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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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赤い糸で結ばれていた70年。其の四

◇思いを手紙に託して
赤い糸で結ばれていた09
弥生が引っ越した日から、私達は早速手紙の遣り取りを始めました。
電話も未だ少なく思いを伝える手段は手紙しかなかった時代です。
彼女は当時の手紙を今でも大事に保管しているようですが、
おそらく今読み返すと恥ずかしさのあまり、卒倒してしまうのではないでしょうか。

初めの頃は純粋に近況報告的な内容だったのですが、数ヵ月後には、今で言う
テレホンセックスの遣り取りのような極めてハレンチな内容に成っていたのです。
恥ずかしながら“純情編”と“ハレンチ編”を彼女のストッカら引っ張り出して見ました。

弥生ちゃんへ
君と別れてから、かれこれひと月に成りますね、今日は君の住む町まで行ったのです。
逢えればいいが・・・と思って、駅を出て回りを歩いて見たが、やっぱり逢えなかった。
「家まで来て呉れれば」と君は言うだろうが、僕は「二人の運」に掛けて見たのだ。

今日と言う日は二度と巡りこないと言うのに、何と言う運のない僕だろうと、
帰りの汽車の中で、人知れず泣いた。

君のよこす手紙で見ると、近頃はその町も進駐軍のベースキャンプが出来て、
ダンスホールや喫茶店が何軒も出来たとか、
君がアルバイトで喫茶店のメードになったと言う事を知って、
僕はそれからと言うもの心なしか、落ち着かない日々を送っていたのだ。

今日二時間も汽車に乗って君の住む町まで行ったのも、君が店の中で
他所の男と久しく言葉を交わしていやしないかと気がかりだったのだ。

駅を降りて見ると、安っぽい色ペンキ塗りの飲食店がズーッと続いていて、
訳の分からない横文字の看板が倒れそうに、幾つも幾つも掛かっている特殊喫茶店が
のぞかれた。その前を瘧を立てて、GIの乗るジープやトラックが走っていた。

室生犀星の詩にあるように、
“たとえ異土の乞食となるとても、帰るところにあるまじき”といった感じがした。
こうして日本はありとあらゆる所に、進駐軍がはびこり、そして隅々までが蝕まれて
いくのだと思うと、僕は君が住む町だけに、余計悲しくなってくるのだ。

君は利巧者だ。そして素直な性分を持っている、家計を助ける為にアルバイトに
出ていることは、この僕にも良く分かる。
はっきり言う、どんな境遇になっても、僕らの恋を蝕ませないで欲しいんだ。

今日は逢って行きたかったのだが、突然出掛けた事ではあるし君にも都合は
有っただろうから、これも致し方ないと諦めて帰ることにしたのだ。
  1. 夫婦の今と昔
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赤い糸で結ばれていた70年。其の五

◇両親との確執
赤い糸で結ばれていた11
私は高校を卒業すると板前の修業に入ったのですが、初めは特に板前になりたいと言う
希望はありませんでした。しかし、父親の知り合いに紹介された親方の店が、
何と言う幸運の巡り合わせか、弥生の住んでいる町に近かったのです。店での条件は
住み込みと言うことでした。私はこれですっかり板前にななる決心をしました。

それから十日ほど経った或る日、偶然にも弥生と再会したのです。
私達は川辺に座って、通り行く人の目も気にせずに抱き合いました。
そして、橋の下に無人の小屋を見つけると、そこでセックスをしてしまったのです。

山の中でならいざ知らず、人が何時遣って来るかも知れない橋の下の小屋で交わるなど、
今思うと何とも大胆な行為です。が、あの時はとにかく姦りたいという一心で、
大胆だという意識はさほどありませんでした。
もし、そこに小屋がなければ、川原の葦の葉陰ででもしていたかも知れません。
それ程私達はお互いを求めあいセックスに飢えていたのです。

久しぶりに見る弥生の肉体は、大分大人びたものになっていました。
以前の80センチ以下の乳房はお椀を伏せたようにふくよかに成長し、腰から尻に掛けての
ラインは大人の女そのもので、官能的でさえありました。

陰毛は柔らかく薄いのは変わりませんが、全体にふさふさとたなびくように生えていて、
性器と共に程よく発育している事が分かります。
具体的に言うと、大陰唇のボリュームがアップし、小陰唇がさらに大きくなった事でしょうか。
色も以前のピンク色と言うより、ドドメ色というのか、やや濃くなっていました。

弥生は乳首を少し吸ってやっただけで、大量の愛液を染み出させ、耳元で、
「お汁がたくさん出てきたよ」と囁くと、眉間に心地よさそうにシワを寄せ、
ペニスを挿入すると「ああ、これ、これよ」と身体を仰け反らせました。

「ぼくも、チンポすごく気持ちいいよ」
「わ、私も・・・・がいい」と四文字を声には出しませんでしたが、
口の動きは確かに「オマンコ」と言っていました。

腰を振っていると、弥生は身体を上へ上へとずらしていきます。
そんなに強く腰を打ち付けている訳ではないのに、それも弥生の昔からの癖でした。
あの山小屋で交わっていた時からのクセなのです。

  1. 夫婦の今と昔
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赤い糸で結ばれていた70年。其の五

◇両親との確執
赤い糸で結ばれていた11
私は高校を卒業すると板前の修業に入ったのですが、初めは特に板前になりたいと言う
希望はありませんでした。しかし、父親の知り合いに紹介された親方の店が、
何と言う幸運の巡り合わせか、弥生の住んでいる町に近かったのです。店での条件は
住み込みと言うことでした。私はこれですっかり板前にななる決心をしました。

それから十日ほど経った或る日、偶然にも弥生と再会したのです。
私達は川辺に座って、通り行く人の目も気にせずに抱き合いました。
そして、橋の下に無人の小屋を見つけると、そこでセックスをしてしまったのです。

