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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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渡世で出会った女三人。其の三

◇自慢のイチモツ◇
渡世で出会った女3-1
みんな面白がって、やれやれとはやしたてた。特技と言うのは、デクノボウ(男根)を
シゴクと言うたわいもないものだが、オレの場合、気を入れてやると三十分、
調子のいい時は一時間ぐらい、漏らさない事が出来た。
酔っ払った勢いで、一度やって見せたのがよくなくて、何かあると遣らされている内に
有名になってしまった。

漏らさないようにするにはコツがあるんだが、口で言っても判るもんじゃない。
おかげでセイロウ(遊女屋)ではモテなくなってしまった。
ああいう所では早く漏らしてしまう男の方が、女が疲れなくてイイと言うのだ。

オレも若かったしココが男の見せ所と言う妙な意識も働いて、
オレは股間からイチモツを引っ張り出した。相手は天下のサクラさん、
自慢のイチモツを見せたいという気持ちも有った。

サクラさんの熱い視線が、オレの股間に注がれるのを意識すると、
シゴキもしないうちにオレのイチモツは大きく膨らんだ。
昔から「一黒ニ赤三紫、ないよりましの白チンポ」といって、
男のモノの最高級品は黒とされている。オレのは赤身がかかった黒で、
まずは極上に近い代物だと、自分では思っている。

膨張しきったときのサイズは、二つかみ半が標準とされているが、
オレのは三つかみで先端が隠れるから、巨根とまでは行かなくとも、
並みのものより大きい方であることは間違いない。

しかしオレの自慢は、色でもサイズでもなく持久力。
うまくコントロールすれば、入れたまま三十分でも四十分でももつ。
カミさんなんか、最初のころはヒイヒイ泣いて喜んでいたが、
今では早くすませろと、尻を叩いて催促するのだから、色気のないことおびただしい。

その座に十四、五にんもいただろう。サクラさんを中心に、皆が車座になって、
オレを取り囲んで、イチモツがいつ発射するのかをみているのだ。
しかし皆は一度や二度は見ている芸なので、そのうちつまらなくなって、
いなくなってしまったのか、一人去り二人去りして、とうとうだれもいなくなって、
サクラさんだけが残った。

男が男のイチモツを眺めていてもつまらないだけだ。
男たちの行く場所はオカ場所。この時代、遊郭はもうなくなっていたが、
赤線は、全国至る所にあった。
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渡世で出会った女三人。其の四

◇イチモツの吸引◇
渡世で出会った女4-1
それを見ただけで、ほとんどの女の目がトロけ、股間を濡らし、
抵抗するどころかすすんで体を開くのである。

オレは、ヤリたい女にはまずイチモツを握らせることにしている。
たいがいの女は、とんでもない事だと拒む。貞操観念の強い堅気の女は、
汚らわしいもので有るかの様にはねつける。しかし、
「触ってもらうだけで落ち着くんだから、触るだけでいいから」と迫ると、
一度は払い除けた女でも、義理にせよ手を伸ばし来る。
そうさせるのが男の腕なので、ちょつとでも触れたら後はこっちのもの。
女の手の上から、イチモツをギュッと握り締める。

女はまずその感触に驚く。掌に納まっていたのが、ムクムクと膨張して、
やがてはみ出す頃には、女は目を潤ませ息を荒くさせる。
そうなってからは男が手を放しても、女の手は、張り付いたように
イチモツを握り締めたままなのである。

男の味を知らない女には、この手は通用しない事もあるが、男の味を知った女は、
是が自分の中に入れば、どんな事に成るかを想像すると、もうその場を動けなくなる。
後はこちらの言いなりである。ここまで来て逃がしたことはない。

だいたい男と二人だけに成るというだけで、女にはその気があるのだ。あとは、
どうやって踏み切らせるか、それにはいろんな方法があるが、そこが男の腕なのだ。

サクラさんは、既に総てをオレに投げ出していた。イチモツに頬ずりし、
やがて口に咥え、飢えた赤ん坊が母親の乳房を吸うようにしゃぶっていた。

「親分さんは、アッチのほうはどうなんですか?」
「とっくに枯れて、もう煙も出ないわ。だからアタシはもう淋しくて淋しくて・・・」
あとはオボロ、言葉にもならない。

すでに親分は古希を過ぎている。若い頃のご乱行がたたったのか、
アッチのほうはまるでダメだというから、当然アネサンの女陰は男日照りのはず。
サクラさんのように顔と名前が売れると、男のツマミ喰いも難しい。
サクラさんと聞いただけで、土地の男達は尻込みする。
オレたちのような流れ者でも避けて通りたいのが本音だ。
万が一バレたときが怖い。
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渡世で出会った女三人。其の五

◇テキヤの三道楽◇
渡世で出会った女5-1
次の年の高市でサクラさんとは会えなかった。
サクラさんの姿は、一家から消えてしまっていた。消えた理由はわからなかった。
サクラさんの事を口にしてはいけない様な雰囲気が有った。

