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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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「異国の丘」を聞くたびに。其の一

異国の丘を聞くたびに1-1
昭和三十年の暮れに祖母が亡くなって、広い我が家には母と二人だけになってしまった。
父はシベリヤに抑留されていて、音信不通だったし、姉は母の年の離れた弟(叔父)
の所から東京都立の高等女学校に通っていて家にはいなかった。

農家の大きい建物の一階に母、二階に私という暮らしになった。
二階は昔お蚕を飼っていた部屋で、三つの八畳の部屋が板戸で仕切られていて、
私のいた奥の部屋だけは畳が敷いてあり、
障子が立て回されて人が住める格好に成っていた。

他の部屋には昔の会席膳類や先々代まで遣っていた機屋の道具などが
一杯に積み込まれていた。

生活の為に母は近所の機屋の女工として勤めていたが、
実質はその工場の社長の妾の様な立場だと他人は言っていた。

その前年あたりまではどんな粗悪品でも、布地であれば飛ぶように売れて
凄い景気だったのに、世の中が落ち着いて来るにつれて、
小規模の機屋の経営は苦しくなっていた。

「雅人。母ちゃん一人で寝るのが寂しいから、一緒に寝べぇゃ」
母子は二階の私の布団に並んで寝た。
機屋の社長との仲が疎遠になった頃だった。

一時は社長の奥さんの代わりに、工場や女工を取り仕切っていたのが、
女工を何人も引き抜かれたり、社長が飲み屋の女に心を移したりして、
母の立場は微妙に変わっていたのだろうと思う。

「父ちゃんはどうしてるんだんべえな」
「シベリヤで元気にしてるよ。そのうち帰って来るさ」
滅多に父の事など言わなかった母は心細げに言い始めた。
社長に振られてしまった母を気の毒に思った。
それより、お手盛りで給金を取っていた母に実権が無くなり、
収入の面でも響いていたらしい。

ぱりっとした紺サージの学生服を着ていた同級生が何人も居たところを見ると、
金のある者はかなりの物が手に入る時代になっていたようだ。

私は姉が世話に成っている叔父のお古の学生服を貰って着ていた。
袖口や裾は薄くなり、裏地などはほころびて手を入れる時は注意しないと
裏地の中に手が入ってしまうという代物だったのを覚えている。

私は祖母と肉体関係を持ち、千擦りからは卒業していた。
母のいる織物工場の女工の何人かと時々性交していたが、
彼女らはもっと実入りのいい職場に引き抜かれて行ってしまい、
夜遊びの相手に不自由していた時期だった。

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異国の丘を聞くたびに1-2
「なあ、雅人や、お前はお婆ちゃんと変なことしてたいな。
 別に文句を言ってるんじゃねぇよ」
「変なことって何だい?」
「とぼけなくてもいいよう。敷布にお前の淫水(えんすい)の跡が
 何時も一杯付いてたかんな。もうオマンコが出来る様に成ったんだ」

母に背中を向けて寝た振りをしていた。
「おい、こらっ、とぼけるなよ」
母は含み笑いをしながら背中を抱き乳房を押し付け、
重い腿で脚を絡めて、それ以上は追求はしなかった。

祖母が生きている間にも何度か其の事でさりげなく聞かれた事が有った。
少し前までは夜に成ると出掛けて行き、夜中か朝帰りをしていた母は、
仕事から帰ると家に居て、欲求不満をかこっていた時期だった。

終戦後、十年も立つと引揚げ船のニュースも少なくなり、
時々新聞に載る程度に成っていた。父の消息も依然として判らないままだった。
この頃ラジオから聞こえてくる「異国の丘」と言う歌を聴くたびに母は涙ぐんでいた。

父が抑留されて安否も判らないにも関わらず、
私は碌な食事もしていないのに、性欲ばかりが昂進して、
べべの相手の祖母が居なくなってから自慰に明け暮れていた。

母と同じ布団に寝る様になった当初は少しの遠慮があり、
出来るだけ母の身体に触れない様に気を使っていた。
それでも慣れて来ると、母の尻に勃起を押し付けて接触感で興奮していた。

当時は母で有ろうと姉で有ろうと、私にとっては異性であり性欲の対象だった。

未だ十二、三歳の男の子が母親と同衾するなどと言うことは、
現代では考えられないが、当時の住宅、夜具事情ではそれほど
珍しい事では無かったと思う。
私の家は古い家だし、部屋も夜具も十二分に有ったにも関わらず、
私の祖母、姉、母と同衾して育って来た。

当時、女の肉体を知ってしまった私にとっては、同じ夜具にくるまれる、
夜の間は三十五歳の母の身体は欲情の対象以外の何者でもなかった。

よれよれの寝間着の尻の窪みに勃起を押し付けて、
千擦りの変わりに何度も淫水を猿股の中にほとばしらせた。
翌朝までにはかさかさに乾いていたから、粘液の量はそれほどでもなかったのだろう。

その頃は、祖母に甘えたのと同じには母の身体に抱き付きついたり、
勃起を陰部に擦り付けたりは出来なかった。機屋の社長という強力なライバルがあり、
拒絶されたり、比べられたり、こっぴどく叱られる危険性があったからだ。
それにも関わらず勃起を温かい素股に押し付けて何度かは射精した記憶がある。
異国の丘を聞くたびに1-3
春になり、暖かくなった頃には、
母は機屋の社長とはオマンコを全然しなく成っていたらしい。
そんなある春の暖かい夜の事だった。
「雅人。この重たい掛け布団を剥ごうよ。
 暑苦しくてたまんないよ。お前の体温が高いから、
 寒い時期は湯たんぽ代わりに成って良いけど、こう温くなると暑くて寝苦しいよ」
母はネルの厚地の寝間着から浴衣に着替えていた。

彼女の寝息を聞きながらスプーンを重ねた格好で寝ていると、
習慣になった方法で勃起を薄い布越しにすべらかな尻の谷間の辺りに押し付けた。

何時も穿いているズロースがなく浴衣の下は直に肌だった。
陰茎だけは大人並みに発達していても考えは未だ幼稚だった。
母の目論見などには思い当たるほどの知恵は無かった。

そろそろと乱れた浴衣の裾を捲り上げて、尻の割れ目に直に勃起を押し付けた。

祖母にも姉にも無い、心が落ち着く様なボリュームと女の熟した匂いがして、
欲情に熱くなった私はしっとりと粘り着く様な肌の合間にぐいっと勃起を押し込んだ。

潤滑油のない勃起はそれ以上は侵入しなかったが、体温と吸い付くような
肌の感触に我を忘れてしまった。

やっと生え始めて来た陰毛が母の柔らかな尻の肉を擦り、
常時むき出しに成っていた亀頭が割れ目の肉の弾力を感じていた。

暫らくその感触に夢中に成っていると、片方の腿が何時の間にか緩み、
勃起は肉の間に挟まれた。乾いた肌が密着して心地好い痛みを感じて
じっとしていられなくなった。

ゆるゆると尻の位置が変えられ、陰茎はぴったりと熱い肉に挟まれていた。

母の寝息は止まっていた。
腰を引いて彼女の身体から離れようとしたが、乾いた肌と肌が密着して
うまく離れられず、興奮だけが進行して、
ついにドクドクと尻の間の窪みに射精してしまった。

小さくなった陰茎はするっと抜けた。
母に叱られるのを覚悟していたが翌朝何も言われず、取り分け変った様子も無かった。
気付かなかったのだと思う事にして、目をあわせずにいた。
  1. 上州女の性と愛
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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