残り物には福が有る。其の一
◇君の名は?◇
もう二十五年程前になるが、母と親戚の法事に行った帰り、
駅に着くと車内では気が付かなかった春雨が降っていた。
まだ宵の口なのに気温が下がってきて、喪服姿では肌寒さを感じたので、
私は風邪気味の母を気にしていた。
その時、私と同じ年頃と思われるスーツ姿の女性が、
出口に佇んでいる私達に近寄ってくると、差していた白いビニール傘を、
「よかったら、どうぞこれを使って下さい」と言って、勧めてくれた。
ふくよかな丸顔の瞳かとても綺麗で、
微笑んでいた口元も女性らしく優しく感じられた。
その親切はもちろんだが、
チャーミングな笑顔に私はすごく魅かれてしまった。
「あたしは家が駅のすぐ近くですから」
重ねて彼女は、澄んだよく通る声でそう言った。
ぼんやり見とれていた私は、ふと思い返し一応遠慮したが、
彼女は同行の母を気遣う眼差しで白いビニール傘を私に手渡すと、
足早に駅の構内に消えて行った。
だから名前も住所も訊きはぐれ、分からず終いだった。
私と母はその白いビニール傘を差して駅前でバスを待ち、
最寄の停留所に着くと、そこからぬかるみを歩いてやっと
二人暮しの我が家に入り、ひと心地ついた。
片田舎だからタクシーの台数は僅かな事もあって、
つくづく見ず知らずの彼女の好意が身にしみた。
あくる日、私は彼女の事が気になってどうしょうもなかった。
改めて礼を述べようにもどこの誰だか見当がつかないし、
私の勤務先の小さな製本所は駅と反対方向に
有ったから、わざわざ駅前へ足を運んで彼女を待つか、
駅前の商店街を歩いて偶然の出会いを気長に待つしかなかった。
また彼女が必ずしも、
この町の周辺の職場に勤めているとも限らないわけで、
偶々その日、知人や友人の家を訪れた帰りと言う事も考えられた。
日を追うにつれて、
彼女へのほのかな甘い想いに気持ちが変わっていった。
傘立てのビニール傘が目につくせいもあったし、母が思い出しては、
「ああ言う優しい人が、お前のお嫁さんに成ってくれればね」
と、呟いたりしたこともあって、彼女への思いに輪をかけた。
私は製本所で本来の営業と事務の傍ら、工員等と作業したりしていた。
バルブ期のずっと以前とのことで会社の経営状態は良くなかったので、
給料も低く、何時の間にか結婚しそびれ、
これといった女性との付き合いにも恵まれず単調な生活を送っていた。
だから、そんな母の繰り言が一方ではいい気なもの思えた。
通勤する時もバスを使わず、
雨の日でも炎天下でも長い道のりを自転車をこぎ続ける毎日であった。
日増しに私のアテのない彼女への想いは募っていくばかりだった。
どうかすると夢にまで、駅前での彼女のチャーミングな笑顔を見た。
気立てがよく、大人しそうな性格がそのまま顔に表れている私好みのタイプだった。
だが、私と同じ年頃と見えたので、もうとっくに結婚していて、
夫も子供も居るに違いないと半ば諦めてもいた。
もし、そうなら夫はどんな人だろう。と想像すると何か淋しかった。
が、あれこれ考えを巡らせる中、夫婦の性生活は育ち盛りの子供の寝息を窺い、
慌しく済ませる気の毒な状態なのではないか、
等と余計な同情にまで発展したりした。そんな時の彼女のあられもない姿態、
しのばせた淫らな息遣いや喘ぎ声まで、目に浮かんだり耳奥に聞える気がした。
悶々とし始めた私はじっとしていられず、勤め帰りに遠回りしして、
駅前や付近の賑やかな商店街を歩いてみたりした。
駄目だと思いながらも一方的な想いにかられて無駄足を運んだ或る晩、
私は居酒屋へ寄ってビールを飲んでいた。
人妻ならたとえ運良く再会しても相手にされないだろうし、
巧くいったところで不倫になるからお互いに地獄も同然だった。
だが、私の秘めた情熱はもう其の頃、そこまで異常に高まっていた。
居酒屋でビールを飲んでいると、
私に気付いた職場のある女子社員が隣りに場所替えをしてきた。
彼女独りだけで、もうかなり酔っていて、職場内の裏話をした挙句、
「ねえ、たまには少しハメはずしてみない」
と、色目を使って誘惑してきた。
もう二十五年程前になるが、母と親戚の法事に行った帰り、
駅に着くと車内では気が付かなかった春雨が降っていた。
まだ宵の口なのに気温が下がってきて、喪服姿では肌寒さを感じたので、
