開拓耕地にそそり立つ楡(にれ)の木。其の一
◇母と三人で◇
私は北海道北部の谷間の開拓地で、13戸の人々と共に育った。
私は四人姉弟の末っ子で、母は私を生んだ後、
婦人科疾患で若い身体で不妊の身と成った。
当時の子供達は学校から帰ると遊ぶ事が仕事で、
三歳上の姉と近所の子供達が集まって日が落ちるまで遊んだ。
大人の居ない場所の物置や干草の陰でお医者さんごっこをして遊んだ。
私はお医者さんごっことは女の子のオマンコを舐める事だと思っていた。
だがそれは、姉が遊び仲間のリーダー格になって、
男の子に女の子のオマンコを舐めさせるルールを作ったのである。
確かな記憶は無いが小学二年生頃から姉を含め、
女の子達は私を「ナメちゃん」と呼んで可愛がってくれた。
私は狭いオマンコの穴に無理矢理指を突っ込んだり、
チンポを挿入するような真似はせず、「もういいよ」と言うまで舐め続けていた。
また貧しい時代の少女にありがちな何日も風呂にも入らず手入れの悪い
オマンコのチーズ臭も気にせず、文句も言わずに舐めたので、
女の子は安心して私の前で股を拡げて舐めさせていた。
舐められた事の無い女の子も、姉がスカートを捲くり股を拡げて、
私に舐めさせているのを見て、私も、と言って自分からスカートを捲くって、
股を拡げて舐めさせた。
小学五、六年生でも慣れて来ると気を遣って少量だがヌルヌルした粘液を
口の中に溢れさせる女の子もいた。姉も其の一人だった。
姉は五年生だったが、六年生の信子より処女孔が格段に大きく、
破れた処女膜のビラビラが捲くれかえっていた。
二年生の私の親指がスポスポ抜き差し出来た。
その夏、長女が病気で急逝した。
私が三年生を終了した時、兄が日頃から折り合いが悪かった、
父親と大喧嘩して家を飛び出した。その後父親も開拓を投げ出して
出稼ぎに行き、それ以来、家に帰らなくなった。
姉は中学生に成っていたが、僅かな耕地で母子三人が生活する羽目になった。
私は生まれた時から母と共寝し、姉は棟続きの小部屋で寝起きしていた。
私は子供の頃、よく寝小便をする事があり、
六歳ごろまで寝るときはオムツをさせられていた。
小学校入学後は、母は毎晩私のチンポを握って、小便の近いのを確かめて、
硬くなっていれば起こされ、私は濡れ縁から外に出て、
推定樹齢樹齢百五十年の楡の木の根に小便をかけた。
父からの送金も少なく、たまに戻ってく来ても僅かな金を置いて
直ぐに帰って行った。私は姉と共に野良仕事に精をだした。
私が性に目覚めたのは三年生の夏だった。
昼間干草の上で姉のオマンコを舐めていた。その続きを夢の中で見ていた。
姉が紀を遣って、脚を突っ張った。口の中にヌルヌルが溢れ、私も身体が熱くなった。
そのとき目が目が覚めた。ぼんやりとした頭の中で、チンポの異常を知った。
チンポが硬く痛いほど膨れていた。友達や上級生が勃起させているのを見て
面白がっていたが、自分のチンポが屹立して変な気分だった。
それから三年過ぎて私は六年生に成っていた。
身長は小柄な母を抜き、毎日の野良仕事で筋力もついた。
皮か被りのチンポも半剥けで中人並みに成っていた。
母は以前と同じように夜中に一度や二度必ずチンポを握って強弱をつけて
感触を確かめていた。もう寝小便の年ではないのに・・・。
私は寝る前には必ず馬小屋か物置の隅でセンズリ掻いて寝床に入った。
それでも母が長く握っていると手の中でムクムクと勃起する。
昔から母は襦袢一枚か浴衣一枚で下穿きは付けないで寝る習慣が付いていた。
だから母はいつも下半身丸出しで、私もシャツだけで下は丸裸で共寝している。
成長期の私は寝相が悪く、半回転や時には母の股の間に顔を突っ込み