二日間の高市が終わった。夜の宴には老親分本人が姿を見せた。
「アンタがタカイチさんか・・・」
末席にいたオレに、親分から声をかけられたとき、オレには総てがわかった。
「いい若い衆だ。しっかり修業しなよ」
老親分は、その年が越せずに鬼籍の人となった。

サクラさんの姿は、親分の葬儀の席にもなかった。
オレの事が原因だったのかと思うと、いまだにサクラさんに済まない様な気がしている。
その後、サクラさんの消息は、ようとしてわからない。
九州の高市で見たという噂を一度聞いた事もあるが・・・。

タカモク一家とは縁戚に当たるアオイ一家にSさんがいた。
オレより十幾つ年上でとても実直な人だった。
ハッタリで生きているような、この世界には不向きな人だった。
しかし若い者の面倒見は良く、この世界に入ったばかりで、
まだ西も東もわからない、オレに色々教えてくれた人だった。

Sさんの奥さんは春さん(仮名)といって、対照的に豪気なアネゴ肌の人だった。
「女房とオレは生まれ違ったんだ」
と、Sさんが言ってたけれど、まさにそんな感じだった。
ビタに乗るとき(旅に出るとき)バシタ(妻)を連れて行く人と、
バシタを家に置いて、自分だけが行く人がいるが、S夫婦はいつも一緒だった。

オレは一度もカミさんをバイに同伴した事がない。
宮司の娘は気位が高いのか、地べたに座っての商いがどうしてもイヤだと言うのだ。

春さんは、頼りにならないSさんを当てにしないで、自分で商いをした。
オレたちの商売は、いろんな事が出来なければ一人前とは言えない。
アレがイヤ、コレが出来ないでは飯が喰えない。
奇妙なものでその年々によって売れ筋が違うのだ。
  1. あの日あの頃
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渡世で出会った女三人。其の六

◇真から愛した女◇
渡世で出会った女6-1
二日目の晩、それほどブショウが好きじゃなかったオレが、
部屋で一人酒を飲んでいると春さんがやってきた。
春さんは、かなり酔っていた。一緒に飲もうと言う事に成って、二人で飲み始めた。
飲んでるうちにオレも春さんもおかしくなった。何となくモヤモヤとして来たのである。
男どもは、ブショウに熱中しているか、オニギリ(色里)に繰り出しているかで、
どの部屋も空っぽ。

「タカイチさん、いいモノをしてるんだってね」
と、春さんが色っぽい目でオレを見た。
「言われるほどのモノじゃないですよ」
「そう言われると、なおさら見たくなるのが人情じゃないかい」
お互いに息が熱く感じられるほど近付いていたのである。

こうなったら成るようにしか成らない。オレの手が春さんの肩に回るか回らないうちに、
春さんが唇を押し付けて来た。この時春さんは三十七、八のまさに熟れ盛り、
春さんにしてみれば、自分を放っておいて、ブショウに熱中しているSさんへの
あてつけもあっただろう。酔った勢いを借りての、精々戯れ言とおもっていたが
どうもそうではないらしい。

オレだって春さんには気があったから、頂けるものなら頂きたいと思ったが、
ことがバレたら簡単ではない。仲間内、それも兄貴分のバシタに手をだしたとなれば、
オレも無事ではすまない。
しかしオレも若かった。心の中ではいけねぇと思いながらも、春さんの手を、
股間に導いて、荒ぶっているイチモツを春さんに握らせた。

春さんの息遣いが、みるみるあやしくなった。
「あんた、いけない人だよ、もうアタシはダメよ、
 あの人には悪いけど抱いておくれ、好きにしておくれよ」
オレは帯が解けたままの春さんを抱き抱えて、布団部屋に潜り込んだ。
ここなら人目につきにくい。梅雨時の布団部屋はカビの匂いが充満していて、
息も出来ないほどだが、それでもここなら安心してヤレる。

オレを押し倒した春さんは、いきなり腰を使い始めた。
もう待っておれないという感じだった。ヨガリ声が大きくて、
オレは必死で、春さんの口を手でおさえた。
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姉妹との契り。其の一

美人姉妹の処女を奪った男が居る。なんとも羨ましい限りだ。
姉と妹はよく似ているもので顔立ちもそっくりならば、体つき、前戯でのウブな反応。
そして膣穴の具合までウリ二つ。だが、快楽に浸ってばかりは居られなかった・・・。
◇燃え上がる情愛
姉妹との契り1-1
私が栃木県の高校を、あと半年で卒業しようと言う夏の終わりに退学したのは、
或るショッキングな出来事が原因だった。
私は二年生の頃から、同級生の牧子と交際していた。
それも仲間の誰にも知られないように心がける、こっそりした地味な付き合い方であった。

私は農家の息子だが、牧子はサラリーマンの娘で、
父親は当時九州の支社に課長として単身赴任していた。
母親と妹と牧子の三人で、盆と正月の休みだけ帰ってくる父を待つ淋しい環境に居た。
そんなせいか牧子はあまり級友とも談笑したがらない物静かな女性徒だった。

私もどちらかと言うと友達と声高にダベルより、何時も一人で読書にふけるのが
性に合っていたから、そうした二人が結びついたのはごく自然な成り行きと言えたかもしれない、
そして三年生になった。

