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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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祖母に捧げる鎮魂歌。其の一

鎮魂歌1-1
昭和30年代、世の中は敗戦の荒廃から抜け出し、世情も落着き高度経済成長を
歩み始めていたが、私達の住む群馬の田舎ではまだまだ終戦の爪痕が残っていた。
父はシベリヤに抑留されたまま音信不通だった。母は織物工場に勤めていた。

生活は楽では無かったが、世の中誰もが貧乏だったから、
私達小学生も貧乏に卑屈に成る事も無く毎日真っ黒になって遊びまわり、
時には大人の手伝いをして働いた。

私には二歳年上の姉が居たが彼女は頭が良く、田舎ではちょつとしたエリートだった。
東京で闇屋みたいな事をしていて羽振りが良かった母の弟と同居して、
都立の中学校に通っていた。
姉は独身の叔父の家に下宿して、彼の身の周りの世話をするのが条件だったらしい。
だから夏休みに成っても、長い間実家にはいられずに、直ぐに帰って行った。

父と姉の不在の田舎の家には、三十四歳の母親と五十六歳の祖母と
十二歳の私の三人で暮らしていた。

私は小学六年生に成っていたが、当時の六年生は田舎では労働力であり、
田畑の仕事も山の下草刈りや薪の背負い出しなど、
大人に負けないくらいの仕事をしていた。
今時の子供よりは体格は劣っていても、身体の鍛え方が違って居たのだと思う。

私の田舎はそれほど山の中では無かったにも関わらずかなり閉鎖的で、
夜這いの話や輪姦とか近親相姦の話が公然とされていて、
同級の仲間には既に女を経験した者が何人も居て、
自慢話を聞かされっぱなしだった。
未だ童貞だった私はそんな話を羨ましく聞いていたものだった。

我が家は代々農家だったが戦後の農地解放で田畑の殆どを小作人達に分割譲渡
されてしまったようで親戚同士の争いが後々まで尾を引いていた。
祖母は何かにつけて田畑を失った事で愚痴を言っていた。

母は一階の奥の暗く広い欅の板戸で仕切られた部屋に一人で寝ていた。
私は二階で祖母と同じ布団に寝ていたのだ。

夏になる前の夜更けの事(と言っても午後の10時頃)、一階の囲炉裏のある部屋で
母と祖母が何か言い争う声が二階の部屋にまで聞こえて来た。

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鎮魂歌1-2
何時もは物静かで大声など出さない二人なのに、
何か嫌な予感がして階段の処まで這って行って聞き耳を立てた。
「美代子。亭主の生死も定まらないのに、
 人の噂に成る様な事をしでかしちゃまずいんじゃねえか」
「一体、何の事だんべ」
「しらばっくれるな。機屋の大将と出来てるって、今日聞かされたんだ」
「誰がそんな事を言ったんですか」
「誰だって良いだんべ。誰かが言うからにゃ娑婆中が知ってるっうこんだんべ」
「・・・・・」
「女盛りのおめえが男と姦りてんは判るよ。
でもな、子でも孕んでからじゃ遅いかんな」
「そんなあ。あたしだって一家を養う為に一生懸命働いてるんだよ。
 ちつと実入りを良くする為には大将に嫌われねえように、
 ちったあニコニコもするし、言う事も聞かなくっちゃなんないんですよ」
「だからって、オマンコまでするこたあなかんべえ。
 そりぁあ仕事の為じゃなくって、自分がしてえからだんべ」
「まあ、くやしいねえ。誰がそんな事言うんだんべえか」
暫らく二人は黙りこくっていた。

「そんなこといわれちゃこの家に居られねぇな。あたしは実家に帰らしてもらいます」
母は怒って立ち上がった様子だった。
「好きにすればよかんべえ。そんなに怒るとこ見ると、図星だったんだな。
 大将とオマンコしてるんだな。このぅすけべあまが・・・」
祖母がきせるを囲炉裏の縁で叩く音がして静かになった。

祖母が平然と(オマンコ)などという言葉を吐くのは初めてで、
その言葉が物凄く刺激的に聞こえた。

千擦りを覚えて、そのオマンコをしたくて堪らない毎日を送って居たのだから、
母が機屋の大将とオマンコしていると想像しただけで勃起した。

機屋の大将と言うのは、五十過ぎの織物会社の杉野というやり手の社長で、
いつもバリッとした服を着て髪もポマードで固めた洒落者だった。
倅の癖にあの大将と母がオマンコしているのは悪くはないなと思った。

金回りはいいし、工場に遊びにいくと何時も小遣いを呉れたからだった。
一方では器量よしの母親を取られてしまいそうな不安もあった。
鎮魂歌1-3
母は荒っぽく玄関の戸を閉めて外に出た。
雨模様の蒸し暑い夜だった。庭の物置から自転車を引っ張り出す音がして、
表の道路に出て行ってしまった。

勃起したままのマラを握りながら蚊帳の中に戻り、頼りの母親が居なくなったら、
明日から如何すれば良いのか心細くなっていた。

暫らくすると、真っ暗な階段を祖母がことん、ことんと登って来る音がしたので
眠った振りをしていた。
「おい、雅人や、はあ寝たかい」
祖母は蚊帳の裾を捲くって入り、横に成ると、むっと女の匂いがした。

「あああ、まったく美代子にも困ったもんだなあ。
 すけべえのくせに何かっつうと怒って出ていっちまうんだかんな」
独り言を言ってため息をついた。

ぱらぱらと庇に雨の音がしはじめた。
母は自転車でも三十分以上は掛かる実家へ行ったのだろうか、こんな雨の中
途中の沢に滑り落ちたりはしないだろうか、等と考えると涙が溢れてきた。

母も祖母も嫁姑の諍いをすると、私の傍に来て相手の悪口を言う癖があった。
私が聞いて居ようが居まいが問題では無く、うっぷん晴らしの相手が欲しかった
からだろう。

雨の音を聞きながらウトウトし始めた時、祖母の手が下腹部に伸びて、
未だ勃起していたマラに触れた。
「おやおや、こんなにしちゃって、寝ててもおっ立ってるよ」
呟きながら、そおっと猿股の上から掌に包んだ。
左手で勃起に触り、右手は浴衣を掻き分けて陰部を触って居る様だった。

祖母は当時、五十六歳だったが、色白で背筋がぴんと伸びていて、
田舎のお婆さんにしては綺麗な女で私の誇りだった。

当時は六十近いと言えば老人と見られ、老いを感じる年頃だが、
何故か彼女はすっきりと良い女だった。村では数少ない女学校出で頭も良く姉は
祖母の血を引いて居たのかも知れない。

祖母のするままに任せて、身体もマラも益々硬くなって息を詰めていた。
祖母は陰部に触れている右手を激しく動かして、私を握った手にその振動が
伝わって来て判った。
「ううん。はぁぁぁ・・・」彼女は両足をぴいんと伸ばして動きを止めた。
ぎゅうっと強く勃起が握られて淫水が出そうになった。

やっと祖母の手が離れてほっとしていると、私が眠っているのかを試すように
祖母は話かけた。
「雅人やい。こんなにおっ立てて、眠ってるんかい」
黙っていると、独り言に言った。
「よく眠ってるよう。子供は寝ちまうと担ぎ出されても知らずにいるっつうかんな」
そして猿股を静かにずり下ろした。
  1. 上州女の性と愛
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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