男の器とチンポのデカさ。其の一
~煙草屋の出戻り~
不況もこれだけ長引くと、不況という気がしなくなってくる。これが当然なのだと言う気分
とでも言えばいいだろうか。もっとも私は、あまり不況を肌で感じたことは無い。
幸いなことに、仕事は滞ることもなくそこそこ動いているし、それに、時代錯誤の考え方
だとは思うものの、裸一貫で身を起こして以来、儲かるということの方がむしろ異常、
身の程に過ぎた収入は、得られる事の方が変だという考え方が身に染みてしまってる
せいもあるだろう。
そう、商売を始めた頃に少し戻ったと思えばいいのだ。
確かにその後、バブルの時期にはかなりの額の金に触れたりもしたが、
それが当たり前だとは思わなかったし、今にそんな景気は破綻すると思っていた。
“初心忘れるべからず”そんな古臭い考え方が、あのバブル崩壊以降も
私や家族を救ったともいえるのだ。
そんな私には、こういう状況下で苦境とまでは言えないが、少々緊張さが必要に成り、
商売を始めた頃の初心を思い出さねばと思う状況下になる度に、
ワンセットで思い出すことがある。
もう五十年以上も前の事に成る。其の頃、私はちょつとしたワルだった。
誰にでもある若気の至り、と言うには少々派手で目立ちすぎた様に思う。
言い訳になってしまうが、所謂家庭の事情というのがあった。
父親は自営業だったが、商才がないためにうだつが上がらず、その鬱憤を夜毎、
私や母にぶつける事で晴らしていた。小学生の頃は、なぜ父があれほどに
荒れるかが分からなかった。母親はただ、耐えていた。後で、
「お父さんの気持ちも分かってしまうの、分かってしまうから何もいえなかったの」
と言っていた。
中学に上がる頃に成って、ようやく父が荒れる事情も分かってきた。
私は父が情けないと思った。家に帰ってきて抵抗できない家族にあたるだけの
器量しかないから、商売仇に取り残されるのだと思った。
そんな父の言いなりに成っている母も疎ましかった。勿論、小遣いなど貰える筈も無い。
そして私は万引きをしたり喝上げをしたりという、お決まりの道へ走っていったのだ。
私の住んでいたのは、地方の小さな町だった。
それだけに、私の素行の悪さはすぐに周囲に知れ渡った。
『後ろ指さされる』という言葉が有るが、
其れを私は、はっきりと肌で感じていたものだ。
私が通りかかると、女性も大人も道をあける。そして私を避けておきながら、
私が通り過ぎると、まさに私を指さしてひそひそと悪い噂をするのだつた。
時には聞こえよがしに言う者もいた。だが、私にも意地があったから、
それを振り返って殴りつけるなどと言う真似はしなかった。
それをやったら、父と同じに成ってしまうと思っていたからだ。
体がそこそこ大きくなった事もあって、中学一年で悪の道に踏み込んだ私は、
二年の時にはいっぱしの“顔”になっていた。
近在にある別の中学校の不良達との、抗争じみた喧嘩もかなりあった。
そういう生活になると、自然と学校に顔を出すこと自体が億劫になってくる。
そして私と其の仲間は、昼間から近くの神社の裏階段にたむろして、
煙草を吸ったり、あれこれとくだらない話をして過ごすように成っていた。
不良たちの興味の焦点は、やはり女だった。
けれども悪名を響かせ過ぎたのだろうか、私達には、寄って来る女は居なかった。
尤も、いたとしても、同年代の女は拒んでいたかもしれない。
私達は、化粧っ気もない幼い中学生たち(自分達も中学生なのだが)を、
ガキだと思っていた。
無視されることを「女として一人前になってない奴は、だから駄目なんだよな」
などと悔し紛れに揶揄しながら、胸も尻もまだぺちゃんこで、色気のない
同級生の女達をあざ笑っていた。
もっとも本音のところでは、彼女達には自分たちがとことん見合わないし、
似合わないということを感じて、隠しているところもないではなかった。
