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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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・利尻の淫乱女の半生。其の十三

◇巨根の権太(1)
利尻の女13-1
産後の私が最初に遣らせたのは親方でした。親方は私の股を広げて、
さんざん指で弄り回した末におっ立ったモノを押し入れて、
「おめえの道具ァ、童(わらし)ば産んだら恐ろしく味がえくなった」
と驚いていました。なんでも穴の中のビラビラが増えて、
それが男のモノに絡みつき締めたり吸ったりすると言うのです。

そう言われれば、私の方も前とは随分違ったような気がしました。
例えば親方の太いモノを突っ込まれると、前は吸い込むように一気に奥まで
受け入れたのに、今度は急に穴の中が狭くなった様に、入口で妙に渋ります。
それを無理に押し込まれると、中の肉襞がすり潰されるようにヒリヒリ感じて、
つい悦がり声をあげたくなるのです。

親方はその時、また私が孕んで若い衆達に不自由させては困るといって、
サックを渡して呉れました。月経と月経の間五、六日が一番孕みやすいものだから、
その間だけ若い衆のモノに被せて遣らせろと言うのですが、その頃のサックは
今の物と違ってひどくぶ厚いもので、私は好きになれませんでした。

男も同じだと思いますが、女もやっぱりあの時は抜き身が最高で、それに気の行く時は、
ドクッ!ドクッ!と男の精液で子宮の奥を叩かれないと、本当につるんだ気がしません。
ですから私は、そんな余計な物を使うと何となく情が移らないような気がして、
若い衆と相談して、孕みそうな間は気のいく直前に私の体から抜いて、
外に出してもらうようにしてサックはなるべく使わない様にしました。

私が村の若い衆の相手をする様になってから、暮らしの方は随分楽になりました。
米味噌は村の雑貨屋から、親方の名義でいくらでも買えるし、
魚や野菜は持て余すほど村の人から付け届けがありますし、
その上、若い衆の「世話料」だと言って、毎月親方から十五円も現金で貰えたのですから、
伝三さんの薬代は勿論、たまには私の着物の一枚も買える位余裕がありました。

考えて見ると私の一生のうちで、あの頃ほど呑気に日を送ったことは、
後にも先にも二度とはなかったと思います。

毎晩の仕事も自然と慣れてきて、自分も上手に遊びながら、
若い衆を歓ばせる要領も覚えて、正直に言うと私は、今夜はあの若い衆と、
どんな格好でつるもうかと、それが楽しくて日の暮れるのが待ち遠しい位でした。

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利尻の女13-2


**
そして普段は、若い衆は一人しか泊めないこと、二人も泊めるとお互いに競争し合って、
いがみ合いに成るから止めていたのに、酒に酔っているのを口実に、三人も一緒に
若い衆を泊めたこともありました。

私は若い衆達を仰向けに寝かせて、その腹の上へ跨って「茶臼」で、
端から順番に相手をしたのですが、
「それじゃ、誰が一番先に気をやるか、俺が行司をしてやる」
と伝三さんまで面白がって、夜通しふざけ合ったこともありました。
私は元々助平な女だし、まだ若かったということもあって、
あんな無茶な真似も出来たのでしょうが、今になればそれも懐かしくなります。

そして、その年の夏、私はま孕んでしまいました。
今度は相手の男がはっきりと分かって居ました。私の腹の子の父親は権太と言う男でした。
権太は、歳は三十過ぎでしたが、村の端の草葺小屋に、口の回りや手首に刺青をした
アイヌのハンボ(老母)と二人で住んでいて、村の人は、
「あいつ等ァ親子丼やってンだべ」嘲笑していました。

私はその日朝早くに町に出て、伝三さんの薬を貰って、ちょっと買い物して、
昼過ぎに町を出たのですが、山道の入口で権太と道連れになりました。
権太は焼酎を飲んでいない時は無口で大人しい男でしたから、
私は心配せずに一緒に村へ帰る事にしました。蒸し暑いひでした。