私達は一目を避けて川原の堤や林の木陰で勉強の事や将来の夢などについて話し合った。
牧子は看護婦になって病苦に悩む人達の為に尽くしたい希望を語って呉れた。
それは立派な仕事だから私は賛成して励ました。私は大学を出て商社に勤め、
海外にも活躍のばを広げたい願望などを話した。

そんな時、ふと牧子は悲しげな表情をした。地元で地域に尽くしたい牧子と、
東京に出て、そして何処か判らない所に飛び出したい私との隔たりを、
何となく感じたのかも知れない。其の頃の二人はまだ手も握り合わず、
ただ話しに時間を費やすだけの事だった。
お互いに恋心は芽生えていたにせよ、将来は結婚をなどという夢は無かったと思う。

だが牧子のそうした。自分が突き放されたような物寂しげな顔つきを目のあたりにした時に、
私はいじらしさで一杯になった。もし牧子が将来妻に成ってくれるなら、
それ以上の幸福はない気がした。夫が商社マンで妻が看護婦という組み合わせだって
幾らでも幸せな家庭は築けるはずだと考えた。
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姉妹との契り。其の二

◇性器臭に欲情
姉妹との契り2-1
あくる日から学校で牧子を見る見方が、それまでと全く変わった。
スカートに手を入れ秘部をほしいままに弄んだ相手だと思うと、もうそれだけで興奮してしまい
ズボンのモッコリが痛いくらいだった。牧子も級友の目を盗んでそれとわかる色目を使った。
二人だけが知る秘密、私達はそんなふうに分かち合った。

そんな或る日、彼女の母親と妹に駅前の繁華街ですれちがった。
妹の美子は同じ高校の一年生でクラブ活動仲間だった。
美子が目礼したので私も会釈した。行き過ぎてから何気なく振り向くと、
母親は美子に私の事を訊ねているようだった。

その母親も牧子に似て、物静かそうで品の良い顔立ちの人だった。
父や兄と一日中野良仕事に精を出す私の母とはまるで違った若々しさで、
綺麗な顔が見るからに瑞々しかった。もっとも何時か牧子が話した事によれば、
早婚だったのでまだ三十七歳だと言う事だった。しかし、私にはもっと若く見えた。

私と牧子は夏休みに入ったある暑い日、こっそり遠出した。
どちらの親にも大勢の級友達と茨城の海へ海水浴に行くと嘘をついたのだ。
実際に水着姿で海へ入って肌を焼いてアリバイ工作をして、まもなく浜辺が遠く見下ろせる
山へ登って林の中で二人きりになった。

何時かのキスに劣らぬ熱っぽいキスをしあった後で、私はズボンを脱いだ。
牧子が腰をかがめてスカートからパンティをたぐった時、私の胸は張り裂けように高鳴った。
泡みたいに白く縮まったパンティを見つめる私の視線に気づいた牧子は恥ずかしそうに隠した。

そのパンティはキスしながら充分前戯した名残を前の方にとどめている筈だった。
と言うより、私がパンティに手を入れた時、真ん中の部分はもうすでにジトジトに濡れていた。
以前と同様に、その細い布はオマンコの形そのままに肌に食い込んでいた。
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姉妹との契り。其の三

◇衝撃的な事件
姉妹との契り3-1
八月の初めだった。私は級友の一人から全く意外な事を耳打ちされた。
私が牧子と隠れて交際しているのを感づいたらしい彼は、
牧子に担任教師との噂があると言うのだ。

教師の上田は三十四歳で、下宿住まいしていた。私はその級友の言葉を一笑に付した。
何を言っているのだと思った。牧子はそんなふしだらな女子高生ではない。
万事控え目で、キスはともかく女陰を私に触らせるにもあれほどのためらいを見せたのだ。
ましてやセックスなどその場のムードに負けて直ぐには応じようとしなかったではないか。

それでも級友の言葉が気にかかって夜もろくに眠れなくなった私は、
噂の真偽を直接牧子に確かめにかかった。
と言うのは、その級友がいい加減な事を口にする奴でなかったせいもある。
牧子は私の問い詰めに見る見る青ざめた。私は驚き、じっと見据えた。

「牧ちゃん・・・君はそんな女だったのか?」
私は失望と怒りで声が震えた。
「誤解よ・・・それは」
牧子は喘ぎながらやっと言った。上田は表面は真面目そうな感じだが、
常に何か秘密を隠しているような雰囲気を漂わせている教師だった。
独身なのでそれなりの女はいるのかも知れないが、日頃地味で目立たない存在なので
私達生徒だけでなく、大人達にもその変の事が掴みきれずにいる。と言ったところだった。

「誤解って、僕がどう誤解してるんだ?」
私は追及をゆるめなかった。牧子は両手で顔を覆って泣き出した。
その様子を私は冷たい眼差しを当てて見据えた。言い訳が出来ずに肩を波打たせて泣く
牧子の姿がすでに級友の噂を裏付けるものだと思うと唖然とした。
牧子はそのままの格好であとずさりしながら立ち去って行った。

