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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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「異国の丘」を聞くたびに。其の五

異国の丘を聞くたびに5-1
夏休みまでの何ヶ月の間に、性交の修行をたっぷりとさせられた。
千擦りの悩みが無くなり、碌に教科書も見ないのに学校での成績が
抜群に良くなっていたのが不思議なくらいだった。

私は母に男が出来はしないかといつも心配していた。私は何処にでも居る只の
ガキであったが。母は三十六歳の女盛り、人が振り返るほどの女っぷりだったし、
いつ機屋の社長とよりが戻るか気に成っていた。

親戚の男が何人か出入りしていて、私が居ても子供だと多寡をくくって
母に淫らな誘いをかける者が居た。きっと私が居ない時にはもっとしつっこく
纏わり着いていたと思う。

米を持って来て呉れたり、野菜を分けて呉れたりして有り難い存在だった。
当時の百姓男は戦後物資不足の時、米や野菜を欲しがる子連れの主婦達が、
都会から遣ってきて米の前には身体を投げ出す事例が忘れられなかったのだ。
農作物で女を誘うことは慣れっこに成っていた。

「○○の親父は大嫌いだよ。イヤらしい奴だ。
 母ちゃん、あんな奴、すぐに追い出してくれよ」
「そうだけど、親戚だしね、
 折角来てくれたんだもの、お茶ぐれえださねえと・・・」
「母ちゃん、あいつとオマンコしてえんじゃねえんか」
「バカなこと言わないでよ。そんなこと絶対にしないから」
母は涙声に成った。
「母ちゃん。よその男とオマンコしたら、俺、家出して愚連隊に入っちゃうかんな」
「ばかだねぇ。世の中でお前ほど良い持ち物持ってる男はいやしないよ。
 可愛いお前としてればよその男なんか問題になんないよ」
「だってぇ。父ちゃんが帰ってくれば、してくんねえだろう」
「そりゃあ、同じ家の中じゃ無理だんべぇ。それまでっつうことにしとくべえ」
「もう直ぐ出来なくなるかも知れねえから・・・うんとやっとかなくっちゃ」
意地悪を言うと、母もそれに応えて、失神するまで私の性欲に付き合ってくれた。

そんな風に爛れた関係が深まると、彼女の中には夫に対する罪の意識との
戦いが激しくなっていた筈だった。
私は父の顔を知らなかった。私が生まれて直ぐに出征したので、
写真で見るだけで父親という実感はなかった。
だから父親を裏切っているという意識が無く、
母子相姦の罪を重ねている事にも気が付かなかった。

口先だけではなく、本当に母を愛していたし、
未だ見ぬ父親にでさえ嫉妬と敵意を抱いていた。

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異国の丘を聞くたびに5-2
「母ちゃんは誰にもやんねえかんな」
「嬉しいよ。あたしだってそうだからね、雅人が他の誰かとオマンコしたんが分かれば、
 これをちょん切ってやるかんね、覚えておきな」
性戯の発展に従って口の方も普通の夫婦の様に焼もちを焼いたり、
些細なことで争ったりするようになった。

姉は叔父の処で都立U第一女子高等学校併立中学の三年生に成っていた。
「全く秀夫(叔父)の奴はいい年になっても嫁を貰う気が無いらしく困ったもんだ」
母は嘆いていた。
「だって、まだ若いもん、嫁なんか早いよ」
「商売してるんだから嫁さんが居た方が信用されるんだよ」
母は姉と叔父のあいだの事を幾らか心配しているらしい素振りだった。

「美恵子ももう立派な女の身体になってるし、独りもんの叔父と
 二人っきりつうと、なんだか心配だよ」
「へるもんじゃねえもん、いい気持になれるんだからいいんじゃねえん?」
当時世の中にはこんな風潮があった。

ゴム製品は何処でも買えたし、女性用の避妊薬も発売されて
新聞におおきな広告が載ったりしていたような気がする。
「バカなことをいってぇ、美恵子はまだ子供だよ。いくら自由主義の時代だって」
母はわたしのことに気が付いて、慌てて言い直した。
「歳には関係ねえけど、あの子の場合は、孕むっつうことがあるかんな。
 男の子はいいさ。女は学校に行ってて、子が出来たなんつうと、
 みっともなくってさ、一生の問題になるよ」
「Mの娘なんか子を堕ろして、しゃあしゃあして学校に来てるがねえ」

母はがっくりと肩を落とした。
「ああ、嫌な世の中だねえ」
去年祖母が言っていた台詞を繰り返しているのがおかしかった。

妊婦の人工中絶が法律で認められて(昭和23年優生保護法が制定された)
病気や母体の保護以外にも経済的な理由でも中絶が出来るようになっていた。
戦争未亡人や未帰還兵の妻などにおおきな救いに成っていた。
もっとも我が家の留守を守る妻は、一番安全な息子と避妊には細心の
注意を払いながらの性生活が続けられていた。

戦争の罪で不幸な女性が沢山いた筈だ。
肉欲に負けて夫以外の子を生んだ人もかなり数にのぼり、
不幸な別れをしなければ成らなかった夫婦の噂も聞いた。
異国の丘を聞くたびに5-3
「父ちゃんが帰って来て、お前のオマンコはぶかぶかだ。
 誰かとオマンコしてたな、なんて言われたらどうする」
「雅人が証人でそんなことは無かったて言って呉れるもん、大丈夫さ」
「いや、俺は正直に白状するさ、父ちゃんの分は俺が間に合わせておいたってね」
「ばかだねぇ。冗談にでもそんなこと言っちゃだめだよ」

夏休み前のころから蚊や蛾が飛び回り、蚊帳を吊らなければとても
寝られたものではなかった。落雷などでの停電が多く、夜は寝るか、
夜遊びに出掛ける以外にすることが無かった。

「雅人。寝よう。ここんとこしばらくご無沙汰じゃない?」
さすがに慣れてからは月経の間は性交は休んでいた。
「毎日千擦りしてたから、オマンコなんかしたくないよ」
「あきれた。毎晩口でさせてた癖に、意地悪だねえ。
 あたしはそんな子に育てた覚えはないよ」

冗談を言い合いながら恋人同士の様に蚊帳の中の暗闇で、
口や指を使ってじっくりと母の快感を引き出す作業に専念した。

回数を重ねたとは言っても、十三歳の少年のすることだから、
母はそう何時も満足していたはずはなかった。きっと成人したベテラン男に
揉みくちゃにされたい願望があったと思う。

逆さに重なって鼻を肛門に押し付けてぐりぐりしながら舌を膣の中に
差し込むのも彼女が好きな感じる形だった。

ビラビラを噛み、割目の周りに何時も紫のキスマークをつけておいた。
「魔除けだよ。母ちゃんが他所の男としねえ様に」
「ようし、じゃあ母ちゃんだって、印を付けとくかんな。
 なんだこのおっ勃ってもんは。この芋みてえなもんは邪魔っけだ」
などと言いながら、鼻で睾丸をどかしながら勃起を舐めあげたりして、
腿の付け根の所に幾つものキスマークを付けてくれた。
そんな事が妙に嬉しくて、母と自分を繋ぐ印を愛の紋章のように感じたものだ。
  1. 上州女の性と愛
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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