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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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祖母に捧げる鎮魂歌。其の三

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朝早く起きて十分ほど歩いて烏川へ行き、
昨夜仕掛けたおいた置き針を引き上げるのが私の日課だった。針を上げた後で川岸に
立って日が登るまで毛鉤を使った「流し」という釣り方でうぐい釣りに熱中した。
置き針には時々大型の鰻(うなぎ)や鯰(なまず)が掛かっていて、
それが何よりの楽しみだった。昔の子供は元気が良かったというよりも、
寝るのが早かったので早起きしてこんな遊びが出来のだと思う。

早朝、朝霧で薄暗い林の中はひぐらしの大合唱で賑やかなものだった。大抵は
二、三人の仲間で行動したが、都合で独りで行く場合は朝の雑木林は怖かったが、
甲虫や鍬形が取り放題だった。

家族に起こして貰わなくとも、そういう場合はきちんと四時前に目覚めたもので、
大人に成ってからのゴルフの朝と同じだ。
当時は子供の釣って来る川魚は蛋白源として珍重されて、大漁だと褒められたりして
張り合いがあったのを記憶している。まだまだ自然は残っていて、
豊漁でとれた魚は串刺しにして囲炉裏の遠火で燻して保存して食ったものだ。

仲間の何人かは大人に混じって、ガラス箱を使って鮎の引っ掛け漁で大人顔負けの
良い稼ぎをしていた。そう言う連中は仲間内でも尊敬を受けていた。
本職顔負けの彼等は教室では全く目立たない、鼻垂れ小僧だったり、
立たされ坊主であったりしたものだ。子供達が最も個性的に、のびのびと遊びながら
稼いでいられた時代だったろう。だから今時の様な陰湿ないじめなどしている暇が
無かったのだと思う。

そんな中で私はたいした稼ぎは無かったけれど、早熟で異性関係にばかり興味があった。
祖母に手ほどきを受けて性交を経験したし、夏休み過ぎからは性交の味の何たるかを
知り、女好きの人生を決定するような出来事があった。

敗戦によって古い価値観は押しやられアメリカ式の自由主義の名の元に貞操観念も
薄れ、既婚者でも未亡人でも恋愛は自由だという風潮が巷に溢れ、性のモラルは
崩壊した。

ある夜の事、機屋の大将と母のオマンコのことで、初めての時ほどの激しさは無かった
けれど祖母が母に嫌味を言っていた。事の起こりは其の頃流行始めた美容院で、
外国人の様なちりちりのパーマネントを掛け、もんぺからスカートに履き替えて帰ってきた。
それらの費用は全部、機屋の大将が出したらしく、その事を祖母はくどくどと文句を
言っていた。

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鎮魂歌3-2
大将の奥さんは身体が弱く肺病だとの噂があり、母が妾の様な事をしていても
奥さんは何も文句が言えなかったらしい。パーマをかけた母はまるで映画スターの様に、
眩しく綺麗に見えて誇らしく思ったものだ。

この年の長者番付の県内第一位は織物業者だった様で、
いかに機屋の大将の羽振りが良かったことが窺い知れる。
「おっかさん。もう、日本は自由主義で何でもして良いご時世になったんだよ。
 姦通罪っつうんも無くなって、誰と恋愛をしょうがお構い無しの時代に成ったんだかんね」
「へぇ。自由主義っつうもんは、そう言う事なんだ?」
「そうさあ。だから、おっかさん、何時までも父ちゃんに義理立てするこたあねえんさ」
「それでも、よそ様の夫婦仲をぶっこわしても良いっつうこたあなかんべえ」
「そんなこたあ当たり前だけど、恋愛はするこたあ罪にはならねぇんさ」
「それじゃあ、亭主が居ても女房がいても、当人同士がよけりゃあお構いなしかい」
「そうさあ。自由主義だもの、当たり前だんべえ」

その夜も母は外出した。
祖母は世の中がそういう仕組みに成ったのでは、今までの様に嫁に文句を付けられない
とでも思ったらしく、ぶつぶつ言いながらも諦めた様子で階段を上がって来た。
自由主義もそうだが、母が貰う給料以上の大将からの(お手当て)の前では祖母も
文句は言えなかったし、母も憚る事無く大威張りで外出が出来たのだと思う。

