波乱の夫婦生活。其の一
例え“おしどり夫婦”と言われていようが、どんな夫婦にも一度や二度は
危機に見舞われた事があるはずだ。夫の浮気、嫁姑関係、金銭トラブル・・・
夫婦には、そんな問題が次から次へと襲い掛かり関係をぎくしゃくさせる。
しかし“雨降って地固まる”の例え通り、問題が解決する度に絆は強くなるのである。
どんなトラブルも過ぎ去れば楽しい思い出。夫婦たるもの最後まで連れ添うことで、
すべて良い思い出として、素晴らしい人生だったと言いたいものである。
◇おしどり夫婦の修羅場◇
現天皇陛下ご夫妻は昨年ご成婚50周年を迎えられました。
同じ時代を生きてきた夫は、二年前に脳梗塞で七十四年の生涯を閉じました。
先日、夫の三回忌を済ませましたが、悲しみは癒えるどころか、益々深くなるようです。
長年、人生を共にしてきた夫と私のあいだには、切っても切れない絆が存在していました。
私達は、強い愛情と慈愛で結ばれた関係でした。
私と夫は、それはお互い思いやり深く年寄りの二人暮らしを楽しんできました。
そんな夫を突然、亡くして、私はしばらく放心状態でした。
年齢が年齢だったので、私達はお互いある程度覚悟をしてきた積もりでした。
けれど、いざ伴侶を亡くしてみると、その喪失感には計り知れないものがありました。
それでも、ようやく不幸から三年近くが経つと、私もどうにか落ち着きを取り戻してきました。
それと同時に、私も何時かあの世へ召されるか判らない身である事を覚悟しなくてはいけない、
と自覚している昨今でした。そんなある日の事、私はふと思い立って、
「そうだわ。私の人生を文章にしてみたらどうかしら」
と、ペンを持つ気になったのです。何時までも亡夫を想って、めそめそしていてばかりでは
惚けてしまうかもしれない、という恐怖もありました。
どうせ亡夫との思い出に耽るなら、頭の中ではなく白い紙の上にしてみようと思いました。
そうして、私と夫の過ぎ去りし夫婦の歴史をしたためる事にしたのです。
どうか、感傷的な年寄りの思い出話と思って読んでやって下さい。拙い文章ですが、
私と夫の山あり谷ありの人生を聞いていただければ、幸いです。
自分で申すのも面はゆいのですが、私と夫は近所でも評判のおしどり夫婦でした。
夫の生前は、年を取ってもあんな風に夫婦、仲良くしていられるのは理想、と周囲から、
それは羨ましがられたものでした。しかし、過去の内情はかなりちがっていました。
今まで他人様に話した事はありませんでしたが、仲睦まじく見えていた私と夫にも、
過去にはそれは色々な事があったのです。“おしどり夫婦”と言う称号には似つかわしくない、
修羅場をくぐったことさえ、一度や二度ではありませんでした。
一見、何の憂いもなさそうに見える私達だったかもしれません。
しかし、実際にはとても順風満帆とは言えない人生を歩んできたのです。
この五十年の間に、様々な困難が嵐のごとく私たちに襲いかかりましたた。
とても数え切れるものではありません。
晩年の亡夫しかしらない人には信じられない事かも知れませんが、
壮年時代の彼はそれは放蕩者でした。いわゆる“英雄色を好む”の譬えでは有りませんが、
亡夫・藤村忠志は仕事も出来るが色の道にかけても並大抵ではなかったのです。
それはそれは何回。亡夫の女遊びで泣かされた事か知れません。
亡夫の壮年期は、浮気の連続で成り立っていたといっても過言ではないでしょう。
その波乱万丈の壮年期については、後ほどゆっくり頁を割きたいと存じます。
とりあえず、まずは私と夫の出会いから書かせていただきます。
私が女学校を卒業したのは昭和33年、西暦1958年でした。
ちょっと調べてみますとこの年は色々なものが世の中に登場したり
出来事があってとても興味深い年です。
昭和33年は、岩戸景気と呼ばれるものが始まった年で、
たとえば物価はこんな値段でした。封書10円 はがき5円 バス15円 ふろ代16円
理髪料金150円 大卒の初任給1万3467円。
そしてその頃の平均寿命は男性65歳、女性69.6歳と現在に比べてかなり短いもので。
テレビはまだまだ高嶺の花でこの年、ようやく100万台を突破し、その普及率は10.4%。
当時最大の関心事は「ミッチーブーム」と呼ばれるもので、
民間から出た初めての皇太子妃、正田美智子様の話題が新聞を賑わしておりました。
ブームといえば、「ロカビリーブーム」「栃若ブーム」「力道山ブーム」
なども昭和33年が絶頂期だったようで。さらにこの頃、林家こぶ平の父親、
林家三平が 「どうもすいません」とお茶の間にお笑いを届けていました。
そして長嶋がデビューする。。。あのミスターが巨人軍に入団したのが、
昭和33年の2月16日でした。
危機に見舞われた事があるはずだ。夫の浮気、嫁姑関係、金銭トラブル・・・
夫婦には、そんな問題が次から次へと襲い掛かり関係をぎくしゃくさせる。