それが私の牧子を見た最後だった。五日後に自殺してしまったからだ。
その二日後に教師の上田も同じ様に自殺した。

町じゅうが大騒動になった。 噂が噂を呼び、思いもかけず担任教師と不倫をしていた
女子高生の牧子は、自分の過ちを悔いて死を選んだのだとされ、それに衝撃を受けた
相手の上田は後追い心中をしたと言うのだった。
それはともかく、牧子が自ら命を絶った事を聞かされた時、私は目くらみがして脂汗が流れ、
その場にうずくまってしまったものだった。
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姉妹との契り。其の四

◇牧子の幻影を追って
姉妹との契り4-1
二十三歳の私は、久し振りに巡り合った二十歳の美子とそれ以後頻繁にデートする仲になった。
ムシムシする初夏の夜、私はレンタカーで美子を湘南の海へ連れ出した。
暗い浜辺にはあまり人影はなかった。

私達は渚を歩いて寄せて来る静かな波を掬い上げたりして戯れた。
何時の間にか手を繋ぎあっていた。浜辺から離れて人気の無い暗がりにたどり着いた時、
私はその美子の腕をたぐって抱きすくめた。

美子は逆らわずにしなだれ、素直にキスに応じた。
柔らかい唇の口紅の匂いが、私にはいやに新鮮だった。
高校生の牧子は口紅など付けていた訳はなく、それ以後誰ともキスしたこと等なかったからだろう。

私は美子の舌に舌を絡めて吸い続けた。美子も同じ様にそうした。見る見る顔が赤らんで、
私の背中に回している腕に力がこもって体をぴったり寄せてきた。薄いワンピース姿の下腹部が
私のジーパンに密接し、長いキスを続けていると美子のパンティを通してザラザラした
恥毛の感触が微かながら分かった。私は思わず生唾を飲み込んでワクワクした。
そのうち堪らなくなって、スカートに手を忍ばせると裾をたぐった。

美子はすぐに気づいてイヤイヤをするように顔を左右に振ったが、それが本心でないのは
振り方の弱さが示していた。気をよくした私は、裾に入れた手を奥に這わせた。

生温かい太股の素肌がさざ波立って細かい震えをおびている。
高校を終えると直ぐに家出したというので、或いは男との何かのつまずきが有ったのかとも
想像しないでもなかった。そんな美子の案外な純情ぶりに、もしかしたら未だ処女なのかも
しれないと考えた。そう言えばキスの仕方もどこかぎこちなく、喘ぐ胸の膨らみもワンピース越し
ながら不慣れな不規則さなのを先程から気づいていた。

指はたやすくパンティをとらえた。五年前牧子に同じ仕草を仕掛けた時の記憶が頭をよぎった。
あの林の中でも牧子のパンティはじっとり熱い湿り気を帯びていたが、美子のパンティはそれ以上
に濡れていてやはり微妙にオマンコのおおよそが手触りで分かった。

私は細い紐状の上から愛撫をくりかえした。美子の全身が痺れるように震え、
さらに私の体に密着した。次第にパンティの中央部分がネチョネチョしだして熱さを増した。

私は堪らずにパンティを引き抜くと直接女陰をまさぐった。柔らかすぎてトロトロになった秘肉に
そのまま指がのめりこみ、じきに煮えたぎる深いところへ到着した。

私は中指をくねくねさせてオマンコの深部を掻き回した。美子の身震いが極限に達したかと
思うくらい激しくなり、腰をうごめかせながら一層強く私の舌を吸い、唇をむさぼった。
のぼせきった顔が汗にまみれ、女臭いプーンとした匂いが間近で舞った。
そのうち美子は唇をはなし、私の肩に火照った顔を押し当てたまま喘ぎ、
「好き・・・あなたが好き・・・」
同じ言葉を何度も洩らした。息が乱れてその言葉も途切れ途切れだった。
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姉妹との契り。其の五

◇痺れる絶頂感
姉妹との契り5-1
そのあと私達はベッドインした。
美子は上気した顔を仰向けたまま気が遠く成りでもしたかのようにじっとしていたが、
私が重なろうとして両脚を広げにかかると薄目をあけた。
私が広げようとした両脚も思いがけなく閉じた。私は不意をつかれて美子を見た。

「あなたは、姉ちゃんともこうしたの?」
美子は呟くような小声でそう聞いてきた。私は躊躇った。
牧子とセックスしたのは、茨城の海を望むあの山の中が最初でその後一回きりだった。
その時も少し離れた地方の山へ分け入り暗がりでしたのだ。
高校生だったから、やはり平服にしろラブホテルへしけこむのには気が引けた。
私は意外な美子の質問に正直に答えた。

妹に有りの儘を告白するのは残酷な気がしないでもなかったが、嘘をつくのは嫌だった。
「そうだったの・・・ちっとも知らなかった、あたし・・・」
美子はうなずいて薄くあけた目に涙をためて、
「それならお姉ちゃんは、きっと貴方の事を最後の瞬間まで思っていたに違いないわ」
続けてそう言う美子の言葉が私には謎めいて思えた。

