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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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高度成長時代の最中に。其の五

神流川砕石場での出会い。
◇未亡人裕子◇
高度成長時代の最中に5-1
「なあ、こんなばかな事は止め様よ」
高根は私に言った。
「叔母は良い気分なんだよ、色男のお前にあんな事を言われて、
 悪い気分のはずはねえ、俺が切っ掛けを作るから、
 もたもたしねえで、やるんだで」
私は既にパジャマ姿だった。

高根には、どうせ今夜はここに泊るんだから楽にしろよと、
ネルの浴衣式の寝間着に着替えさせた。
そのうち叔母は何も無いけど、などと言いながらスルメを炙って
マヨネーズをつけて持って来た。少し足元が危うい位に飲んでいた。

私は目配せをしてもっと先に進めと指示をした。
彼はゆっくりと白い太腿を開き脚を伸ばし、タオルで拭いながら
割れ目に舌を差し込んで愛撫を始めた。
私は乳を揉んだりねちっこく口づけをしていた。

ぶるふるっと震えて、叔母は早くも行き着いたらしく、私にしがみ付いて息を詰め、
割れ目に吸い付いている高根の身体を下腹で、グイグイと押し上げていた。

その後は説明するまでも無く、高根は自慢の反り返った魔羅を、
叔母豊子のオマンコに深々と嵌めて、緩急自在に抽送を続けていたし、
叔母は私の魔羅を喉に詰まらせながら、若い二人の男に蹂躙されて、
獣の様な快感の声をあげていた。

高根が大量の精液を豊子の腹の中に噴射したあとで、
私が何時もの通り抜き挿しをしていると、彼女の手が何かを求めて宙を舞っていた。
高根は未だ芯のない魔羅を彼女の口に宛がった。
「なあ、おばちゃん。高根の魔羅は凄いだろう。また、何時でも遣らせてくれいな」
彼女は虚ろな目を開けて、うんうんとうなずいていた。

私は慣れた叔母の身体に、二度目は勃起しなかったが、
高根は口の中で勢いを取り戻して、二度目の挿入を果たしていた。

私はきりもなく舐めずり合っている二人の横で、ぐっすりと眠ってしまった。

高根にはこの現場が終るまで、
私の助手として叔母の際限もない欲情の相手をしてもらった。

叔父には失敗だったと報告をして、高根を小夜子に振り向ける提案をしたのだった。
叔父は若い小夜子に私以外の若い男を掛けるのには躊躇していたが、
その前に私は小夜子に耳打ちして内諾を取ってあった。

「小夜ちゃん、おれの友達を紹介すらあ。叔父貴も良いって言ってるから」
叔父の前で深く嵌りあいながら、言ってしまった。
叔父も正面切って反対も出来ず、うやむやな承諾をした。
 
高度成長時代の最中に5-2
男三人に女一人の組み合わせは、中々面白かった。
小夜子はアナルセックスなどする間がなかった。
休日の前の晩は叔父に誘われなくとも、高根と二人で小夜子のところに通い
平日の夜は私の離れの部屋で叔母と3Pに励んだ。

結局、叔父は居場所が無くなった状態になって、
妾宅に高根の出入りを禁ずる外なくなったのだった。

それでも小夜子を昼間誘い出して、現場をサボった高根と三人で
モーテルでしたい放題をしつくした。
私はその頃には一対一の性交は物足りなかった。
叔母も必ず高根を加えた3Pでないと不満そうだった。

しかし、若い私や高根にも年輩者のオマンコには飽きが来ていたが、
女は3Pの快楽の味を覚えると忘れられなく成るらしく、
叔母も小夜子もそう言っていた。

一人が吐精しても直ぐに代わりの男が逞しく抽送して呉れるし、空いた口には
常に男のモノを咥えていられる。叔母にもアナルの味を覚えさせて、
難しい前後からの挿入の快感を味わわせてやった。

人間の欲情は限り無いもので、事に性行為は際限も無く色々な形に
発展するものだと言う事を勉強させてもらった。

私も高根も愛情の伴わない性欲だけの関係には、 直ぐに飽きていたが、
叔母も小夜子も一向に飽きる気配は無かった。
女の欲情の深さにはタジタジだった。

性欲には限度がない事を裏付けるように、私と高根に飽きが見られると、
叔母はいち早く私達を引き付けておく算段をしていたのだった。
その頃、叔母は叔父とは家庭内離婚のような形で生活しており、
叔父は愛人宅で暮らしている日が多かった。
私は時々は叔父の誘いがなくても小夜子を訪問して、
彼女の気の済むまでオマンコをしていた。

できるだけ叔父の留守を狙って小夜子の家に行ったのは、
叔父への裏切りではなく思いやりの積りだった。精力の衰えは隠せず、
でたらめな3P・4Pなどの不自然な性行為が益々彼の体力気力を衰えさせたと思う。
高度成長時代の最中に5-3
精力の衰えた叔父の居ない町の妾宅での行為は、
後ろめたさを感じて私の気分も萎えさせた。
次第に脚が遠退くのも自然のことだった。
女は逞しい、私の参入をきっかけに小夜子も外に目を向けて、
経営していた洋品店を根城にして新しい刺激を求めて、
新しいグループを作っていたらしく、誘われることもある。

叔母は若いときから江戸千家の茶の湯の教室を持っていて、
それほど多い弟子ではないが自宅で稽古をしていた。
其の中で、白羽の矢を立てたのは、建設会社の家付き娘の未亡人裕子だった。
まだ40歳になったばりの中々の美人で、子供は居なかった。
時代は高度成長時代の真っ最中だったから、
婿の社長を事故で亡くしても、商売に差し支えなく順調に行っていたようだ。

茶道教室は昼間のことなので、私は生徒の女達に顔を合わす事は殆ど無く、
全く無関係で過ごしていた。だから裕子にも会った事はなかった。
叔母は彼女を餌にして、飽きの見える私と高根を引き付けようとしていたのだった。

珍しく叔母が私と高根を誘って、町の飲み屋に連れて行ってくれた。
そこは、裕子の会社が接待などに使っている、その町としては一流の店だった。
高根に裕子を紹介するという名目だったと思う。

其の頃では叔母のお気に入りは高根で、私と裕子がダンスをしたり、
おしゃべりをしたりして裕子の相手をさせられる結果になった。
裕子にとっては当時私の仕事を請け負っていたゼネコンのK組とコネが出来れば、
地方業者としては有利で有る事は間違いないことだったから、
叔母の誘いに乗ってみたのだと思う。

見たところでは未亡人の裕子には淫乱な雰囲気はなく、清潔そうなインテリ女性だった。
160センチという躰はすっきりとしていて、ハイヒールをはいた彼女はかなりの長身に見えた。
顔と雰囲気は一口で言えば、司葉子のタイプだったと記憶している。

これほどの女性が我々のようながさつな男と乱交などするはずもないと、
多少がっかりしていた。
  1. 若き日の性欲
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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