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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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・利尻の淫乱女の半生。其の十二

◇精液にまみれて(2)
利尻の女12-1
いつも寝る時は丸裸でしたが、私は真っ赤な腰巻だけはつけました。
それがせめてもでんぞうさんへの言い訳の心算だったのです。若い衆は寝床に這入ると、
私を伝三さんの方へ横向きにして尻をだきながら、
「こうせばおッ母ァも幾らか気が楽だべ」と、そんな優しい事を言って呉れました。
夕べの若い衆と違って年高だけに、つるみ方も落ち着いているし、
道具も一人前のものでした。それでそろそろと尻から突かれていると、
私の体の方はじきにその気になってきます。

「やっぱし、親方の言う通りおッ母ァの道具ァ巾着だ」若い衆は嬉しそうでした。
私のものは汐を吹いて、グチャグチャと音をたて始めました。
伝三さんの様子を見ると、布団の中から目だけを出して、、
ジーッと息をころして此方を覗いているようです。

私は声を出しては悪いと思って、口唇を噛んで堪えましたが、伝三さんに見られている
という事が却って刺激に成って、とうとう悦がり声を立ててしまいました。

「なァー、なァー、お乳も、お乳も吸ってけれェー・・・」
若い衆も堪らなくなったのか、私を仰向けにすると上から嵌め込んできました  。
「おッ母ァ、オラ、もう堪まンねえ!」
「オラも、オラも、なァやってけれ!もっとオー・・・」

私は狂いました。
伝三さんは、若い衆と一緒に気をやっていたら体がもたないと注意して呉れましたが、
私の体は堪え性がないのです。こんな所も淫乱な母親に似ていたのでしょう。

若い衆は朝までに四回楽しみましたが、私の方はその間に七つか八つ気を遣った様に
思います。それでも若かったのか、夜が明けると私はしゃーんとしていました。

それからの私は、月のモノがある間を除き、毎晩若い衆に抱かれました。
しまいに体の中まで男の汁で生臭く成ってしまうような毎晩でした。

一月が経ち二月が過ぎると伝三さんも諦めたというのか慣れたと言うのか、
もう布団の中からこっそりと覗くのではなく、布団の上へ起き上がって、
若い衆と私のつるむのを見ながら、
「お前は尻から遣られるのが好きだなァー」とか、
「もっと股を広げて、遣られてるところを俺にも見せろ」とが、
脇から私をからかったり、そそのかしたりするようにもなりました。

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利尻の女12-2
きっと父親がわざと博打に負けて母親をその男に抱かせ、それを楽しんでいたように、
伝三さんもあの時は、私の浅ましい姿を楽しんで居たのだろうと思います。
その証拠に、夏に成ってイカ釣りが始まり、若い衆が誰も夜の泊まりに来なくなると、
「今日も凪いでるから誰も来ないなアー」と、私よりも伝三さんが物足りなそうで、
たまにその若い衆が「おッ母ァ、溜まってしまった。やらせてけれ」と昼間現われると、
伝三さんの方がウキウキと私達の為に寝間に布団を用意してくれるくらいでした。

私はその頃、毎月のものが止まって悩んでいました。なんと皮肉な事に、
伝三さんと二人きりの頃は、そんなことになったら大変だと思いながら、
赤ん坊ができないかなァー、と思ったこともあります。
それがこんな浅ましい事をするようになって孕んでしまったのです。
やっぱり、親方に抱かれて、私が女の体になったからかも知れません。

数えて見ると腹の子は、その親方の子であるような気もするし、若い衆の、
誰かのようでもあるし、そしてまた、伝三さんの子のような気もします。
私は伝三さんにもその事は黙っていました。ですが、とうとうある晩、伝三さんに抱かれて、
「テルさ、お前孕んでるんじゃないか?」と、膨らんで来た腹を見つかってしまいました。

私は堕胎する決心で町のお医者さんに相談に行きましたが、
「オロスのはもう手遅れだ」と断わられてしまいました。

私は産み月まで若い衆の相手をしました。まともにつるむと腹が押されて苦しいので、
親方から仕込まれた「きぬたかつぎ」とか、あるいは私が上になる「後ろやぐら」とか、
そして尻からの「駒掛け」なぞでやらせました。若い衆は達は、
「孕み女とやるのは初めてだ」と言って喜んでくれました。

翌年の春、私は男の子を出産しました。
半月一緒に暮らして、親方の世話で貰い子に出しました。その子が今も達者かどうか、
もちろん私には分かりませんし、また遭いたいとも思いません。

赤ん坊を手放して、私はお乳が張って苦しくなると、伝三さんに度々吸って貰いました。
伝三さんは「母親を想い出すよ」と言って甘えてくれましたが、私の方は
お乳を吸われるだけでももようしてきて、やってもらいたいのに「まだ無理だ」と伝三さんが
遣って呉れないので、お乳の張ることよりも、その方を辛抱するのに困りました。
  1. あの日あの頃
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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