牧子は担任教師と関係していてその自責の念にかられて首をくくったのである。
遺書はなく、死んだ場所は高校のすぐ近くの森の中だった。或いは教師の上田への
愛情と私とのそれの板挟みに悩んで死を選んだのかもしれない。どっちにしろ、そんな牧子の
正体など私は夢にも想像していなかったのだから、私にすれば裏切られた訳であった。

それはもし、あの級友が耳打ちした噂を一蹴していれば、私も牧子を問い詰める事無く、
牧子はこっそり上田と別れて私との関係をさらに深めたかもしれない。
だから牧子を死に追いやったのは私のせいかもしれないし、後追い心中だと騒がれた
教師の上田の次の自殺も起こらなかったと言えもしよう・・・

私は私でその責任を感じて高校を中退むし、将来の夢を一変させた。
といっても全ては牧子が命を絶ったことにある。もし牧子が死なずに上田との不倫を
告白したとしても、私に許せたかどうかは疑問だが、なにも死ぬ事はなかったと、
いまだに無念でならない。

しかし分からないのは牧子がそんな淫らな女子高校生だったのか、という疑いだ。
私が感じた限り万事控え目で決して担任教師と密かに情事をもつ女の子ではなかった。
それがずっと私には喉の奥に刺さった魚の小骨同様ひっかかっている謎であった。
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姉妹との契り。其の六

◇意外な真実に驚愕
姉妹との契り6-1
美子の女体のすべての血は、いま快感に躍動している筈だと思った。
実際、私が肉棒を出したり入れたりするごとに美子はよがって、
「いい!あー、いい!たまらないー!」
と口走り、果ては、
「こんなにいいもんだったってこと、あたし・・・あッ、そこ、そこ!」
せがんだりした。放心したように一旦歪んだ顔が反対にまのびしたり、
ぽっかり開いた唇に綺麗な歯がのぞくのだった。

私はそんな有様を見ながら美子の両脚を両肩に乗せ、
性器は合体した侭乳房をほうばった。
キュンと反り返ったように先が上向いた乳房は、
ふもとの膨らみが瑞々しくて若肌の艶が格別だった。
私が腰をあおりながらその乳房を揉んで舐める一方で
乳首を吸うと美子は上体をよじって激しく悶えた。

はじめ両側に伸ばしてシーッを掻き毟っていた手が私の首に巻きついてきた。
私はその巻き方の強さに息苦しくなり、顔が乳房にくっつき過ぎた。
こんもりした肉丘が頬っぺたにあたって、せっかく含んだ乳首が唇からずれたりした。
吸われていた美子は慌てて私の唇にまた乳首をあてがったりするのであった。

そうした間でも、私は腰をきざむのを片時もやめなかった。
もうオマンコは濡れまみれの柔肉になって、肉棒をほんの一瞬でも
放すまいとする様にグチャグチャした音をかなでながら軋み続けていた。

「なぜ、なぜ・・・こんなにイイの・・・」
美子はそうわめきつつ、何度ものぼりつめた。
イキそうになるのが私には手にとるようによく分かった。
美子が懸命に歯をくいしばり、搾り出すような声で、
「ああ・・・なに、何これッ!」
と、わめきながら全身をわななかせ、しがみついてくるからだ。
同時に途方もない快感にのた打つ美子の波動が強く私の裸身に伝わってくる。

私も一緒にイッてしまいたかったが辛うじて耐え、次に美子がイクのを心待ちしながら
さらに攻め立てた。そんなふうにして私が放った時、さすがに美子は息たえだえだった。
ごろりと横向きになった女体が喘いで、いつまでも下腹部が波打った。
腿から下は痺れきったように少しも動かなかった。
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あの日あの時。其の一

私が四年前に始めて書いた「官能小説」もどきの告白文章です。
このに作品をきっかけに私の文筆活動は「作詞」から「官能小説」に変わりました。


~母の乳房と陰毛と~
母の乳房と陰毛と01
私の生まれ育った場所は群馬県の山の中、
今は高崎市に編入されましたが、克っては、群馬郡倉渕村と言うところである。
親達は田舎で百姓を遣っていたのですが、私が12歳の時横浜に出てきました。

日本も戦後の荒廃から抜け出し、高度成長が始ろうとしていた時期で
日本の自動車産業が本格的な国産車を作り始めた頃でした。
横浜に有るN自動車で工員を大募集していたのです。
手先の器用な親父は溶接機等も使いこなし、
農機具の修理も全て自分の家で遣ってました。
そんな親父ですからN自動車にも正社員で採用され、
家族共々横浜に移住してきたのです。

私が是からお話しようとするのは、私が始めて夢精を知りオナニーを経験をし、
女性の身体の秘密の部分に興味を覚え、性の衝動の赴く儘に、
年上の女性とのセックスに明け暮れしていた少年期の「あの日あの時」のお話です。

私は母が28歳の時の子で、その後母は35歳に成るまでの7年間に、
私の下に三人の子供を生みました。約二年半ごとに男女男女と巧く産み分けた物です。

そして私は八年間母から出る乳を飲んで居りました。
普通は二歳頃までには乳離れするはずなのに、
その頃には次の子を妊娠し、農家に育った母は丈夫な身体をしていたのでしょう、
母の乳房からは、八年間いつも母乳が溢れて居たのです。

