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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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乙女の心遣い。其の一

~私の少年期~
乙女の心遣い01
昭和33年中学を卒業した私は、大阪へ出て小さな町工場に就職しました。
故郷は、奈良県に近い三重県の名張と言うところです。
今でこそ、新興住宅地となり、大阪への通勤圏内にもなっていますが、
当時はまだまだ田舎そのものでした。

私は、名古屋に出ようか、大阪に出ようか迷いましたが、
結局、母親の進めもあって大阪に出ることにしました。母親は、
私を商人にしたかったので、まずは船場あたりに丁稚に出したかったようなのですが、
いかんせん丁稚では給金が安すぎるために断念せざるを得なくて、
それで少しでも多く仕送りの出来る工員の道を選んだのでした。

それでもそのうちに、
大阪に居れば商人になる道も開けるかも知れないと言う母親の言葉でした。
父親は、戦死こそ免れたものの、戦地での病が元で、結局、母と私とまだ
幼い妹二人を残して亡くなりました。私が中学一年生の時です。

私は小学生の高学年に成った時から、すでに新聞配達のアルバイトをしていました。
夏休みに成ると、鉱泉所と言うところでも毎日働きました。

同級生のなかには、高校進学は勿論、大学へ進む事も当然と言う者も居ましたが、
中学を終えただけで社会に出たのは私だけではないと言うより、
まだまだ、高校や大学へ行く方が、事に田舎だけに例外と言う時代でした。
しかし、せめてもの救いは、まだ中卒が、金の卵などと呼ばれていた事です

私は、何人かの同級生と共に、大阪行きの電車に乗りました。
多くの家族が見送りにきていましたが、私の母は仕事で来られず、
変わりに妹二人が来ていました。母は、日曜も働いていたからです。

私は長男として母を助けなければ成らないと想いました。
せめて妹達は私の稼ぎで高校にやってやろうと、
小さな手を必死で振る二人を車窓から見て思ったものです。
「兄ちゃん、がんばるからな」
そう小さく呟いたことを昨日の事のように思い出します。
 
乙女の心遣い02
大阪までは直ぐでした。母が、何時もより更に早く起きて作ってくれた握り飯の弁当を
ゆっくり食べる間もないほどでした。

上本町の駅には、工場の社長、工場長のオヤジさんが迎えに来て呉れていました。
同級生とはそこでお別れです。
それでも上阪して何年かは会っていましたが、一人抜け二人抜けして、何時しか
皆集まらなく成りました。最初の就職口を一年と持たず辞めた者も多かったようです。
田舎に戻って農家を継いだ者もいますが、継ぐものがある者は幸せです。

何時だったか、たまの休日に、フラリとパチンコ屋に入った時のことです。其の日も
例によって負けたので帰ろうとすると、ジャラジャラと皿に玉を入れてくれる者がいました。
「えっ?!」と思って見ると、たしかにどこかで見た顔。
しかし、その風体は、あきらかにヤクザ者でした。私が茫然としていると、
「オレだよ。オレ」
とひとなつっこい笑顔。
そこでようやく「あっ」と声をあげて、同級生だと言う事がわかったのでした。
「何や、おまえか」
「へへへ」と同級生は照れ臭そうな顔を見せましたが、すぐに、
「ここはうちのシマなんや」
「シマって、おまえ」
「まあ、そういうことや」
玉をすぐにタバコに替えて、近くの喫茶店に行きました。まだ看板に『純喫茶』とあり、
入るのが嬉しかった頃です。

「パチンコ打つ時はいつでもいいや」
「ああ」
と言ったものの、そこは私の住んで居た処からは遠く、もう来る事も無いと思っていました。
そして、そのヤクザになった同級生とも会う事もないと思いましたが、
果たして、その数ヵ月後、他の組みとの抗争で同級生は若い命を散らしました。
新聞の片隅に其の記事が小さく出たのを今でも覚えています。

彼もまた私と同じ様な境遇の持ち主だったかもしれません。
コツコツ働いたってどうにも成らないと思ったのかもしれませんが、
余りにも短い一生では有りませんか。

私は、細く長く真面目に工場で旋盤工として毎日働いていました。
むせ返るような油の匂いにもやがて慣れました。安全靴の重さも感じなくなりましたが、
相変わらず給金は安く、実家に仕送りすると食べて行くのがやっとでした。

  1. 夫婦の今と昔
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アヤメ草

Author:アヤメ草
FC2ブログへようこそ!管理人の
アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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