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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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渡世で出会った女三人。其のニ

◇テキヤの世界◇
渡世で出会った女2-1
一月ばかり経ったある日、別の町に移動する汽車の中で、
オジキがオレに用があるという。呼び出されて、別のハコ(車両)に行くと、
オジキと親分とが並んでいた。その前に一人の女が俯いて座っていた。

「オマエ、このお嬢さんに見覚えあるか」
見覚えがあるもないも、あの時の女なのだ。
「ヘィ・・・」
女はさすがに表情は固かったけど、それでもしっかりとした目でオレを睨んだ。
オレはビビッた。
驚いたことに女は宮司の娘、あの町の八幡様の宮司の一人娘だと言うじゃないか。
ますますビビッた。心底ヤバイと思った。

詳しい事は知らないが、オレが盃を貰った頃のテキヤの団体は、
“昭和神農実業組合”といった。オレたちの神様は、神農、つまり農業の神様、
広いいみでの作物の神様なのだ。今はそんなことはしなくなったけど、
昔は親分と子分の盃を交わす時は、神農の掛け物を飾った床の間の前に、
一家の者が方形に並んで執り行われたものだった。
そのとき親分の口から決まってカラスの例えが出たものだ。

神農は日本の神様ではなく、中国の神様だと聞かされたこともあるが、
いや神武天皇だとか天照天皇だとかいう人もいて、其の辺りはハッキリしない。

昔は縁日や市は、決まって神社や寺の境内にたった。
そんな事も有って、オレたちテキヤには八幡様であれ、天神様であれ、
神様は絶対的存在だった。
よりによって八幡様の宮司の娘に手を付けたのだから無事な訳が無い。

「オマエのどこが気に入ったのか、このお嬢さんは、
 オマエと一緒に成るとおっしゃるのだ・・・」
「・・・」
「オマエも身に覚えがあるだろう・・・」
身に覚えがあるどころか、おおありだ。
「取りあえずは、オレがお嬢さんを預かる事に成った。折を見て、祝言を挙げることにする」

まいった。親分の言葉は、親の言葉より重たいのがこの社会。
大きな臼が、空からドカンと落ちてきたようなものだった。
 
渡世で出会った女2-2
カミさんはオレが鶴田浩二か高倉健に見えたと言うんだ。
今、その話になると、
「お母さんは目が悪かったのよ」
と言って娘たちは笑うけど、いや冗談ではなく、その頃はオレも良い男だった。

テキヤというのは、ああ見えても案外女には持てるんだ。
近頃はテキヤは香具師と書く事とが多いけれど、昔は的屋と書いたもんだ。
露天商人には、オレたちのようなテキヤとサンズン(三寸)とがあった。
テキヤは、コロビとも言って、ヤクザとたいして変わりはなかった。
サンズンは、まっとうな商いをしている人たちの総称で、
価格の三割が利益というものが相場だった。

しかしテキヤは、原価の三倍、四倍もの値段でドジな客に売りつける。
買うほうがバカで、どれだけ高く売るかは売る側の腕とされていた。
オレはヤクザに近いほうのテキヤ。

オレの経歴を言えば、愚連隊上がりのテキヤと言う所か。
余りホメられたもんじゃないが、今は堅気だ。
誤解の無いように言っておくが、今の露天商は、殆どが堅気、昔で言うサンズンさ。

テキヤは市を転々として、全国をビタ(旅)する。新しい土地に来たら、
土地の親分に挨拶してミセワリ(店割り)とネタ(商品)を分けてもらう。

普通の縁日はラビ(平日)といって、ミセワリも簡単だったが、
高市とか大高市となると、売れる場所と売れない場所とがあるから、
ミセワリを巡ってケンカに成ることも珍しくなかった。

大高市というのは、その土地でも有名な神社の春秋の祭りとか、
寺の縁日で人出も大勢あり、テキヤにとっては稼ぎ時だった。
ほかの出来高市と言うのがあって、これは臨時。
これらの市を仕切る親分衆の威光は全国に知れ渡り、
大親分、名親分と言われた人たちが大勢いた。
渡世で出会った女2-3
あれは信州のある神社の秋祭りの事だった。二日間の祭りが無事終わって、
若い者同士が、ドヤ(宿)で酒を飲んで騒いでいたところに、
サクラさんが現われた。すると座は水を打った様に静かになった。

「いいんだよ。今夜は無礼講だよ。たんとヨロク(儲け)が有ったんだろう、
 景気良くやっておくれよ」
クラさんは、この祭りを仕切るA一家のアネゴ、A親分のカミさんだ。
カミさんと言っても女房じゃない。A親分はコッチの方では鳴らしたお方で、
何人もの愛人がいた。数いるオメカケさんの中で、
親分が最も可愛がっていたのがサクラさん。

よる年波には勝てないのか、親分もここ数年、一家の仕切りをサクラさんに任せていた。
サクラさんは、いわばA一家の女親分。祭りのミセワリをやったのもサクラさんだ。
「あんたがタカモクさんちの若い衆かい」
と言って、サクラさんがオレの前に座った。タカモクとはウチの親分の屋号だ。

「まあ、一杯おやりよ」
と言って、サクラさんは、オレの盃になみなみと酒を注いだ。
アネゴと言われている人が、ほかの組の若い者に酒を注ぐなんて言うのは
滅多にあるもんじゃない。
「ヘィ、ありがたくお受けしやす」
みんなの視線がオレに集まった。

そのころのサクラさんは、年のころなら三十七、八。
親分の代わりに外を出回っているせいか、色は黒いが所謂小股の切れたいい女、
我々の隠語ではハグイナゴ。
「さあ、ワタシにも注いどくれ」
差し出された盃にオレは酒を注ぎ返事した。
手にした銚子が奮えそうに成るのを、懸命に我慢したのを今も覚えている。

「ところでタカイチさんには、滅多に無い特技があるそうじゃないか。
 そいつをワタシにも見せておくれよ」
タカモク一家のカズユキ(一行がオレの本名)と言うことで、
みんなはオレの事をタカイチ(一)と呼んでいた。
  1. あの日あの頃
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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