私達の憧れは、先輩達が進んだ高校や、就職した職場の大人の女達だった。
大人とは言え、何しろ相手も多くは未だ十代であった。けれでも十四歳そこそこの
少年には、十七歳の少女も十分に大人びて見えたものだ。そして彼女達も、
そう振る舞っていた。私達が声をかけても、ツンと澄ました素振りで、
「十年早いわ、坊や」ぐらいの言葉を返してきたものだ。
尤も、私達が声を掛けられた女というのは、先輩の女だったりするわけだから、
当然といえば当然であったが・・・。
無論、いわば“カタギ”の女達は、私達が近付くだけでも逃げたものだから、
それ以外の女に声をかけようもなかったのではあるが。
そんな頃、一人の仲間がついに筆下ろしを済ませたと自慢げに言ったのだ。
「相手は、煙草屋のよう、出戻りだぜ」
そいつは高級そうな洋モクを、如何にも美味そうに吹かしながら、言った。
その洋モクが、煙草屋の女か貰った物だと言う事を、
誇示するかのような態度だった。
“煙草屋の出戻り”彼女は、私達の間では、ちょっとした存在ではあった。
綺麗な女だった。だが石女だったという。十八歳の頃に一度嫁いだが、
二十五歳になる前に離婚し、実家に戻ったと言う事だった。
何しろ田舎町のことだから、その手の噂はすぐに広まる。
彼女は孕まない女として有名に成り、けれでも女としては魅力的なものだから、
彼女に声をかける男は後を絶たなかった。そして彼女は、そういう男達に決して
冷たい態度を取らないと言う噂もまた広まっていた。
つまり、誰とでもハメさせて呉れる尻軽女として、知れ渡って居たのだ。
彼女にとっては、それはとても残酷な仕打ちといえただろう。
それでも彼女は、いつも実家の煙草屋の店先に座っては、
曖味な笑顔を浮かべて商売をやっていた。
両親は諦めたということだろう、家が荒れているという噂は聞かなかった。
不況もこれだけ長引くと、不況という気がしなくなってくる。これが当然なのだと言う気分
とでも言えばいいだろうか。もっとも私は、あまり不況を肌で感じたことは無い。
幸いなことに、仕事は滞ることもなくそこそこ動いているし、それに、時代錯誤の考え方
だとは思うものの、裸一貫で身を起こして以来、儲かるということの方がむしろ異常、
身の程に過ぎた収入は、得られる事の方が変だという考え方が身に染みてしまってる
せいもあるだろう。
そう、商売を始めた頃に少し戻ったと思えばいいのだ。
確かにその後、バブルの時期にはかなりの額の金に触れたりもしたが、
それが当たり前だとは思わなかったし、今にそんな景気は破綻すると思っていた。
“初心忘れるべからず”そんな古臭い考え方が、あのバブル崩壊以降も
私や家族を救ったともいえるのだ。
そんな私には、こういう状況下で苦境とまでは言えないが、少々緊張さが必要に成り、
商売を始めた頃の初心を思い出さねばと思う状況下になる度に、
ワンセットで思い出すことがある。
もう五十年以上も前の事に成る。其の頃、私はちょつとしたワルだった。
誰にでもある若気の至り、と言うには少々派手で目立ちすぎた様に思う。
言い訳になってしまうが、所謂家庭の事情というのがあった。
父親は自営業だったが、商才がないためにうだつが上がらず、その鬱憤を夜毎、
私や母にぶつける事で晴らしていた。小学生の頃は、なぜ父があれほどに
荒れるかが分からなかった。母親はただ、耐えていた。後で、
「お父さんの気持ちも分かってしまうの、分かってしまうから何もいえなかったの」
と言っていた。
中学に上がる頃に成って、ようやく父が荒れる事情も分かってきた。
私は父が情けないと思った。家に帰ってきて抵抗できない家族にあたるだけの
器量しかないから、商売仇に取り残されるのだと思った。
そんな父の言いなりに成っている母も疎ましかった。勿論、小遣いなど貰える筈も無い。
そして私は万引きをしたり喝上げをしたりという、お決まりの道へ走っていったのだ。
私の住んでいたのは、地方の小さな町だった。