初めの妹と弟の時は、赤子に乳を飲ませる時に私も一緒に
母の乳房の片方を吸って居たようです。
流石に末っ子の時は母も疎ましく思ってか、余り私を近づけなく成りましたが、
妹が余り飲みが良くない時などは、搾乳器の代わりに、
私にも飲んで良いよと言って飲ませてくれたものです。
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あの日あの時。其の二

~母の性教育~
母の乳房と陰毛と04
父の就職と私の中学入学は同じ春四月に成りました。
小学校の卒業式が済んだ段階で、本格的な引越しとなり。
三月末には横浜の借家に引っ越しました。
初めの家は6帖と4.5帖に台所が付いただけの家でした。
風呂は近所の公衆浴場に行ったのです。
そして寝る時は私と弟が4.5帖に父と母と妹が6帖でした。

父が夜勤の時は小学二年生の弟は母の横に寝かせて
貰ったのに、私は中学生だからと言って
母の傍には寝かせて貰えませんでした。

でもそんな時が気兼ね無く布団の中で
オナニーが出来たのです。
弟が一緒に寝て居るときは、
チンポは弄っても、シコシコは出来ません、
したくなるとトイレに駆け込んで、射精してました。

夢精は隣に誰が寝ていようとも、
毎日の様に有りましたがね。
そして汚れたパンツや下着をどうやって隠すかに
悩んで居たものです。

そしてその日、私が風邪を引いて二日ほど学校を休んだ時でした。
母が洗濯をして居た手を休めて私の枕元に来て。

「伊佐雄、お前も男になったんだね、毎日パンツ汚して居るんだね、
汚れたパンツは洗濯機の下の方に隠して居るようだけど、
皆大人になる時には通る道だから、決して悪いことじゃ無いんだよ、
是からは汚れたパンツや衣類はバケツに水を張って
其の中に入れて置きなね。」
「水に浸して置かないとパンツがきいばんでしまうだよ、汚れたら直ぐ脱いで履き替えるんだよ。」
と注意されました。
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あの日あの時。其の三

~夏休みの帰郷~
母の乳房と陰毛と06
横浜へ引っ越して最初の夏休み、私は8月一杯田舎で
過ごす事にしました。狭い横浜の借家では周りに気兼ねして
オナニーも満足に出来ません。

私達が住んで居た田舎の家は祖父(父の親)の家の敷地にあり?
300坪も有る広い敷地に、祖父母達が住む母屋と向かい合う形で
私達の住む別棟が有りました。私達が横浜に引っ越した後も
其の家は其の侭に残されていたので、何時でも帰れる状態でした。

何れは後を継いでいる叔父(父の兄)の息子が所帯を持つまでは
空き部屋は自由に使っても良い事になってました。
言うなれば田舎に別荘が有る様なもので、私は高校を卒業して、
社会人に成るまで毎年夏休には訪れて居たのです。

ここで祖父たちの家族を紹介して置きます。
祖父、九重郎、当時70歳。祖母、ユキ、当時67歳
叔父、五郎、当時48歳。嫁、君代、当時45歳(元看護婦)
叔父の長男、義巳、当時20歳。次男、幸光、当時15歳。
叔父の一人娘、登美子当時13歳(歳は私より一つ上だが同学年)
現在は、祖父、祖母、叔父、嫁さんの四人は他界して居ります。

因みに私の家族は
父、三郎、当時44歳。母、美代子、当時41歳。私当時13歳。
弟、拓也、当時9歳。妹、綾乃、当時11歳。末の妹、桜、6歳
現在は、父も母も他界しております。
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あの日あの時。其の四

~男に成った日~
母の乳房と陰毛と09
送り盆も済ませて、私の家族や親戚達は皆帰って行きました。
静けさの戻った田舎の家に一人残った私は、
その日も朝から桑摘みに行き、
何時もの様に朝食を済ませ、何時もの様に勉強を
して居ると、従兄妹の登美子が一緒に勉強しようと、
私の部屋にやって来た。

子供の頃は良く一緒に遊んだのに、何故かよそよそしかった
登美子が馴れ馴れしく私の隣に座り込んで、
「横浜の学校ではどんな教科書使ってるの」、
と言って私の教科書を取り上げてペラペラとページを捲って
見ています。そして教科書をめくりながら、

「伊佐雄のお母ちゃん、凄く綺麗に成ったね」
「色白でグラマーで家の母ちゃんとは月とスッポン」
「矢張り都会の人は良いよね」
「私もお嫁に行くなら都会に行きたいな」
「田舎で百姓の嫁には成るなんて、絶対嫌だな」
「伊佐雄のお嫁さんに成りたい、といった昔の言葉は
忘れてないよ」
「私を今此処で伊佐雄のお嫁さんにして呉れる」
と言い出したのです。

