近親との性愛。其の一
先に書いた「開拓耕地にそそり立つ楡(にれ)の木」のバージョンⅡです。
私が小学校に入学した頃、六年生の兄は野良仕事、四年生の姉は遊び仲間の
年長組で、遊びの折々にお医者さんごっこ大人顔負けの性戯に嵌っていた。
私は男子の年少組みで、姉や近所の年長組の女の子の股間を舐める役で、
近所の娘のモノは大抵舐めた。
ある日、兄と同級の六年生が遊びに来て仲間入りし、
勃起したチンポを姉にしゃぶらせていた。
姉は口一杯に頬張ってしゃぶっていたが大人半分ほどの大きなものであった。
六年生は姉に何か言うと、姉はチンポを口から離して立ち上がり、
私を連れて仲間から離れ、六年生と三人で、物置の干草の上に来て、横になり、
着物の裾を捲くり大股を開き、私に膜を舐めろと命令した。
言われるままに股間を左右に開いて舐め、梨の種のような小さく硬く成っている
サネを舌で転がし、甘咬みした。
そんな事を繰り返していると姉は腰を持ち上げ足を突っ張って嬉泣きした。
一息ついて奥を見ると、大人の指が楽々と入るほどの入口から液が滲み出していた。
姉ちゃんが気持ち良いんだと思うと、嬉しくなって、夢中に成って舐め続けた。
昂ぶってくると、傍で見ていた六年生が私を退かせてズボンを膝まで下げ、
姉の上に折り重なってチンポを突き立てたが、
角度か位置が違うのか滑って入らない。五、六回突き立てた時、
チンポの先端から白く濁った液がドバドバと姉の下腹に飛び散った。
ところが六年生のチンポは収縮せず硬い侭だった。
「痛いっ」姉の悲鳴に近い声がして、六年生の下から押し退けようと突き上げたが、
上体は反っても二人の股間は密着した侭離れなかった。
三回ほど揉み合う様にした後、六年生は立ち上ってズボンを引き上げ、
「痛くしてごめんな」と言って出ていった。
姉は股を開いたまま、一寸の間動かなかった。姉の股の中心は閉じて筋だけになり、
その筋から膨らみの辺りにドロリとした液が濡れ光っていた。
姉は着物の裾を掴むと性器を拭いた後右手で股間の膨らみを労わる様に撫で、
わたしの方を向くと、「ああ、痛かったなあ」とニコッと笑った。
私の家では父は一人で寝て、私は母と、傍らでは兄と姉が共寝していた。
父と母の営みは掛布団なしの裸でランプを灯したまま行なうので、
姉も私も物心ついた最初の記憶が男女の性交であった。
父は姉が可愛くて、母と性交したあと、自分の布団に寝かせて、抱いて寝たが、
時には母にする時のように、固い股間を開いて舌を這わせていた。
私が六歳の時、母が婦人病で入院し、妊娠出来なくなってから、
父は出稼ぎ生活が多くなった。そのころ、母屋の棟続きの物置の一部を改造して
子供部屋にし、兄と姉はその部屋で寝起きするようになった。
その時兄は五年生、姉は三年生であった。
父が出稼ぎから家に戻ると、母と性交したあと、
姉を自分の布団に呼んで可愛くて溜まらないと言うように抱き寝していた。
父は姉の性器を撫で指を入れ、抜き差ししていたかも知れない。
また姉は五年生の兄と共寝していたから大人のように性交して居たかも知れない。
母は私と共寝しながら、娘はお嫁に行くまで生れた家の男たちと性交する事が
勤めであると話してくれた。私も何時か姉ちゃんと性交できると思い嬉しかった。
兄が中学を卒業して札幌に就職した。父はその時から遠い出稼ぎから戻り、
私の家から四里半(十八キロ)の網走の捕鯨会社で働く事になり、
部屋を借りて一人で自炊していた。母は網走まで歩くのは無理で、
母の指示で月に一度か二度、生活費を貰いに中学一年の姉が出掛け、
三泊して父と性交して帰って来た。父はその時三十八歳であった。
精力の強い人だったので一晩中姉の身体を離さなかったらしい。
姉は帰ると父との様子を母に聞かせ、性交の話もしていた。
「お父さんはお母さんの時と同じに正常位で嵌めて呉れたよ。
お母さんの時は直ぐに突っ込むけど、私の時は少し舐めてから突っ込むの。
二十分位抜き差ししてから出してたよ。その間私、何度もイク、イクしちゃった。
最初の晩は四回しいちゃつた。二日目の晩は、帰ってきてお父さん、
ご飯も食べずに、お前寝れって、着物の前捲くっていきなり入れて来るんだもの。
私、びっくりしてしまった。夕飯済ませて寝て、すぐ一回して、夜中に起こされて一回と、
