PV UU 現在の閲覧者数: /にほんブログ村 小説ブログ ロマンス小説へ
2ntブログ

異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

14歳年下の女。シリーズⅢ其の五

Dr・知恵瑠の恋。其の五
Dr14
健一の怪我に寄る入院は二度に渡る手術と、リハビリ期間を含めて三ヶ月を要した。
松葉杖を使っての自力走行が出来る様になるまでが半年、
外出の時は、車椅子が当分必要となり、学校も半年間休学する事となった。
母親もパートを辞めて健一の看病しなければならず、
生活費の困窮も目前の課題となってきた。

こんな時ににも親身に成って相談に乗って呉れるのは柴田しか居ない。
当時柴田は、県立高校へ転勤していて、住まいも茅ヶ崎市に引っ越して居た。

知恵瑠は柴田の住まいを訪ねた。
事の経緯を一通り聞いた処で柴田は言った。
「うぅ知恵瑠も大変な荷物を背負ったな、
 後一年経てば大学卒の資格だけでも取れるのにな。
 今大学を辞めてしまえば、高卒としての資格しか残らないもな。
 奨学金の債務も残るし、色々大変なことを処理していかなくては成らなくなるぞ。
 大卒の資格はお前ぐらいの頭が有れば資格認定試験でカバー出来るだろうが
 金の問題は今後の負担に成るよな。今の大学の教授とも相談してご覧。
 今俺が考えられることは、一先ず大学は休学扱いとして貰い、
 何年か後に3年か4年に編入させて貰って復学する事だな」

「ゼミの教授にも相談してみますが、そんな事が出来るのでしょうか」

「そう言う例は結構ある筈だよ、特に成績の優秀な人間は大学でも
 将来の教授候補などに「唾」を付けて置くためにも、学籍は其の侭にして
 外国留学や他の大学への国内留学とか、民間企業への研究開発要員として
 人材派遣をして居る例もある、それらは殆どが大学院生だけどな」

「一つサンプルリングしてみようか、知恵瑠の夢を将来に渡って叶える為にも、
 保健師に成ると言うのは如何だ、其れとあわせて地方公務員試験の二種
 を取ると良いよ、そして保健所や養護施設などで老人や障害者の介護の現場
 を経験する事は決して無駄な事ではないしな」

「何れにしても今の状況では、
 弟さんが退院してきてから、家に居る事になれば
 その介護のためにお母さんは働け成るよな、
 お母さんに変わって、知恵瑠が家族を養って行かなくては成らないから、
 先ず働く所を見つけなければな」
 
Dr15
「退院は何時頃に成りそうだ」

「来年の二月末頃に成りそうです」

「其れでは大学の三回生までは終了出来るんかも知れないな」

「役所関係は中途採用は余り遣らないから、
今から資格試験の準備をしてご覧、巧く行けば市の保健所
に就職出来るかも知れない。」
「俺も職員組合を通じて色々な処に話の出来る仲間が居るから
根回しはしてあげるよ」

「今回の出来事は、お前が夢を実現させる為に「天が配剤した」
チャンスかも知れないよ、災い転じて福となす、言うからな。挫けずに頑張れよ」
「先生の話を聞いて居ると勇気が湧きます、負けません、頑張ります」

知恵瑠は大学を三年で休学し柴田の描いた道筋に沿って、保健士と
地方公務員試験の二種にも合格し、横浜市の職員と成って、6年の間勤める事に成った。

6年の間に「普通自動車免許」「助産婦」「保育士」等の資格試験にも挑戦し、
その資格も全て合格した。医者に成る夢は捨てる事無く、28歳に成った時、
大学に復学して4年の後32歳にして念願の医師免許を手にする事が出来たのである。

その間の10年近くの間にも知恵瑠の身辺に色々な事が起きた。
弟の怪我も完治して社会復帰し26歳の時に結婚した。
今は二人の子供も出来て居る。

母照代は健一の回復を待つかの様に、今度は照代が「大腸癌」の摘出手術を受け、
半年余りで回復し、今は健一の家族達と暮らしている。

柴田の妻も「急性膵臓炎」と言う病気で49歳の若さで急死した。
知恵瑠が大学を卒業した時期と略同じ頃で有った。
妻を亡くした柴田と知恵瑠の恋は深く静かに進行していくのである。
Dr16
柴田正義の妻、芳子は、元々身体が余り丈夫では無かったようだ。
正義の話では、頻繁に流産を繰り返すので、卵管結束の不妊手術をした後で、
子宮筋腫になり、子宮摘出手術をしたそうだ。
永久に子供を生めなく成った芳子は、その後ホルモンのバランス異常の為か、
肥満に成り、足が痛い、背中が痛い、と全身の苦痛を訴えていた。

芳子が余りにも背中が痛いと言うので、自宅近くの病院に連れて行った。
其処では当初、胆石が有ると言われ、痛み止めの薬を処方されたが、
その薬の効果は無く、数日後「入院」して精密検査をする事になった。

知恵瑠はその知らせを受けてから、毎日仕事が終ると、茅ヶ崎まで通い
終電間際まで付き添って看病した。

知恵瑠の言うには、
「あの病院の処置は余り信頼出来ない、検査も検討違いの事を
 してるように見えて仕方が無い、今日も腹の中を綺麗にするからと、
 大量な下剤を飲ませ、浣腸をしていたが、身体の衰えは目に余る」
 何処か別な病院に転院させた方が良いのでは」
とまで言い出した。

そして、その日の夜余りにも苦しむので、
知恵瑠が通って居た大学の教授に電話をして、事情を話すと、
「直ぐ大学病院に搬送して来なさい、下手すると手遅れに成るかも」
と言われ、教授から此処の院長に電話をしてもらって転院させる事にした。

救急車を呼び、柴田と知恵瑠は付き添って大学病院に向かった。
搬送されていく救急車の中で、芳子は二人の手を取り語り始めた。

「パパ有り難う、そして御免なさい、パパの子供を生めないこんな私を
此処まで大切にしてくれて、本当に良くして呉れたわ、有り難う」

「知恵瑠さん、もし私が死ぬ様な事が有ったらパパの事お願いしますね、
 貴女がパパの事を、好きなことは前から判ってたわ、
 私が出来なかったパパの子供を生んであげてね」

三人は泣き崩れた。

大学病院に到着した、芳子の身体はそのまま手術室に運ばれた。
教授の話では芳子は「急性膵臓炎」かも知れない、手遅れに成ると
命の危険がある。との事だった。

手術室に運ばれて行った芳子は生きては帰って来なかった。
最初の病院で適切な処置がなされて居たら
多分死ぬ事は無かったかも知れない、是も人の運命なのか。

  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]


comment


 管理者にだけ表示を許可する
 

trackback


プロフィール

アヤメ草

Author:アヤメ草
FC2ブログへようこそ!管理人の
アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

カレンダー

04 | 2024/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

フリーエリア

検索フォーム

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

« 2024 05  »
Su Mo Tu We Th Fr Sa
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -


.