ぐうたら息子を改心させた母と妻の謀。其の一
◇布団の中で母を泣かす男
私は横浜の色町と言われた真金町からそう遠くない、華やかで妖しい臭いの漂う街の、
小さな小料理屋に生まれ育った。板前だった父は私が三歳の時に病死したから、
私にはほとんど父の記憶はないし、母もあまり多くを話したがらなかった。
と言うのも、評判の板前だった父が居なくなった店を、母独りでやっていくのは相当の
苦労だったらしく、多くの借金を抱え、父の死からわずか二年後、ある会社社長の
囲われ者になって援助をあおいでいたからである。
それ故に、亡くなった父のことは、強いて忘れようと努めていたのだろうと思う。
その反動として母は私を溺愛したのではなかったか・・・そんな気がする。
ただ、私を愛すれば愛するほど、父の面影が浮かんで来たのではなかろうか。
母は褒めてくれる時も諭す時も、よく私の両肩に温かい手を置き、
真正面から私を見て語りかけていたが、
たまに私の瞳のずっと後ろの方を見ているような眼をすることがあった。
おそらく母はそう言う時、父の面影を追っていて、
「ごめんなさい」と心の中で謝って居た様な気がする。
それを思うと、私は妾になった母を許す事ができる。
何はともあれ、私は片親でありながら、溢れんばかりの母の愛に包まれ、
別段ひねくれもせず、比較的伸び伸びと自由に育っていたからだ。
戦後の横浜の街にはジープに乗った進駐軍の姿がよく見かけられた。
鼻はおそろしく高く、髪の毛は黒くなくて金色や銀色をしていて、
背は見上げるほど高く、毛が手の指までモジャモジャと生えていた。
「進駐軍は鬼だから近寄るな!」と、大人たちは子供らに、そんな事を言っていた。
しかし、子供たちは、米兵のジープを見つけると、たちまち走り寄っていってそれが
屈辱の言葉とも知らず「ギブ・ミー」と手を出して叫んでいた。
私たちは米兵がジープの上から投げてくれるガムやチョコレートが、
たまらない魅力を持った食べ物であった。
また街頭では、兵隊帽をかぶって白い服を着た男達が、胸に募金箱を下げて、
アコーディオンやハーモニカで軍歌を歌いながらお金をせびる、
傷痍軍人と呼ばれる人の姿もよく見かけられた。
街の近くには色町の守護・大鳥神社があったが、その近くでも、よく見掛ける事が出来た。
其の人たちは手や足に包帯を巻いていたり、片膝の無い人や、両足も無くて松葉杖を
ついている人もいた。片目を黒い眼帯で覆っている気味の悪い人もいた。
彼らの演奏する軍歌は、子供心にも、とてもうら寂しい響きがあった。
また、街にはパンパンと呼ばれる、米兵相手に売春をする女達がいた。
濃い口紅を塗りたくり、頭には派手な色彩のネッカチーフをかぶり、大男の米兵の腕に
ぶら下がるようにして、これまた派手な落下傘スカートをひるがえして歩いていた。
そんな彼女たちが、少年だった私の眼にはとてもキラキラ輝いて見えた。
そういった風紀の乱れた場所は、私の性への好奇心をいやでも高めたようだ。
私は小学生の頃から、男女のセックスに異常なほど興味をもち、すでにセンズリも
覚えていたのである。小学六年の春には、パンパンガールのスカートが風に翻った時に、
チラリと見えた太腿を思い浮かべ、自分の部屋でセンズリをかいていて母に見つかり、
「あんまりこすり過ぎると、体に毒だよ」
と、やんわりと注意された。私は恥ずかしくて顔が火の様に熱くなったが、性への好奇心は
ますます強くなり、もちろん、それだけでセンズリが止められるはずも無かった。
母を囲っていた会社社長という男は、その当時六十歳はとうに過ぎていたと思うのだが、
顔の色艶は良く、脂ぎっていて、精力はとても強そうだった。
私は母を自由にするその男に憎しみさえ覚えていた。男は月に二回か三回、
夜になるとやって来ては、店の座敷で母を相手に酒を飲み、店が看板になるまで居て、
其の後は母の部屋に入り浸っていた。
小学生の頃は睡魔に勝てずに、私はそれまでに眠り込んでいたが、中学生に成ってからは、
その男が来た時はときどき、眠いのを我慢して起きているようになった。
母の部屋は障子の建て付けが悪く、たやすく中の様子を覗く事が出来た。
おまけにその男は、明るい電灯の下で母を玩具のように弄んでいた。
母は必ず男と一緒に部屋に入る直前に、私の部屋の襖を少しだけ開けて、
私が眠っているかどうかを確かめ、それからやっと部屋に入っていった。
決まったようなその行為の後、二人を覗くために十分くらいの時間をおいて、
私はやおら部屋から出て行くのが癖になっていた。
