

駅を降りて見ると、安っぽい色ペンキ塗りの飲食店がズーッと続いていて、
訳の分からない横文字の看板が倒れそうに、幾つも幾つも掛かっている特殊喫茶店が
のぞかれた。その前を瘧を立てて、GIの乗るジープやトラックが走っていた。

室生犀星の詩にあるように、
“たとえ異土の乞食となるとても、帰るところにあるまじき”といった感じがした。
こうして日本はありとあらゆる所に、進駐軍がはびこり、そして隅々までが蝕まれて
いくのだと思うと、僕は君が住む町だけに、余計悲しくなってくるのだ。

君は利巧者だ。そして素直な性分を持っている、家計を助ける為にアルバイトに
出ていることは、この僕にも良く分かる。
はっきり言う、どんな境遇になっても、僕らの恋を蝕ませないで欲しいんだ。

今日は逢って行きたかったのだが、突然出掛けた事ではあるし君にも都合は
有っただろうから、これも致し方ないと諦めて帰ることにしたのだ。
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赤い糸で結ばれていた70年。其の五

◇両親との確執
赤い糸で結ばれていた11
私は高校を卒業すると板前の修業に入ったのですが、初めは特に板前になりたいと言う
希望はありませんでした。しかし、父親の知り合いに紹介された親方の店が、
何と言う幸運の巡り合わせか、弥生の住んでいる町に近かったのです。店での条件は
住み込みと言うことでした。私はこれですっかり板前にななる決心をしました。

それから十日ほど経った或る日、偶然にも弥生と再会したのです。
私達は川辺に座って、通り行く人の目も気にせずに抱き合いました。
そして、橋の下に無人の小屋を見つけると、そこでセックスをしてしまったのです。

山の中でならいざ知らず、人が何時遣って来るかも知れない橋の下の小屋で交わるなど、
今思うと何とも大胆な行為です。が、あの時はとにかく姦りたいという一心で、
大胆だという意識はさほどありませんでした。
もし、そこに小屋がなければ、川原の葦の葉陰ででもしていたかも知れません。
それ程私達はお互いを求めあいセックスに飢えていたのです。

久しぶりに見る弥生の肉体は、大分大人びたものになっていました。
以前の80センチ以下の乳房はお椀を伏せたようにふくよかに成長し、腰から尻に掛けての
ラインは大人の女そのもので、官能的でさえありました。

陰毛は柔らかく薄いのは変わりませんが、全体にふさふさとたなびくように生えていて、
性器と共に程よく発育している事が分かります。
具体的に言うと、大陰唇のボリュームがアップし、小陰唇がさらに大きくなった事でしょうか。
色も以前のピンク色と言うより、ドドメ色というのか、やや濃くなっていました。

弥生は乳首を少し吸ってやっただけで、大量の愛液を染み出させ、耳元で、
「お汁がたくさん出てきたよ」と囁くと、眉間に心地よさそうにシワを寄せ、
ペニスを挿入すると「ああ、これ、これよ」と身体を仰け反らせました。

「ぼくも、チンポすごく気持ちいいよ」
「わ、私も・・・・がいい」と四文字を声には出しませんでしたが、
口の動きは確かに「オマンコ」と言っていました。

腰を振っていると、弥生は身体を上へ上へとずらしていきます。
そんなに強く腰を打ち付けている訳ではないのに、それも弥生の昔からの癖でした。
あの山小屋で交わっていた時からのクセなのです。

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赤い糸で結ばれていた70年。其の五

◇両親との確執
赤い糸で結ばれていた11
私は高校を卒業すると板前の修業に入ったのですが、初めは特に板前になりたいと言う
希望はありませんでした。しかし、父親の知り合いに紹介された親方の店が、
何と言う幸運の巡り合わせか、弥生の住んでいる町に近かったのです。店での条件は
住み込みと言うことでした。私はこれですっかり板前にななる決心をしました。

それから十日ほど経った或る日、偶然にも弥生と再会したのです。
私達は川辺に座って、通り行く人の目も気にせずに抱き合いました。
そして、橋の下に無人の小屋を見つけると、そこでセックスをしてしまったのです。

山の中でならいざ知らず、人が何時遣って来るかも知れない橋の下の小屋で交わるなど、
今思うと何とも大胆な行為です。が、あの時はとにかく姦りたいという一心で、
大胆だという意識はさほどありませんでした。
もし、そこに小屋がなければ、川原の葦の葉陰ででもしていたかも知れません。
それ程私達はお互いを求めあいセックスに飢えていたのです。