山の中でならいざ知らず、人が何時遣って来るかも知れない橋の下の小屋で交わるなど、
今思うと何とも大胆な行為です。が、あの時はとにかく姦りたいという一心で、
大胆だという意識はさほどありませんでした。
もし、そこに小屋がなければ、川原の葦の葉陰ででもしていたかも知れません。
それ程私達はお互いを求めあいセックスに飢えていたのです。

久しぶりに見る弥生の肉体は、大分大人びたものになっていました。
以前の80センチ以下の乳房はお椀を伏せたようにふくよかに成長し、腰から尻に掛けての
ラインは大人の女そのもので、官能的でさえありました。

陰毛は柔らかく薄いのは変わりませんが、全体にふさふさとたなびくように生えていて、
性器と共に程よく発育している事が分かります。
具体的に言うと、大陰唇のボリュームがアップし、小陰唇がさらに大きくなった事でしょうか。
色も以前のピンク色と言うより、ドドメ色というのか、やや濃くなっていました。

弥生は乳首を少し吸ってやっただけで、大量の愛液を染み出させ、耳元で、
「お汁がたくさん出てきたよ」と囁くと、眉間に心地よさそうにシワを寄せ、
ペニスを挿入すると「ああ、これ、これよ」と身体を仰け反らせました。

「ぼくも、チンポすごく気持ちいいよ」
「わ、私も・・・・がいい」と四文字を声には出しませんでしたが、
口の動きは確かに「オマンコ」と言っていました。

腰を振っていると、弥生は身体を上へ上へとずらしていきます。
そんなに強く腰を打ち付けている訳ではないのに、それも弥生の昔からの癖でした。
あの山小屋で交わっていた時からのクセなのです。
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赤い糸で結ばれていた70年。其の六

◇再会の電話
赤い糸で結ばれていた14
それからついぞ弥生には会えず仕舞で居りましたが、風の噂で弥生が嫁いだ
事を知りました。当時、私の他に好きな人が居た訳ではありませんが、
親が見合いの相手を勝手に決めて、強引に結婚させられてしまったようです。

相手は立派な家柄の子息とかで、板前修業中の私には、到底敵わない身分の
男だったようです。私は彼女の幸せを願い、噂を聞いたその時から、
彼女のことは一切忘れようと固く決心したのです。

しかし、やはりそれは無理な事でした。私の心の中の大半は弥生一人で占められており、
一日に一度は彼女のことを考えてしまう毎日になっていたのです。

それから私は店を幾つか転々としながら腕を磨いていましたが、
なんとか板前としてやっていく自信がついた頃のある日、
久しぶりの休暇でアパートの部屋でごろごろしていると、突然電話が鳴りました。

「もしもし」といっても何の返事もありません。
いたずら電話かと思い受話器を置き掛けた時、「芳吉さん・・・」
と受話器の向こうから、忘れようにも忘れる事の出来ない声が聞えてきたのです。

「弥生なのか!」
私は思わず大きな声で叫びました。
「お久しぶり」という声を聞いて、私は改めて突然のことに絶句してしまいました。

弥生は涙ながらに勝手に結婚した事を詫び、
盛んに「逢いたい」を繰り返していましたが、私は断わりました。
弥生はもう人妻なのです。他人の妻なのです。会えば彼女への思いが再熱し、
二人とも辛くなるだけだと思い、そう言ったのですが、
「それでもいい、辛くてもいい」と、弥生は嗚咽しながら再会を迫って来ました。

弥生と私は磁石と同じです。何処にいようと、どんな生活をしていようと、
いつかは互いに引き合う事になる運命だったのです。

電話を切ると私は急いで部屋を飛び出しました。
大通りの信号を無視して突っ切り、
何度も転びそうになりながらも自転車をこぎ続けました。
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赤い糸で結ばれていた70年。其の六

◇再会の電話
赤い糸で結ばれていた14
それからついぞ弥生には会えず仕舞で居りましたが、風の噂で弥生が嫁いだ
事を知りました。当時、私の他に好きな人が居た訳ではありませんが、
親が見合いの相手を勝手に決めて、強引に結婚させられてしまったようです。

相手は立派な家柄の子息とかで、板前修業中の私には、到底敵わない身分の
男だったようです。私は彼女の幸せを願い、噂を聞いたその時から、
彼女のことは一切忘れようと固く決心したのです。

しかし、やはりそれは無理な事でした。私の心の中の大半は弥生一人で占められており、
一日に一度は彼女のことを考えてしまう毎日になっていたのです。

それから私は店を幾つか転々としながら腕を磨いていましたが、
なんとか板前としてやっていく自信がついた頃のある日、
久しぶりの休暇でアパートの部屋でごろごろしていると、突然電話が鳴りました。

「もしもし」といっても何の返事もありません。
いたずら電話かと思い受話器を置き掛けた時、「芳吉さん・・・」
と受話器の向こうから、忘れようにも忘れる事の出来ない声が聞えてきたのです。

「弥生なのか!」
私は思わず大きな声で叫びました。
「お久しぶり」という声を聞いて、私は改めて突然のことに絶句してしまいました。

弥生は涙ながらに勝手に結婚した事を詫び、
盛んに「逢いたい」を繰り返していましたが、私は断わりました。
弥生はもう人妻なのです。他人の妻なのです。会えば彼女への思いが再熱し、
二人とも辛くなるだけだと思い、そう言ったのですが、
「それでもいい、辛くてもいい」と、弥生は嗚咽しながら再会を迫って来ました。

