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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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惨めな初体験。其の三

◇下心のあるデートコース◇
昭和34年頃01(当時の花形特急こだま)
飯島響子は、私と同じ年齢だった。卒業した高校は違うが、
その老舗には同期入社で、結構仲が良かった女だった。

小さく細い眼、尖った口。顔全体の造作が前に突き出したような、
キッネのお面に似た顔で、どちらかと言えば醜女に近い彼女だったが、
乳白色の肌はツルツルで美しく、その小柄な肢体は妖精と謳われた、
ブリジット・バルドー張に均整が取れていた。

その通りに、裸になると乳房は形良く円く、閉じても隙間が無い太腿の
肉付きは弾力的で、股間の茂みは淡く、陰唇は綺麗な桃色だった。

私はハッと眼を開いた。その裸身はもとより秘部すらも、思い出せるのが当然、
どうして忘れていたのだろう。仲が良かったどころではなく、
飯島響子は私のセックス初体験の相手だったのだ。

普通は、初体験の相手は、男女共に忘れられないものだという。
しかし私は、彼女とのその事実を忘れた。いや、こうして思い返せば、
忘れよう、と私は記憶の底に封じ込めてしまっていたのだ。

理由があった。セックス初体験の失敗・・・。
私はその状況をまざまざと思い出し、耳に血が昇るのを知った。
失敗した事ではなく、事後の響子に対する私の仕打ち。
苛めとしか言えない、悪さをした事に・・・。

昭和34年。私は19歳だった。老舗で働いて二年目の私に、
暮れの賞与が支給された。当時の給料、賞与は全て現金で手渡しだった。
いやに薄い封筒を開けたら、千円札数枚と手が切れるような新札の
一万円が入っていた。高卒の私の給料八千円余りでは手に出来ぬ高額紙幣で、
今までの賞与でも届かぬ万札だった。

同期入社以来、常に賞与を見せ合う仲だった飯島響子にも、
その万札がピッタリ一枚だけ支給された。
彼女はぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
「こんなお札を貰うと、何だかお金持ちになった気分で嬉しい!」
帰りに飲みに行こうよ、と私を誘う。
 
昭和34年頃
何しろ銀座の喫茶店のコーヒーが五、六十円、昼食もその金額位で
食べられた時代で、まだ百円札が巾を効かせていた頃の話だ。
万を越える現金を懐にすれば、私の気分も高揚する。
それも悪くないとは思ったが、問題は響子の容貌だった。

細い目尻が吊り上がった響子の顔は、実にお面のキツネに似ていた。
同じ年だし、性格は優しいので、私達は結構仲良く働いていたのだが、
私の心の中に、愛とか恋とかの心情が芽生える容貌ではなかった。

だが響子の心には、私に対する、それに近い感情が生まれていたらしい。
面映いが、私は長身で痩せ型。マスクはともかく、服装や言動の[キザ]には
気を使っていた。高校時代から映画ファンで、アラン・ドロン風にキザっぽく
トレンチコートを着たり、片足をひきずる石原裕次郎の格好良い歩き方を
真似したりして、お陰で上っ面だけでも、女性には結構モテていたのである。

そんな私がその晩、好みとはまるで違う、連れて歩くのも(何か、格好悪い顔・・・)
と思っていた響子と新橋鳥森のトリスバーに連れ立って向かったのは、
この女なら(キスくらいは、いや、セックスが出来るかもしれない・・・)と考えたからだ。

その頃の私には、片思いから進行中の年上の恋人女性がいたのだが、
いまだキスの味も知らぬ童貞だった。

その時代、現代と違って若い女性の貞操観念は堅固で、例え水商売の女性でも、
ちょつとやそっとではキスも許されず、勿論肌身など簡単には許しては呉れなかった。

だからと言って、私のような童貞の若者達は、吉原などの娼婦の身体で、
堂々と筆下ろしが出来る機会も場所も失っていたのだ。
その前年、昭和33年4月1日に売春防止法が施行されていたからだ。
昭和34年頃03
思えばその売春防止法、青少年には惨い法律だったと思う。
近年、少年達の惨い性犯罪が増えたのも、金さえ使えば気軽に男の性衝動や
欲望を発散出来る、そんなシステムがない故ではないだろうか。

話は飛ぶが、さらにその前の時代、日本が戦争に敗れて占領軍兵士が
横行していた頃、パンパンと呼ばれた売春女性たちがいなければ、
どれだけ民間の女性が彼らに襲われたか判らない、と私は先輩達から聞いている。
むろんその時代も、吉原を初めとする公認娼婦たちが、男達の欲望の防波堤に
なっていたのも、紛れも無い事実である。

金で女性を買うのは悪い事かも知れない。
だが、その手段で金を得たいと言う女性もいるのである。
現代でも、密かにではあるが、人妻や少女売春は多々あるのだ。

しかし、もし国が今まで通り赤線の中で男の情欲発散を管理していれば、
今のように暴力団が絡む事も少なく、エイズや性病が蔓延する事もなく、
さらには民間の性犯罪も増加する事が無かったのではないだろうか。

だが、その談義はともかく、その頃の若者たち同様に、早く童貞と決別したい・・・
と私は念願しきりだったのである。

私は下心を胸に秘め、響子に当時のトリスバーで流行のジンフィズを重ねさせ、
顔が赤くなるほど酔わせた。

そうなれば、バーの直ぐ側には同伴喫茶店がある。
馴染みのトリスバーは銀座の裏通りに何軒もあるのに鳥森を選んだのは、
さらに次のコース、連れ込み旅館が銀座周辺にはないのだ。
その意味で、今は面影もないが、戦後の暗さがまだ漂っているような、
新橋鳥森は便利な場所だった。

実は前に一度、この手順に誘い込んだ女性がいた。
みゆき通りの三平食堂の女店員だったが、その同伴席の暗さを眺めた途端に、
怯えて逃げられてしまったのだ。
それを不吉に思い出しながら、酔った響子と同伴喫茶店に入ったのだが、
彼女は予想通り逃げなかった。
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まとめteみた【思い出される昭和のあの日あの頃】

  1. 2012/03/17(土) 19:10:19 |
  2. まとめwoネタ速suru
◇下心のあるデートコース◇(当時の花形特急こだま)飯島響子は、私と同じ年齢だった。卒業した高校は違うが、その老舗には同期入社で、結構仲が良かった女だった。小さく細い眼、尖った口。顔全体の造作が前に突き出したような、キッネのお面に似た顔で、どちらかと言え...

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今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
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有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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