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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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あの日あの時。其の五

~恵美子と言う女(ひと)~
母の乳房と陰毛と12
横浜に引っ越してきてから半年、親父は
家を新築しました。土地は借地ですが、家は二階建てで
念願の子供部屋が出来たのです。と言っても個室では無く
男の子の部屋、女の子の部屋、夫々が6帖で夫々に
二段ベットがあり机が一人づつ与えられました。
一階には親達の部屋とリビングとキッチンが繋がった、
所謂3LDK、お風呂場も付いていました。

この家を建てるに当たって親達は親戚から大層な借金を
したそうです。当時の事ですから200万円ぐらいだそうですが、
その返済の為に母も水商売(バー)を始めたのです。
そしてその借金は5年足らずで返しきったそうです。
借金を返した時点で母は水商売は症に合わないと言って辞めました。

当時横浜には「進駐軍」のキャンプが沢山あって、米兵が街に
溢れて居りました。その米兵達の性の捌け口を受け持ってたのが
「パン助」とか「パンパンガール」と言われた女達で、
一般の婦女子に性的暴行が及ばないようにした「必要悪」として
売春防止法が出来るまでは、公然とした「米兵相手の売春婦」です。

母の店にはそう言う米兵や其の愛人の女達、
そして色々トラブルが有ると駆けつける警察官らが常客に成って、
皆からママさんと呼ばれ慕われて、自宅にも昼間から、
そう言う女達が頻繁に訪れて
「身の上相談」を持ちかけて来るように成りました。
その相談内容は「米兵から受ける暴力」や「相手を寝取られた」とか、
或いは「下り物が多く成った、性病を移されたらしい」等と
子供には刺激の強い話ばかりです。

そんな女達の中に九州小倉から来ていた
恵美子と言う女性の事を書きます。
彼女は当時22歳で実家は貧しい農家で、稼いだ金は
殆ど日送りしていたそうです。
普段の恵美ちゃんは、地味で礼儀正しく、
堅気の娘と何ら遜色の無い素敵な女性でした。
彼女は私の住む街から少し離れた
山の手の高級アパートに住んでました。
大体そう言う商売をして居る女性は羽振りが良く、
高級なアパートに住んで居たのです。
恵美ちゃんは付き合っている黒人米兵と結婚したいから、
母に親代わりに成って欲しいと言うのでした。
九州の親は黒人との結婚は認めない、如何しても結婚するなら
「親子の縁を切る」と宣告されたそうです。
 
真面目な恵美ちゃんにはその米兵との付き合うように成ってからは
他の男とは一切の関係を絶ち一途に愛して居たようです。
大体そう言う女達は相手の男を掛け持ちするは当たり前で、
三角関係、四角関係は珍しくなく、その為のいざこざは絶え間が無く
暴力沙汰も日常的にありました。其の時に出動して来る、
警察官やMP達も何時しか母の知り合いに成っていたのです。

ある日恵美ちゃんが
「私の家に遊びにおいで」と私を誘いました。
女性の家に呼ばれるのは始めての経験でした。
彼女の部屋は云わば米国風と言うのでしょうか、
靴は脱がずに上がれる部屋で、未だ日本には珍しい
冷蔵庫や洗濯機等も置かれて居りました。
部屋は香水の匂いがぷんぷんとしていて、
部屋中に下着やドレスが干されていました、
外に干すと殆ど盗まれて仕舞うと言ってました。

恵美ちゃんは甲斐甲斐しく、珍しい果物や、
食べた事も無いべコーンや焼肉の缶詰を開けて
食べさせて呉れました。
インスタントコーヒーも始めて味わいました。
始めて飲んだインスタントコーヒーはサツマイモの
焼けた匂いと変わらない匂いで有った事を覚えて居ます。

食事も終った頃恵美ちゃんは言いました。
「伊佐雄ちゃんが10年早く生まれてたら私は、
伊佐雄ちゃんのお嫁さんに成りたかったな、ママみたいな
お母さんが欲しかった」と言い出したのです。
「伊佐雄ちゃん私はアメリカに行くけど、一度日本の男の人に
抱かれたかった、こんな商売している女だから決して、
綺麗な身体じゃないけど、伊佐雄ちゃん、最初で最後の
日本の男に成って呉れる」と言うのです。

私も君代叔母さんとセックスしてからは何と無く女の抱き方
見たいなものが判って来たので、恵美ちゃんを引き寄せて
キッスをしました。
恵美ちゃんは「チョツト待ってて」と言うと、スカートをたくし上げて
パンティーを脱ぎました。
あの時代の女性は殆どがフレアスカートを履いていて、
スカートは脱がなくとも首をスカートの下からつ込めば、
女性器を弄ったり舐めたりは出来たのです。

私は立ったままの恵美ちゃんの股座に首をつ込んで、
大陰唇を押し開き中に指を入れて上下に抜き差しし始めました。
最初は濡れていなかったオ○ン○も程無くして湿り気を増して来て、
恵美ちゃんの口からは吐息が漏れて来ました。
クリトリスを刺激すると腰をくねらせます。
「伊佐雄ちゃん上手だわ、なれた手つきで、何処で覚えたの」
と聞いてきましたが君代おばさんとの事は秘密にしていました。
「初めてじゃないでしょう」
「でも良いわ伊佐雄ちゃんにこんなに感じさせて貰えるなんて
私は幸せよ」

「私を上にさせて」と言って私を床に寝かせると、
ブラウスを脱ぎ、私のズボンを脱がせて、
勃起して居るペニスの上に腰を降ろして来ました。
その時もスカートは脱がないままでした。
ブラジャーを押し上げて乳房を露にすると、
私の手を取って、恵美ちゃんの乳房に宛がいました。
私は両手で乳房を鷲掴みにして軟らかい乳房を揉みました。
恵美ちゃんは何度も仰け反りながら、激しく腰をグライング
させてきます。私も下から何度も突き上げてやりました。
「あぁぁぁ・・・いいい・・・・・・いく・・・・」
「僕も出ちゃうよ・・・」
「良いわよ中に出して良いわよ・・・」
私は10回位ピクピクと痙攣して大量の精液を放出しました。
恵美ちゃんは慣れた手つきで後始末をすると。
「有り難う」と言って私の唇に軽くキッスをしてくれたのです。

14歳に成って最初の女(ひと)が恵美ちゃんでした。

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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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