私は風邪気味の母を気にしていた。
その時、私と同じ年頃と思われるスーツ姿の女性が、
出口に佇んでいる私達に近寄ってくると、差していた白いビニール傘を、
「よかったら、どうぞこれを使って下さい」と言って、勧めてくれた。
ふくよかな丸顔の瞳かとても綺麗で、
微笑んでいた口元も女性らしく優しく感じられた。
その親切はもちろんだが、
チャーミングな笑顔に私はすごく魅かれてしまった。
「あたしは家が駅のすぐ近くですから」
重ねて彼女は、澄んだよく通る声でそう言った。
ぼんやり見とれていた私は、ふと思い返し一応遠慮したが、
彼女は同行の母を気遣う眼差しで白いビニール傘を私に手渡すと、
足早に駅の構内に消えて行った。
だから名前も住所も訊きはぐれ、分からず終いだった。
私と母はその白いビニール傘を差して駅前でバスを待ち、
最寄の停留所に着くと、そこからぬかるみを歩いてやっと
二人暮しの我が家に入り、ひと心地ついた。
片田舎だからタクシーの台数は僅かな事もあって、
つくづく見ず知らずの彼女の好意が身にしみた。
あくる日、私は彼女の事が気になってどうしょうもなかった。
改めて礼を述べようにもどこの誰だか見当がつかないし、
私の勤務先の小さな製本所は駅と反対方向に
有ったから、わざわざ駅前へ足を運んで彼女を待つか、
駅前の商店街を歩いて偶然の出会いを気長に待つしかなかった。
また彼女が必ずしも、
この町の周辺の職場に勤めているとも限らないわけで、
偶々その日、知人や友人の家を訪れた帰りと言う事も考えられた。
日を追うにつれて、
彼女へのほのかな甘い想いに気持ちが変わっていった。
傘立てのビニール傘が目につくせいもあったし、母が思い出しては、
「ああ言う優しい人が、お前のお嫁さんに成ってくれればね」
と、呟いたりしたこともあって、彼女への思いに輪をかけた。
私は製本所で本来の営業と事務の傍ら、工員等と作業したりしていた。
バルブ期のずっと以前とのことで会社の経営状態は良くなかったので、
給料も低く、何時の間にか結婚しそびれ、
これといった女性との付き合いにも恵まれず単調な生活を送っていた。
だから、そんな母の繰り言が一方ではいい気なもの思えた。
通勤する時もバスを使わず、
雨の日でも炎天下でも長い道のりを自転車をこぎ続ける毎日であった。
日増しに私のアテのない彼女への想いは募っていくばかりだった。
どうかすると夢にまで、駅前での彼女のチャーミングな笑顔を見た。
気立てがよく、大人しそうな性格がそのまま顔に表れている私好みのタイプだった。
だが、私と同じ年頃と見えたので、もうとっくに結婚していて、
夫も子供も居るに違いないと半ば諦めてもいた。
もし、そうなら夫はどんな人だろう。と想像すると何か淋しかった。
が、あれこれ考えを巡らせる中、夫婦の性生活は育ち盛りの子供の寝息を窺い、
慌しく済ませる気の毒な状態なのではないか、
等と余計な同情にまで発展したりした。そんな時の彼女のあられもない姿態、
しのばせた淫らな息遣いや喘ぎ声まで、目に浮かんだり耳奥に聞える気がした。
悶々とし始めた私はじっとしていられず、勤め帰りに遠回りしして、
駅前や付近の賑やかな商店街を歩いてみたりした。
駄目だと思いながらも一方的な想いにかられて無駄足を運んだ或る晩、
私は居酒屋へ寄ってビールを飲んでいた。
人妻ならたとえ運良く再会しても相手にされないだろうし、
巧くいったところで不倫になるからお互いに地獄も同然だった。
だが、私の秘めた情熱はもう其の頃、そこまで異常に高まっていた。
居酒屋でビールを飲んでいると、
私に気付いた職場のある女子社員が隣りに場所替えをしてきた。
彼女独りだけで、もうかなり酔っていて、職場内の裏話をした挙句、
「ねえ、たまには少しハメはずしてみない」
と、色目を使って誘惑してきた。
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プロフィール
Author:アヤメ草
FC2ブログへようこそ!管理人の
アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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