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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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渡世で出会った女三人。其の一

◇レイプ寸前の美女◇
渡世で出会った女1-1
昭和39年は、いろんな事があった。まず東京オリンピックだ。
オリンピックが日本で開催されるのが、初めてと言う事も有って、日本中が五輪一色。
終わってみれば金が16、銀が5、銅が8とメダルラッシュであった。

最高に盛り上がったのは、“東洋の魔女”と言われた日本の女子バレーが、
宿敵ソ連を倒したときだった。ソ連と言う国が如何しても好きに成れなかった事もあって、
この時が一番嬉しかった。

オヤジがシベリアに抑留されて苦労したんだろう、痛ましいオヤジの死に様を思い出すにつけ、
ロシアが益々嫌いに成った。
オリンピックの影に隠れてしまったが、競馬のシンザンがセントライト以来、
二十三年振りに三冠王を達成したのも、この年だった。

競馬は損してばかりだけど、この年だけは儲かった。
深山なのか神山なのか知らないけど、シンザンという名前が気に入って、
皐月賞、ダービー、菊花賞は、全部シンザンの単勝を買ったのだ。

今でも覚えている、
皐月賞がニ百七十円、ダービーが二百十円、菊花賞が二百二十円だった。
まだガキだったから、たいして買ってはいなかったけど、それでも彼是十万円は儲かった。
地下鉄の初乗りが二十五円の時代だから、当分豪気に遊べた。

殆どの人は忘れただろうけど、この年東京の渇水はひどかった。
夏の盛りだったとおもうけど、一日十五時間も断水したことがあった。
バケツ一杯の水が二百円で飛ぶように売れた。

仲間のトラックを総動員して、利根川の奥からトンボ帰りで水を運んだ。
売れるのは売れたけど、儲けは大した事なかった。

“東京砂漠”という言葉が聞かれない日は無かった位、この年の日照りはひどかった。
前川清の『東京砂漠』と言う歌が流行ったのはだいぶ後だったけど、
題名を聞いただけで、当時のことが思い出された。
 
渡世で出会った女1-2
どうして昭和39年の事を、こんなに良く覚えているかと言うと、
この年にカミさんの令子と出会ったんだ。のろける訳じゃないけど、
だれだってカミさんとの、最初の出会いは覚えているだろうよ。

当時オレは20歳だった。カミさかは21歳、一つ年上の女房は、
金のワラジを履いてでも探せと言うけれど、その時は、そうは思わなかった。
変な女に引っ掛かったと言うのが実感だった。さんざん女遊びをした上で、
若くて可愛い女と所帯を持つのが、若い頃の夢だったのだ。

オフクロに言わせれば、オレは最初で最後の一発だったと言うけれど、
オヤジとオフクロが結婚したのが昭和19年。結婚して十日目に召集令状が来て、
丙種合格だったオヤジまでが戦争に駆り出されて、連れて行かれたところが満州。
一度も鉄砲を撃たないうちに終戦、そしてシベリア行きだ。
まったくオヤジの人生はツキがなかった。

オヤジは昭和23年の夏に復員してきたが、もともと体が弱いところへ、
シベリアでの無理がたたって、帰る早々寝込んでしまって、
一度も元気に成らない侭死んでしまった。

オフクロの言うとおり、最初で最後の一発だったのかもしれない。
オレにしたってオヤジに抱かれた覚えがないからな。

一人っ子で、オフクロに甘やかされて育ったせいか、オレは我が儘でやりたいほうだい。
腕っ節が強かった事もあって、高校生の頃から町のアンチャンたちに睨みを利かせていた。

高校二年の時ケンカで相手を刺して、警察ザタになって退学。
それからは落ちるのは早かった。もっとも自分じゃ落ちたとは思っていないけどね、
よくケンカはした。女も泣かせたけど、誰よりもオフクロを泣かせてしまった。

オフクロは豪胆な女で、オレが少々の事をした位では驚かなかったが、
さすがに是ではいけないと思ったらしく、オレを遠縁にあたる、オジキに預けた。
オジキの商売がテキヤだった事から、オレも自然に、この道に入ったと言うわけだ。

テキヤを今風に判りやすく言えば、祭りや縁日、盆踊りの時などに、
広場や露地に店をだしている商売人、いわゆる露天商の事だ。
渡世で出会った女1-3
令子と最初に出会ったのは盆踊りの夜だった。夜も更けて、踊り疲れた人たちが
三々五々と引き揚げて、オレたちも店仕舞いを始めた。
後始末は若い者の仕事だから、最後に成ったオレが皆の後を追いかけて、
ちょうど橋の上に差し掛かった時、川原の方から女の悲鳴が聞こえて来た。

見ると、男三人が一人の女をテゴメにしょうとしていた。今風に言えばレイプだ。
昔は盆踊りの晩にはよくあったことで、オレも見ぬ振りをして通り過ぎようとしたが、
あんまり女の声が哀しそうだったので、棍棒片手に川原に下りていった。

女は素っ裸にされて、まさにヤラれる寸前だった。男達はオレが一人なので、
簡単にやっつけられるとおもったのか、いきなり飛び掛ってきたが、
愚連隊ではいっぱしの兄貴分だったオレに、素人のオニイさんが敵う筈がない。
たちまち三人を叩きのめしてしまった。

その後が傑作なんだ。オレがやっちまったんだよ・・・その女を。
男三人には死に物狂いで抵抗した女が、オレにはあっさりヤラセたのだ。
さすがにオレも女も照れくさかったよ。しかしヤッタ後も、女はオレから離れようとしないんだ。
オレも調子に乗って、二発、三発とヤッタ。しかしヤリ乍、是は大変な事に成ったと思った。

というのは土地のネス(素人)のナオ(女)に手を付けるのは、この社会では絶対のタブー。
このことはヅカサキ、つまり盃を貰ったとき(子分になったとき)きっちりと言い渡される。
素人女に手を出すのが、固く禁じられていた代わりに、トロンコ(女郎買い)は天下公認。

テキヤの社会は、典型的な縦社会。親分が「カラスは白い」と言えば、下の者は、
「はい、さようでございます。カラスは白うございます」
と答えなければ成らないほどの縦社会。親分の命令は絶対なのだ。

いってみれば、まだ見習いに過ぎない若者が、社会の掟、親分の命令を
犯したのだから、どうなることか。その時の女が令子、今のカミさんなんだ。
「あたしはレイプされたんじゃないよ。アンタが気に入ったからヤラセたのさ」
今はもう口にすることも無くなったけれど。一緒になった当初は、其の話になるとカミさんは
ムキになって、そう言ったものだ。アライ(処女)だったと言うんだけど、
こいつばかりは信じるほか無い。

すべてが終わってから町外れまで、女を送っていったけど、何も言わないで
手も握らないでアバヨ。オレは後腐れが無いようにと祈った。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
  1. あの日あの頃
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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