男が裸に浴衣を羽織っただけの姿で胡坐をかき、箱膳で酒をチビチビ飲んでいた。
すぐ目の前の布団では、母が立ったまま和服を一枚一枚脱いでいき、
一糸纏わぬ裸になると、驚いたことに犬のような格好をして、尻を高々と上げ、
男の方に向けてうつぶせになった。
母はまだ三十の半ばを過ぎたばかりで、肌はしっとりしているし、
体のラインはとてもまろやかだった。私はこんな母のハレンチな姿を、
男を憎みながらも、固唾を呑んで覗き続けていた。
「もっと膝を開いて、指で観音様を広げたら、中までよく見せなさい」
と男が言うと、それに対して母は「もう堪忍」と小声で言いながらも、膝を開き、
左手を股間に伸ばして指で性器を広げてみせた。
「うん、まだ濡れ方が足らんぞ。自分で指を入れて、もっと濡らしてごらん」
男が含み笑いでもする口調で言い、視線は母の尻の谷間をジッと見つめたまま、
盃をグイッと傾けた。
その瞬間、母の体がピクッと震えたようだった。だが、しばらくして、
「やるまで許しては下さらないのね」と、言うと、
性器を開いていた指を膣にグニュッと入れて、目立たぬくらいに動かし始める。
「もっと本気でやりなさい!いい加減は許さないよ」
「ああ、そんなに見つめられたら私・・・」
母の指がひどく性器の上をいやらしく動き始め、グチュグチュと音をたて始めると、
それにつれて尻が切なそうにうねっていた。
「ハッハッハ、いいのか、観音様がずいぶん濡れてきたぞ。
よしよし早く遣りたいんだろう、おまえもスケベなんだな」
男が笑ったが、それには軽蔑的な響きは全く無かった様に思う。しかも、ひどく嬉しそうだった。
「もう、私・・・あなた、イヤッ・・・もう、いいでしょ、いいでしょ?」
と言いながら、母は指を動かし続けるのだった。
それから、男は胡坐をかいたまま母にペニスを口で愛撫させ、
膝の上に乗る様に命じて座位で交わった。
母は男の膝の上で、腰を上下して仰け反り喘ぎ声を張り上げていたが、
母は男に命じられるがままのようでいて、性の快楽に本気で没頭していたように思う。
私は二人によって、男と女のある一つの形を教えられたようであった。
私は横浜の色町と言われた真金町からそう遠くない、華やかで妖しい臭いの漂う街の、
小さな小料理屋に生まれ育った。板前だった父は私が三歳の時に病死したから、
私にはほとんど父の記憶はないし、母もあまり多くを話したがらなかった。
と言うのも、評判の板前だった父が居なくなった店を、母独りでやっていくのは相当の
苦労だったらしく、多くの借金を抱え、父の死からわずか二年後、ある会社社長の
囲われ者になって援助をあおいでいたからである。
それ故に、亡くなった父のことは、強いて忘れようと努めていたのだろうと思う。
その反動として母は私を溺愛したのではなかったか・・・そんな気がする。
ただ、私を愛すれば愛するほど、父の面影が浮かんで来たのではなかろうか。
母は褒めてくれる時も諭す時も、よく私の両肩に温かい手を置き、
真正面から私を見て語りかけていたが、
たまに私の瞳のずっと後ろの方を見ているような眼をすることがあった。
おそらく母はそう言う時、父の面影を追っていて、
「ごめんなさい」と心の中で謝って居た様な気がする。
それを思うと、私は妾になった母を許す事ができる。
何はともあれ、私は片親でありながら、溢れんばかりの母の愛に包まれ、
別段ひねくれもせず、比較的伸び伸びと自由に育っていたからだ。
戦後の横浜の街にはジープに乗った進駐軍の姿がよく見かけられた。
鼻はおそろしく高く、髪の毛は黒くなくて金色や銀色をしていて、
背は見上げるほど高く、毛が手の指までモジャモジャと生えていた。
「進駐軍は鬼だから近寄るな!」と、大人たちは子供らに、そんな事を言っていた。
しかし、子供たちは、米兵のジープを見つけると、たちまち走り寄っていってそれが
屈辱の言葉とも知らず「ギブ・ミー」と手を出して叫んでいた。
私たちは米兵がジープの上から投げてくれるガムやチョコレートが、
たまらない魅力を持った食べ物であった。
また街頭では、兵隊帽をかぶって白い服を着た男達が、胸に募金箱を下げて、
アコーディオンやハーモニカで軍歌を歌いながらお金をせびる、
傷痍軍人と呼ばれる人の姿もよく見かけられた。
街の近くには色町の守護・大鳥神社があったが、その近くでも、よく見掛ける事が出来た。
其の人たちは手や足に包帯を巻いていたり、片膝の無い人や、両足も無くて松葉杖を
ついている人もいた。片目を黒い眼帯で覆っている気味の悪い人もいた。
彼らの演奏する軍歌は、子供心にも、とてもうら寂しい響きがあった。