母のオマンコで口が塞がれて目を覚ます事も何度かあった。
母とは十二年間、共寝していたので二人の身体は一体化して、
私の寝相が悪くても母は目を覚まさない。
七月初旬、麦の穂孕みが近い頃、野生化したカラス麦が、一足先に穂花を開く、
その穂花を抜いて歩いていた。母が三、四メートル先を歩いていたが、
急に立ち止まると、モンペの紐を解き、後ろ半分下ろして前に回し、着物の裾を捲くった。
股を拡げて上体を倒して両手を膝の上に置いて支え、尻を突き出した。
白い豊かな丘の間から、二枚のドドメ色したビラビラが太い筋に見えた。
艶やかな陰毛が午後の陽射しを浴びて揺らいだ。
美しく整ったオマンコに不似合いな大き目のサネも見えた。
風呂や寝室で見慣れたオマンコだった。姉や近所の十人あまりの愛撫したオマンコも
何時も前から見ていた。だから後ろから、それも逆さまから見た母のオマンコは
異様と言うより驚きだった。私は息を呑んだ。
母の下腹の部分から勢いよく俄雨が降って虹をつくった。
私は母を美しいと思っていた。醜いとは思わなかったが衝撃だった。
その夜、私は姉を誘って、一緒に風呂に入り、姉の部屋で私が求めて、
一時間近く姉のオマンコを舐め続けた。
数え十六歳の姉は、初潮は未だだったが破れて捲くれ返っていた処女膜は
跡形もなく、その残滓はバラ色の膣壁にこびり付いていた。
二ヶ月ほど前の雨の日に、姉を訪ねて遊びにきた信子ちゃんのオマンコを
干草の上で舐めてあげた。その信子ちゃんも四年前、小さな三日月型の
処女孔だったが、三年前から処女膜は消え、覗くと淡紅色のギザギザの
膣壁の空洞が二センチ余り奥まで見えていた。
姉も信子ちゃんも、もう大人になっていた。
私は北海道北部の谷間の開拓地で、13戸の人々と共に育った。
私は四人姉弟の末っ子で、母は私を生んだ後、
婦人科疾患で若い身体で不妊の身と成った。
当時の子供達は学校から帰ると遊ぶ事が仕事で、
三歳上の姉と近所の子供達が集まって日が落ちるまで遊んだ。
大人の居ない場所の物置や干草の陰でお医者さんごっこをして遊んだ。
私はお医者さんごっことは女の子のオマンコを舐める事だと思っていた。
だがそれは、姉が遊び仲間のリーダー格になって、
男の子に女の子のオマンコを舐めさせるルールを作ったのである。
確かな記憶は無いが小学二年生頃から姉を含め、
女の子達は私を「ナメちゃん」と呼んで可愛がってくれた。
私は狭いオマンコの穴に無理矢理指を突っ込んだり、
チンポを挿入するような真似はせず、「もういいよ」と言うまで舐め続けていた。
また貧しい時代の少女にありがちな何日も風呂にも入らず手入れの悪い
オマンコのチーズ臭も気にせず、文句も言わずに舐めたので、
女の子は安心して私の前で股を拡げて舐めさせていた。
舐められた事の無い女の子も、姉がスカートを捲くり股を拡げて、
私に舐めさせているのを見て、私も、と言って自分からスカートを捲くって、
股を拡げて舐めさせた。
小学五、六年生でも慣れて来ると気を遣って少量だがヌルヌルした粘液を
口の中に溢れさせる女の子もいた。姉も其の一人だった。
姉は五年生だったが、六年生の信子より処女孔が格段に大きく、
破れた処女膜のビラビラが捲くれかえっていた。
二年生の私の親指がスポスポ抜き差し出来た。
その夏、長女が病気で急逝した。
私が三年生を終了した時、兄が日頃から折り合いが悪かった、
父親と大喧嘩して家を飛び出した。その後父親も開拓を投げ出して
出稼ぎに行き、それ以来、家に帰らなくなった。
姉は中学生に成っていたが、僅かな耕地で母子三人が生活する羽目になった。
私は生まれた時から母と共寝し、姉は棟続きの小部屋で寝起きしていた。
私は子供の頃、よく寝小便をする事があり、
