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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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祖母に捧げる鎮魂歌。其の六

鎮魂歌6-1
次の日、「母ちゃん。あれになったらしいんよ」姉は母に言った。
「そうかい。そうかい。お前も女になったんだよ」
出かけると言うのに初めて月経に成ったらしく、母と娘はその用品を揃えたり、
手当ての注意などくどくどと繰り返していた。

女に成るっつうこんは月経になることで、オマンコする事とは関係ないんだ。
一つ物知りになった。
あんなに狂った様にヨガッていた姉はまだ月経に成っていなかったのだ。

照れくさくて駅まで送って行かなかった。泣いた様に目を潤ませた姉は母に送られて
帰って行った。

後々で姉の告白によると、叔父に迫られて処女は無くしたけれども、
痛いばかりで快感など知らない時期だったそうだ。
弟の性遊戯でやっと快感を知ったらしく、夏休み明けからは感じる女に成って、
叔父との夜の楽しみを持ったということだ。

姉が帰ってから又元の様な暮らしが戻ってきた。
母は相変わらず夜になると出掛けて行き、夜中か朝帰りを繰り返していた。
それについては祖母も何も言わなくなり、母も平然として高級な化粧品を使って
女っぷりを上げていた。

昭和30年代になると「もはや戦後ではない」と言われ始め、ラジオのニースも、
未帰還兵の事は段々取り上げなく成ってきた。歌の番組で菊池章子の「岸壁の母」
が流れて来ると祖母は大粒の涙を流し肩を震わせて泣いていた。

「父ちゃんは生きているんかな?ひょっとして死んだんじゃ・・・」
私が言うと祖母は顔色を変えて怒った。
「生きてるよ。死ねば母親のあたしには分かるんだ。まだ元気で生きているさ」
自分に納得させる様に言うのが気の毒だった。

父の話題で涙ぐんでいたくせに、祖母は並んで寝ると股で私を挟んで、
剥き出しのオマンコを擦り付けて誘惑してべべをしては息を荒くしていた。
「うんぐっ、うんぐっ、ぐぐぐううっ」
脚をぴんと伸ばして、抱き締めてわなわなと身体を震わせた。
姉の身体に挿入してからと言うものは、祖母の身体に嫌悪感を持ったけれど、
何日か過ぎると祖母のたるんだ身体でも満足せざるを得なくなった。

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9100image91.jpg
其の年の九月の半ばに大きな台風が来て、烏川の橋が流されたり、
田圃の稲が駄目に成ったりして酷い目にあった。川の流れが大きく変わり私の仕掛けた
釣り場も流されて跡形も無くなっていた。
姉の住んでいた街も水害に遭い、大変な思いをしたと手紙が来た。

其の頃、父の配属されていた部隊の兵隊が見つかり帰還を果たしたと言う報道を
聞き及び、祖母はその人に会い、父の消息を聞いてみたが、終戦当時、
別れたきりでその後の事は分からないとの事でがっかりしていた。

母は当然気には成って居たのだろうが、改めて表には出さなかった。彼女にしてみれば
現在の恵まれた立場と生活を失いたくなかったのだと思う。
世の中は好景気とか言っているがそれは都会や大企業を中心とした工業中心の
話で、田舎では物価が高くなり、若者は都会に憧れて人口減少が始まっていた。

そんな時代の中で妾のような事をして大将の庇護を受けていた母と私達は生活に
困ることは無く幸せだった。シベリヤで苦労しているだろう父には申し訳無い事だが、
背に腹は変えられない暮らしだったので、母の不貞を責める事は出来なかった。

がっかりしている祖母に子供なりの慰めの言葉をかけた。
「そのうちにきっと帰って来るよ。父ちゃんは丈夫な人だって言うから、頑張ってるよな。
 行方の分からない人は未だ何万と居るんだから、そのうちに帰るよね」
祖母は涙を流しながら私を抱いた。

何時の間にか身に付いた口付けをしながら、指は張りを失ったオマンコの割目を探り、
サネを愛撫して彼女が挿入をせがむのを待っていた。
「もう嵌めてくれ。うんと遣ってくれ」
可哀相な祖母を慰める積りで、必死になって腰を使った。
「ふんふん、うんうん」
腰遣いに合わせ、彼女も腰をあおりながらしがみ付いていた。
射精が兆して来ると、少し間を空けてぐっと下腹部を押し付けて動きを止めた。
肉の張りがなく、たぷんとするような太腿が私の背中に巻きついた。

「雅人のチンポはここんとこ急にでかくなったような気がするよ」
祖母は眠った振りをするのを忘れていた。

「婆ちゃんのマンコも具合が良くなった」
「へえ。そんな事が分かるんか。そうだいなぁ、十年もしてなかったんだもの、
 初めは雅人のチンポでも痛かったもんな。今はすっかり慣れて、
 毎晩でもやりてえぐれえなすけべになっちまったよ」
祖母はハアハアと荒い息をして、私の様な初心者を上手にあしらって、
結構アクメを感じていたようだった。
鎮魂歌6-3
「婆ちゃんのマンコ舐めてえ」
祖母を歓ばせようとして言うと、断わると思っていたのに簡単に許してくれた。

「ああ、ありがてえことだ、孫でなけりゃあこんな事はしてくんねえ、
 冥土の土産にやってもらうべえ」
サービスのつもりで言ったのに、ぐんにゃりと皺さぽい狭間に口をつける羽目になった。

指では馴染んでいた祖母のサネも元気はないけれど、
姉と同じ様な太さと長さがありすごく敏感だと言う事をしった。
(サネも遺伝するんだなあ)心の中で感心したのを覚えている。

「あたしゃあ、一遍も舐めて貰った事が無かったんだよ。
 こんなに気持の良いもんとは知らなかったでえ」
私の頭をたるんだ太腿に挟んで、悶え狂った。
「噛んでくれ。サネを強く噛んでくれっ」

二人は夜ごと身体を重ね、
でしゃぶる仕事が一つ増えたが布団が必要になる秋の深まりとともに、
充実した性交のしかたを覚え毎夜満足していた。
母は二階の部屋にくる事は殆ど無かったので、
外は寒くても二人は裸で抱き合って眠った。

「雅人。お前は婆ちゃんと変な事してるんじゃねえか」
母に聞かれてどきっとした。
「何もしてねえよ」
平然と嘘をついた積もりだったが、人生経験の長い母にはお見通しだった。
しかし、祖母をなじる権利はないと思ったのか、それっきりになった。

祖母は寒くなる頃から元気がなくなり、オマンコもしたがらなくなった。
「ばあちゃん、ねえ、どうしたん。ほらっ、べべすべえや」
身体を揺すっても穏やかに笑いながら、
「あたしは雅人のお陰でこの世の極楽を見せて貰って幸福だった。
 もう十分して貰ったからしなくていいよ」と言った。

祖母は急激に衰えが始まり、父の帰りを待たずに暮れに亡くなってしまった。
私は徒泣いた。べべの相手を失ったことよりも、黙って父の帰還を待っていた
祖母の心が分かって可哀相だなと思ったからだった。

「これで雅人もべべの免許皆伝だなあ」お墨付きを貰ったのが思い出に残った。
寒い風の中の貧しい葬式だった。シベリヤの息子に会うことも叶わず。
その後の日本の繁栄の恩恵に浴することも無く祖母は死んだ。
END
  1. 上州女の性と愛
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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