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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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若衆入りの儀式。其のニ

若集入りの儀式02
母は私に朝風呂を沸かすように命じた。私の家が有る南部地区は、
温泉脈が無いので風呂は薪で沸かす五右衛門風呂である。
幸い鬱蒼と茂った照葉樹林を背後に控えた丘陵地帯なので薪には事欠かない。

やがて風呂が沸くと、母は何時ものしきたりを破って、
私に一番風呂に入るように命じた。丸い底板を踏み込んで浴槽に浸っていると、
母が洗い場に入ってきた。

「貞信、ヘノコの皮を剥いて良うく洗うんだよ。チョツト上がって見せてごらん」
私は浴槽から上がると、ペニスの包皮をゆっくりゆっくり剥いた。
ピンク色した未使用の亀頭が全貌を露出した。
「ほうら、白いカスが溜って居るじゃないの。
 そんなのをホト親になる後家さんに見られたら、母親の私の恥に成るんだからね」

一年ほど前から母の指導でペニスの包皮を剥いては熱い湯と冷たい水を
交互に数回かけるトレーニングをしていたお陰で、可なり亀頭は大きく発達していた。

風呂から上がると母は新品の下着の包装紙を破って、私に着替えを命じた。
そして三週間の連続泊り込みに必要な着替えもキチンと用意して
緑色の唐草模様の大風呂敷に包んでくれた。

家族全員が木炭が赤熱して自在かぎに吊るした南部鉄の煤けた湯釜が
シュンシュンと音を立てている囲炉裏を囲んで、めいめいの箱膳を囲んで、
豪華な朝食を始めた。其の日は日曜日であった。

私の若衆入りの為に特別に朝食にお赤飯を炊いて祝って呉れたのだった。

おかずは、鶏肉入りの雑煮、豆腐の厚揚げ、切干大根の煮しめに、
ぶりの刺身であった。
何時もは大抵の祝い事は麦が一杯入った赤飯で済ませるのに、今日ばかりは
麦の量が少なく底の方は純粋に米ばかりの赤飯の部分さえあった。
やはり一生に一度の重要儀式だからであった。

自宅での朝食が終ると、愈々我が家を後にして、島の女衆宿で三週間の
セックス実技の缶詰教育を受けるので有る。
 
母の思いで16
「平岡君。そろそろ行こうか」
友人の神近が誘いにやってきた。彼は衣類を入れた柳行李を担いでいた。
食事を終えた私は準備の品を揃えて大風呂敷に包んで居ると神近が、
「美人のホト親に当たればいいがなあ。三田さん何かだったら最高だぜ」
「うちの母は、皆選ばれた人ばっかりだから悪い人は居ないはずだと言ってるよ」
「年寄りのお婆ちゃんに当たったら大損だぜ」
神近が口を尖がらせる。そこへ母が顔を出して私を手招きした。
「貞信!ちょつとこっちへ来なさい」
先程まで食事をしていた居間に戻ると、父母が正座して厳粛な顔をして待っている。

「貞信、女衆宿に行ったらくじ引きでホト親決めが有るけれど、
 誰に当たっても嫌な顔なんかするんじゃないよ」
母は私に若衆入りの儀式を直前にした男としての心得を諭した。
「そうだぞ、お母さんが言う通りだ。今後一年間はお世話に成るのだから、
 可愛がられるように気配りしろよ」
父も若き日のホト親、入江美佐子さんとの性体験からくる重い言葉を掛けてくる。

その年の村の女衆宿での若衆入りの儀式に参加する少年は十人だった。
皆真新しい黒い足袋に正月位しか履かない桐の下駄か草履履きばかりだった。
島の北部地区の海岸沿いにある湯気立ち昇る温泉熱利用の製塩工場の傍から、
まるで熱帯と錯覚するようなヤシの木に良く似たフェニックスの並木に挟まれた
赤茶けた土のダラダラ坂を喘ぎながら登る。

「神近君、君は経験した事が有るのかい」
「田植えの加勢に来てくれた近所の小母ちゃんとチョツトだけな」
「なんだい、そのチョツトだけとは・・・」
「入り口まで行ったけど、そこでこぼしてしまってあとは最敬礼さ」
「なんだ、じゃあ、まだ入れた事ないんだな。俺と同じだな」

海と平野の双方を見渡せる焼岳の中腹に白い水蒸気がもうもうと立ち込める
温泉源があり、其の傍に島の全女性の社交クラブとも言うべき女衆宿が有る。

「あらぁ、いらっしゃい。あんたは平岡さんとこの坊やじゃない」
「はい、そうですが・・・」
「ああ、やっぱりね。お父さんの義信さんに顔がそっくりだもんね。
 さあさあ、上がって、上がって」
案内受付担当の六十歳になる吉田未亡人は紫色のワンピースの裾を
翻しながら、笑顔で出迎えて呉れた。
母の思いで15
吉田さんは夫を早くなくして若い頃はホト親を二十数年も務め上げた性技術の
ベテランで、十年前にホト親を卒業したのである。
でもまだ、お色気は無くならないようで、毎年講師を引き受けていた。
むろん村の老人仲間では遊び上手でいろんなサークルに顔を出す
人気者である事は私でさえ噂で知っていた。

下足箱に下駄を入れていると、
「私は若い頃、義信さんの恋人だった事もあるとよ。
 もしかしたらあんたのお母さんに成って居たかもしれんやっとばい」
私はこんなにお色気タップリの母親は嫌だなと思った。
確かに遊ぶには楽しいかもしれないけれど、
家庭で長い夫婦生活を送るには適さない女性だなと思った。
たぶん父もこの吉田未亡人と軽い火遊びをしていたのだろうと思った。

日頃は男子禁制である女衆宿の建物の中に足を踏み入れた。
温泉熱利用の床暖房施されて居るのでとても暖かい。
既に私よりも先に三名の少年が不安そうな顔で待合室に当てられた部屋に
固まっていた。何れも島で唯一の学校である、
村立中学校(小学校も同じ敷地内に有った)の卒業生で同級である。
私と大の仲良しである神近は、
「どこもかしこも女臭いなあ」
と呟いた。他の二人も同感だと頷いた。

島の人口が今よりも多かった明治末期に近海捕鯨で儲け出して作られた
木造瓦葺二階建ての女衆宿は百畳敷きの大広間、一流温泉旅館にも劣らない
豪華な広い岩風呂が一室と小型の風呂が三室ある。二十畳の中広間と、
六畳の小部屋が二十部屋と板張りの腰掛ける方式の食堂に広い炊事場、
便所それから板張りの作業場があり、普段は村の女性達の料理、裁縫、
家計簿記帳、共同農園作業、藁細工、竹細工、水産物加工、
そしてこの島独特の科目で有る「男女のお作法」など幾つもの分科会が
各部屋ごとに行われるのだった。

定刻近くなると少年達は全員揃った。
  1. 若集入りの儀式
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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