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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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女の性と飢餓。其の五

◇ニギリ飯一個の欲情◇
矢田亜希子01
都会に出る汽車の中で、私は一人の女と知り合った。
向かいの席に座った女で、美人だったが栄養失調で痩せていた。
「師範学校は出たのですけど・・・」
と、年上のその女性が言った。

たとえ師範学校を出ていても、飢えには勝てなかったのだ。
米びつを開けてニギリ飯を食う私を、周囲の全員が眺めていた。もちろんその女性も、である。
ニギリ飯を食うなどと言う贅沢は、めったな人間の遣れる事ではなかった。
周囲からは唾を呑み込む音が聞こえて来る様であった。

「どうぞ、これを・・・」
私は米びつを開けてニギリ飯を一つ掴み出すと、その女性の前にニュッと差し出したのである。
「あ、ありがとうございます」
その女性は、両手でニギリ飯を受け取ると、それを頭の上に捧げて深々と礼をした。
そして其の侭の姿勢で、
「ありがとうございます。ありがとうございます」
と、十回ほど繰り返した。

周囲の目が女性の手に乗ったニギリ飯を追っていた。
そして、さんざん礼を言い尽くしてから、彼女はゆっくりとニギリ飯を食べ始めた。
あたりでまた一斉にゴクリと唾を呑み込む音が聞こえた。

「よければ、晩ごはんの分もあげますよ」
私は、そう彼女の耳に囁いていた。
彼女は途中の駅で降りる積もりだったのかも知れない。しかし、晩御飯のオニギリの方が、
彼女にとっては魅力的だったのだろう。私が名古屋駅で列車を降りると言うと、
彼女の方から私について来て良いかと尋ねたのである。私が大柄だったので、
彼女は私がまだ中学生だとは思わなかったらしい。
すでに終戦から一年経った夏であった。

終戦の後、二学期から学校が始まったけれど、
叔母一人に畑仕事をさせておくわけにもいかなかったので、茄子や胡瓜を作っているうちに、
いつの間にか学校へは行かなくなっていた。その代わり、便所の中に落とし紙として置いてある
婦人雑誌のきれっぱし等を読んでいたので、社会勉強の方は怠りなかった。

大きな都会へ出れば、何とか遣っていけると思えた。そんな機会を狙っていたので、
叔母のヘソクリのタンス貯金を掠めて家出しようと思ったのは大方一年掛かりの計画であった。

 
終戦後の風景01
私を男にしてくれた上、性の歓びを教えてくれた叔母ではあったが、
自殺未遂事件のあとは一度も交わっていなかった。
叔母が求めて来ても私の方が立たなかったのである。
「あんた、自分で出してるの?」
一度叔母にそう聞かれたことがある。
「いいや・・・・」

私は首を左右に振って否定したが、しばしば便所の中で、婦人雑誌のエロっぽい文章を肴にして、
自分一人で扱いていたことは事実であった。
穴を掘って、足を乗せるだけの板を渡した粗末な便所の中で、冬など、寒さに縮み上がったペニスを、
無理に扱いて出したものである。ときには温かい人肌が恋しいとは思ったが、
他人に抱かれて狂った様に悶えた叔母を抱く気にはなれなかつた。

それだけに私は、列車の中で出会った女性に、まず欲望を感じていた。
貴重品のニギリ飯を差し出したのも、多分に下心があって無意識にしたことなのだ。
そして彼女の方も、ニギリ飯を食って腹が満たされると、次には私を、一人の男として見ていたのだ。
と、私はまことに手前勝手に解釈した。とにかく彼女は、私に着いて列車を降りて来た。

彼女は28歳だと言った。大阪で代用教員の仕事につくのだとも言った。
私は自分の年を23歳だと偽った。
「私ね、戦前には名古屋に住んだ事があるのよ。だから、広小路の辺りがどうなっているのか、
 ちょっと見てみたいと思って・・・」

私は別に名古屋が目的地ではなかった。ただし、切符は名古屋までしか買っていなかった。
東へ行って東京へ出るか、西へ行って大阪へ出るかと、そこで決めようと考えていた。
叔母の貯金を頂、持てるだけの米をかついで、ニギリ飯まで自分で作って出てくる事の方が先で、
行き先などは決めていなかった。

育子と言う師範学校出のその女性が大阪へ行くのなら、
自分も大阪へ行ってもいいと思っていた。
ただ、列車の窓からまで出入りする狂気じみた乗り換えの様を見て、うんざりしただけである。
(どうせ切符はここまでだから、野宿でもして、場合によってはどこかで米を売って、
 荷物を減らしてから行く場所を決めよう)
と、そんなふうに考えていた。
053.jpg
(いざとなれば、靴磨きでもするさ)
なにしろ婦人雑誌で仕入れた都会の知識である。都会の怖さなどてんで知らなかった。
浮浪者と靴磨き、焼け跡とバラックの多さにまず度肝を抜かされた。

寺の本堂の下に、取り敢えず寝場所を見つけた。私は久々の女体を堪能したかったし、
育子の方も盛んにそれを匂わせていた。だから先客の居ない場所を見つけるのに苦労したが、
さんざん歩き回って、ようやくそんな場所を見つけたのであった。

その頃には、私と育子とは、もうすっかりお互いに馴れ馴れしくなっていた。
彼女は私を「マァ坊」と呼び、私は彼女を「先生」と呼んでいた。

「お腹減ったわネ」
彼女の方が言い出した。
私は残っていたニギリ飯を取り出した。
「ちょっとスエてるみたいね」
匂いを嗅ぎながら彼女が言った。確かに少し腐敗しかけていて、そんな匂いがしたが、
私も育子もそんなニギリ飯にかぶりついた。ムシャムシャと口を動かしながら彼女が尋ねた。

「これ、全部、お米?」
「いや、このリュックの中と、この飯盒の中は米だけど、この風呂敷の中は小豆だよ」
私は自分の周囲に置いた荷物の中身を説明していた。
「みんなお芋ばかり食べてるんだもねェ。こんなオニギリを食べられるなんて、
 本当に極楽だわ、どうやってお礼をしようかしら」

水筒に汲んできた水を飲みながら、彼女が意味深な言い回しで流し目をくれてきた。
彼女の手が、いつの間にか私の片方の足の太股に置かれていた。
「何人も女の人を泣かせたんでしょう?」
自分がひとかどの男に見られていると言う事で、私はいい気に成っていた。

「いや、それほどでも・・・」
と、もったいぶって答えた。しかし、内心ではビビっていた。なにしろ相手は叔母さん一人だったし、
叔母さんとて男知らずであったので、性交の回数こそは多かったが、
およそ性技には自信がなかったのである。
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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