弥生と私は磁石と同じです。何処にいようと、どんな生活をしていようと、
いつかは互いに引き合う事になる運命だったのです。

電話を切ると私は急いで部屋を飛び出しました。
大通りの信号を無視して突っ切り、
何度も転びそうになりながらも自転車をこぎ続けました。

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赤い糸で結ばれていた70年。其の七

◇お疲れ様結婚
赤い糸で結ばれていた16
それから私達は逢い続け、逢えば身体を合わせておりましたが、弥生は亭主を恐れ、
不倫がバレると殺されるかも知れないからと、私には口唇以外にはキスをさせて
呉れませんでした。しかし、後に成って聞いたところでは、その時弥生は、
無理にでもアソコへキスされて不倫がバレたら殺されても良いと思っていたようです。
それを聞いた時、私は弥生と知り合えた事を心の底から感謝したのでした。

弥生のアザは無くなる事は有りませんでしたが、やがて新しいアザを作る事も無くなりました。
度重なる亭主の暴力に耐え切れず、離婚を決意したのです。
当然のように、亭主は応じませんでした。しかし、根気よく願い出た結果、亭主は息子の
親権を放棄するのなら考えて遣っても良いと、そんな卑劣な条件を出して来たそうです。

母親にとって子供は何ものにも代えがたい宝物です。三日三晩悩んだようですが、
一文無しに成ってしまう自分が子供を引き取ったとしても、子供が不幸になるだけだ。
子供の事を考えれば、亭主に預けた方が跡取りとして大事に育ててくれるだろうと。
思うようになり、苦汁の末に、親権を放棄して、亭主との離婚に踏み切ったと言うのです。

私に離婚の結果を話して呉れた弥生の、晴れ晴れとした顔が、反って痛々しいほど
心のうちを表していました。

「住むとこ探さなきゃ」弥生はぽつりと言います。私は彼女の肩を抱き、
「探す必要はないよ」と言ってやりました。
「どういうこと?」
「俺の所へ来ればいい。言ったろう、俺はお前を死ぬまで愛し続けるって・・・」
こうして大分遠回りをしましたが。

私達はその日から同棲を初め、一年後に正式に夫婦に成れた私たちです。
役所に婚姻届を出した日の帰り、ショートケーキを一つ買って、
小さな部屋で二人だけの結婚式を挙げました。

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赤い糸で結ばれていた70年。其の七

◇お疲れ様結婚
赤い糸で結ばれていた16
それから私達は逢い続け、逢えば身体を合わせておりましたが、弥生は亭主を恐れ、
不倫がバレると殺されるかも知れないからと、私には口唇以外にはキスをさせて
呉れませんでした。しかし、後に成って聞いたところでは、その時弥生は、
無理にでもアソコへキスされて不倫がバレたら殺されても良いと思っていたようです。
それを聞いた時、私は弥生と知り合えた事を心の底から感謝したのでした。

弥生のアザは無くなる事は有りませんでしたが、やがて新しいアザを作る事も無くなりました。
度重なる亭主の暴力に耐え切れず、離婚を決意したのです。
当然のように、亭主は応じませんでした。しかし、根気よく願い出た結果、亭主は息子の
親権を放棄するのなら考えて遣っても良いと、そんな卑劣な条件を出して来たそうです。

母親にとって子供は何ものにも代えがたい宝物です。三日三晩悩んだようですが、
一文無しに成ってしまう自分が子供を引き取ったとしても、子供が不幸になるだけだ。
子供の事を考えれば、亭主に預けた方が跡取りとして大事に育ててくれるだろうと。
思うようになり、苦汁の末に、親権を放棄して、亭主との離婚に踏み切ったと言うのです。

私に離婚の結果を話して呉れた弥生の、晴れ晴れとした顔が、反って痛々しいほど
心のうちを表していました。

「住むとこ探さなきゃ」弥生はぽつりと言います。私は彼女の肩を抱き、
「探す必要はないよ」と言ってやりました。
「どういうこと?」
「俺の所へ来ればいい。言ったろう、俺はお前を死ぬまで愛し続けるって・・・」
こうして大分遠回りをしましたが。

私達はその日から同棲を初め、一年後に正式に夫婦に成れた私たちです。
役所に婚姻届を出した日の帰り、ショートケーキを一つ買って、
小さな部屋で二人だけの結婚式を挙げました。
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略奪結婚。其の一

◇本土から来た男◇
略奪結婚03
気がつけば私も、人生八十年の山の八合目をとっくに過ぎていました。
それでなくとも、持病のリュウマチが悪くなる事はあっても良くなるみこみの無い私です。
あとどれくらい生きていられるものなのか判ったものではない。と気弱に成りがちな
今日この頃でございます。

そんな折り、私の脳裏に去来するのは如何しても昔の事ばかりに成ってしまいます。
年を取ると先の事を考えるより、過去の思い出が否応なく蘇ってしまうものなのです。

人生の終焉を間近に控えた身は、己の来し方を振り返ることが多くなります。
私も思い返すともなく、若かりし頃の思い出に浸る毎日を過ごしているのです。

わたしは現在、北九州のある町で夫と共に娘夫婦と同居していますが、
元々は九州の離れ小島の出身でした。
いまは、故郷の島もかなり開発が進み観光地化されて、近代的に変わったようですが、
私の娘時分にはかなり事情が違っていました。

大自然と素朴な人情に恵まれた良い島でした。
しかし、そんな長所とは対照的な因習が残っていました。
それは、略奪婚という女の人格を無視した風習がまかり通って居たことです。

今でこそ、マスコミの間で略奪愛なる言葉が面白半分に持て囃されているようですが、
私の島の略奪婚はそんな甘っちょろい者とは違います。男が気に入った女を力づくで
モノにする、という原始的で恐ろしい因習でした。

そのような風習が色濃く残る、風光明媚な気候風土の島で、私は人生の大半を
送ってきました。当時、島の主な産業は漁業しかしかなく、私の乳は網元として、
地元の漁師たちを取り仕切っていたのです。当然、乳は島の実力者した。