「何言ってんだい、今此処で、と言ったって」
「従兄妹同士の結婚は良くないと、母さんが言ってたよ」
「結婚相手は血の繋がりの無い女を選べ、と言われてるんだ」

「如何して従兄妹同士じゃいけないの、周りには一杯居るよ」

「血の濃くなる結婚は、盲目や奇形の子供が生まれ易い
だってよ」

「そうなのかな、それじゃ子供生まなければ良いんでしょう」
「セックスしても中出し、しなけりゃ良いんじゃない」

「中だし、何て言葉何処で覚えたのよ」

「あら、女の子は学校で性教育ちゃんと受けてんだよ」
「中学生にも成れば殆どの女の子は生理があるんだよ」
「だから、男子とは別に保健体育の時間に性教育を受け
避妊の方法も教わるんだよ」
「私だってコンドーム持ってるよ」
「今見せようか」
と言ってポケットの中からコンドームを取り出した。

「コンドーム持って居るからって、使った事なんかないよ、私は未だ処女だよ」
「伊佐雄に処女を上げる為に大切にして来たんだから」
「伊佐雄が毎日オナニーしてるの知ってるよ」

「私みたいなお嫁さんに成りたいと言ってる女が傍に
居るのに一人でオナニーするなんて勿体無いじゃない」

9月で14歳に成る登美子は私よりも耳学問だけは
私よりも遥かに進んで居るようだった。

終始圧倒されぱなしで、何時しか上着を脱ぎ、
上半身裸に成って私に迫って来る。
オッパイも其れほど大きくも無い癖に
と思いつつも私のペニスは膨らんでしまった。

登美子は私の短パンのベルトを緩めるとするりと脱がし
私の下半身を露にして仕舞った。

「あら伊佐雄のオチンチン未だ皮が剥け切れて無いんだ
私が剥いてやるね」
と言って私の亀頭を剥き出しにして上下にしごき始めた。
初めて女性に触れられた私のペニスは呆気なく
果ててしまった。
登美子は軽蔑するような眼差しで、
「皮被りで、早漏じゃ私はお嫁に行く気が無くなったわ」
「バイバイ」と言ってサッサと服を着て出て行ってしまった。
私は完全にプライドを傷つけられて、自信を無くしてしまいました。

もう登美子の顔も見たくないと思い夕飯も食べずに
ふてくされて早くから寝て居りました。
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あの日あの時。其の五

~恵美子と言う女(ひと)~
母の乳房と陰毛と12
横浜に引っ越してきてから半年、親父は
家を新築しました。土地は借地ですが、家は二階建てで
念願の子供部屋が出来たのです。と言っても個室では無く
男の子の部屋、女の子の部屋、夫々が6帖で夫々に
二段ベットがあり机が一人づつ与えられました。
一階には親達の部屋とリビングとキッチンが繋がった、
所謂3LDK、お風呂場も付いていました。

この家を建てるに当たって親達は親戚から大層な借金を
したそうです。当時の事ですから200万円ぐらいだそうですが、
その返済の為に母も水商売(バー)を始めたのです。
そしてその借金は5年足らずで返しきったそうです。
借金を返した時点で母は水商売は症に合わないと言って辞めました。

当時横浜には「進駐軍」のキャンプが沢山あって、米兵が街に
溢れて居りました。その米兵達の性の捌け口を受け持ってたのが
「パン助」とか「パンパンガール」と言われた女達で、
一般の婦女子に性的暴行が及ばないようにした「必要悪」として
売春防止法が出来るまでは、公然とした「米兵相手の売春婦」です。

母の店にはそう言う米兵や其の愛人の女達、
そして色々トラブルが有ると駆けつける警察官らが常客に成って、
皆からママさんと呼ばれ慕われて、自宅にも昼間から、
そう言う女達が頻繁に訪れて
「身の上相談」を持ちかけて来るように成りました。
その相談内容は「米兵から受ける暴力」や「相手を寝取られた」とか、
或いは「下り物が多く成った、性病を移されたらしい」等と
子供には刺激の強い話ばかりです。

そんな女達の中に九州小倉から来ていた
恵美子と言う女性の事を書きます。
彼女は当時22歳で実家は貧しい農家で、稼いだ金は
殆ど日送りしていたそうです。
普段の恵美ちゃんは、地味で礼儀正しく、
堅気の娘と何ら遜色の無い素敵な女性でした。
彼女は私の住む街から少し離れた
山の手の高級アパートに住んでました。
大体そう言う商売をして居る女性は羽振りが良く、
高級なアパートに住んで居たのです。
恵美ちゃんは付き合っている黒人米兵と結婚したいから、
母に親代わりに成って欲しいと言うのでした。
九州の親は黒人との結婚は認めない、如何しても結婚するなら
「親子の縁を切る」と宣告されたそうです。
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あの日あの時。其の六

~千恵子と言う女~
母の乳房と陰毛と13
恵美ちゃんは、普段、化粧も服装も地味な娘さんでしたから、
チョツト見には商売女には見えませんでした。

今日お話しする千恵子さんは当時24歳で大阪出身の女性です。
タイプとしては恵美ちゃんとは正反対で、
ストレートヘアーの恵美ちゃんに対してカーリヘアーのロングで
如何にもアメリカナイズされたセンスの持ち主でした。