それだけに、私の素行の悪さはすぐに周囲に知れ渡った。
『後ろ指さされる』という言葉が有るが、
其れを私は、はっきりと肌で感じていたものだ。
私が通りかかると、女性も大人も道をあける。そして私を避けておきながら、
私が通り過ぎると、まさに私を指さしてひそひそと悪い噂をするのだつた。
時には聞こえよがしに言う者もいた。だが、私にも意地があったから、
それを振り返って殴りつけるなどと言う真似はしなかった。
それをやったら、父と同じに成ってしまうと思っていたからだ。
体がそこそこ大きくなった事もあって、中学一年で悪の道に踏み込んだ私は、
二年の時にはいっぱしの“顔”になっていた。
近在にある別の中学校の不良達との、抗争じみた喧嘩もかなりあった。
そういう生活になると、自然と学校に顔を出すこと自体が億劫になってくる。
そして私と其の仲間は、昼間から近くの神社の裏階段にたむろして、
煙草を吸ったり、あれこれとくだらない話をして過ごすように成っていた。
不良たちの興味の焦点は、やはり女だった。
けれども悪名を響かせ過ぎたのだろうか、私達には、寄って来る女は居なかった。
尤も、いたとしても、同年代の女は拒んでいたかもしれない。
私達は、化粧っ気もない幼い中学生たち(自分達も中学生なのだが)を、
ガキだと思っていた。
無視されることを「女として一人前になってない奴は、だから駄目なんだよな」
などと悔し紛れに揶揄しながら、胸も尻もまだぺちゃんこで、色気のない
同級生の女達をあざ笑っていた。
もっとも本音のところでは、彼女達には自分たちがとことん見合わないし、
似合わないということを感じて、隠しているところもないではなかった。
私達の憧れは、先輩達が進んだ高校や、就職した職場の大人の女達だった。
大人とは言え、何しろ相手も多くは未だ十代であった。けれでも十四歳そこそこの
少年には、十七歳の少女も十分に大人びて見えたものだ。そして彼女達も、
そう振る舞っていた。私達が声をかけても、ツンと澄ました素振りで、
「十年早いわ、坊や」ぐらいの言葉を返してきたものだ。
尤も、私達が声を掛けられた女というのは、先輩の女だったりするわけだから、
当然といえば当然であったが・・・。
無論、いわば“カタギ”の女達は、私達が近付くだけでも逃げたものだから、
それ以外の女に声をかけようもなかったのではあるが。
そんな頃、一人の仲間がついに筆下ろしを済ませたと自慢げに言ったのだ。
「相手は、煙草屋のよう、出戻りだぜ」
そいつは高級そうな洋モクを、如何にも美味そうに吹かしながら、言った。
その洋モクが、煙草屋の女か貰った物だと言う事を、
誇示するかのような態度だった。
“煙草屋の出戻り”彼女は、私達の間では、ちょっとした存在ではあった。
綺麗な女だった。だが石女だったという。十八歳の頃に一度嫁いだが、
二十五歳になる前に離婚し、実家に戻ったと言う事だった。
何しろ田舎町のことだから、その手の噂はすぐに広まる。
彼女は孕まない女として有名に成り、けれでも女としては魅力的なものだから、
彼女に声をかける男は後を絶たなかった。そして彼女は、そういう男達に決して
冷たい態度を取らないと言う噂もまた広まっていた。
つまり、誰とでもハメさせて呉れる尻軽女として、知れ渡って居たのだ。
彼女にとっては、それはとても残酷な仕打ちといえただろう。
それでも彼女は、いつも実家の煙草屋の店先に座っては、
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プロフィール
Author:アヤメ草
FC2ブログへようこそ!管理人の
アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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