私は網元の家の一人娘として、まさに蝶よ花よと育てられました。家庭だけではなく、
島の者全員から可愛がられ、注目されて大きくなったと言っても過言ではありません。

長じて年頃の娘に成ってからは、その度合いは強まるばかりでした。特に男性たちからは、
憧れの眼差しがイヤと言うほど注がれたのです。

自分で言うのもおこがましいのですが、あの頃の私は島のマドンナの様な存在でした。
私は名士の娘であったばかりでなく、人目を惹かずにはおられない容姿にも恵まれて
いたのです。是も又手前味噌に成ってしまいますが、是でモテない筈が有りませんでした。

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略奪結婚。其の二

◇捧げた純潔◇
生きる事の歓び03
「剛次郎なんか、大嫌い!昔から、とてもしつこかったのよ」
「それだけ、君のことが好きなんだろう。光恵さんは、とてもモテるからね」
「何人、男の人に言い寄られようと、私は竹中さんしかみえない!」

私は、竹中の背中に回した手に力を込めました。竹中も、そんな私を強く抱き締めて
くれたのです。たちまち、胸がキュンと締め付けられる様になりました。

今まで、竹中は私に指一本触れず、男の本能を見せようとはしませんでした。
内心、私はそんな彼を歯痒く思っていました。
しかし、そんな彼が、ついに紳士的な態度を崩そうとしていたのです。私の胸は高鳴りました。
私も精神的ばかりでなく、肉体的にも竹中と結ばれる事を切に願っていたのです。
ようやく、願いが現実に変わろうとしていました。

「嬉しいよ、光恵さん、僕だって、君のことが好きで好きで溜まらないんだ!」
初めて耳にする、愛の言葉でした。私は、己の欲望を抑える事が出来ませんでした。
「カンボーの詩よりも、いまの言葉は感動的だったわ!」
私は、自ら顔を竹中の顔に近づけてゆきました。それは、接吻のおねだりでした。

「いいのかい、光恵さん?」
「もちろん。あなたに、私の総てをあげる。私の純潔をもらって!」
恥ずかしくて、卒倒してしまいそうでした。しかし、暖かく柔らかな感触に唇を塞がれると、
頭の中が真っ白になり何も考えられなくなりました。

それから、竹中は私をゆっくりと畳の上に押し倒してゆきました。私は、もはや自分の
意志によって動くことは出来ず、竹中に総てを委ねるしかありませんでした。
接吻の魔力のせいで、私の肉体は金縛りに遭ったような状態に陥っていたのです。

ようやく願いが叶うという嬉しさは、言うまでもないことでした。
しかし私は初めての体験をまえにして、ものすごい緊張感に押し潰されて仕舞そうでした。

浴衣の前が肌蹴、太腿が思い切り露出してしまった羞恥に、
私は益々身を強ばらせて居ました。露わな太腿に竹中の手が触れただけで、
「ああっ、い、いやっ」
最初の威勢はどこへやら、身の置き場もない心地に成っていたのです。
処女は所詮処女、いざとなると、からきし意気地のない私でした。

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略奪結婚。其の三

◇略奪婚◇
略奪結婚03a
「我慢だよ、我慢してくれ、光恵さん。
 女性なら、誰でも一度は経験する受難なんだ!」
「も、もちろんよ、これで私とあなたは他人ではなくなったんでもの、このくらい・・・」
強がっては見せたものの、下腹の痛みはいや増すばかりでした。

膣の中が、竹中の動きに合わせて引き攣っていました。
気絶するほどの痛苦でしたが、しかしそれでも私はそれなりに満足していました。
これで名実共に、愛する人と一つになれたのですから。

「うううううっ、何てけなげなんだ。いいよ、僕は最高だよっ」
竹中は、快感も佳境に入っていたようでした。自分のことはさておき、
愛する人に歓んで貰えて、私も幸せでした。竹中の律動が、いっそう激しくなりました。

あたかも、血の道を金タカシで擦られているような心地でした。それはそれは、
快感とは程遠い感覚でしたが、幸福感は少しも色褪せることはありませんでした。

「おおおおーっ、ゴメンよ、僕だけ、僕だけこんなイイ思いをして!」
吠えるように叫ぶと、竹中の動きがストップモーションのように静止しました。
直後、私は膣奥に生暖かい飛沫を感じていました。ついに、私達は結ばれたのです。

カラダは痛みにのたうち回っていましたが、精神面では充分、満ち足りた初体験でした。
(これで、私は身も心も竹中のもの、もう、私達を引き裂くものは何もないわ)

もう竹中から離れない・・・私は、本気でそう信じていました。心から陶酔していました。
けれど、コトは私が思うようには運んで呉れませんでした。

竹中と結ばれたあの頃が、私にとっては幸せの絶頂だったかも知れません。
私は、生まれて初めての恋愛に浮かれ切っていました。
他のものは、何も目にはいりませんでした。

しかし、恋する乙女に対して世間は余りにも辛辣でした。
狭い島の事、私と竹中の事は忽ち噂に成ってしまいました。
噂は勿論、父の耳にも届いていました。
「おめえ、村役場の青二才と付き合っているそうだな、光恵?!」
父は、島の人々と同様、私と竹中の交際に反対でした。

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略奪結婚。其の四

◇監禁された花嫁◇
中出し33
「おとなしく言う事を聞くんだっ。おまえは、先からオレのモンだと決まってるんだ!」
「な、何をバカなっ。イヤよ、死んでもイヤぁ!誰が、あんたなんかとっ」
私は、力の限り抵抗を試みました。私には、竹中以外の男に操を許す積りは
有りませんでした。私は死に物狂いで暴れまくりました。

