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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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赤い糸で結ばれていた70年。其の五

◇両親との確執
赤い糸で結ばれていた11
私は高校を卒業すると板前の修業に入ったのですが、初めは特に板前になりたいと言う
希望はありませんでした。しかし、父親の知り合いに紹介された親方の店が、
何と言う幸運の巡り合わせか、弥生の住んでいる町に近かったのです。店での条件は
住み込みと言うことでした。私はこれですっかり板前にななる決心をしました。

それから十日ほど経った或る日、偶然にも弥生と再会したのです。
私達は川辺に座って、通り行く人の目も気にせずに抱き合いました。
そして、橋の下に無人の小屋を見つけると、そこでセックスをしてしまったのです。

山の中でならいざ知らず、人が何時遣って来るかも知れない橋の下の小屋で交わるなど、
今思うと何とも大胆な行為です。が、あの時はとにかく姦りたいという一心で、
大胆だという意識はさほどありませんでした。
もし、そこに小屋がなければ、川原の葦の葉陰ででもしていたかも知れません。
それ程私達はお互いを求めあいセックスに飢えていたのです。

久しぶりに見る弥生の肉体は、大分大人びたものになっていました。
以前の80センチ以下の乳房はお椀を伏せたようにふくよかに成長し、腰から尻に掛けての
ラインは大人の女そのもので、官能的でさえありました。

陰毛は柔らかく薄いのは変わりませんが、全体にふさふさとたなびくように生えていて、
性器と共に程よく発育している事が分かります。
具体的に言うと、大陰唇のボリュームがアップし、小陰唇がさらに大きくなった事でしょうか。
色も以前のピンク色と言うより、ドドメ色というのか、やや濃くなっていました。

弥生は乳首を少し吸ってやっただけで、大量の愛液を染み出させ、耳元で、
「お汁がたくさん出てきたよ」と囁くと、眉間に心地よさそうにシワを寄せ、
ペニスを挿入すると「ああ、これ、これよ」と身体を仰け反らせました。

「ぼくも、チンポすごく気持ちいいよ」
「わ、私も・・・・がいい」と四文字を声には出しませんでしたが、
口の動きは確かに「オマンコ」と言っていました。

腰を振っていると、弥生は身体を上へ上へとずらしていきます。
そんなに強く腰を打ち付けている訳ではないのに、それも弥生の昔からの癖でした。
あの山小屋で交わっていた時からのクセなのです。

 
赤い糸で結ばれていた12
そう言えば、そのクセのお陰で、板張りの底に擦れて弥生の背中にはよく傷が
出来ていました。新聞紙やビニールを敷いても、あまり効果は無かったようです。

それを見兼ねた私は、バックで交わる事を提案した事がありますが、
顔を見合わせながら出来る正常位がいいらしく、バックでは嫌だと言われて、
最後までその姿勢は崩しませんでした。

弥生の口唇が裏返り、顎が突き上がり、吐く息も激しく、熱くなってきました。
アクメが近づいてきた証です。
私は思い切りラストスパートを掛けました。
すると弥生の身体は小刻みに震えて、両手で何かを掴むようにして激しく悶え、
喉の奥から「ううう」と乾いた呻くような声を漏らし始めました。

膣の奥が空気を入れたように膨らみ「芳吉さん・・・」と小さな声で私の名を呼ぶと、
恥ずかしそうな顔をしながら腰を浮かせた弥生が「ううう」と呻きながら、
そのまま果ててしまいました。ほぼ同時に私もグッタリらとなって果ててしまいました。

身体の形は少し変わりましたが、まだ以前の弥生そのままなので私は安心しました。
再開した翌日には、早々と私は弥生との結婚を心に決めました。
やはり、私には弥生が必要なのです。弥生こそが私の伴侶なるべき女なのです。

そう思うと私はたまらずにプロポーズをしました。気の利いた台詞などは言えず、
「一緒になってくれ」という簡単な言葉でしたが、もっとも、
まだまだ修行の身であるため、いま直ぐ結婚式と言うわけには行きません、
そのため結婚は一人前になったらと言う条件付でしたが・・・。
弥生はとても喜んでくれて、
少しはにかみながら「芳吉さんについていく」と言って呉れたのです。

そのことがあってから、二人の間は順調に愛を育み、私は一日でも早く一人前に
成れるように修行に励みました。修行は毎日涙が出るほど厳しいものでした。
朝は誰よりも早く店に入り、夜は誰よりも遅く店を出て、理不尽に暴力を振るわれ、
嘲笑され人権を無視した罵声を浴びせかけられ、それでも耐えることが出来たのは
弥生がいたからだと思います。
赤い糸で結ばれていた13
しかし半月が経った頃から、何回かに一度は弥生がデートに遅れるように成りました。
酷い時はすっぽかす様にも成って来たのです。そのことを問い詰めると、弥生は泣きながら、
弥生の両親が私達の交際に反対している事を打ち明けてくれたのです。

私とのデートだと言う事が分かると、彼女の両親は何かと用事を言いつけるのだそうです。
両親に逆らう事が出来ない弥生は、出来るだけ早く用事を済ませると、
待ち合わせ場所に飛んでくるのですが、何回か一度はすでに私が痺れを切らして
帰った後に来るという事があったようなのです。夕日の中、肩を落として帰っていく
弥生を思い浮かべて、私は涙ながらに彼女を抱しめてやりました。

私は今までずっと、私の両親と弥生の両親とは仲が良かったと思っていたのですが、
どうやら違っていたようです。

彼女の両親は私の両親、特に博打好きの父のことを疎んでいたという事です。そして、
「あんな博打打ちの息子などろくなもんじゃない。付き合うことは許さん!」
と、彼女の父親は事有る事に弥生にそう言っていたのだそうです。

無性に腹が立ちました。しかし、だからといって弥生まで毛嫌いする事は勿論ありません。
私の弥生を愛する気持ちは、深まる事はあっても一点の曇りも無いのです。

日に日に弥生から元気が無くなって行きました。会う機会も減ってきました。
そして或る日「もうダメなの」その言葉を最後に、
弥生は私の前から姿を消してしまったのです。

おそらく、両親に私と会う事を禁じられたのでしょう。
私は彼女の両親に直談判をしに行きました。正式に結婚を申し込もうと思ったのです。
が、けんもほろろの対応で、追い返されてしまいました。

彼女の家の前で呆然と立ち尽くす私の視界に、ふと二階の窓のカーテンが
揺れているのが見えました。見上げるとカーテンはさっと閉まったのですが、
おそらく弥生が見ていたのでしょう。私は窓に向かって、いえ弥生に向かって、
「弥生、おまえの事は死ぬまで愛してるぞ」と大声で叫びました。
  1. 夫婦の今と昔
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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