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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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14歳年下の女。シリーズⅢ其の六

Dr・知恵瑠の恋。其の六
Dr17
芳子の三回忌(死亡してから二年目の命日)も済ませ。
知恵瑠が大学を無事卒業したのを記に、柴田は知恵瑠を入籍し正式な夫婦と成った。
結婚式や披露宴も無く、二人で区役所に出向き婚姻届を提出したのだ。

中学三年、15歳で担任教師で有った柴田に恋心を抱いて、34歳に成った今、
19年間思い続けた「知恵瑠の恋」もやっと成就したのである。

医者に成る為には医科大学を卒業し医師免許試験に合格し、
後二年間の研修医となって、専攻する技術を習得し、医者として自立出来るのだ。

知恵瑠が研修医として派遣された病院は、大学と提携関係に有る、
佐原病院と言う中規模な総合病院で有った。
指導医は35歳の中村武雄と言い、大学の先輩に当たる。
そして大学時代の同級生で有った加藤聡子が外科医として勤務していた。

佐藤病院での研修医期間も無事に過ごし、晴れて医師となった後も37歳まで、
佐原病院の勤務医として勤めた。

知恵瑠は37歳の時長男一樹を生み、40歳の時には二卵性の双子を出産し、
長女は綾乃と名付け、次男は義治と名付けた。

そして42歳の「ママさん先生知恵瑠」は、
内科、小児科の専門医として、克って保健所時代に取得した、
保健師、助産婦、保育士、の経験を生かすべく、僻地医療の現場に、
夫柴田正義と三人の子供を引き連れて旅立とうとしている。

34歳で医師免許を取得した柴田知恵瑠は、
その後8年間横浜の「佐原病院」で「小児科・内科」の医師として勤務し、
実務経験を積んだ。
夫の柴田正義が35年の教員生活を「退職」、医療事務の資格を取得したのを
機会に、少女時代から描いていた「僻地医療」に後半生を託す決心をしたのだ。
 
*この物語は、作者の創作で、実在の地名が出て来ますが、
実在の「法人名や人名」には全く関係有りません。
間違っても「電話」などでの問い合わせ等はしないで下さい。
**
Dr18
34歳で医師免許を取得した柴田知恵瑠は、
その後8年間横浜の「佐原病院」で「小児科・内科」の医師として勤務し、
実務経験を積んだ。
夫の柴田正義が35年の教員生活を「退職」、医療事務の資格を取得したのを
機会に、少女時代から描いていた「僻地医療」に後半生を託す決心をしたのだ。

僻地医療人材派遣センターに登録しておいた知恵瑠の元に、
センターから照会が来た。
勤務地は熊本県球磨郡多良木町と言う阿蘇外輪山の中にある町で、
知恵瑠には始めて聞く町で有った。
夫に聞くと「俺は知ってるよ、熊本県の八代から宮崎県の日向を結ぶ
国道219号線沿いに有る町で宮崎県に近い所」だと言う。
夫の正義は、社会科の教師で日本史や地理には詳しく、
九州には何度も出掛けて居たと言う。夫の話は未だ続く。

「その場所は日本三大急流の一つ球磨川の中流域に位置し、
美しい渓流と緑濃き森林に囲まれている田舎の町だよ」
「お前が行くかも知れない、ふるやしき診療所が有る辺りは
多良木町から、3、40キロ程球磨川の上流にある地域で
林業と農業だけの集落だよ」
「本当に山と川だけしか無いところで、
僻地と言う名に相応しいところだよ」

「勤務するのは地域中核病院に指定されて居る
 「球磨郡公立たらき病院」で
 宿舎は国道沿に有り「くま川鉄道の「病院前駅」に近く、
 保育園や小学校も近くに在って決して寂しい田舎では無さそうよ」

「恐らく週に何日かは病院で外来を見て、
 診療所での仕事は内科、眼科、心臓血管センター、
 等の医師が日替わり交代で見るのでは無いかしら」

「病院の規模も今の佐藤病院より大きそうだね、
住む処の住環境も、其れほど激変する事も無さそうだし、
子供達にも負担は少ないかも知れないね」

「是からの人生、其処に掛けて見ますか」

「お前が行くと言うなら俺は何処にでも付いて行くよ、
有る程度人口の居る町なら、俺が働ける「学習塾」も有るだろし、
家族皆で行って見ますか」

知恵瑠は早速センターに勤務希望の返事をしておいた。
数日後「何時でも受け入れ可能です、是非九州においで下さい」
との通知が来た。

知恵瑠の母、照代に話をすると、
「孫達は未だ未だ「手の掛かる盛り」家政婦を雇うなら、
私が一緒に行って、孫達の面倒を見てあげる、
息子の所はもう私を必要としない位に
孫達も大きくなったから」と話はトントン拍子で進み、
知恵瑠の家族は、母も交えて6人が熊本に移住する事に成った。
Dr19
9月末日で佐原病院を退職した知恵瑠は
10月の連休を利用して引っ越す為の準備を始めた。
今住んで居る家は正義の甥に貸す事にした。
甥は賃貸マンションに住んで居るので、
予てから一戸建ての家に住みたがって居たのだ。

家財道具の多くは甥に使って貰う事にしたが、
衣類と正義の蔵書、知恵瑠の医学関係の書籍だけでも、
引越し便の大型トラックが一杯に成って仕舞う位に多かった。

知恵瑠が15歳の時から正義に送り続けた300通を超える書簡と
正義からの返信書簡も同じ数ぐらい有る、それらは全て、
大切に保管されていたので、其れも勿論持って行く事にした。
子供達が大きくなったら、二人がどれだけ深い愛で結ばれていたかを
読み聞かせて上げ様と知恵瑠は思って居る。

引越は、マイカー(7人乗りのミニバン)で
東名・名神・瀬戸内海フェリー・九州自動車道、のルートと決めた。
知恵瑠と正義は新婚旅行はおろか、二人だけで旅行する事など
無かったので途中の、京都、別府で二泊し、フェリーでの一泊
を含めて三泊四日の、のんびり「家族旅行」を楽しみながらの
旅となった。

早朝に横浜を出発したマイカーは途中100キロ事の休憩も
含めても午後2時には大津のサービスエリアに到着した。
未だ早いから大津で降りて、琵琶湖を見ながら女達の比叡山に登り、
京都に入る事にした。
知恵瑠の母照代は旅行等した事が無いらしく、見る景色全てが
始めての経験で子供達以上にはしゃいでいた。
幼い子供達は車での長旅に飽きて仕舞い
長男の一樹は景色よりも、ゲームに夢中に成っている。
二歳の双子の姉弟は只管寝るばかり。

京都に着いた一行は早速家族風呂に母も含めて全員で入った。
こんな経験は始めての事で有る。子供達も知恵瑠や照代も
喜んだ、皆が一列に並び背中を流して遣るシーンでは、
キヤッキャとはしゃぐ子供達と女二人の歓声が浴室に響いた。

風呂から上がって寛いで居るときに照代は言った。
「子供達は私が見てるから、 あなた達は夜の京都を見物してきたら。
 二人だけで新婚旅行の気分を味わって来たら如何」
母の好意に二人は夜の京都の町に出て行った。

(前段終わり)
この後知恵瑠の医者としての「僻地医療」に取り組む姿を描きます。

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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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