とは言え、剛次郎は筋肉隆々の肉体、力自慢の男です。私がいくら暴れたところで、
彼にしてみれば蚊がブンブン飛び回っているくらいにしか感じていなかったようでした。
「ふふふ。いい根性してる。さすがは、オレの女房になる女だぜ!」
「だ、誰がっ。離して、家に帰してーっ。
 こんなことして、うちの父さんが黙ってるとでも思うのっ?!」

私は、必死でした。死んでも、この荒くれ男から身を守る覚悟でした。しかし、
「ハハハハッ。そりゃあ、剛次郎、良くやった、と褒めてくれるだろうよ。
 光恵、おまえ、今夜の事を網元が知らないとでも思ってるのか?
 網元は、オレと光恵の結婚を望んでるんだぜ。
 村役場の青二才に取られるくらいなら、オレの方がずっとマシだってよ」

剛次郎の勝ち誇ったような台詞を耳にしたとたん、父も、今夜の強奪行為を黙認した?
私は、固まってしまいました。しかし、意外ではありませんでした。
確かに、父は私が漁師と結婚することを強く希望していたのです。

「判ったか?判ったら、観念しろ。あの男より、いい思いをさせてやるからな」
浴衣の紐は解け、もう半分裸の様なものでした。その浴衣まで剥がされ、
私は恥ずかしい生まれたままの姿を明るい電灯の下に晒していたのです。

「思ったより、いいカラダしてるじゃないか。オッパイなんかも、けっこうデカいしょ。
 このカラダならオレのガキを何人も生んで呉れそうだな。
 初物をあの野郎に取られたのは癪に触るが、まあ仕方ねえ」
「ひーっ、や、止めてェっ、助けて、誰かっ。父さん、竹中さーん!」

ガバッと乳房を掴まれると、恐ろしさに生きた空も有りませんでした。
剛次郎のいかつい顔が目のまえに迫り、恐怖がいよいよ募っていったのです。

「いくら、喚いても無駄だよ。オレたちゃ、今夜から夫婦になるんだ!」
剛次郎が、鷲掴みにした乳房をワシワシと揉み始めました。痛みと屈辱のために、
涙がボロボロと溢れ出てきました。もう、諦めるより仕方がありませんでした。
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略奪結婚。其の五

◇女は強い男に惹かれるもの◇
恋人のキス01
現在なら、まず考えられない事でしょうが、それ以来、私は実家へ帰ることが叶わなく
成りました。どんなに泣いて頼んでも、剛次郎はそれを許しては呉れませんでした。
殆ど軟禁状態でした。剛次郎一族に見張られ、私は彼の家から一歩も外に出る事が
出来なかったのです。それどころか、強奪されてまもなく、
「今度の大安の日に、祝言をやる。あ、それから竹中のヤツは、本土へ戻ったそうだぜ」

剛次郎が、こう言い放ったではありませんか。私は、腰を抜かしました。
「な、何ですって?! し、祝言?竹中さんが、この島を出たの?」
「そうだよ、祝言の事は勿論、おまえの親父も了解済みだ。
 それに、竹中、アイツは本当に腰抜けだな。ちょつと、脅かしをかけたら尻尾を巻いて
 退散しちまったぜ」

私がどれほどショックを受けたか、改めてここに書き記すまでも無い事でしょう。
恋人は逃げ、好きでもない相手と無理矢理、結婚させられてしまう己の運命・・・
けれど、その時代、女性は親の言いなりに結婚することが珍しくはありませんでした。
どれほどイヤであろうとも、女の私には選択の余地はなかったのです。

それから、ほどなくして私と剛次郎は盛大な祝言をあげました。
両家の親戚は言うに及ばず、地元の人も自分の事の様に祝福して呉れました。

けれど、当の花嫁である私だけは浮かない表情を消すことが出来ませんでした。
来る日も来る日も、涙を友達に暮らしていました。まるで籠の鳥のような結婚生活でした。

それに、私は剛次郎が恐ろしくて成りませんでした。彼は、私がなかなか心を開かない事に
業を煮やし、事有るごとに私に辛く当たったのです。
「おめえは、まだ竹中の事が忘れられずにいるな?
 だから、そんなにしょぼくれた顔ばかりしてるんだ。ええい、辛気くせえ!たいがいにしろっ」
「あああっ、い、痛いっ!」

剛次郎は気に食わないと、女の私にも平気で暴力を振るいました。
ひどい状況でしたが、よくよく思えば、それも仕方ないことだったのかも知れません。
何しろ、新妻が他の男の影を心の中に宿し続けていたのですから、
新郎だって堪忍出来る筈もなかったのたでしょう。

夫・剛次郎の暴力は、夫婦の営みのとき、とくに顕著でした。新婚当時の性生活は、
それはスリルに満ちていました。私達の交わりは、原始時代のそれそのものでした。
夫は昼夜を問わず、催せばいつでも私に挑んで来ました。私は、それが恐怖で
堪りませんでした。昼間だからといって、気を抜いている暇もありませんでした。


  1. 夫婦の今と昔
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セックスレス夫婦の今と昔。其の一

◇愛情は芽生えるもの◇
セックスレス夫婦の今と昔01
人の一生を平均八十年とするならば、私の人生は八合目を過ぎた辺りかも知れません。
女六十、波乱の人生続きで、これまでさまざまな劇的出来事の連続でした。

私は昭和二十年、横浜の下町で生まれました。其処は横浜で唯一、
鳳神社が有る遊郭街の近くで、実家は雑貨屋兼タバコ屋を営んでいました。
私は女学校を卒業すると、実家の手伝いを始めたのです。其の頃の私は、
いまでは死語になったタバコ屋の典型的な看板娘でした。

年は二十歳、器量は十人並みでしたが、愛嬌豊かで話好きな私はかなり商売向き
だったのではないかと思います。
「のりちゃん(典子と言います)はホントにいい娘さんだね。可愛いし、働き者だ。
 のりちゃんみたいな娘が、ウチの敏明の嫁に成って呉れたらどんなに良いだろう」
私のファンは大勢いましたが、其の中でも“紅葉湯”の女将さんは、
タバコを買いに来る度にこう漏らしていました。紅葉湯は町内では只一軒の銭湯でした。