久しぶりに見る弥生の肉体は、大分大人びたものになっていました。
以前の80センチ以下の乳房はお椀を伏せたようにふくよかに成長し、腰から尻に掛けての
ラインは大人の女そのもので、官能的でさえありました。

陰毛は柔らかく薄いのは変わりませんが、全体にふさふさとたなびくように生えていて、
性器と共に程よく発育している事が分かります。
具体的に言うと、大陰唇のボリュームがアップし、小陰唇がさらに大きくなった事でしょうか。
色も以前のピンク色と言うより、ドドメ色というのか、やや濃くなっていました。

弥生は乳首を少し吸ってやっただけで、大量の愛液を染み出させ、耳元で、
「お汁がたくさん出てきたよ」と囁くと、眉間に心地よさそうにシワを寄せ、
ペニスを挿入すると「ああ、これ、これよ」と身体を仰け反らせました。

「ぼくも、チンポすごく気持ちいいよ」
「わ、私も・・・・がいい」と四文字を声には出しませんでしたが、
口の動きは確かに「オマンコ」と言っていました。

腰を振っていると、弥生は身体を上へ上へとずらしていきます。
そんなに強く腰を打ち付けている訳ではないのに、それも弥生の昔からの癖でした。
あの山小屋で交わっていた時からのクセなのです。
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赤い糸で結ばれていた70年。其の六

◇再会の電話
赤い糸で結ばれていた14
それからついぞ弥生には会えず仕舞で居りましたが、風の噂で弥生が嫁いだ
事を知りました。当時、私の他に好きな人が居た訳ではありませんが、
親が見合いの相手を勝手に決めて、強引に結婚させられてしまったようです。

相手は立派な家柄の子息とかで、板前修業中の私には、到底敵わない身分の
男だったようです。私は彼女の幸せを願い、噂を聞いたその時から、
彼女のことは一切忘れようと固く決心したのです。

しかし、やはりそれは無理な事でした。私の心の中の大半は弥生一人で占められており、
一日に一度は彼女のことを考えてしまう毎日になっていたのです。

それから私は店を幾つか転々としながら腕を磨いていましたが、
なんとか板前としてやっていく自信がついた頃のある日、
久しぶりの休暇でアパートの部屋でごろごろしていると、突然電話が鳴りました。

「もしもし」といっても何の返事もありません。
いたずら電話かと思い受話器を置き掛けた時、「芳吉さん・・・」
と受話器の向こうから、忘れようにも忘れる事の出来ない声が聞えてきたのです。

「弥生なのか!」
私は思わず大きな声で叫びました。
「お久しぶり」という声を聞いて、私は改めて突然のことに絶句してしまいました。

弥生は涙ながらに勝手に結婚した事を詫び、
盛んに「逢いたい」を繰り返していましたが、私は断わりました。
弥生はもう人妻なのです。他人の妻なのです。会えば彼女への思いが再熱し、
二人とも辛くなるだけだと思い、そう言ったのですが、
「それでもいい、辛くてもいい」と、弥生は嗚咽しながら再会を迫って来ました。

弥生と私は磁石と同じです。何処にいようと、どんな生活をしていようと、
いつかは互いに引き合う事になる運命だったのです。

電話を切ると私は急いで部屋を飛び出しました。
大通りの信号を無視して突っ切り、
何度も転びそうになりながらも自転車をこぎ続けました。
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◇再会の電話
赤い糸で結ばれていた14
それからついぞ弥生には会えず仕舞で居りましたが、風の噂で弥生が嫁いだ
事を知りました。当時、私の他に好きな人が居た訳ではありませんが、
親が見合いの相手を勝手に決めて、強引に結婚させられてしまったようです。

相手は立派な家柄の子息とかで、板前修業中の私には、到底敵わない身分の
男だったようです。私は彼女の幸せを願い、噂を聞いたその時から、
彼女のことは一切忘れようと固く決心したのです。

しかし、やはりそれは無理な事でした。私の心の中の大半は弥生一人で占められており、
一日に一度は彼女のことを考えてしまう毎日になっていたのです。

それから私は店を幾つか転々としながら腕を磨いていましたが、
なんとか板前としてやっていく自信がついた頃のある日、
久しぶりの休暇でアパートの部屋でごろごろしていると、突然電話が鳴りました。

「もしもし」といっても何の返事もありません。
いたずら電話かと思い受話器を置き掛けた時、「芳吉さん・・・」
と受話器の向こうから、忘れようにも忘れる事の出来ない声が聞えてきたのです。