セックスする時もスカートも脱がず最小限の露出だけで、
全てを見せようとしなかった恵美ちゃんに対し、
千恵子さんは自宅で寛ぐ時は何時もシミーズ(スリップ)姿で、
ノーパン、ノーブラの時もあり、目のやり場に困る事も有りました。
そんな時ドギマギしている私に気付くと、
「オッパイ触ってみたい」等と挑発して喜んで居る人でした。

千恵子さんは頭が良くて私の勉強も良く見て呉れました。
多分大学には入ったが何かの理由で中退し、
この道に入って来たのではないかと、思われます。
商売女達の殆どは英語は喋れても「読み書き」は出来ない人が
多かったのですが。そんな女達へ米兵の恋人から来る
手紙の代読や代返を千恵子さんはやってあげて居たのです。

千恵子さんは「この商売」は金を貯めるのが目的と割り切って
居たようで、恵美ちゃんの様に「一人を愛する」様な事は無く、
何時も数人の男と付き合ってました。
そして何れは大阪に帰り「洋品店」を持つのだと言ってました。
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あの日あの時。其の七

~母に挑んだ~
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二学期も終わり、成績が上がった通知表を千恵子に見せようとして、
私は彼女のアパートに急いで行った。
普通ならもう病院から帰って居る筈の時間なのに、
千恵子の部屋のドアーには鍵が掛かっていた。
当時は携帯電話など無い時代で、家庭の電話も未だ少ない時代だ、
アパートに住む住人は管理人室にある電話を名刺などに入れる場合は
(呼び出し)045ー○○ー○○○○と書いて居た時代である。
留守と成ると連絡の付けようが無かった。

私は母の店に寄って、
「千恵子が居ないんだけど、母さん、何か聞いてない」と
聞いてみた。母はそ知らぬ振りして。

「何も聞いて無いよ、何処か友達の所にでも行ったんだろう」
と言うのである。

「俺に何も言わないで何処かに行く訳無いと思うんだけどな」

「千恵子にだってお前の知らない付き合いも有るだろうさ」

「母さんが千恵子を何処かに隠したんじゃない」

「私がそんな事する訳無いだろう、変な事言うんじゃないよ」

「伊佐雄に言っておきたい事が有るから、店が終る頃又
此処においで、家では話せない事も有るからね」

「判ったよ、11時頃来れば良いんだね」
私は一旦店を出て家に帰った。
そして色々考えて見た。
私は一つの考えにたどり着いた。
今回の千恵子の失踪は、母が仕組んだに違い無いとの結論である。
恐らくこの数ヶ月母は千恵子に私と別れるように説得を続けた筈だ
そして多分幾らかの金を「手切れ金」の様に渡したかもしれない。
そして何処か私の目の届かない所に、住まいも仕事も用意して、
引越しの手配も全て母が段取りして、今日の日(二学期が終る)
の来るのを待って出て行かせたのだ。
母は其の位の凋略は遣りかねない。パン助、やくざ者、不良外人
を相手に水商売を遣って来た母なのだから。と

事の真意も確かめない内から、私は母に対して言いようの無い
怒りが湧き上がって来た。
こうなったからには、千恵子の変わりに母を犯しまくって、
滅茶苦茶にしてやると、心に決めた。
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あの日あの時。其の八

~人の世の無常を知る~
画像 230
私の田舎、群馬県群馬郡倉渕村(現在はた高崎市倉渕町)は
国定忠治や小栗上野介などに所縁の有る町で、
つい最近テレビで小栗上野介が主人公に成ったドラマがありましたね。

勘定奉行や海軍奉行等の要職を勤めた小栗も
幕末の権力闘争(主戦論と開国論の対立)に敗れ、
反対勢力に、謂れの無い「謀反」の濡れ衣を着せられて、
1869年4月6日43歳の時 水沼川原で家臣とともに斬殺されます。
その水沼川原が私の田舎の近くなのです。
烏川に掛かる水沼橋の下を水沼川原と言うのですが、其処には
石碑が立って居ります。

今日のお話は高校生活最後の夏休み、私は例年に習い、
倉渕村の祖父の家で過ごしていた時の話です。
水沼橋を渡った処に地元の人から「観音様」と呼ばれている
古儀真言宗の寺がありました。
其処では毎年お盆の時に「夏祭り」が催され、屋台の夜店や
見世物小屋、盆踊りが2日掛りで行われて、近在の村人達の
唯一の楽しみだったのです。

私も母が作って呉れた浴衣を着て、従兄妹達と出掛けて居りました。
偶々そこで出会った女性から声を掛けられたのです。

「本家の伊佐雄ちゃんじゃない、私芳子よ覚えてる」
と不意に言われたのです。見れば小学校の時の同級で親戚筋に
当たる分家の芳子でした。

5年も離れて居ると随分変わるものです。でも面影は随所に有り
暫く一緒に居ると昔の様に打ち解けて、昔話に花が咲きました。
そして其の話の中で芳子は、「急性骨髄性白血病」で
お盆が終ったら高崎の病院に戻ると言うのです。
私には医学の知識が無いので其れがどんなに重い病気だかは
その時は知らなかったので、横浜に帰ったら「手紙を書くね」と
其の晩は別れたのです。
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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