「ふふふ、いやだァ、おばさん。会う度にそんな事言って、恥かしいわ。
 敏明さんは、私の事なんかちっとも好きじゃないわよ」
飯塚敏明は女将さんの一人息子で、紅葉湯の跡取りでした。
当時の彼は横浜国立大学経済学部の四年生で、小さい時から頭が良く、
映画俳優にしてもおかしくない二枚目で、近所の娘達の憧れの的でした。
当の私も、小さい頃から敏明に熱を上げていた一人だったのです。

ですから、女将さんの言葉が内心嬉しくて堪りませんでした。
しかし、女将さんの希望が、まさか現実のものに成ろうとは思っても居ませんでした。
なぜなら、敏明が私に特別な感情を持っていないことは明らかだったからです。
いくら若かったとは言え、私にだって其の位の事は判りました。おまけに、敏明には
美人の恋人がいると言う噂がありました。けれど女将さんはとても強硬でした。

「大丈夫だよ、のりちゃん。この私が敏明を説得するからね。
 嫁にするには、のりちゃんみたいな女の子が最高なんだ。
 この私の眼鏡にかなったのりちゃんと結婚するのが、敏明にとっても、
 紅葉湯にとっても一番良い事なんだから・・・」
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セックスレス夫婦の今と昔。其のニ

◇元の恋人の名前!◇セックスレス夫婦の今と昔03
「ねぇ、敏明さん、今夜も疲れてるの?」
その夜も、夫は遅く帰るなり黙りこくったまま、蒲団に入ってしまいました。結婚すれば
夫婦の情も自然と湧いてくる・・・姑の言葉を裏切るような結婚生活の始まりでした。

私達の新婚生活は、世間一般で考えているような甘いものでは有りませんでした。
「ああ、そうさ。仕事が忙しくてね、もうクタクタなんだよ」
新婚の夫は何時も私に背を向けていて、それに不愉快そうでした。

取り付く島の無い夫の態度に、私は我慢が出来ませんでした。
私達にはセックスどころかろくな会話も無かったのです。
はしたないとは思いつつも、私は夫にのしかかっていきました。

「何よ!私だって朝から晩まで働きづめなのよ。毎日毎日番台に座って、
 従業員の世話をして、帳簿をつけて、一日中紅葉湯の仕事をしているんだからっ」
「いいじゃないか、君は紅葉湯と結婚したんだ。最初からそう言っておいただろう?」

私はカッと来ました。夫に愛が無いのは初めから判っていた事ではありました。
けれど、そう面と向かって言われると、私のプライドが許しませんでした。
「ひどいわ、そんな・・・あなたが紅葉湯を継がないから、
 私が代わりに頑張っているんじゃないのっ。それに、仮にも私はあなたの妻なのよ!」
「ああ判った。判ったよ!抱いて欲しいんだろう?抱いてやればいいんだなっ」

ヤケクソの様に吐き捨てると夫は私を蒲団にねじ伏せてきました。
優しい言葉も、情熱的な愛撫もありませんでした。
それどころか、彼は行為に憎悪さえ漂わせていたのです。

この人は私を愛して居るどころか、憎しみすら覚えているかもしれない。
私は痛烈な悲しみに突き上げられていました。もうプライドはズタズタでした。
「ああっ、いゃ、いやょ、いやょ、こんなのっ、やめて、敏明さん!」

悲しきは女の性でした。一応抗いのポーズは取ったものの、
私は夫を拒み切れませんでした。たんに獣欲だけで抱かれるにせよ、
夫と肌を合わせることを私は心と肉体で望んでいたのです。
悔しいけれど、私の方は夫を愛してやまなかったのですから。
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セックスレス夫婦の今と昔。其の三

◇愛の代償行為◇
セックスレス夫婦の今と昔06
どんな形であれ、私にとっては貴重で数少ない夫婦のいとなみでした。
そんな数少ない営みなのに私も彼も余程健康体だったのでしょう、
あるいは神様の思し召しだったのか私は四年の間に一男二女の子供が生まれました。
妊娠中はこれ幸いと夫は私の身体には手を触れては来ませんでしたが、
セックスをすると直ぐ妊娠してしまうのでした。

子供が生まれ子育てに追い捲られている時期は不平不満を言う暇も無く
過ごしたのですが。子育てにも落ち着き、性欲も強くなってきた。
三十才に近くなる頃からが本当の地獄でした。

夫が私を愛していなかったのは百も承知でした。けれど、私は私なりに努力した積もりでした。
夫が私を嫌いなのは、私の器量のせいなのだと思い、せめてみなりだけには気を付けました。
忙しい最中でも、夫がいるときには化粧や髪を整えることを忘れませんでした。
食事の支度にも手を抜きませんでした。煮込み料理が好きな夫の為に、
どんなに疲れていても、時間を惜しまず料理にいそしんでいました。

そんな涙ぐましい努力もみな徒労に終わりました。いつまで経っても、
夫が私の方を振り向いてくれる気配は、微塵も感じられませんでした。

いいえ、それどころかまたぞろ夫の浮気が発覚したのです。もともと夜遅く帰る事の多い
夫でしたが、外泊がちになったのです。食べ物や服装の好みが変わってきたのです。
いままでは殆ど生ものを食べなかったのに、刺身を好むようになったり、
地味な服しか着なかったのが急に派手好みになったり・・・
明らかに、また愛人が出来たとしか考えられませんでした。

都市銀行に勤めていた夫の周りには若い女性が大勢いました。チットの間の浮気は
数え切れないぐらいしてきた事でしょうが、外泊してまでの女はそんなに居ませんでした。
ある日、我慢できなくなって夫に問い詰めました。
「あなた、又女が出来たんじゃないの?近頃おかしいわね!」