三回したけど、三日目、お父さんお前帰りが大変だからって、
続けて二回出して寝かしてくれたけど、もっと遣りたそうだったよ」
姉は淡々と話していた。翌朝、姉は学費滞納分を母から貰って登校した。
学校も地域の人も、姉が父と精液まみれの三日間を過ごした事など知る筈もないし、
たとえ知っていても、お互い様だったろう。
私が生れた処は山深い農村で、
野良仕事以外に生きる道も娯楽もない極貧の土地であった。
読み書きの出来ない大人も稀ではなく、
一般的な性的道徳観念など持ちあわせていなかった。
近親との性交も禁断とか背徳とか知っている者は
半分にも満たなかったのではないだろうか。
かく言う私も近親との性がいけない事と知ったのは中学生に成ってから事であった。
父も母も地域の人達も性交は男と女がするもので、血の繋がりの有無に関係なく
許されるものだと思っていたようだ。
「世間体があるから妊娠しないように気を付ければ家族間で秘密は守られるし」とか
「初潮前の女ならアレしたからといってメクジラたてるほどの事もない」
という話をよく聞いたのだ。
母は、姉にも私にも五年生過ぎたら他人の家の男女と性交するな、
他人の家の事は言うな、自分の家の事も絶対に喋るな、と常に言っていた。
姉は学校では素行善良で評判も良く副級長だった。
夜、私も母も下半身は裸で向かい合って寝ていた。
私は時々母の乳首を吸ったり揉んだりしてふざけると、母は脚を私の太股に絡めてくる。
母の陰毛や股間がチンポに触れると、忽ちムクムクと勃起し、
母は脚を下ろして手に握って弄って愉しみ、
射精しそうになると小便して来いと立ち上がらせ、終わって縮んだチンポをまた弄る。
寒くなると、母は枕の下に何時も用意している性交の後始末用の手拭いを当てて、
手を放さず射精させた。時々それは母の膨らみから股間に飛び散った。
私が小学校に入学した頃、六年生の兄は野良仕事、四年生の姉は遊び仲間の
年長組で、遊びの折々にお医者さんごっこ大人顔負けの性戯に嵌っていた。
私は男子の年少組みで、姉や近所の年長組の女の子の股間を舐める役で、
近所の娘のモノは大抵舐めた。
ある日、兄と同級の六年生が遊びに来て仲間入りし、
勃起したチンポを姉にしゃぶらせていた。
姉は口一杯に頬張ってしゃぶっていたが大人半分ほどの大きなものであった。
六年生は姉に何か言うと、姉はチンポを口から離して立ち上がり、
私を連れて仲間から離れ、六年生と三人で、物置の干草の上に来て、横になり、
着物の裾を捲くり大股を開き、私に膜を舐めろと命令した。
言われるままに股間を左右に開いて舐め、梨の種のような小さく硬く成っている
サネを舌で転がし、甘咬みした。
そんな事を繰り返していると姉は腰を持ち上げ足を突っ張って嬉泣きした。
一息ついて奥を見ると、大人の指が楽々と入るほどの入口から液が滲み出していた。
姉ちゃんが気持ち良いんだと思うと、嬉しくなって、夢中に成って舐め続けた。
昂ぶってくると、傍で見ていた六年生が私を退かせてズボンを膝まで下げ、
姉の上に折り重なってチンポを突き立てたが、
角度か位置が違うのか滑って入らない。五、六回突き立てた時、
チンポの先端から白く濁った液がドバドバと姉の下腹に飛び散った。
ところが六年生のチンポは収縮せず硬い侭だった。
「痛いっ」姉の悲鳴に近い声がして、六年生の下から押し退けようと突き上げたが、
上体は反っても二人の股間は密着した侭離れなかった。
三回ほど揉み合う様にした後、六年生は立ち上ってズボンを引き上げ、
「痛くしてごめんな」と言って出ていった。
姉は股を開いたまま、一寸の間動かなかった。姉の股の中心は閉じて筋だけになり、
その筋から膨らみの辺りにドロリとした液が濡れ光っていた。
姉は着物の裾を掴むと性器を拭いた後右手で股間の膨らみを労わる様に撫で、
わたしの方を向くと、「ああ、痛かったなあ」とニコッと笑った。
私の家では父は一人で寝て、私は母と、傍らでは兄と姉が共寝していた。
父と母の営みは掛布団なしの裸でランプを灯したまま行なうので、
姉も私も物心ついた最初の記憶が男女の性交であった。
父は姉が可愛くて、母と性交したあと、自分の布団に寝かせて、抱いて寝たが、
時には母にする時のように、固い股間を開いて舌を這わせていた。