私は慌てて蚊帳の中で眠った振りをした。
「雅人はまだ子供だなあ。横になりゃあすぐ白河夜船だもんな。
 天下泰平だあ。ああ、美代子なんざあ、今頃大将とおっぱじめたんだべえ」

祖母は浴衣の前を肌蹴て、右手を陰部に当ててもぞもぞと動かしていた。
そして、猿股一つで寝ていた私の股間に左手を伸ばして直にペニスを握った。
半分立ち上がっていたものは、急に硬くそそり立ち、掌の中で扱かれていた。

後で思うと、祖母は何時でもOKだったのに、私がぐっすり眠っているので性的な欲求が
無いものだと思い込んでいたらしい。祖母が仕掛けて来なければ、しては逝けないと
思っていたし、彼女の方では私から仕掛けられるのを待っていたらしい。
乳を吸わせて切っ掛けを作ろうにも、少し揺すぶった位では目を覚まさない私には
その気がないと思ったのだろう。

そして、猿股を少し下げて勃起を剥き出し、口をつけて舐めたり吸ったりしはじめた。
たちまち尾骶骨が痺れて、思いっきり淫水を吹き上げていた。ごくんと飲み込み、
舌で周りを綺麗にして猿股を引き上げ祖母は、ころんと横を向いて眠ってしまった。

私が目を覚まさない時は、こんな風にして何時も淫水を飲んでいたらしい。
若い男の淫水は若返りの妙薬なんだと、祖母が言った事が有る。

一度射精させられると、そのまま深い眠りに落ちて翌朝まで目が覚めなかったが、
其の夜は何故か祖母が眠っても暫らく眠れなかった。
鎮魂歌3-3
外出した母の帰りが気に成っていたせいもあった。柱時計が十二時を打ってから、
玄関の戸が静かに開けられ、母が帰って来た音がした。

私の寝ている部屋の真下が母の寝室で、押入れから布団を出して敷く音がして、
どさりと横になる音も聞こえた。八時過ぎから今まで、大人のオマンコは時間が
掛かるもんだなと思いながら、また勃起していた。

暗闇に慣れた目で祖母を見ると、しどけなく脚を開いて浴衣の胸も肌蹴ていて半裸の
状態だった。暫らく祖母を観察していたが、起き上がって寝息を窺った。目を覚まして
叱られるのが怖かった。しかし、一度覚えた禁断の味は少年に決断を迫っていた。

破れかぶれの心境で意を決し、猿股を脱ぎ全裸になって祖母の脚の間に移動し、
勃起を陰部の辺りに押し付けてみた。
陰毛に触り股の間を探ったか、この間の様なヌルヌルした穴が見つからなかった。

うろうろしていると膝が曲げられたのでビックリして逃げ腰でじっとしていると、
またすやすやと寝息の音がして、眠っている様子に安心した。
膝を進めて両脇に腕を突っ張り、勃起でオマンコと思われる辺りを探っていると、
すっと勃起が掴まれ腰を引く間も無く祖母の腰が迎えに来て、ずるずると熱い肉の
狭間に飲み込まれた。脚で尻の辺りを締め付けられ引き付けられた。

「くふふふううう」祖母は鼻で息を吐き、背中に両腕を回して抱き締めた。
二つの身体は一つになったと言う感じだった。彼女の腋の下を抱え頬擦りをした。

陰毛がずりずりと私の下腹部を擦り上げ、小さく上下動が始まり、うねうねと尻が
動き勃起は息をつくように締めたり緩められたりしていた。
祖母の柔らかい身体にしがみついて、今にも射精しそうなのを堪え、
腹を合わせ体重をそっくり掛けて揺られていた。

オマンコの中が急に熱くなり、勃起の先が締め付けられて祖母がわなわなと
震えはじめたのと同時に射精した。

細かい事は忘れたが、腰を締め上げていた股が震える感じは覚えている。
掠れた声を上げ、急ピッチで尻を上下させて、
激しく動きはじめたので振り落とされまいとしがみついて、恥骨を強く押し付け合って、
射精の快感とくすぐったいような感じを味わっていた。
  1. 上州女の性と愛
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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