彼はいけしゃあしゃあとその事実を認めたのです。いともあっさりと、
銀行の後輩との浮気を白状したのです。予測していた事態とはいえ、
私は愕然としました。浮気自体は十分に考えられることでしたが、
もっともショックだったのは私が詰め寄った時の夫の態度でした。
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セックスレス夫婦の今と昔。其の四

◇凌辱されている実感◇
セックスレス夫婦の今と昔09
快楽を待ちわびてネットリと潤っているワレメに、私は軽く指を触れました。
「ああっ、はああーっ・・・」その途端、身体が小刻みに震えました。
ほんのチョツトした刺激にも、飢えたワレメは過敏な反応を示すのです。
そうなるともう、軽い刺激だけでは物足りなく成りました。

私はしゃにむにワレメを弄り回しました。
今日の夕方一番に来た客のペニスは、すごかったっけ・・・
先っぽがキングコブラの頭みたいに張っていて、胴体も長かった。
それに太さも相当のものだった。馬と比べたって決して見劣りしないに違いない。
(あんな大きなペニスを挿入されたら、一体どんな心地がするだろう。
 きっと、気絶してしまうにちがいない)

私はその客に犯されているところを想像していました。
客の顔はほとんど覚えて居ませんでしたが、ペニスと顔は関係ありません。
ただ、ペニスの色、形までが鮮明に瞼に焼き付いていました。

私は忽ち淫蕩な想像の世界に埋没していました。逞しい男に組み伏せられ、
太腿を押し開かれる。そして、無理矢理あの馬並のペニスを突っ込まれるのだ。
そう考えただけで、愛液がダラダラと流れてきました。荒々しい衝動に駆られ、
私は指を膣奥深く突っ込まずには居られませんでした。

「あああああーっ、い、いやーっ、でももっといれて、いいーっ」
前後左右に腰を振りたてながら、私はしゃにむに指を突き立てていました。
ワレメはグチャグチャとイヤらしい音をたて、歓喜の呻き声さえ上げていました。

私は想像の世界でしか快感を得られない女でした。快感に溺れながらも、
私をそんな女にした夫を怨みました。男のペニスを頭に描きながら、
夫に指一本触れてもらえないわが身を自分で犯すことで、熟れ盛りの肉体を
鎮めるほか手だてのない惨めさと情けなさに泣きました。
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セックスレス夫婦の今と昔。其の五

◇初めての不倫◇
セックスレス夫婦の今と昔11
夫婦仲は冷え切ったままでしたが、子供達は素直な育って呉れました。息子と長女は
社会人となり次女は短大に入学が決まり、やれやれと思った矢先私の唯一の味方であった
姑が亡くなったのです。そして浴場経営は曲がり角に来て居りました。
各家庭にも風呂が有るのが当たり前の時代に成り、大得意だった娼婦達の
住まいがアパートがらマンションに代わる度に銭湯に行く事もなくなって来たのです。
紅葉湯もサウナや露天風呂を新設改装したりと色々な経営努力がありました。

そして私の身にも異変が起こったのです。四十ニに成ったばかりの頃だと思います。
入浴中、私は左の乳房の下の方に異常を感じました。
栗の実位のしこりが、指に触れたのです。(これはおかしい?)と私は翌日、
近くの市大病院へ行きました。結果は無残なものでした。

「乳ガンですね。それも、もう二期に入っています。いますぐ、手術が必要です」
私は、蒼白に成りました。当時、ガンの告知と言えば死刑の宣告にも等しいものでした。

「悲観しないで下さい。乳房を失う事に成りますが、速やかに手術をすれば生存の
見込みは十分にあります」
医者は淡々として言いますが、女にとって乳房は命も同然です。
其の頃はまだ乳房温存手術などとは一般化しておらず、乳ガンの治療といえば、
切除しかなかったのです。

私は即、手術に踏み切る気には成れませんでした。結婚しているとはいえ、
ほとんど男に可愛がって貰った事のない肉体です。
このまま、何もいい思いも出来ない儘に乳房を切り取ってしまうなんて、
余りにも悲しすぎるでは有りませんか。
ガンの宣告を受けてから、私は思い詰めました。手術をしなければ、死んでしまう。
しかし、此の儘では乳房を切除する気にはとても成れない。

夫にガンである事を打ち明けました。チョツト気遣う言葉は掛けてくれましたが、
愛人と別れて私の側に居てくれる様な人ではありませんでした。そんな夫に、
優しさなど期待できるはずも有りません。夫に見返られる事もなく、
ただひたすらオナニーと仕事に明け暮れてきた二十数年でした。夫が他所の女に
うつつを抜かしていても、私は只の一度も不貞を犯しては居ませんでした。
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セックスレス夫婦の今と昔。其の六

◇舐めてっ、そして嵌めてーっ◇
セックスレス夫婦の今と昔14
「だから、いまのうちに可愛がってやらなきゃいけないんだよ。
 一杯一杯、良い思いさせてやらなきゃならないんだ。
 ああ、だからお願いだよ、もっともっとォ!」

そのときの田代の顔を私は、いまでも思い出す事が出来ます。
驚きと悲哀と慈愛が入り交じった複雑な表情でした。
私が告白したとき、夫ですらそんな情け深い顔はしてくれなかったのに・・・

「ガッテンだよ、任せとけってんだ。オレが、とことん歓ばせてやるさ」
田代は、貪欲に乳房を愛撫しはじめました。
裾野から押し上げ、全体をくまなく揉みこんで、乳首を心ゆくまで吸いたてる・・・。
それはそれは、水も漏らさぬような緻密な愛撫でした。