また、街にはパンパンと呼ばれる、米兵相手に売春をする女達がいた。
濃い口紅を塗りたくり、頭には派手な色彩のネッカチーフをかぶり、大男の米兵の腕に
ぶら下がるようにして、これまた派手な落下傘スカートをひるがえして歩いていた。
そんな彼女たちが、少年だった私の眼にはとてもキラキラ輝いて見えた。
そういった風紀の乱れた場所は、私の性への好奇心をいやでも高めたようだ。
私は小学生の頃から、男女のセックスに異常なほど興味をもち、すでにセンズリも
覚えていたのである。小学六年の春には、パンパンガールのスカートが風に翻った時に、
チラリと見えた太腿を思い浮かべ、自分の部屋でセンズリをかいていて母に見つかり、
「あんまりこすり過ぎると、体に毒だよ」
と、やんわりと注意された。私は恥ずかしくて顔が火の様に熱くなったが、性への好奇心は
ますます強くなり、もちろん、それだけでセンズリが止められるはずも無かった。
母を囲っていた会社社長という男は、その当時六十歳はとうに過ぎていたと思うのだが、
顔の色艶は良く、脂ぎっていて、精力はとても強そうだった。
私は母を自由にするその男に憎しみさえ覚えていた。男は月に二回か三回、
夜になるとやって来ては、店の座敷で母を相手に酒を飲み、店が看板になるまで居て、
其の後は母の部屋に入り浸っていた。
小学生の頃は睡魔に勝てずに、私はそれまでに眠り込んでいたが、中学生に成ってからは、
その男が来た時はときどき、眠いのを我慢して起きているようになった。
母の部屋は障子の建て付けが悪く、たやすく中の様子を覗く事が出来た。
おまけにその男は、明るい電灯の下で母を玩具のように弄んでいた。
母は必ず男と一緒に部屋に入る直前に、私の部屋の襖を少しだけ開けて、
私が眠っているかどうかを確かめ、それからやっと部屋に入っていった。
決まったようなその行為の後、二人を覗くために十分くらいの時間をおいて、
私はやおら部屋から出て行くのが癖になっていた。
男が裸に浴衣を羽織っただけの姿で胡坐をかき、箱膳で酒をチビチビ飲んでいた。
すぐ目の前の布団では、母が立ったまま和服を一枚一枚脱いでいき、
一糸纏わぬ裸になると、驚いたことに犬のような格好をして、尻を高々と上げ、
男の方に向けてうつぶせになった。
母はまだ三十の半ばを過ぎたばかりで、肌はしっとりしているし、
体のラインはとてもまろやかだった。私はこんな母のハレンチな姿を、
男を憎みながらも、固唾を呑んで覗き続けていた。
「もっと膝を開いて、指で観音様を広げたら、中までよく見せなさい」
と男が言うと、それに対して母は「もう堪忍」と小声で言いながらも、膝を開き、
左手を股間に伸ばして指で性器を広げてみせた。
「うん、まだ濡れ方が足らんぞ。自分で指を入れて、もっと濡らしてごらん」
男が含み笑いでもする口調で言い、視線は母の尻の谷間をジッと見つめたまま、
盃をグイッと傾けた。
その瞬間、母の体がピクッと震えたようだった。だが、しばらくして、
「やるまで許しては下さらないのね」と、言うと、
性器を開いていた指を膣にグニュッと入れて、目立たぬくらいに動かし始める。
「もっと本気でやりなさい!いい加減は許さないよ」
「ああ、そんなに見つめられたら私・・・」
母の指がひどく性器の上をいやらしく動き始め、グチュグチュと音をたて始めると、
それにつれて尻が切なそうにうねっていた。
「ハッハッハ、いいのか、観音様がずいぶん濡れてきたぞ。
よしよし早く遣りたいんだろう、おまえもスケベなんだな」
男が笑ったが、それには軽蔑的な響きは全く無かった様に思う。しかも、ひどく嬉しそうだった。
「もう、私・・・あなた、イヤッ・・・もう、いいでしょ、いいでしょ?」
と言いながら、母は指を動かし続けるのだった。
それから、男は胡坐をかいたまま母にペニスを口で愛撫させ、
膝の上に乗る様に命じて座位で交わった。
母は男の膝の上で、腰を上下して仰け反り喘ぎ声を張り上げていたが、
母は男に命じられるがままのようでいて、性の快楽に本気で没頭していたように思う。
私は二人によって、男と女のある一つの形を教えられたようであった。
- 夫婦愛
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プロフィール
Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
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