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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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・利尻の淫乱女の半生。其の十一

◇精液にまみれて(1)
利尻の女11-1
私と親方の事は、じきに村中に知れ渡ってしまいました。
てすが、だからと言って村の人は、私を軽蔑したり辛く当ったりはしませんでした。
むしろ、私が親方の相手をしてくれるので、お父達は自分の女房や娘が親方の
手籠めに遭わなくてすむと、安心していたようでした。

間もなく私は「若い衆の面倒も見てくれないか」と親方から相談を受けました。
なんでも前には三十後家が若い衆の相手をしていたそうですか、
急病で亡くなり困って居ると言う事でした。

私の生まれた島の部落もそうでしたが、この村も色事の盛んな村でした。
夜這いとか間男は常習で、お父やおッ母ァの取り替っこするのも平気でした。

ただ嫁取り前の若い衆には困っていたようです。どこの家でも長男は二十歳に
成るか成らない内に嫁を持たせていましたが、二男三男となると、
貧乏漁師では草々簡単に分家させる事も出来ません。その二男三男の若い衆達は、。
町へ女を買いに行く小遣い銭もままなりませんから、自然と精力を持て余し、
年頃の娘に悪戯をしたり兄嫁にチョッカイをかけたりして、
しょつちゅうゴタゴタを起こしていました。

そんなことから手頃の後家を若い衆にあてがうと言うのが、
この村のしきたりだったようでした。誰が考えたのか知りませんが、
中々考えた利巧な遣り方だったと思います。

「若い衆の相手せば、カマドの方もずーっと楽になるし、
 おめえも出面なんかしねえでゆっくり亭主の世話が出来るど」
親方はそう言って勧めます。私はまた母親の事を思い出して、もうこうなったら、
一人を相手にするのも五人を相手にするのも同じだ。
それに、こそこそと母親のように人目を憚って若い衆の相手をするよりも、
大っぴらにする方がさっぱりするとも思いました。
しかし、親方に抱かれるのは内緒に出来ますが、若い衆達に抱かれるとなったら、
伝三さんに隠して置けないと考え、私は返事を控えました。

伝三さんに打ち明けて相談すると、伝三さんは半日布団を覆って寝ていましたが、
夕方寝床から起き出してきて「俺がこんな病気をするからお前にばかり苦労をかける」
と詫びを言いました。
布団を覆って口惜し泣きをしていたのか赤い目をして・・・、
私は切なくなって伝三さんにしがみついて泣きました。
この時ばかりは私も、女に生まれた自分が悲しいと怨みました。

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利尻の女11-2
伝三さんも承知してくれたので、親方の処へ返事をすると、早速その晩に若い衆が、
七、八人「おッ母ァ、頼むで・・・」と私達の家へ集まって来ました。

若い衆達は、村に一軒しかない雑貨屋から、各自に板粕やら砂糖をやらを買って来て、
それで甘酒を造って、花札や将棋をさしてワイワイ騒いでいましたが、十時頃になる
とクジ引きで一番クジを当てた、年若な若い衆一人だけ残して帰って行きました。

仲間がいなくなると若い衆は、いきなり私を押し転がして乗りかかって来ました。
私は寝間の障子が少し開いているのを気にしながら、若い衆に遣らせました。
若い衆は年若だけにせっかちで、無理矢理押し込むと抜き差しして、
あっと言う間に気をやりましたが、ちょつとするとまた固くして、
抜かずに三度も気をやりました。それでどうやら満足したのか私を放しましたので、
私は不平そうな顔をするのも構わずに帰ってもらいました。
これ以上、伝三さんに浅ましい姿を見せて、辛い思いをさせたくないと思ったからです。

翌日若い衆のおッ母ァ達が四、五人、干し魚や野菜を土産に持って、
「家の者が世話になるから」と私の家へ礼に来ました。そして、
「利尻のおッ母ァ、どうせ相手してくれるんだから、
 一晩泊めて相手してくれねえべか?」と言うのです。
つまり、夕べのように宵のうちだけでなく、一晩私に相手をしてやってくれと言うのです。

前の後家もそうしていたと言うので、こうなったらチョンの間も泊まりも同じ事だと
私は承知しました。ただ気がかりなのは、これも伝三さんのことでした。
居間で手っ取り早く相手をするのは我慢も出来ましょうが、
若い衆を泊めて夜通しとなると嫌でも伝三さんに見せ付ける事になります。

私が両親の隣りに寝ていてさんざん見せ付けられたように、伝三さんも女房の私が
若い衆とつるんでいる様子をみせつけられたら、男ですから焼餅も焼けるでしょうし、
口惜しくもなるに違いありません。私はそれが心配でした。

おッ母ァ達が帰って行った後で、恐る恐るその事を伝三さんに話すと、
「仕方ないさ、一度遣らせるのも一晩やらせるのも同じだ。
 それよりお前の方は大丈夫か?」と、却って私の体の方を心配してくれました。

次の晩は一番年高の若い衆の番でした。私は寝間に、伝三さんの布団からなるべく
離して自分の寝床を敷くと、若い衆に抱かれました。
  1. あの日あの頃
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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