私が六歳の時、母が婦人病で入院し、妊娠出来なくなってから、
父は出稼ぎ生活が多くなった。そのころ、母屋の棟続きの物置の一部を改造して
子供部屋にし、兄と姉はその部屋で寝起きするようになった。
その時兄は五年生、姉は三年生であった。
父が出稼ぎから家に戻ると、母と性交したあと、
姉を自分の布団に呼んで可愛くて溜まらないと言うように抱き寝していた。
父は姉の性器を撫で指を入れ、抜き差ししていたかも知れない。
また姉は五年生の兄と共寝していたから大人のように性交して居たかも知れない。
母は私と共寝しながら、娘はお嫁に行くまで生れた家の男たちと性交する事が
勤めであると話してくれた。私も何時か姉ちゃんと性交できると思い嬉しかった。
兄が中学を卒業して札幌に就職した。父はその時から遠い出稼ぎから戻り、
私の家から四里半(十八キロ)の網走の捕鯨会社で働く事になり、
部屋を借りて一人で自炊していた。母は網走まで歩くのは無理で、
母の指示で月に一度か二度、生活費を貰いに中学一年の姉が出掛け、
三泊して父と性交して帰って来た。父はその時三十八歳であった。
精力の強い人だったので一晩中姉の身体を離さなかったらしい。
姉は帰ると父との様子を母に聞かせ、性交の話もしていた。
「お父さんはお母さんの時と同じに正常位で嵌めて呉れたよ。
お母さんの時は直ぐに突っ込むけど、私の時は少し舐めてから突っ込むの。
二十分位抜き差ししてから出してたよ。その間私、何度もイク、イクしちゃった。
最初の晩は四回しいちゃつた。二日目の晩は、帰ってきてお父さん、
ご飯も食べずに、お前寝れって、着物の前捲くっていきなり入れて来るんだもの。
私、びっくりしてしまった。夕飯済ませて寝て、すぐ一回して、夜中に起こされて一回と、
三回したけど、三日目、お父さんお前帰りが大変だからって、
続けて二回出して寝かしてくれたけど、もっと遣りたそうだったよ」
姉は淡々と話していた。翌朝、姉は学費滞納分を母から貰って登校した。
学校も地域の人も、姉が父と精液まみれの三日間を過ごした事など知る筈もないし、
たとえ知っていても、お互い様だったろう。
私が生れた処は山深い農村で、
野良仕事以外に生きる道も娯楽もない極貧の土地であった。
読み書きの出来ない大人も稀ではなく、
一般的な性的道徳観念など持ちあわせていなかった。
近親との性交も禁断とか背徳とか知っている者は
半分にも満たなかったのではないだろうか。
かく言う私も近親との性がいけない事と知ったのは中学生に成ってから事であった。
父も母も地域の人達も性交は男と女がするもので、血の繋がりの有無に関係なく
許されるものだと思っていたようだ。
「世間体があるから妊娠しないように気を付ければ家族間で秘密は守られるし」とか
「初潮前の女ならアレしたからといってメクジラたてるほどの事もない」
という話をよく聞いたのだ。
母は、姉にも私にも五年生過ぎたら他人の家の男女と性交するな、
他人の家の事は言うな、自分の家の事も絶対に喋るな、と常に言っていた。
姉は学校では素行善良で評判も良く副級長だった。
夜、私も母も下半身は裸で向かい合って寝ていた。
私は時々母の乳首を吸ったり揉んだりしてふざけると、母は脚を私の太股に絡めてくる。
母の陰毛や股間がチンポに触れると、忽ちムクムクと勃起し、
母は脚を下ろして手に握って弄って愉しみ、
射精しそうになると小便して来いと立ち上がらせ、終わって縮んだチンポをまた弄る。
寒くなると、母は枕の下に何時も用意している性交の後始末用の手拭いを当てて、
手を放さず射精させた。時々それは母の膨らみから股間に飛び散った。
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演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
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“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
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