しかし“雨降って地固まる”の例え通り、問題が解決する度に絆は強くなるのである。
どんなトラブルも過ぎ去れば楽しい思い出。夫婦たるもの最後まで連れ添うことで、
すべて良い思い出として、素晴らしい人生だったと言いたいものである。
◇おしどり夫婦の修羅場◇
現天皇陛下ご夫妻は昨年ご成婚50周年を迎えられました。
同じ時代を生きてきた夫は、二年前に脳梗塞で七十四年の生涯を閉じました。
先日、夫の三回忌を済ませましたが、悲しみは癒えるどころか、益々深くなるようです。
長年、人生を共にしてきた夫と私のあいだには、切っても切れない絆が存在していました。
私達は、強い愛情と慈愛で結ばれた関係でした。
私と夫は、それはお互い思いやり深く年寄りの二人暮らしを楽しんできました。
そんな夫を突然、亡くして、私はしばらく放心状態でした。
年齢が年齢だったので、私達はお互いある程度覚悟をしてきた積もりでした。
けれど、いざ伴侶を亡くしてみると、その喪失感には計り知れないものがありました。
それでも、ようやく不幸から三年近くが経つと、私もどうにか落ち着きを取り戻してきました。
それと同時に、私も何時かあの世へ召されるか判らない身である事を覚悟しなくてはいけない、
と自覚している昨今でした。そんなある日の事、私はふと思い立って、
「そうだわ。私の人生を文章にしてみたらどうかしら」
と、ペンを持つ気になったのです。何時までも亡夫を想って、めそめそしていてばかりでは
惚けてしまうかもしれない、という恐怖もありました。
どうせ亡夫との思い出に耽るなら、頭の中ではなく白い紙の上にしてみようと思いました。
そうして、私と夫の過ぎ去りし夫婦の歴史をしたためる事にしたのです。
どうか、感傷的な年寄りの思い出話と思って読んでやって下さい。拙い文章ですが、
私と夫の山あり谷ありの人生を聞いていただければ、幸いです。
自分で申すのも面はゆいのですが、私と夫は近所でも評判のおしどり夫婦でした。
夫の生前は、年を取ってもあんな風に夫婦、仲良くしていられるのは理想、と周囲から、
それは羨ましがられたものでした。しかし、過去の内情はかなりちがっていました。
今まで他人様に話した事はありませんでしたが、仲睦まじく見えていた私と夫にも、
過去にはそれは色々な事があったのです。“おしどり夫婦”と言う称号には似つかわしくない、
修羅場をくぐったことさえ、一度や二度ではありませんでした。
一見、何の憂いもなさそうに見える私達だったかもしれません。
しかし、実際にはとても順風満帆とは言えない人生を歩んできたのです。
この五十年の間に、様々な困難が嵐のごとく私たちに襲いかかりましたた。
とても数え切れるものではありません。
晩年の亡夫しかしらない人には信じられない事かも知れませんが、
壮年時代の彼はそれは放蕩者でした。いわゆる“英雄色を好む”の譬えでは有りませんが、
亡夫・藤村忠志は仕事も出来るが色の道にかけても並大抵ではなかったのです。
それはそれは何回。亡夫の女遊びで泣かされた事か知れません。
亡夫の壮年期は、浮気の連続で成り立っていたといっても過言ではないでしょう。
その波乱万丈の壮年期については、後ほどゆっくり頁を割きたいと存じます。
とりあえず、まずは私と夫の出会いから書かせていただきます。
私が女学校を卒業したのは昭和33年、西暦1958年でした。
ちょっと調べてみますとこの年は色々なものが世の中に登場したり
出来事があってとても興味深い年です。
昭和33年は、岩戸景気と呼ばれるものが始まった年で、
たとえば物価はこんな値段でした。封書10円 はがき5円 バス15円 ふろ代16円
理髪料金150円 大卒の初任給1万3467円。
そしてその頃の平均寿命は男性65歳、女性69.6歳と現在に比べてかなり短いもので。
テレビはまだまだ高嶺の花でこの年、ようやく100万台を突破し、その普及率は10.4%。
当時最大の関心事は「ミッチーブーム」と呼ばれるもので、
民間から出た初めての皇太子妃、正田美智子様の話題が新聞を賑わしておりました。
ブームといえば、「ロカビリーブーム」「栃若ブーム」「力道山ブーム」
なども昭和33年が絶頂期だったようで。さらにこの頃、林家こぶ平の父親、
林家三平が 「どうもすいません」とお茶の間にお笑いを届けていました。
そして長嶋がデビューする。。。あのミスターが巨人軍に入団したのが、
昭和33年の2月16日でした。
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プロフィール
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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