「弥生なのか!」
私は思わず大きな声で叫びました。
「お久しぶり」という声を聞いて、私は改めて突然のことに絶句してしまいました。

弥生は涙ながらに勝手に結婚した事を詫び、
盛んに「逢いたい」を繰り返していましたが、私は断わりました。
弥生はもう人妻なのです。他人の妻なのです。会えば彼女への思いが再熱し、
二人とも辛くなるだけだと思い、そう言ったのですが、
「それでもいい、辛くてもいい」と、弥生は嗚咽しながら再会を迫って来ました。

弥生と私は磁石と同じです。何処にいようと、どんな生活をしていようと、
いつかは互いに引き合う事になる運命だったのです。

電話を切ると私は急いで部屋を飛び出しました。
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何度も転びそうになりながらも自転車をこぎ続けました。

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赤い糸で結ばれていた70年。其の七

◇お疲れ様結婚
赤い糸で結ばれていた16
それから私達は逢い続け、逢えば身体を合わせておりましたが、弥生は亭主を恐れ、
不倫がバレると殺されるかも知れないからと、私には口唇以外にはキスをさせて
呉れませんでした。しかし、後に成って聞いたところでは、その時弥生は、
無理にでもアソコへキスされて不倫がバレたら殺されても良いと思っていたようです。
それを聞いた時、私は弥生と知り合えた事を心の底から感謝したのでした。

弥生のアザは無くなる事は有りませんでしたが、やがて新しいアザを作る事も無くなりました。
度重なる亭主の暴力に耐え切れず、離婚を決意したのです。
当然のように、亭主は応じませんでした。しかし、根気よく願い出た結果、亭主は息子の
親権を放棄するのなら考えて遣っても良いと、そんな卑劣な条件を出して来たそうです。

母親にとって子供は何ものにも代えがたい宝物です。三日三晩悩んだようですが、
一文無しに成ってしまう自分が子供を引き取ったとしても、子供が不幸になるだけだ。
子供の事を考えれば、亭主に預けた方が跡取りとして大事に育ててくれるだろうと。
思うようになり、苦汁の末に、親権を放棄して、亭主との離婚に踏み切ったと言うのです。

私に離婚の結果を話して呉れた弥生の、晴れ晴れとした顔が、反って痛々しいほど
心のうちを表していました。

「住むとこ探さなきゃ」弥生はぽつりと言います。私は彼女の肩を抱き、
「探す必要はないよ」と言ってやりました。
「どういうこと?」
「俺の所へ来ればいい。言ったろう、俺はお前を死ぬまで愛し続けるって・・・」
こうして大分遠回りをしましたが。

私達はその日から同棲を初め、一年後に正式に夫婦に成れた私たちです。
役所に婚姻届を出した日の帰り、ショートケーキを一つ買って、
小さな部屋で二人だけの結婚式を挙げました。

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赤い糸で結ばれていた70年。其の七

◇お疲れ様結婚
赤い糸で結ばれていた16
それから私達は逢い続け、逢えば身体を合わせておりましたが、弥生は亭主を恐れ、
不倫がバレると殺されるかも知れないからと、私には口唇以外にはキスをさせて
呉れませんでした。しかし、後に成って聞いたところでは、その時弥生は、
無理にでもアソコへキスされて不倫がバレたら殺されても良いと思っていたようです。
それを聞いた時、私は弥生と知り合えた事を心の底から感謝したのでした。

弥生のアザは無くなる事は有りませんでしたが、やがて新しいアザを作る事も無くなりました。
度重なる亭主の暴力に耐え切れず、離婚を決意したのです。
当然のように、亭主は応じませんでした。しかし、根気よく願い出た結果、亭主は息子の
親権を放棄するのなら考えて遣っても良いと、そんな卑劣な条件を出して来たそうです。

母親にとって子供は何ものにも代えがたい宝物です。三日三晩悩んだようですが、
一文無しに成ってしまう自分が子供を引き取ったとしても、子供が不幸になるだけだ。
子供の事を考えれば、亭主に預けた方が跡取りとして大事に育ててくれるだろうと。
思うようになり、苦汁の末に、親権を放棄して、亭主との離婚に踏み切ったと言うのです。

私に離婚の結果を話して呉れた弥生の、晴れ晴れとした顔が、反って痛々しいほど
心のうちを表していました。

「住むとこ探さなきゃ」弥生はぽつりと言います。私は彼女の肩を抱き、
「探す必要はないよ」と言ってやりました。
「どういうこと?」
「俺の所へ来ればいい。言ったろう、俺はお前を死ぬまで愛し続けるって・・・」
こうして大分遠回りをしましたが。

私達はその日から同棲を初め、一年後に正式に夫婦に成れた私たちです。
役所に婚姻届を出した日の帰り、ショートケーキを一つ買って、
小さな部屋で二人だけの結婚式を挙げました。
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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