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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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近親相姦の肉絆。其の六

◇永く続いた近親相姦
叔母とその娘達15
昭和28年頃の世相は、朝鮮戦争特需で日本の都市部では好景気を
謳歌していましたが田舎ではその恩恵は余り無く、自由主義の名の元に、
性風俗の乱れは地下に潜って続いていました。

私の同級生が何人かで強姦事件を起こしたり、女の子が集団で妊娠したり、
現代と余り変わらない状態でした。
今の様にマスメディアが発達していなかったので、片田舎の性情報などは
取り上げられる事も無く、不倫や近親相姦などは深く静かに進行していたのです。

当時の避妊用具はコンドーム(私達は衛生サックと言っていた)が主流で、
あの頃はおおらかだったのか、村の中には肥溜めが幾つもあり、
そこにプカプカ浮かぶコンドームを幾つも見たものです。
私の家の箪笥の引き出しにも幾つもありましたが、
幾らなんでも親のサックを盗む訳にもいかず。私達はこまっていたのでした。

仲の良かった不良少年に相談すると、たちどころに調達してくれました。
姉の小遣いから支払ったと思います。彼らは教室にゴム製品を持ち込み、
風船の様に膨らませて女の子をからかったりしていました。

お祭りの屋台店の笛のついて音の出る風船にも、そのものずばりを使った物を
売っていたりして、随分といい加減というのか、のんきな時代でした。
現代だったら、直ぐに大問題になったでしょう。

中一の少年の中には、赤線に通う者もいた時代でした。
親たちも子供の行動には無関心で、親から勉強しろなんて言われた事はなく、
姉だけが口煩く言ってるだけでした。母などからは夜遅くまで本など読んでいると、
目を悪くするから早く寝ろ、などと言われたものでした。

したがって、二階に上がってしまうと、よくよくの事が無い限り、
親は私たちの部屋に来る事は無かったのです。

最初のうちはぎごちなかった姉との性交も、回を重ねると次第に上達して、
私も射精が我慢できたし、姉も快感がより深くなったようでした。

せっかく手に入れたサックは無駄に使えないので、川に遊びに行く時、
こっそりと使用済みのものを洗って、天花粉をまぶして巻き戻して、
二、三度は使った記憶があります。

 
叔母とその娘達16
一番危険な時期は、フェラとクンニで欲望を処理しました。
姉はどこかで色々な情報を得て、荻野式避妊法などの勉強をしていたようです。
月経の時が一番安全だというので、畳の上にぼろ布を敷いて、
生で思う存分性交したものです。

夏が終わり、蚊帳を外して布団を掛けないと寒く感じる秋になっても、
二人はせっせと飽きもせず抱き合っていました。
其の頃になると、姉はアクメを知り、うっうっと呻きながら、
身体を硬直させ痙攣して、時には失神状態になりました。

「お前、動かないで、あたしが締めてやるから、ほらっ、締まるだろう、どう?」
「ううっ、すげえや。チンポがくいちぎられそうだ」
「気持ちいいだろう、こうするとあたしもイッチヤイそうに成るんだよ」
などと、自然に性のテクニックも覚えて、
姉は男なしではいられない身体になっていったようです。
「自分でセックスしてみると、小説の中の事も良く判って、
 読んでるだけでしたくなる事があるんよ」そんな事も言っていました。

何度か母に見つかりそうに成った事がありますが、
姉は巧く取り繕って大事に至りませんでした。
そういう時はさすがに姉だなと尊敬したものです。
親もその事には心配はしていたのでしょうが、セックスはタブーという面もあって、
あからさまに注意は出来なかったのかも知れません。

サックは友達に頼んで、何度も購入して使っていたので、
姉の妊娠はありませんでしたが、馴れて来るとけっこう危険な事もした訳ですから、
まあラッキーというより他ないと思います。

姉が高校三年生、私が中学二年生の夏ごろまでは、
機会があるたびに身体を合わせて居りましたが、秋口に入ると姉は短大への
入試に専念するからと言ってセックスから遠ざかるようになり、翌年の春には
東京の短大へ見事合格しました。

姉とのセックスが出来なくなると、優子、久美子の従姉妹たちと桃色遊戯が
再熱して、私が高校へ行くまで二人との関係は続きました。
私が高校に入ると直ぐ恋人が出来(現在の妻)遊びは止まりました。
二人は中学を卒業すると東京へ集団就職して行きました。

其の後、姉は短大を卒業するとサラリーマンと結婚し東京に定住し
二人の子供を生みましたが49歳の時に癌で早死にしてしまいました。
優子は高崎の商家の嫁になり三人の母親となり、
久美子も安中の食堂に嫁ぎこれも二人の子供に恵まれて、
時々従姉妹会を開催しては当時の事を懐かしく思い出しています。
END
  1. 近親者との性体験
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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