六歳ごろまで寝るときはオムツをさせられていた。
小学校入学後は、母は毎晩私のチンポを握って、小便の近いのを確かめて、
硬くなっていれば起こされ、私は濡れ縁から外に出て、
推定樹齢樹齢百五十年の楡の木の根に小便をかけた。
父からの送金も少なく、たまに戻ってく来ても僅かな金を置いて
直ぐに帰って行った。私は姉と共に野良仕事に精をだした。
私が性に目覚めたのは三年生の夏だった。
昼間干草の上で姉のオマンコを舐めていた。その続きを夢の中で見ていた。
姉が紀を遣って、脚を突っ張った。口の中にヌルヌルが溢れ、私も身体が熱くなった。
そのとき目が目が覚めた。ぼんやりとした頭の中で、チンポの異常を知った。
チンポが硬く痛いほど膨れていた。友達や上級生が勃起させているのを見て
面白がっていたが、自分のチンポが屹立して変な気分だった。
それから三年過ぎて私は六年生に成っていた。
身長は小柄な母を抜き、毎日の野良仕事で筋力もついた。
皮か被りのチンポも半剥けで中人並みに成っていた。
母は以前と同じように夜中に一度や二度必ずチンポを握って強弱をつけて
感触を確かめていた。もう寝小便の年ではないのに・・・。
私は寝る前には必ず馬小屋か物置の隅でセンズリ掻いて寝床に入った。
それでも母が長く握っていると手の中でムクムクと勃起する。
昔から母は襦袢一枚か浴衣一枚で下穿きは付けないで寝る習慣が付いていた。
だから母はいつも下半身丸出しで、私もシャツだけで下は丸裸で共寝している。
成長期の私は寝相が悪く、半回転や時には母の股の間に顔を突っ込み
母のオマンコで口が塞がれて目を覚ます事も何度かあった。
母とは十二年間、共寝していたので二人の身体は一体化して、
私の寝相が悪くても母は目を覚まさない。
七月初旬、麦の穂孕みが近い頃、野生化したカラス麦が、一足先に穂花を開く、
その穂花を抜いて歩いていた。母が三、四メートル先を歩いていたが、
急に立ち止まると、モンペの紐を解き、後ろ半分下ろして前に回し、着物の裾を捲くった。
股を拡げて上体を倒して両手を膝の上に置いて支え、尻を突き出した。
白い豊かな丘の間から、二枚のドドメ色したビラビラが太い筋に見えた。
艶やかな陰毛が午後の陽射しを浴びて揺らいだ。
美しく整ったオマンコに不似合いな大き目のサネも見えた。
風呂や寝室で見慣れたオマンコだった。姉や近所の十人あまりの愛撫したオマンコも
何時も前から見ていた。だから後ろから、それも逆さまから見た母のオマンコは
異様と言うより驚きだった。私は息を呑んだ。
母の下腹の部分から勢いよく俄雨が降って虹をつくった。
私は母を美しいと思っていた。醜いとは思わなかったが衝撃だった。
その夜、私は姉を誘って、一緒に風呂に入り、姉の部屋で私が求めて、
一時間近く姉のオマンコを舐め続けた。
数え十六歳の姉は、初潮は未だだったが破れて捲くれ返っていた処女膜は
跡形もなく、その残滓はバラ色の膣壁にこびり付いていた。
二ヶ月ほど前の雨の日に、姉を訪ねて遊びにきた信子ちゃんのオマンコを
干草の上で舐めてあげた。その信子ちゃんも四年前、小さな三日月型の
処女孔だったが、三年前から処女膜は消え、覗くと淡紅色のギザギザの
膣壁の空洞が二センチ余り奥まで見えていた。
姉も信子ちゃんも、もう大人になっていた。
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プロフィール
Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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