私は、もう夢見心地でした。夫との殺伐とした営みしか知らない私にとって、
田代の行き届いた愛情深い愛撫は、
まさに青天の霹靂だったと言っても過言ではなかったでしょう。

ワレメから淫水が溢れ返り、そのトロッとした淫水の滴りようといったら、
其れこそダムが決壊したようなありさまでした。子宮から溢れ出た女液が
ワレメを伝って、ドロドロと田代の腹部を濡らしていたのです。

ズキーンズキーンと鋭い快感が、絶えず私を責め苛んでいました。
もはや、乳房への愛撫だけではどうにも収拾のつかない状態です。
「あはーっ、舐めてっ、我慢できないっ、オマンコ一杯舐めてーっ」

もう、見栄も体裁も有りませんでした。私はズルズルとカラダを上へ移動させ、
濡れそぼった下腹部を田代の顔になすりつけていたのです。

「うああああーっ、ひーっ、ご、極楽だよォっ。何て、気持ちいいんだァ!」
硬く尖った舌にクリトリスをキューッと吸いたてられ、
私は旅館中に響きわたるような大声を放っていました。
子宮を直接、手掴みされたような快楽が湧き上がってきたのです。
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セックスレス夫婦の今と昔。其の七

◇女の幸福って何だろう?◇
セックスレス夫婦の今と昔17
田代との関係も、結局一週間ほどでおわりました。短くも激しく燃えた一週間でした。
田代は多くのものを私に残してくれました。

「オッパイがなんぼのもんだよ。女将さん。命には代えられやしないさ。
 オッパイが片一方しか無くなったって、あんたはずっとオレの観音さまだよ。
 手術は頑張れよ。オレも蔭ながら成功を祈っているからな・・・達者に暮らせよ」
この言葉がどれ程心の支えになったかしれません。胸に染み入る台詞を置き土産に、
田代は次の飯場へと移って行きました。

田代が去った数日後、私は手術を受けました。
手術が終わって左の乳房に手を当てた時のショツクと悲しみを、私は二十年経った
今でも鮮明に覚えています。裸に成って見ると、其処には豊かな肉の丘の代わりに、
無残な傷跡が痛々しいほど刻まれていました。

暫らくは青い海の底に沈んだような心境でしたが、身体が回復すると、
私はまた紅葉湯の仕事に精を出しはじめました。身を粉にして働く事だけが、
精神的に回復する一番の特効薬だったのです。周りの者がとめるのも聞かずに
私はは以前のように働きました。全ては私自身が選んだ人生なのだ・・・
それは、死を賭けた大手術を経て私が実感たことでした。

元はと言えば、夫に愛されていないと承知していながら、押し掛け女房の様にして
主婦になった結婚なのです。夫ばかりを恨んで生きていっても仕方がないでしょう。

(要は残りの人生なのだ。
 折角救って貰った命を無駄に過ごしては、バチが当るではないか)
そんな風に達観できる様に成ったのも、手術と田代のお蔭かも知れません。

此の儘夫に振り向いて貰えなくとも構わないわ・・・と一種、
開き直りにも似た気持ちに成った時でした。ようやく、結婚三十年も経って
夫が私の元に帰って来てくれました。

夫の勤め先の健康診断で血液中のヘモグロビンの値が低く貧血状態だ、
腹部の何処かに出血しているのではないか、精密検査をした方が良いと言われたのです。
早速、市大病院で腹部内視鏡検査をして貰った結果。

大腸がんの一種“S字結腸がん”で手術が必要と診断されたのです。
途端に其れまでの強気な夫の面影は影を潜め、極端に落ち込んでしまい、
病院での説明に私も一緒に行って呉と言うのです。私の時にはあんなに冷たかったのに・・・
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生きることへの歓び。其の一

~体験した死の恐怖~
生きる事の歓び01
気が付けば、私もとうに人生の折り返し地点を過ぎた年齢と成り、
思い返すともなく過去の日々を、胸に蘇らせる事が多く成りました。
誰の人生にもドラマがあるでしょうが、私の半生も、
それはそれは様々な出来事に彩られた六十有余年でした。

とくに一生を左右する、印象的というより衝撃的な事件が起きたのは、
私が高校三年生の夏でした。高校生活最後の夏、私は仲良しのクラスメートと
二人で静岡県の民宿に、三泊四日の予定で海水浴に出掛けました。
そこで、あのアクシデントに見舞われたのです。

初めて友人と旅行する嬉しさに、私は少々浮かれ気味でした。
親元から離れ事が出来たという解放感は言うに及ばず。
白浜の海も息をのむほど美しく、それは愉快な時間を過ごしていました。
しかし、旅も三日目に入った時の事です。

「ねぇ、美智子、そんなに遠くまで行ったら危ないよ!」
「平気、平気!私、泳ぎには自信あるんだから。向こうに見える島までだって行けるわ」
友人の言葉に耳を貸そうともせず、私はスイスイといい調子で沖の方まで泳いで
行こうとしていました。ところがその途中、急にこむら返りが起きたのです。

「ううっ、痛ーい!誰か、誰か助けてっ・・・」
目から火が出るほど痛くて、もう泳ぐどころではありませんでした。
溺れる、死んじゃう・・・周りには人影も見えず、私はただ恐怖に慄きました。

「ああーっ、も、もうダメっ。う、ううっぷ、うっお、おかあさんーん!」
だんだんと意識が朦朧としてきました。大分水を飲んだようです。
(もう、私はこのまま死んでしまうんだ)そう思ったとき、
後ろから誰かの手が私を掴んだような気がしました。

私の意識は、其処までで途切れてしまいました。
次に気付いたのは、浜辺の上でした。

「ここはどこ?私は誰?」まさにそんな状態で私は目覚めました。
フッと目を開けると、大勢の人が私を囲んで見守っていました。
しかも、口が塞がれていたのです。
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プロフィール

アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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