一つ目の峠の上で一服する事にしたのですが、私が腰を下ろした直ぐ横で、
権太が立ち小便を始めました。ふと横を見ると、権太はヘノコを片手で握って
小便をしています。男の人は普通、二本の指で摘んでするのものですが、
権太は片手で握っています。それが真っ黒くていやに長くって、
権太の大きな掌で握ってもまだ先の方が大分残っています。

私はつい二、三日前、近所のおッ母ァたちが四、五人私の家へ集まって、
お茶のみ話をした時の事を思い出しました。男衆の色話も露骨でしょうが、
おッ母ァ達の色話はもっと露骨です。お父の道具の自慢話から間男の体験談まで出て、
話が権太の事に成りました。
利尻の女13-3
「そんでもなァおめえ等、取れなくなっから権太とだけァ、へっぺすんなよ」
「なんで取れなくなるんだべ?」
「そりゃおめえ、犬とおンなじで、子宮(こつぼ)の中でヘノコの先がでっかくなるからよオ!」
「いや違うとよオー。オラ聞いたのア、キンタマがヘノコの先さ下りていって、
 それが子宮さ挟まるから抜けなくなるって話だ」
「どっちでもええけどよオー、兎も角権太とやったら犬と一緒で、一時間も二時間も
 嵌ったまンまで、その間何遍でもビクッビクッて気ィやるから、童だって、
 何人も孕まされてしまうそうだど」
「ありゃァー、そったらに何遍も気ィ遣られたら、女の方も気持ええべなァー」
「へへへ・・・、おめえ、遣りたくなったんだべ?このドスケベ!」
どうせ冗談話ですから後は大笑いになったのですが、私には興味のある話しでした。

権太が小便を済ませて私の横へ腰を下ろすと、私は村の人が何時も遣るように、
ちょつと権太をからかって見たくなりました。
「なァ権太、おめえ嫁さんもいねえのに、そったらでっかい道具持って困るべ?
 村の人が言ってるように、我慢できなくなったらハンボとやってるのか?」
権太は黙っています。
「どうだ、たまにァ若い女とやりたいべ。オラでよかったら貸してやるど、ウフフフ・・・」
私は本当に冗談の積もりでした。ですが、いきなり権太が抱きついてきました。
獣じみた体臭で、私は息が詰まりました。

必死に逆らうと、権太は私の両足首を掴んで其の侭立ち上がりました。小柄な私は
逆さ吊りにされて、町へ出るのでお洒落をしてモンペも穿いていませんでしたから、
たちまち着物の裾が臍までまくれ下半身を裸にされてしまいました。
いえ、そんな格好にされて恥ずかしいよりも、頭に血が下がって苦しくて、
私はじきに「止めれ!やらせる、止めれ!」と叫んでしまいました。

権太はやっと私を地面に下ろしました。こうなったらもう遣らせるより仕方がありません。
私は藪の陰に権太を誘うと、草の上に風呂敷を広げて仰向けに寝ました。

ところで、これはずーつと後の事ですが、一人になった私は小料理屋の女中をしたり、
酌婦をしたりして、いろいろな男を相手にしましたが、この権太に遣らせた時くらい、
男の道具を持て余したことはありません。

いくら馬並みだとかバケモノみたいだとか言っても、人間の男のモノなら、
その気になれば女の体はなんとかなる様に出来ています。
ですが、太いばかりか丈の方も人並み外れて長いとなると、是ばかりは始末に困ります。
権太のモノがそれでした。丸太ン棒みたいなモノを両手で握って、口に含んで唾を
たっぷり着けてなんとか私の中に咥え入れて、息が詰まるほど奥まで迎え入れたのに、
まだ一握りも根元が残っていて、私はこれで滅茶苦茶に遣られたら殺されると思いました。
  1. あの日あの頃
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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